閑話4 無知な姉の気がかり(2)
私は馬車に乗り込むと、すぐさま王宮へと引き返した。
こんなところにもう一秒だっていたくなかった。
何で私がこんな思いをしなくちゃならないの。
あんなところ、頼まれたってもう二度と行くものですか!
思い出しただけでも腹が立ってきた。
この私がわざわざ行ってあげたというのに。
そんなことを沸騰しそうなほど熱くなった頭で考えながら王宮に帰り着いた私は自室に戻ろうと、吹き抜けになった廊下を歩いていた。
すると丁度その時、赤い髪の男性が庭で剣を振るっているのが見えた。
あちらも私のことに気が付いたようで、素振りを止めて私に声をかけてきた。
「レイラ、久しぶりだな。元気にしてたか?そういえば、お前も教会の孤児院に行ったんだってな。俺もあそこには何度か行ったことがあるぞ。どうだったか?」
剣を肩に担ぎながらそう私に聞いてきたこの男性はクラレンス様の弟君で第三王子のウィリアム様だった。
この方はいつも剣術の練習と魔術の研究ばかりをしているような変わった方なんだ噂されている。
周囲の人達はウィリアム様とはあまり関わらない方が良いと言っていたけれど……
ウィリアム様が話しかけて下さったことは、私にとって願ってもないことだった。
だって、そのことを誰かと早く話したい気分だったんだもの。
私はふつふつと心の中で沸いていた気持ちを吐き出すように口を開いた。
「どうって、最低でしたわ。わざわざ私が来てあげたっていうのに、何のもてなしもありませんでしたの。それどころか、淑女であるこの私をかけっこなんかに誘ったり、自分から話しに話しかけてきたのに私を侮辱して去って行ってしまったり。私がせっかくあげたドレスだって酷い扱いでしたわ。でも、あんなところにいる子供達だから仕方がないのね。なんてしつけがなっていないのかしら。だから、親に捨てられてしまうのよ」
ガッッッ!!!
突然、大きな音が聞こえた。
そして、その音に伴って足下には大きな振動が伝わる。
その衝撃に私は思わずびくりと身を縮こませた。
それにより、堰を切ったように私の口から溢れだしていた言葉は遮られた。
次から次へと飛び出していたあの孤児院であったことや不満の言葉は止まっていた。
それを止めたのはウィリアム様だ。
彼は持っていた剣を地面へと勢いよく突き刺していた。
そして、私のことをとても恐ろしい顔で睨んでいた。
「……お前、言って良いことと悪いことの区別もつかないのか。お前が子供達に見向きもされなかったのはそんな考えの自分のせいだ。遊んであげるんじゃなくて、一緒に遊びに混ぜてもらうんだよ。それにドレスなんてあげて子供達が喜ぶと思ったのか?自分が欲しいものが相手の欲しいものだなんて思うな。相手のことをきちんと考えてないからそれが分からないんだ。もっと、相手のことを考えてやれ」
決して怒鳴っている訳ではないのに身が竦むような威圧感のあるウィリアム様を前に、私は何も言い返すことは出来なかった。
そして、身を固まらせている私を気に掛けることもなく、ウィリアム様は剣を引き抜くとこの場を立ち去っていった。
その後ろ姿を見ながら、私は彼の言ったことを繰り返し頭の中で考えていた。
***
考えてみれば私は孤児院の子供達のことをよく知らなかった。
それどころか、貴族の子供しか見たことのなかった私には平民の子供が何が好きで何をすれば喜ぶのか何も分からなかった。
だから、色々な人に聞いてみて初めて知った。
孤児院の子供達は親に捨てられた子供だけではなく、親と死に別れてしまった子や人さらいに連れ去られたところを保護したものの帰るところの分からない子なんかもいる。
それに、平民の子供はドレスを着ないことも知らなかった。
質素な食事をしていることも、お菓子なんてほとんど食べられないことも。
あそこにいた子供達はきっと辛い思いをしていたに違いない。
それなのに、あそこではみんな楽しそうに笑い合っていた。
そう考えて、私ははっとした。
何てことを言ってしまったのでしょう、と。
私は孤児院のことを何にも知らないでこんなところ、何て言ってしまった。
あの孤児院はあの子達にとってとても大切な場所だったでしょうに。
それなのに、そんな大切な宝物のような場所を私は侮辱してしまった。
もう一度、あの子達に会いたい。会って謝りたい。
出来ることなら次は仲良く一緒に遊びたいわ。
そんなことを思った。
だから、私は再び孤児院を訪れることに決めた。
「……こんにちは」
そう声を掛けながら門を開く。
今日はごきげんようではなく、ここの子供達と同じ挨拶で。
私に気が付いた子供達は私に視線を送ったが、すぐに興味なさげに逸らそうとした。
きっと、私がしたことはここの子供達みんなに知られているんでしょうね。
だとしたら、こんな態度をとられるのも当然だわ。
「………待って!」
そんなみんなの冷たい態度に怖じけ付いて逃げたくなってしまいそうな気持ちを押し込めて、私はその子達を呼び止めた。
