57.第三王子の想い人(1)
ウィリアム視点
「う……重い……」
大量の石を積めた袋を持たされた俺は、山道を歩きながら思わずそう呻いていた。
ダンジョンで無事合流できた俺たちは当初の目的である『おつかい』を遂行すべく、黒い台座の周りに集まった。
「よし。じゃあ、これを持って帰ろう!」
「ええ!どうやって!?」
平然とそう言うキースにエルザが即座につっこんだ。皆が思っていたことだろう。
その台座は俺が両手を伸ばしたくらいの大きさで、高さも腰くらいまである。
その素材も固くて頑丈そうな石で出来ているようで、とても動かすことは出来そうになかった。
「うーん、でも持ち帰ってきてって言われちゃったからさ。じゃあ、砕いて持って帰ろうか。ウィル、よろしく」
「俺がか!?」
いきなりの無茶ぶりに面食らったものの攻撃魔法で何とか破壊しその石のかけらを袋に詰めて持ち帰ることにしたのだった。
しかし、出来るだけ持ち帰ろうというキースが重さも考えずに詰めれるだけ詰めたから、尋常じゃない重さになっている。ひと1人分くらいはあるんじゃないか?
「何だい?もうへばったのかい?ジェラールは余裕そうなのにね。ウィルって意外と軟弱者なんだなあ」
“僕も半分持とうか?”
「……大丈夫だ。これくらい一人で十分だ。キース、元はといえばこんなに詰めたお前にも責任があるだろうが」
こっちは必死に運んでいるというのに茶々を入れてくるキースに苛立ちを感じながらも、そんなことに割くような体力は余っていなかった。
俺とジェラールが袋を持ち運んでいたが、キースの言うようにジェラールは重さを感じていないようなスムーズな歩き方だ。
ジェラールが出来るというのに自分は出来ないというのは何だか癪だから意地でも最後まで運んでやるからな。
荷物を運びながら喋る余裕もなく、黙々と山道を歩く。
隣を歩くリュカを見て、先ほど聞かれたことがふと頭をよぎった。
なんでウィルはそんなにも諦めずに気持ちを伝え続けられるの?
リュカは何気なく聞いたことで、そのことはもう頭にはないだろう。
だが、俺はその言葉にいろいろな感情を呼び起こされていたのだった。
あれは……もう10年も前のことになるのか。
俺があいつと出会ったあの時から……
***
俺はエクソシス王国の第三王子としてこの世に生を受けた。第一王子、第二王子の兄たちは文武共に優秀で周囲からも将来に期待が厚い。
そんな兄たちを尊敬し、自分もそんな人達の弟に相応しくなろうと、そうなるのは当然のことだと子供ながらにそう思っていた。
「父上!俺は兄上達みたいな立派な男になってこの国を守っていく父上みたいな偉大な国王になりたいです!」
「うむ。ウィリアム、良い心がけだ。王家の人間としてこの国の市民のことを考えることは大事なことであるからな。だが、国王になるのは順当に行くとお前の兄たちのどちらかになるんだが、お前にはまだ難しいかもしれんな。よし!だったらまずは剣の腕を磨くのだ!何よりも必要な者は国民や愛する人を守るための力をつけることだ!相手をしてやるからどこからでもかかってこい!」
「はい!まいります、父上!」
幼い日の父上との会話をふと思い出した。
そうだ。リュカとのエルザをかけた決闘の時に剣で挑もうと思ったのは、この時の父上の言葉が意識の中に残っていたからだ。
俺が物心つき始めたばかりの頃は国王である父上とも過ごす時間があり、剣の稽古を付けてもらっていた。
その時に、好きな女を奪い取るためにも剣術を磨くのだと言われた記憶もあった。
ペンを持つよりも剣を持つ方が早かったのは俺にとって良かったのか悪かったのか。今でも、父上の剣さばきは覚えている。
しばらくして国に大きな問題が生じたということで父上は仕事が忙しくなり、俺の稽古を付けてくれる暇などなくなってしまったから、ほんの小さな頃の記憶だけなのだけれど。
俺は幼い頃は何にでもなれ、何でもできると根拠もなくそう思っていた。しかし、世の中にはうまくいかないことばかりであることを知るのはすぐのことだった。
俺が初めて剣を持ってからしばらくして、今度はペンを持つことになった。国の王子としての教育が始まったのだった。
