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うーん、あともうちょっとかな
桶の中をのぞき込んだ私はその水かさを見て、再び近くの岩に腰掛けた。
ちろちろと流れる水は綺麗に澄んでいて、見ていると自分の心が安らかになってくような気がした。
今日も丁度他にやることがなく手が空いていたので、以前と同じ場所でわき出る新鮮な水を汲みに来ていた。
この前、汲んできた水にコンドラッドは随分と喜んでいたし。
それに、やっぱりこの水が溜まるまで待っている時間も好きだなあとそんなことを考えていた。
すると、すこし遠くの方からこちらに走って近づいてくるような人の気配を感じた。
私が来た方向、コンドラッドの家がある方向からなので、知っている誰かだろうとそれほど警戒もせずにそのまま座っていた。
そして、木々を揺らしながら草むらから走り出てきたのは、やはり私の知っている人物、ウィリアム様であった。
ウィリアム様もこの場所が気に入ったのかな。
そう思って声をかけようとした時、私は彼の様子がおかしいことに気がついた。
水場から少し離れたところで立ち止まってそれ以上進むのを躊躇っている様に見えた。
顔はこちらの方を向き、私のことも見えているはずなのにウィリアム様から私に声をかけてはこなかった。
“………ウィル、どうかしたの?”
「…………あ…………いや、その………」
そんなウィリアム様の様子を不思議に思った私は、何かあったのかもしれないと思い、そう声をかけた。
しかし、いつも真っ直ぐすぎるくらいしっかりと自分の意見を持っているウィリアム様がなかなか言い出せずに、言葉を詰まらせていた。
いつも真っ直ぐ前を見つめている目はいろいろなところをさまよわせている。
本当に何かあったのだろうか。
………あ。
そういえば、ひとつ大変なことがあったじゃないか。
エクソシス王国の国王が亡くなった。
それは王子であるウィリアム様のお父上様が亡くなったことと同じことだ。
こんなに離れた土地で死に目にも会えずに家族を亡くしてしまうなんて。
しかも、これからたった一人残った家族である実の兄を襲おうとしている。
今の状況では、ウィリアム様は自分の辛さや悲しみを出すことなんてきっと出来ないんだろう。
そんな彼の心の中は酷く暗い感情が彼のことを傷つけているんじゃないだろうか。
私は、こんなことにも気がつかないなんて。
でも、自分への反省は後だ。
こんな時に、ウィリアム様にはなんて声をかければいいのだろうか………
とんとん
私は、結局何も言わずに私の隣の空いているスペースにウィリアム様が座るように岩を叩いて促した。
考えたところで、今の彼にかけるべき言葉なんて見つからなかった。
だけど、私にも彼のそばにいる、っていうことは出来ると思ったから。
私の行為を見たウィリアム様は引き寄せられるように近寄っていき、私の隣に腰を落とした。
それでも、ウィリアム様はこちらを見て口を開こうとはしなかった。
私はそっと手を伸ばして、ウィリアム様の小さく震えている手の上に重ねた。
私の手が触れると、ウィリアム様の手がぴくりと反応した。
ウィリアム様が、まだ何も言えないならそれでいい。
大切なのは、私がどんなときでもあなたの味方だということを知ってもらうことだ。
私の温もりを全部使っても良いから、ウィリアム様の心が暖まってくれればいいのに。
そんなことを思いながら彼の冷えた指先を包み込んでいた。
私の体温が伝わり、ウィリアム様の手がじんわりと温かくなってきたとき、彼は言葉を紡いだ。
「………リュカ、お前には今まで色々と悪いことをしてきたと思う。お前のことを酷く誤解していたためにな。すまなかった。間違ってきた上に自分勝手な願いだと思うが、聞いて欲しい。俺にはお前が必要だ。どうか俺についてきて欲しい」
ウィリアム様は重なっていた私の手を取り、握りしめると強くそう私に訴えかけた。
私の目を一直線に見つめる彼の瞳には偽りの色は少しも見えない本気の色を宿していた。
こんなにも彼は想っていたんだなあ。
彼の国の事を。エルザのことを。
悪魔の問題を解決するためには絶対に一人の力では無理だ。
コンドラッドやキースの力が必要なのはもちろんのこと、私にたいしたことが出来るかは分からないが協力者が多いにこしたことはない。
彼自らが私にもこうやって真剣に頼みにくるくらい、彼は強い意志を持っているんだろう。
ウィリアム様に頼まれなくたって、元々そのつもりだった。
彼の役に立てるなら何だってしたいという気持ちもある。
それは昔のウィリアム様を知っているからというだけではなくて、今の彼も助けたいと思えるような人物だったから。
そんなウィリアム様に頼まれたんだから、なおさら頑張らなくては!
“うん!もちろんだよ!悪魔討伐のためには人手が必要だもんね。僕がどれくらいウィルの役に立てるかは分からないけど、ウィルについて行くよ。僕はずっとウィルの味方だからね”
私は、ウィリアム様の手を握り返して勢いよくそう返事をした。
ずっと考えていた、本心からの言葉はすっと出てくる。
彼を不安がらせてはいけないと想って気負いすぎたせいか、私の言葉を聞いたウィリアム様はぽかんとした表情をしていた。
「………は?何を……いや……そうじゃなくて…………ああ、ありがとう……」
ウィリアム様は私には聞き取れなかったが、何か口の中でもごもごと言った後、私にお礼を述べてくれた。
そんなことは当たり前の事なんだから、お礼なんて言わなくても良いのに、こういうところも真っ直ぐなウィリアム様らしい。
ウィリアム様はきっと本来ならば関係のない人間を悪魔なんて危険な存在と対峙する命をかけるような出来事に巻き込むことを、よく思っていないんだろう。
どこか複雑な表情をした彼の中には私が受け入れたことに対しての、そういった葛藤があるのだろう。
それでも私はそんな彼だからこそ、力になりたいと思った。
彼が幸せになれる日までずっとついていこう、彼のことを見守っていこう。
私は心の中で密かにそう誓った。




