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58.第三王子の想い人(2)

 


「どうしてこんなことも分からないのですか?あの方達の弟でいらっしゃるとはとうてい思えません。あなたにはこんなことすら出来ないだなんて」


 蔑むような目で俺を見て、もう何度聞いたか覚えていないほど繰り返された言葉を言う。

 他のことであったら、何を言われたって言い返している。剣術での注意は今度こそはやってやろうという気持ちになる。

 だが、机に座り本を目の前にしたとき、教師にそう言われると俺はただ身を固くするだけで何も身動きが取れなくなってしまった。

 刷り込むように何度も何度も言われたことが、俺のことをがんじがらめにしている。


 教師はそんな俺を見放すようにそのまま部屋から出て行った。

 扉が閉まる音がして、俺はようやく身体から力をぬいた。


 ずっと授業は受けておらず受ける気もなかったのだが、今日は運悪く捕まってしまい、久しぶりに教師の話を聞かなければならなくなった。

 当然、授業の内容は理解できず出された問題も分からなかった。

 そして、不正解の問題の答えを見た教師に、俺はまたあの言葉を言われた。


 どうしてこんなことも分からないのか、と。


 上の兄は2人とも優秀だ。色々なことを何でも知っている。それに比べて俺は勉強が苦手で劣っているということは自覚している。

 だから、そう言われても何も言い返せない。

 俺自身がどうしてこんなこともできないのかと思っているのだから。


 それでも、分からないことを聞こうとすることもできない。

 また、あの言葉を言われるのではないかと思ってしまうから。

 きっと俺は一生、兄たちにはとうてい敵わないのだろうな。

 でもそれは、きっとどうしようもないことなんだろう。


 沈む気持ちでふと部屋の時計に目をやった。

 ああ、もうこんな時間なのか。

 あいつはもう来ているんだろうな。

 本が大量にある場所であるのにあいつがいると思うと早く行きたくなった。




「よお、遅くなったな」


 図書館へ行くと、やはりあの少女は昨日と同じ場所で本を読んでいた。

 俺はその姿を見るとすぐに声をかけたのだが、また読むことに集中しているようで全然気がつかなかった。その後も何度か声をかけて見るも、耳を傾ける気配は感じられなかった。


