82.少年と悪魔(2)
悪魔に目を付けられたその王子は第三王子のようだ。
第三王子は目に余る態度でどんどんと周囲の株を下げていき、自ら悪循環に陥っていった。
教師からだけではなく、魔法をかけられていないはずの人間からも第三王子に対する否定の声を聞くことも多くなった。
このままでは本当に第三王子は壊れてしまうだろう。
人と顔を合わせれば怒鳴り散らし、一人になると沈んだ表情しか見せないこの子は、この悪魔の格好の餌食になってしまう。
そう絶望していた矢先、第三王子の前に一人の少女が現れた。
第三王子の希望の光となる少女が。
詳しいことは分からなかったが、この少女は虐げられた環境にいるにもかかわらず誰を恨むこともせずその状況を受け入れて笑っているような少女だった。
第三王子はその少女に出会い、その優しい心に触れ、一番欲しかった言葉をもらい、自分を取り戻していった。
あと少しで壊れそうだった第三王子の心はその少女のおかげで修復されていった。
だが、そのことを悪魔が面白く思うはずがない。
あと一歩というところで邪魔をされた悪魔はその少女に対して怒り狂っていた。
そして、その少女を一番残酷な方法で第三王子から離れさせることにしたのだった。
***
「お話とは、なんでしょうか?」
いつも王子と少女が会っている図書室で少女が僕にそう尋ねた。
僕はお屋敷にいた少女に話があるからと使いを出し、少女をここに呼びつけたのだった。
第三王子の名で。
そして今、少女の目の前にいる僕の姿もその少女には催眠魔法のせいで第三王子の姿に見えていることだろう。
本物の第三王子は、今日は王宮にはいない。
国王と街へ視察へ行くと行っていたから当分は帰って来ないだろう。
それを知っていて、悪魔はここに少女を呼びつけたのだった。
「お前は、俺のことをどう思っているんだ?」
唐突に、そんなことを質問した。
急にそんなことを聞かれても戸惑うだけだろう。
悪魔は少女の返事は期待していないのかもしれない。
この後に続ける言葉の前置きのためにそんなことを聞いたのだろう。
会話を誘導することにたけたこの悪魔の常套手段だ。
少女はその言葉に一瞬、驚いたような表情を見せたが、顔を真っ赤にさせながら消え入りそうな声で、こう呟いた。
「………好きです」
その言葉はシンプルな短い言葉ではあるけれども、少女の気持ちの全てを表しているようでもあった。
第三王子のことが本当に好きなんだ。
見ている僕にも分かるくらいに、そのことが伝わってくるような表情と態度だった。
僕は、自分が言われたわけではないのに、そんな少女の言葉に胸が温かくなった。
自分もこんな風に想われてみたいだなんて考えてしまった。
悪魔も、予想外な少女の行動に少し驚いたような様子だ。
少女が自ら、この言葉を口にするとは想ってなかったんだろう。
だが、悪魔はその言葉を聞いて、僕と全く違う気持ちを抱いたに違いない。
口の端をこれでもかというほどに上げて、醜悪な笑みを浮かべているんだろう。
そして、悪魔は第三王子の姿で、少女に、少女にとって最も残酷な言葉を投げつけた。
「俺はお前みたいなクソデブとは絶対に結婚しないからな!」
返事を待っていた少女は、僕がそう言い放った言葉を聞いて、真っ赤に染め上げていた顔を一瞬のうちに真っ青にさせた。
完全に血の気が引き固まった表情の少女には、先ほどまでの心が温まるような雰囲気は消え去っていた。
もう、この子をこれ以上、傷つけないで!
そう願うも、僕の願いをこの悪魔が聞き入れるはずもなく、僕の口は再び残酷な響きを発した。
「俺がお前に親切にしてやったのはレイラのためだ。そうじゃなかったら誰がお前に構ってやるものか。勘違いするな。迷惑だ」
追い打ちを掛けるようにまくし立てる僕を前に、少女は何も言い返すことはなかった。
「………………ご迷惑をおかけして、申し訳……ありませんでした」
顔面蒼白のまま、心ここにあらずといった様子でそうとだけ告げてお辞儀をすると、少女はそのまま図書館を後にし自らの屋敷へと戻っていくようだった。
『ふははははは!!これで邪魔者はいなくなった!あとは第三王子が勝手に壊れるのを待つだけだ!』
『なんで……なんでこんなことしたんだ!あの子を遠ざけるだけなら、ここまで酷いことをしなくてもいいだろうが!』
ただ単に嫌いだとでも、もう会いにくるなとでも言えば、それだけで少女は王子に近づかなくなるだろう。
少女は多少は傷つくが、時間を経て立ち直ることが出来るだろう。
それなのに、あの子に好きだと言わせた上であんなに酷い言葉を投げつけるなんて!
