68.少女の優しさ
エルザ視点
「……ありがとう」
最後にそう呟いたウィルは覚悟を決めたように、もう少しも迷うことなく一直線にあの子のもとへ走り去っていった。
まったく、手の掛かる子たちなんだから。
私は小さくなるウィルの後ろ姿をぼんやりと眺めてそんなことを思っていた。
「ウィルはやっと自覚できたんだね。人のことには敏感なのに、自分のこととなると鈍いんだから」
突然、そんな声が聞こえてきたと思ったらいつの間にか私の隣にはキースが立っていて、私と同じようにウィルの背中を見ていた。
私はリュカたちみたいに、遠くの魔物の気配とかを感じ取ることは出来ないけれど、さすがに近くに人がいることくらいはいつもなら気がつく。
だけど、キースが声を発するまでいつの間に湧いて出てきたのかと思うほど、急に気配を現した。
きっと、私たちが気づかなかっただけで、随分と前からここにいたのだろう。
「盗み聞きしてたのね。悪趣味」
「いやあ、人聞きの悪いこと言わないでおくれよ。たまたま居合わせただけじゃないか」
「あら、どうだか。っていうか、もしかしてあなた、リュカが女の子だって知ってたの?」
「まあ、成り行きでね」
私がじと目でキースを見るも、本人はそんな風に見られても全く気にする様子はなくいつもの調子で軽く受け流した。
そんな変わらない様子のキースの姿を見て、はっとした。
さっきの話を聞いていたんだったら、リュカが女の子だっていうことも聞いたはずだ。
それなのに、驚いてる感じもしないし私に何か聞いてこようともしない。
まさかとは思ったけど、本当にキースがリュカの性別に気がついていたなんて。
今度は、私の方が驚く番だった。
いつの間に。
……でも、あの子はしっかりしているようで、変に抜けているところもあるからこんな風に一緒に過ごす時間が長くなった人には気がつかれても不思議はないかもしれないわね。
私たちもリュカの正体にはすぐに気がついたわけだし。
私はリュカと出会ってからそれほど経たないうちに、リュカの本当の性別に気がついた。
リュカは、初めから私ともお父さんとも一緒に水浴びをしようとしなかったし、着替えも誰にも見せようとしなかった。
まだ出会って間もないし、恥ずかしがっているのかなと思って無理に一緒にしようとはしなかった。
でも、リュカが川へ落ちたとき、風邪を引いたら大変だと何も考えずにリュカの服を着替えさせようとして脱がせて、そのことを知ってしまった。
リュカが必死に隠してこようとしたことに気がついてしまった。
お父さんにそのことを知らせると驚いてはいたけれど、分かったと言ってすぐに受け入れた。
私を育てていたお父さんにはもしかしたらなんとなくそんな気がしていたのかもしれない。
お父さんと私は、このことはリュカが自分から話してくれるまでは見守っていようと約束して、黙っていることにしたのだった。
「でも、君は本当に良かったのかい?」
「え?何のこと?」
おもむろにキースがそんなことを聞いてきた。
ウィルがリュカへの気持ちに気がついたことだろうか。
確かに、私の家族のリュカを取られちゃうのは寂しくなくはないけどね。
でもこれも親心みたいなものなのかもね。
キースにそう聞き返してから少し考えてこれで良かったんだと私が笑って頷こうとする前に、再びキースが私に尋ねた。
「君はウィルの事が好きだったんだろう?」
その言葉を聞いた時、私の表情は笑顔を作ろうとしたまま固まった。
キースは何を言っているのだろう。
私がウィルのことを好き?
