85.少年と悪魔(3)
ヒース視点
悪魔が少女を傷つけて追い出してから、全てが悪魔の思い通りに進むかのように思われた。
だが、ことはそう上手くはいかなかった。
少女の存在をなくした第三王子の心が壊れるのは必然かと思われたが、彼は一向にそんな様子を見せなかったのだ。
『くそっ!なんでだ!何故、壊れない!俺があそこまでしたというのに!』
その悪魔の悔しそうな姿に僕は嬉しさがこみ上げてきた。
少女がいなくなってしまっても、きっと第三王子の心の中にはあの少女がいる。
心の中の少女が彼を守ってくれている。
そのことが嬉しかった。
悪魔が少女を遠ざけるために使った幻覚魔法はかなりの魔力を使うものであった。
他人の姿に成り代わるような幻覚を見せるのだから、相当に高度な魔法だ。
それなのに何の意味もなさなかったのだから、悪魔にとって肉体的にも精神的にも大打撃となっていた。
僕は悪魔にも打ち勝つ、第三王子の姿に奮い起こされた。
悪魔の残酷さに絶望し折れかけていた心を持ち直すことができた。
この王子が悪魔に負けない限り、僕も諦めずに戦い続けようと心に決めた。
『やめだ、やめ!こいつは使えねえ。ったく、無駄な時間を食っちまった。もっと他に素質のある奴を見つけた。今度は、そいつにつけ込む』
しばらく、悪魔は第三王子につけ込もうと干渉し続けていたが成果が見られないことに苛立ち、ついには諦めたのだった。
僕はそのことに大きな衝撃を受けた。
今まで悪魔に目を付けられた人にそんな人はいなかったから。
みんな最後には悪魔に飲まれていった。
それなのに、この人は最後まで自分の心をしっかりと持ったままでいた。
この人なら、いつか全てを変えてくれる。
そんな気がした。
だが、悪魔は第三王子を諦めただけで企みを止める気はないようだった。
今度は第二王子に目を付け、その周囲の人々に手を及ぼし始めた。
「最近、第三王子のウィリアム様がお勉強もなさっているそうですよ。剣術や魔法の才能は昔からありましたから、そこに学も加わるかと思うと頼もしいですね。それに、彼には何か人を惹きつけるような力がありますから………それに比べてといってはなんですが、第二王子のクラレンス様は総合的にこなせるという感じはしますが、いまいちぱっとしないといいますか……」
「そうですねえ。魅力が感じられませんよね」
「しっ!本当のことでもそこまで言ったら可哀想ですわよ」
「そうですわね。おほほほほ」
そんな世間話が巷で囁かれるようになった。
だが、囁くというにはあまりにも大きすぎ、そんな話し声が第二王子の耳に届くことは多くあった。
第二王子は要領の悪いところがあり、それを量でカバーするような努力の人だった。
それに対し第三王子は天才型だった。
一度コツを掴めば大抵のことはすぐに出来てしまっていた。
その上、本人にはまだ告げられていないが魔法の適性は王家一とも言われている。
第二王子は血の滲むような努力で優秀な兄を振る舞っているが、実際のところ弟の第三王子には劣等感を抱いていた。
それでなくとも、優秀すぎる第一王子とは嫌というほど比べられてきた。
もう、第一王子には張り合おうという気すら起こらない。
第二王子はそんな風に考えていたという。
後に悪魔が言っていた。
そんな中、第三王子と比べられ馬鹿にされるような言葉を繰り返し何度も聞いた第二王子は、心の闇を深くする他なかったのだろう。
それが悪魔につけ込まれることになったとしても、第二王子自身ではどうすることも出来ない。
それすらも、悪魔の策略だったのだから。
心の闇を持った人間に悪魔がつけ込むのは簡単だ。
そんな人間は悪魔の囁きを容易に受け入れるからだ。
悪魔は第二王子に近づきだし、そしてとある問いかけをした。
お前は国王になりたくはないのか、と。
心が壊れかかった第二王子は、気づけば首を縦に振っていた。
悪魔がニヤリと笑う。第二王子は、これで完全に悪魔の魔法に掛かり取り憑かれてしまっていた。
それからは、まるで悪魔の独壇場のような日々が過ぎていった。
まずは、第三王子の王位継承を阻止するために悪評を流し、第三王子が特別な伴侶を得られないように第二王子の婚約者であるレイラ以外の“奇跡の乙女”を全て抹殺した。
歴代の国王は例に違わず、妃を“奇跡の乙女”としている。
また、“奇跡の乙女”は国の安寧の象徴ともされている。
それ以外の妃では国民には認められにくいだろう。
その次に、今の第一継承者である第一王子の暗殺に取りかかった。
馬車の運転手に催眠魔法をかけるだけの簡単な作業だった。
そして、先日、現国王であった第二王子の父親を第二王子自らの手で暗殺させた。
これらの計画と同時に、悪魔は全国民に盲目的に第二王子を支持するように軽い催眠魔法をかけていた。
魔法は弱くとも集団とは不思議なもので、伝染病が蔓延するように広がり強くなっていった。
これで次の国王が第二王子となることは必然だ。
だが、何故悪魔は第二王子を国王にしたいのだろうか。
その疑問は悪魔の口、自ら暴かれるのだった。
「第二王子を何故国王にしたいのかだって?それはなあ、第二王子を使って戦争を起こさせるためだ」
「戦争……?」
「戦争をすれば死人が出る。そして、そこには絶望と憎悪が渦巻くだろう?……ああ、考えただけで涎が出る。そんな落ちた人間の魂が一番旨いからなあ!」
そんなことを言って、悪魔は舌舐めずりするような仕草をした。
………そういうことだったのか。
長い間、悪魔の行動にしっかりとした意味を見いだせなかった。
それもそのはずだ。悪魔は人間の僕には到底考えもつかないような目的を持っていたのだから。
ただ、人間の魂を食べるためだけにこんなことをしようとしていたのだから。
悪魔はこの国を戦争国家とするつもりだ。
その環境を整えようとしていたのだ。
そんな考えで起こす戦争など、被害が無駄に大きくなる。
それは悪魔の望むところなのだろうが……
長い間、表面的には大人しくしていた悪魔ではあるが、内心ではこれほどまでに恐ろしいことを考えていた。
こんなこと絶対に止めなければならない。
……でも、僕に出来ることは何もない
パレードが終われば、第二王子の国王即位の儀はすぐだ。
そうなってしまっては、もう誰にも止めることは出来ない。
僕は何も出来ない悔しさに打ちひしがれながら、ただ日々が過ぎるのを見ているだけだった………
だから、この時の僕に教えてあげたい。
絶望の中でも、希望の光は決して消えないものだと。
今までの不甲斐なさを、罪悪感を償える日が来るのだということを。