好きな人にそんなことをされて、あの子は立ち直ることができるのだろうか。
変な気を起こしてしまわないか、僕は少女のことが心配だった。
僕は悪魔を思い切り睨んだ。
しかし、悪魔はそんな僕に対してまるで口笛を吹き出しそうなほど楽しそうにこう答えた。
『なんでかって?それはなあ……俺は人間の絶望が大好物だからだよ!』
僕は、悪魔のその醜くゆがんだ笑い顔にもう何も言い返すことが出来なかった。
***
ダンッ!!
ヒースの話の途中であるにもかかわらず、壁を叩く激しい音が響いた。
その音には、とてつもない怒りが込められているように聞こえる。
音の方向には、ウィリアム様が拳を強く握り壁に叩きつけた姿があった。
「………ごめんなさい。謝って済むようなことじゃないことは分かっています。それでも、あなたの心を思うと、謝らずにはいられなくて」
「分かっている。それはお前のせいじゃない。ただ、どうしても自分の中の感情が抑えられなくてな……。話を遮って悪かった。続けてくれ」
暗い表情でとても申し訳なさそうに謝るヒースにウィリアム様は苦しそうに、ただそうとだけ言葉を出した。
その中にある感情が吐き出されてしまわないように、気を付けて、押し込めて。
後悔、やるせなさ、不甲斐なさ、そして悪魔に向けてだけでは抑えられない行き場のない怒り。
そんな感情がウィリアム様の中に渦巻いているように感じた。
だけど、ウィリアム様のことを気に掛ける余裕がないほど、私の中にも様々な感情や考えが渦巻いて混乱していた。
………え?
ということは、私があの時ウィリアム様に告げられたと思っていた言葉は、本当はウィリアム様の言葉ではなかったってこと?
あの残酷な言葉は全部、悪魔の言葉だったっていうの?
私はウィリアム様に嫌われてはいないってこと……?
幼い私を傷つけたあの日の出来事は、全てが偽物だった。
そうだというのならば、あの日、私がウィリアム様の元を去ったのは意味のないことだったのかもしれない。
だけれども、真実が分かったからといって、全てがなかったことにも元通りになることも決してない。
自分を偽って、皆を騙して過ごしていた事実は消えない。
それに、エルザ達と過ごしたこの日々が無意味なものだったなんて思いたくない。
私が自分の正体を明かしたりしなければ、皆との関係はこのままずっと続いていく。
私だけが知っているこの事実を、私の心の中に秘めておけば……
そんなことを考えて、私はウィリアム様にもヒースにも自分から更なる真実を告げることはできなかった。
「………くそっ。だから、その日からエリザベートは姿を消したのか。悪魔があいつにそんなことを言ったから。どれだけあいつが傷ついたことか……」
「うん、そうなんだ……悪魔はどうしても彼女をあなたから遠ざけたかったみたいだ。“奇跡の乙女”であり、なおかつ、あなたと心が通じ合っていた彼女のことを」
ヒースは目を伏せてウィリアム様に説明する。
悪魔にとって、私という存在がそんなにも大きなものだったということに、少なからず驚く。
しかし、顔を上げ視線を私に移したヒースの言葉は、それよりも私を動揺させるものだった。
「でも、王族と奇跡の乙女は見えない糸で結ばれているっていう言い伝えは本当だったんだなあ。再びあなた達2人が出会えていただなんて。あなたが無事で良かった、エリザベート嬢」
「は?」
ヒースは私に微笑みかけながらそう言った。
ウィリアム様が耳を疑うように、疑問の声を出す。
ヒースは何を言っているんだろうか。
私がエリザベートだなんて。
そんなこと、どうしてヒースが知っているの?
酷く動揺し固まる私に気が付いていないのか、ヒースはさらに言葉を続けた。
「それに僕はあなたのおかげで今、ここにいられます。あの時、あのパレードであなたが投げて下さったこの赤い宝玉に救われました。奇跡の乙女であるエリザベート嬢の温かい魔力に満たされたこの宝玉が僕の身体に触れ、その温かさに耐えられなくなった悪魔が出て行った。あなたがいなければ、僕は悪魔に取り憑かれたままだった」
―――やめて
それ以上、言わないで
私をリュカのままでいさせて
声をもたない私は、そう訴えることもできない。
「男性の姿をしていても、あなたがウィリアム様の想い人、エリザベート嬢だということはすぐに温かいあなたの魔力で分かりました。本当に、ありがとう」
ヒースは心からの感謝の気持ちを私に伝えた。
悪気なんて少しもない。
そんなヒースの言葉で皆の視線が私に集まる。
皆がどんな顔をしているのか怖くて、私は視線を上げられずにいた。
皆をずっと、騙していた。
ヒースが言わなければ、これからもずっと騙し続けようとしていた。
そんな狡猾な私のことを皆はどう思うだろう。
ずっと俯いている訳にはいかない。
意を決して私は顔を上げた。
一番にウィリアム様と目が合う。
彼の瞳には驚きと戸惑いの色が浮かんでいた。
私は背を向け、勢いよく部屋の扉を開けた。
そして、卑怯にもその場から逃げ出したのだった。