「おい!お前はまた無視する気か!」


 俺のことよりも本に少女が気を取られていることに少しイラッとした俺は、しびれを切らして少女の肩を揺り動かした。

 昨日のように強い口調になってしまったが、その心中は昨日とは違った。

 そんなに本好きの少女に呆れのようなものを感じていただけだ。それに加えて少しだけ、俺のことを見ていなかった少女への不満な気持ちもあったのも事実だが。

 後ろを振り向いた彼女の目には、俺はさも不機嫌そうに映っていたことだろう。


「す、すみません。本に集中していて……。今日はもういらっしゃらないのかと思っていました」


「は?昨日、今日も来ると言っただろう。じゃあ、読み始めるぞ」


 俺は昨日読みかけだった本とその近くにあった適当な本を選んで、少女の正面に座った。

 俺はここに今日も来るつもりだったが少女には明日もここに来るようにとしか言っていなかったなと思いながらも、わざわざ言うようなことはしなかった。

 遅くなってしまった俺も悪いが、普通に考えれば言い出した俺が来るに決まっているだろう。

 それにそう言った俺の言葉を聞いて、わずかにではあるが少女の頬が緩んだ気がしたので良いかと思ってしまったのもある。


 とにかく、俺は読み始めようと昨日の本を開いた。

 この空間はなんとなく居心地が良くて好きだ。こんな場所を今まで知らなかったなんてもったいなかったな。

 癒やされているような気持ちでページをめくっていると、また分からない言葉が出てきた。

 昨日と同じように目の前にいる少女に聞こうとその文字を指し示そうとした。

 しかし、先ほどの授業でのことが頭をよぎり、思わず勢いよく本を閉じてしまった。

 視線を感じ、顔を上げると心配そうな表情をした少女が俺のことを見つめていた。


「ウィリアム様?どうかなさいましたか?お顔が真っ青です。今、すぐに誰か人を呼んできますから」


 焦ったようにそう言い、少女は立ち上がって外へ行こうとした。

 俺はそんなにも血の気が引いた顔をしているのだろうか。

 だが、俺がそんな顔をしているのは決して病気などが原因ではないことは分かっていた。人を呼んだところで意味はない。

 俺は、すぐにでも飛び出して行こうとしている少女を呼び止めた。


「いや、人は呼ばなくていい。それよりも……これはなんと読むんだ?」


「『いちる』です。1本の細糸の様に今にも絶えそうなもののことで、ごくわずかなことを示す言葉ですが……本当に大丈夫なのですか?」


 俺は先ほど読んでいたページを開いて分からなかった文字を指さした。

 それを見た少女は俺のことを心配しながらも、昨日と同じように間髪を入れずに答えた。


「やはりお前はすごいな。何でも知っている。俺とは大違いだ」


 つい、そんな言葉がこぼれた。

 今まで、誰にもそんな弱音など吐いたことなどなかったのに。

 この安心する空間と敵わないと思ってしまうような相手の前では俺ももろくなってしまうみたいだ。

 俺の自分を卑下するような言葉を聞いた少女は驚き、キョトンとした表情をしながらこう言った。


「はい。私とウィリアム様は全く違います」


 あっさりと肯定した言葉に今度は俺が驚いた。

 自分で言っておいて何だが、なんとなく俺の言葉を聞いた少女は曖昧に否定しながら言葉につまるだけだろうと思っていたからだ。

 自分から言い出したことだが、少女の言葉には相当なショックを受けた。

 だが、少女の言葉には続きがあった。


「私は本を読んでその内容を覚えるくらいしか能がありません。それに比べてウィリアム様は剣術が素晴らしくお上手で、人を惹きつけるような強い魅力があります。そんなウィリアム様を私と同じように見る事なんて、とてもおこがましいことです」


 少女は緊張しているのか堅い表情ながらもはっきりとそう言った。

 俺のことを学のない馬鹿者だとは思っていないのか?


「だが、俺はお前が当たり前に知っているようなことも分からないんだぞ!お前より俺が劣っているということは明らかではないか!」


「学んでいなければ、分からないのは当たり前のことです。私は人よりも時間を本を読むことに充てているので知識が多いのかも知れません。ですが、ウィリアム様はその時間を剣術の稽古に使っていらっしゃいますよね。ですから、差が出てしまうことは自然なことです。私には剣は全く出来ませんし。人は皆、得意不得意があるものですから」


「得意不得意……」


「はい。剣術がお得意なウィリアム様はとてもかっこいいと思います」


 その少女は花がほころぶような笑顔を向けた。

 その瞬間、俺は胸に抱いていた闇に光が差し込まれるような、そんな感覚がした。

 目から鱗が落ちるとはこういうことを言うのかもしれない。

 誰も教えてくれなかったことを、誰も俺にくれなかった言葉をこの少女は俺にくれた。


 多分、俺自身が一番俺のことを認められていなかったんだと思う。

 そしてそのせいで、2人の兄に対する劣等感が日々募っていくばかりで、何も成長出来ていなかった。

 でも、簡単なことだった。

 そう考えるだけで嘘みたいに気持ちが軽くなった。

 俺は久しぶりにこんなにも穏やかな気持ちになっていた。

 そんなことを考えてぼうっとしていた俺を見て、少女ははっとしたように何故か焦りだしておろおろとしていた。


「も、申し訳ありません。私なんかが出過ぎたことを言ってしまいました。どうかお気になさらないで下さい」


 俺が長い間黙っていたせいで、少女は何やら勘違いをしてしまったみたいだ。

 俺の価値観を変えるような凄いことを言ったというのに、変なところで気が小さい奴だな。

 ふっ、と思わず柔らかい笑みがこぼれた。

 心から笑ったのなんてずいぶんと久しぶりな気がする。


「いや、謝ることは何もない。そんなことよりも、また色々と教えてくれると嬉しいんだが……」


「はい。私なんかでよろしければいくらでも。私が分かることでしたら何でもお教えいたします」


 少女は俺が怒ってなどいないことが分かったのかほっとしたように返事を返した。

 まだ俺に緊張しているのか言葉は堅いがこれから慣れていけばいいだろう。


「よろしく頼んだぞ。さっそくなんだが、ひとつお前に聞きたいことがある」


「なんでしょうか?」


「お前の名前は?」


 俺の質問に目の前の少女は虚を突かれたとでもいう様に目を瞬かせる。

 そしてまた、見ているこちらまで幸せになるようなあの心地よい笑顔でこたえた。


「私の名前は――――――――」




 この少女に出会えたことは、後にも先にもこれ以上ないほどの幸運だった。

 そしてこの時の俺は、この幸せがこれからもずっと続いていくものだと信じて疑っていなかった。




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