36.従者の心(2)
「お久しぶりです、陛下。ご報告に参りました」
隣国に旅立ってから一月ほどしかたっていないがこの王宮が懐かしいところに感じる。
俺は定期報告のため再び王の執務室に訪れていた。
最初の街ハートリルからハーブュランタに移り、その街は国境となる扉と隣接しているので王宮に向かうことにしたのだ。
ウィリアム様には言っていないのだが、実は王から書状を承っており国境の出入りは自由に出来ることになっている。
そして、国境を越えてしまえば翼竜を使って半日もかからずに王都へと向かえる。
「久しいな、ジェラール。旅の方は順調か?」
久しぶりといっても一月会っていないだけであるというのに、陛下は目に見えて分かるほどやつれていた。
頬がこけ、顔色が土のようだ。
「ウィリアム様にお心に決めた方が現れました。今はその女性を連れて帰ろうと声をかけているところです。それよりも陛下、お体の具合があまりよろしくないのですか?無理はなさらないでください」
「まあそうも言ってられんのだ。そうか、ウィリアムに好いた相手が出来たのか。それは良かった。詳しく頼む」
陛下は俺の心配などよそに嬉々とした表情でウィリアム様の様子に食いついた。
その態度にますます陛下が心配になったが、報告が俺の仕事なので続ける。
「最初に訪れた街、ハートリルでその女性に出会いました。一目見たときからウィリアム様はその方に気があったようでした。それから何度もその女性に妻になるように言い迫っているのですがあまり効果がないように思えます」
俺の報告を陛下は嬉しそうに聞いているが、俺は話していて自分は何をのんびりやっていたのだろうという自責の念にとらわれた。
陛下は3年ほど前から原因不明の持病を抱えられていた。
症状はそれほど現れていなかったので本人も気になさっていなかったが、それが今になってこんなにも急激に進行してくるとは。
ウィリアム様に最初は女性との接し方を学ばせてから、などと悠長なことをやっている場合ではなかったのだ。
「そこまでとは予想以上だ。何がウィリアムをそこまでその女性に夢中にさせているのかが気になるが」
陛下が笑みを浮かべながらそう呟く。
進展がないというのに俺に対してやウィリアム様に対して怒った様子は感じられない。
「ウィリアム様はその女性が幼い頃に一緒に過ごした婚約者候補の一人であったエリザベート様だと思い込んでいるようなんです。ウィリアム様がプレゼントした赤い宝玉のペンダントを持っているから彼女なんだと。」
花嫁探しが滞っているのはウィリアム様にも責任があると苛立ちを感じ、つい余計なことを口走った。
ウィリアム様がエルザに何度も結婚を申し込んでいる理由はその通りなのだが失言だった。
ウィリアム様にとっては不名誉なことであるし、俺にとっても勘違いさせたままにしているという非道なところを伝えたことになるからだ。
しかし、陛下は俺のその失言の別のところに食いついた。
「ウィリアムがプレゼントした宝玉だと?ウィリアムはその宝玉に触れるようなことがあったか?」
「はい。彼女がそのペンダントを落としたところをウィリアム様が拾われたので触れています。ですが、恐らくよく似た別の物だと思いますが」
俺の発言に耳を貸しているのかいないのか、陛下は顎に手を当てしばらく黙ってしまった。
何故そんなことを気にするのだろうか。
ウィリアム様が宝玉を触っていたのだとしても、本物かどうか分かるはずがないだろうに。
そして、考え込んでいた陛下が口を開いたとき思わぬ言葉が飛び出してきた。
「ジェラール、その女性は本当にエリザベート嬢かもしれないぞ」
「はい?陛下まで何をおっしゃっているのですか?そんなことはありえません」
エリザベート様は留学先の事故により行方不明ということになっている。
だが、実際は亡くなっているに決まっている。
遺体が見つからなかった場合は行方不明と形式的にそう記すだけのものなのだから。
俺がどうあっても信じないことを悟った陛下は「これはごく一部の人間しか知らないことなのだが……」と前置きをして重々しく話し始めた。
そしてそれは、俺が知る事実とはかけ離れたものだった。
10年前、エリザベート嬢はウィリアム様からペンダントを受け取った直後、急遽隣国へ留学へ行くことになりその国で行方不明になったとされている。
しかし実際にはエリザベート嬢は留学などには行っておらずこの国で失踪した。
部屋には遺書が残されており森に入り自決しようとしたらしい。
捜索に出た者たちが森にファイヤーウルフに襲われたのであろう彼女のドレスの断片が落ちていたのを見つけた。
それにより、彼女の捜索はそこで打ち切られた。