そして、心からの思いを込めて私は深く頭を下げた。
「ごめんなさい。この前はとても酷いことを言ってしまって。私、あなた達のこと何も知らなかったの。簡単に許して貰えるなんて思ってはいないわ。ただ、あなた達に謝りたくて。それでももし許して貰えるなら、今度は私も一緒に遊びに入れて貰えると嬉しいのだけど……」
私はそう一気に口にした。
私の言葉が途切れると沈黙が訪れた。
その時間はきっとそれほど長くなかったはずだ。
だけど私にはその沈黙が永遠にも思えるほど、とても長く感じられた。
「……いーよ。一緒に遊ぼう」
そんな中掛けられた声は何となく聞き覚えのある声だった。
この声は確か、この前も私に話しかけてくれた女の子の声だわ。
この子が一番にその言葉を言ってくれるなんて。
この子に対して、私は一番酷いことを言ってしまったというのに。
「……ほんとうに?許して、くれるの?」
「うん!お姉ちゃん、ちゃんとごめんなさいって言ってくれたから、これで仲直りだよ!」
そう言って笑うと、その子は私の腰の辺りにぎゅっと抱きついてきた。
その小さな存在は、何とも言えないくらいに温かく感じた。
そして、周りを見渡せば私の近くには大勢の子供達が集まっていた。
みんな私に対して温かい笑顔を向けてくれていた。
「じゃあ、みんなで一緒にかけっこしようよ!あ、でも、お姉ちゃんは出来ないんだっけ。しょうがないなー、今日はかくれんぼにしてあげるよ」
その中の一人、この子もこの前私の事を遊びに誘ってくれた男の子が続けて声を掛けてくれた。
あんなことがあったのに、嫌わずにまた誘ってくれたことが嬉しかった。
しかも、私のことを考えて遊びを変えてくれようとしていたことに頬が上がるのを止めることはできなかった。
「ありがとう、一緒に遊んでくれて。でも、今日はかけっこもできるわよ!」
そう、今日は準備万端なんだから!
私はそう言うと、スカートを脱いだ。
その下には動きやすいように、汚れても大丈夫なようにズボンを履いていたから。
これでどんな遊びだって一緒にできるわ!
「一緒に走り回りましょう!最初は私が鬼よ!」
私の言葉を聞いて、子供達はきゃっきゃっ、と楽しそうに走り出した。
そんな子供達を全力で追いかけながら、私も一緒に笑っていた。
***
くるみのクッキーを食べ終わってお昼寝をしている子供達を眺めながら、私は孤児院に来始めた頃のことを思い出していた。
あの頃の私は何も分かっていなかったわ。
いえ、あの頃だけじゃなくて、あの時までずっと。
相手のことをきちんと考えずに自分の思い込みだけで決めつけて、良かれと思ってやっていた。
だけど、そのことはもしかしたら本当は全然相手のためになっていなかったのかもしれない。
そう思うようになったのは最近のことだったわ。
そして、そう考えて一番最初に頭に浮かんできたのは一人の少女のことだった。
たった一人の私の大切な妹。
控えめなところがあるけれど、私の後をいつも付いてきていた可愛い妹。
可愛くて構いたくて、色々なものをあげて、色々なところに連れて行った。
だけど、思い返せばあの子の意見を聞いたことも、聞こうと思ったことも一度もなかった。
あの子は私のしたことに喜んでくれていたかしら。
あの子は笑ってくれていたかしら。
その時のあの子の顔を思い出そうとしても何の記憶も浮かばない。
それは私があの子の反応を気にしたことなんてないことを示している。
結局は私は自分のしたいことをしていただけで、相手に押しつけて、あの子のためになんてしていなかった。
そういうことなんだわ。
エリザベート、あなたは本当はどう思っていたの?
そう聞きたくても、今はもう聞くことは出来ない。
あの子は私のもとを去って何処かへ消えてしまったから。
あなたは一体何処へ行ってしまったの?
もし、もう一度会えたなら、私はあなたに伝えたいことがあるの。
いつかまた会える日がくれば良いのに。
そう思いながら雲一つなく澄み切った青空を眺めた。
だけど、そんな清々しいほどの晴天を見上げてもそれとは対象に、私の心は曇り空のままだった。
私にはもう一つ、気がかりなことがあったからだ。
それは、私の婚約者であるクラレンス様のこと。
多分、他の人は気が付いていないでしょうけど、私には彼がなんとなくいつもと様子が違うように感じた。
何処が違うのかと聞かれたらそれは説明できないのだけれど、時々、ほんの一瞬だけど思い詰めたような苦しそうな表情をしているのを目にしていた。
何か悩み事があるのかしら。
誰にも相談できないようなことが。
私にだけでも話してくれたら良いのに。
そう思う気持ちはあるけれど、私はクラレンスにあえて聞くようなことはしなかった。
たとえクラレンス様がどんなことを抱えていたとしても、何の問題はないから。
それによって何が起こったとしても、悩みがどんなことだったとしても、受け入れられる覚悟はある。
あの方を支えていく自信があるから。
だって、私はあの方の婚約者なんですもの。