国の歴史、算術、他国の言葉など様々な授業があった。教師達は、勉強は王となるためには必要なことだと言っていたが、身体を動かす方が好きな俺にとって授業は憂鬱なものでしかなかった。その頃には、俺は王にはなれない可能性が高いということは分かっていたのもある。
それでも、だからこそ、王になる兄の力となるような立派な騎士になるんだと人知れず決心していた。だから、机での勉強よりも外での稽古の方が身が入るのも仕方のないことだろう。
でも、俺は好きではないながらも何とか学を身につけようと頑張っていた。
だが、俺はいつからか勉強が大嫌いになっていた。教師の授業にはほとんど出席せずにサボってばかりで、運悪く捕まったときだけでるというような状態だった。本でさえ見たくもなかった。
だから、あいつとあの場所で出会ったことはその時の俺にとってはかなりイレギュラーなことだったと思う。苦手意識を興味と気まぐれが勝ったのだろう。図書室など普段の俺だったら絶対に近寄らないような場所だったのだから。
あの日、俺はいつも通り授業をサボり、王宮の裏で剣の素振りをしていた。すると、そこから王宮の一室の窓際に座って本を読んでいる少女の姿が見えた。あそこは図書室の窓だろう。
またいるのか。
実はその姿を見るのはこれが初めてではなかった。
今日と同じように授業に出ないでここに素振りに来たとき、突然鳥の鳴き声が空から聞こえ、その声につられて上を見上げた。その時に、本を熱心に読んでいる人の姿を窓辺にみとめた。
そこに人がいるのは珍しかったのでどんな人だろうと目をこらして見てみると、どうやら俺と同じくらいの子供らしかった。王宮を自由に入れる子供といったら兄上と俺の婚約者候補の一人だろう。
「外にも出ずに部屋の中に籠もって本なんかを読んでいるとは陰気な奴め。全く理解できないな」
その少女を初めて見たとき俺はそんなことを思い、それほど気にもとめずにその日は素振りを続けた。
しかし、別の日も、そのまた別の日も少女はそこに座って本を読んでいた。
そして俺は無意識にもその場所に素振りに行くと少女が座っているだろう位置の窓を確認するようになっていた。
「あ……」
また、例によってその少女がいる窓を眺めていた。すると、いつも真剣な表情で本を読んでいる少女がふっと表情を和らげて笑った。
その笑みになぜか俺はとても気が惹かれていた。
そんなにその本が面白いのか?
一度そう気になりだしたら、好奇心は止めることが出来なかった。そして俺は絶対に入ることはないだろうと思っていた図書館へと向かうことにしたのだった。
図書館の大きな扉を開くと、ギギ……というなかなかに大きな音を立てた。あまり使われていないから、修理も頻繁には行われていないのかもしれない。
そのまま中へと進み、少女が見えたあの窓の場所まで向かうと、やはりそこには楽しそうに本に見入っている少女がいた。
俺が立てた音にも人が近づいている気配にも気がつかないほどに熱中して読んでいるようだ。
俺はとりあえず、その少女が座る席の机を挟んだ反対側の席へと腰を下ろした。
ここの位置だと少女のことがよりよく見える。少女はもうすぐ読み終わりそうなその本をめくりながらころころと表情を変えた。
真剣な表情、不安そうな表情、驚いた表情、そして最後のページをめくると満足したような笑みを浮かべて本を閉じたのだった。
そして、読んでいた本を胸に抱きしめるようにしながら目をつぶった。
「おい」
その様子を見届けてから、俺はようやくその少女に声をかけた。
なんとなく本を読む少女から目を離せず、邪魔をする気にもなれずにいたが読み終わったならもういいだろう。
それに、ますますその本がそんなにも面白いのか知りたくなって待ちきれなくなったこともあった。
俺が声をかけると、いきなり声をかけられたことに驚いたのか少女の肩がびくりと跳ねた。
本当に今まで俺のことを少しも気がついていなかったみたいだな。
「お前の読んでいるその本は何だ?」
再び声をかけると、おそるおそるというように少女が顔を上げた。俺の姿をみとめた少女はその淡いオレンジがかった瞳を大きく見開いた。その表情は先ほどまでの生き生きとした楽しそうなものから一転、ひどく緊張したものに変わった。
そして、そのまま俺を観察するかのようにじっと見てきた。
なんだ?
俺が図書館にいることがそんなに珍しいというのか?