ウィリアム様がエリザベート様に宝玉のペンダントを贈ったことを知っていた陛下はその相手が自ら命を絶ったことを知っては幼いウィリアム様の心にどれほどの傷を残すかを考え、事実を隠蔽することにしたのだった。
しかしその処理を終えた数日後、森の中で頭と胴体が切り離されたファイヤーウルフが見つかった。
ファイヤーウルフは死亡した後も1週間ほど体中の炎は収まらずに特別な処理をしなければ人も獣も触れることは出来ないのでそのままの形で残っていた。
ファイヤーウルフの眼球には彼女の物と思われる短刀が刺さっており、その状況から判断するにどうやらエリザベート様はこの魔獣から逃げ延びたようであるのだ。
だが、気づいたときには遅くもはやエリザベート様の姿を見つけることは出来なかったという。
「その事実に気づいたときにはもうどうすることも出来なくなってしまっていてな。秘密裏に捜索もしていたんだが……」
「そんな事実があったとは。ですが、そのことがその女性をエリザベート様だということにはならないのではありませんか?宝玉のペンダントが本物である可能性も低いですが、もし仮に本物だとしても彼女から別の人の手に渡っているということも考えられますよね」
「王家が愛する者に渡す宝玉には普通の物とは違う細工がしてあるのだよ。まず、宝玉には自分の魔力を魔石とした物を組み込んでいる。触れば自分の中の魔力と共鳴してそのものだと分かる。それに加えてその宝玉は最初に渡された人物の魔力も記憶し、その人物のそばから長時間離れると輝きを失う作りになっている」
「とすると、本当に彼女がエリザベート様なのですか!?しかし、何故今まで姿を現さなかったのでしょう………」
あ、そうか。
俺は街でウィリアム様が彼女に初めて会ったときに自分が言った言葉を思い出した。
彼女には名乗れない事情があったり、最悪の場合記憶がないのかもしれないということを。
そして、それとは別の重大な事実に気づいた。
「ということは、彼女は“奇跡の乙女”の生き残りということではないですか!!」
王宮に集められていた婚約者候補たちは身分も年齢も様々だ。
では何によって決められていたかというと、“奇跡の乙女”となり得る存在であるかどうかだ。
王の愛というものが第一条件になるが、それに加えてその相手が“奇跡の乙女”であればさらに国に恩恵をもたらすと言われている。
奇跡の乙女たちには身体のどこかに花びら型のあざがある。
それによって判断し手厚く保護されていた。
しかし3年前、第二王子と出掛けていたレイラ様以外の婚約者候補全員が惨殺される事件が起こった。
この事件でウィリアム様の婚約者となり得る奇跡の乙女はいなくなってしまったはずだったのだ。
「そうだ。思わぬ収穫があったものだ。こうなったら、何が何でもウィリアムが彼女を王宮に連れて帰るようにせねばならないな……」
神妙な顔で頷く。
今のままではどう見てもウィリアム様に勝機はない。
この任務を遂行させることは困難を有する。
どのように達成するか計画を練らないと。
そんなことを考えながらも陛下と話していてどうも引っかかることがあった。
以前から感じていたことではあったのだが、今回それがよりはっきりした。
陛下は本当のところウィリアム様が妻となる女性を連れてくることをそれほど期待していなかったのではないかということだ。
ウィリアム様の妻となる女性を見つけなければならないと言っているわりには、計画は俺に丸投げで信用していると言えば聞こえは良いが適当すぎる。
花嫁探しが難航していても焦ったところはなんら見受けられない。
だから、この旅の本当の理由は別のところにあるのではないか。
「ところで陛下。第二王子を国王としたくはない本当の理由は一体いつ教えていただけるのでしょうか」
最初から真相を聞き出そうと思ってもかえって収穫は少ないものだ。
俺はまず周辺事実から責めていくことにした。
このことは陛下が一番最初に第二王子が国王として相応しくないと告げられた時から思っていたことだ。
愛情がないからといった理由だけではいくら何でもお粗末すぎる。
疑問に思っても不思議はないだろう。
「やはり理由があれだけでは納得していなかったか。お前にも話さなければならないのかもしれないな。証拠があるわけでもなく、不確定要素も多い情報であるから告げるべきか迷っていたんだが」
今回、全く知らなかった驚くべき事実を次から次へと知らされた。
だが、そんなことは前座に過ぎないとでも言うように追い打ちをかけるとてつもない衝撃の爆弾が放たれた。
「第一王子ディオンの死には第二王子クラレンスが関わっていると分かったからだ」