そんなこと………
そんなこと、誰にも気づかれていないと思ってたのに。
何度告白されても、少しも興味がないって言うように断って、ウィルに対しても皆にするのと同じ態度で接していた。
多分、ずっと私の事を見てきたリュカだって気づいていない。
私がウィルを本当は好きなんだってこと。
最初は私に告白してきてくれる他の人達と同じような印象しか持っていなかった。
ただちょっと諦めが悪くてしつこい人だなあと思っていたくらいで。
でも、一緒に旅をして、過ごす時間が増えて、彼を知ることで、彼に対する印象は変わっていった。
冒険っぽいこととか新しいこととかちょっとしたことで楽しそうに目をきらきらさせるところ、ちょっと傲慢なところはあるけれど困っている人は放っておけなくて、助けようとする優しいところ、どんなときでも真っ直ぐに人と関わろうとするところ。
他にもウィルと関わっていくうちにウィルのことが分かってきて、どんどんと惹かれていった。
そんな相手にあれほど好意を向けられて、好きにならないはずがなかった。
好きになったウィルの事を密かにいつも目で追っていて、ウィルの視線がいつもリュカに向いていることに、その瞳に何か特別な感情が宿っていることに気づいてしまったのだから皮肉なことだわ。
そんな私の様子を見て、キースは私の感情に気がついたのかもしれないし。
キースはその一つしか見えていない目で、色々なことを見抜いてしまう。
キースのそんなところを恐ろしいと思う。
でも、キースの心の内の弱さや優しさもちゃんと知っている。
それに、私だってキースが隠しているつもりになってる彼の感情を知ってるしね。
「あら、キースだって面白くはないんじゃない?止めに行かなくていいの?あの子のこと好きだったんでしょう?」
「さあて、何のことかな?」
私は少しむきになってキースにそう聞くも、キースは少しの動揺も見せることなく、曖昧にはぐらかした。
私は思いっきり動揺してしまったのにそんな風に余裕を見せられるなんて、何だかずるい。
でも、私はちゃんと知っている。
キースがウィルと同じような視線をリュカに向けていたことや、リュカと親密になっていくウィルにキースが大人げなくちょっかいをかけていたことを。
それに、はっきりと否定しないところも肯定を表していた。
キースは叶わない気持ちに蓋をして、好きな人から手を引く道を選んだ。
好きな人もその周りの人も困らせないようなある意味理想的な大人な方法だ。
でも、私は自分の気持ちに嘘はつけない。
好きなものは好きといいたい。
まだ、大人にはならなくてもいいから。
「………私はウィルのこと、好きよ。好きだったわ」
「やっぱり、そうだったのかい。それなら……」
「でも………しょうがないじゃない。リュカのことも大好きだから。大切だから。あの子には幸せになってもらいたいんだもの」
私は知っていた。
ウィルがリュカの事を見つめる熱い視線の返すように、リュカも戸惑いながらも特別な想いを乗せた眼差しでウィルを見つめていることを。
そんな二人の間に入っていくなんて、そんなことできるわけないじゃない。
本人たちは気がついていないけど二人が想い合っているなら、気持ちが通じ合えば幸福が訪れることは必然だ。
リュカはこれだけ長く過ごしてきた私にも、どこか一線を引いて遠慮しているようなことがまだある。
私もお父さんも大切な人を失う怖さを知ってしまっているから、リュカがせっかく私たちのそばを居場所だと認めてくれたのにそこからいなくなってしまうことが怖かった。
リュカが話してくれるまでは見守っていようと、リュカに深く踏み込むことは出来なかった。
リュカはだんだんと明るくなって嬉しそうに笑うことも増えてきたから、私たちのしてきたことも間違いではなかったと思う。
それでも、リュカにはもっと幸せになれる道がある。
自分の本当の姿を隠さずにありのままの自分で生きようと思える道が。
私はその道にリュカを連れて行ってあげることは出来ない。
でも、ウィルになら、どんなことがあっても逃げずに真っ直ぐと向き合える彼なら、リュカを幸せの道へと導いてくれる。
なんて他力本願な考えなんだと自分でも思うけど、ウィルならきっとそうしてくれる気がする。
私は今度こそ、キースに笑顔を向けた。
リュカとウィルに幸せになって欲しいという願いを込めた心からの笑顔を。
私を見たキースはすっと目を閉じて、表情を緩めた。
そして、いつもの作り物めいた笑みではない、優しく穏やかな笑みを私に向けた。
再び開いた瞳には温かさが込められていた。
キースは何も言わずに歩き始め、去り際に、ぽんと私の頭に手を置いた。
「………辛い選択だっただろうに。優しい子だね、君は」
キースのその声に私は何も答えることなく、ただ遠ざかっていくキースの足音を聞いていた。
私と大きくて優しい手の温もりだけがそこに残った。
真っ直ぐと前を見る私の瞳からつうっと温かいものがこぼれる。
それは後から後からとめどなく溢れて、私の頬を濡らしていった。
………今だけよ。
明日からは幸せになったあの子たちを笑顔で迎えなくちゃ。
だから、今だけ、今だけは自分のために目一杯泣いてあげよう。
私の初めての失恋だったんだから。
この想いはすぐには消えないだろう。
でも、涙が流れるたびに心がすっきりとしていって、優しい気持ちになれる気がした。
明日はきっと笑顔になれるわ。