こいつもどうせ俺のことをあいつらと同じように思っている奴なんだな。
あの表情を見たとき、もしかしたらこいつは他の奴らとは違うのかもしれないと勝手に心のどこかで期待してしまっていた。
俺はその視線にひどく苛立ち、何も言わない少女に強い口調で再び問いただした。
「俺は聞いているんだぞ!無視するのか!」
「す、すみません。すこし驚いてしまって……。『はじまりのものがたり』という冒険書を読んでいました」
少女は少し怯えたようにそう答えた。声も震えていたように聞こえる。
女性を怯えさせるなど男としてあるまじき行為だといつか言っていた父上の言葉がよぎり、ばつが悪く感じた。
これ以上何かを言ったとしてもさらに状況は悪くなる一方だろう。さっさと当初の目的、その本の内容を見てここを去ろう。
そう思い、俺は少女に本を貸すように手を差し出した。
受け取った本をパラパラと眺めてみると文字の他にも挿絵があり、読みやすそうではあった。
それに、挿絵には剣士が魔物と戦っている場面も描かれており、思っていたよりも興味が惹かれた。
「……これはどんな話しなんだ?」
「は、はい。勇者が悪魔に支配された世界を取り戻し、国を作る物語です」
「それが、そんなに面白いものなのか……」
今や表情が固まっているこの少女をあんなにも楽しませるような物語なのだろうか。
よくある話しのような気がするものの、確かにつまらなくはなさそうだが……
俺はとりあえず初めからその本を読み始めることにした。
物語は平和だった世界が突如、闇に覆われ原因不明の病が人々を襲うところからはじまる。主人公は人々の命を救うべく、原因究明の旅へと出るのだった。
読んでいると自分も主人公の勇者と共に旅をしているような、そんな気がしてくる。物語の中にどんどん引き込まれていって、ページをめくる指が止まらなかった。
……のだが、だんだんと俺がページを繰るスピードは遅くなっていき、ついには次のページをめくる指を止め、前のページに戻って読み返すようになった
本などほとんど読んだことがなく、勉強もしていない俺には分からなく、読めない文字が出てくるのも当然だった。本の中で分からない言葉が続いていくと内容もだんだんとわからなくなっていってしまった。
「……これは何て読むんだ?」
「それは『とどろく』って読むんですよ。鳴り響くとか響き渡るという意味です」
目の前から意図していなかったそんな声が聞こえてきた。
俺はその言葉に驚き、本から顔を上げると再び少女と目が合った。
……もしかして、俺は気がつかないうちに声を出してしまっていたのか?
少女は俺が意味が分からずに指でなぞっていた部分の文字の意味を言っていた。
また、あの言葉を言われるんじゃないか……?
そんな考えが頭をよぎり、俺は半ば無意識的に身を固くしていた。
だが、いくら待っても少女は不思議そうに俺を見ているだけだった。
何だ?
何も言わないのか?
さっきの態度から考えて、こいつもあいつらと同じだと思っていたんだが。
だったら、と俺は別の文字で分からなかったところを聞こうとページを戻り、指さした。
「これは?」
「『かもく』。口数の少ないという事です。寡黙な人、のように使います」
「これ」
「『きっちょう』。よいことの起こるしるしの事をいいます。竜や火の鳥などが吉兆の証なんて言われたりもします」
「これは……」
俺が次々と息つく暇もないほどに聞いても、少女は嫌な顔一つすることもなく全ての文字の意味を答えた。
分からないところを全て知れた俺は、その本をもう半分くらいも読み進めていた。
きっと、この少女がいなかったら途中で諦めていた。読書が少しでも面白いと感じたのは生まれて初めてだった。
リーンゴーン
王宮に夕刻を知れせる鐘が鳴り響く。
窓の外はもう夕日に染まっていた。
こんなにも長い間夢中になって本を読んでいたなんて、以前の俺では考えられないことだった。
この少女はもう帰らなければならない時間だろう。
俺もそろそろ部屋に戻らなければ。
あんなにも近づきたくないと思っていたこの場所がこんなにも離れがたいと思うようになるとはな。
少女は鐘の音を聞くと席を立って俺に一礼し、出した本を本棚に戻すと扉の前に立ちこちらを向いた。
「ウィリアム様、それでは失礼いたします。本日はウィリアム様とお過ごしすることがでいて嬉しい限りでした」
深くお辞儀をした少女に俺は本に落としていた視線を移す。
社交辞令の定型文のようなその言葉の中に少しでも少女の本心が入っていたらいいのにな。
そんなことを思っていた。
だから、まるで物語を読み終わった時のような嬉しそうであるが、終わってしまって名残惜しいというような顔で笑う少女と目が合った時、口から言葉がこぼれていた。
「明日もここへ来い」
自分から誰かを誘うことなどしたことがなく初めてのことだった。
そう一言言うと、俺は恥ずかしくて逃げるように本に視線を戻してしまった。
「は、はい」
少女は驚きの色を含みながらも肯定の返事をした。
そして、再び礼をすると図書館から去って行った。
少女の声にはか細げながらも嬉しさが籠もっていたようなそんな気がした。ただの俺の希望的なものかもしれないが。
あの少女も俺と本を読むことを少しでも好意的に思っているのならば、嬉しく思う。
明日もこの本の続きが読めると思うと、とても待ち遠しい。
いや、あの少女に会えることの方を心待ちにしている俺もいるようだ。
そうだ。そういえばまだあの少女の名前を聞いていなかった。
まずは明日、名前を聞くことから始めなければならないな。




