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寒すぎる冬

天使のことも気になる。けどさすがに勉強もせなあかんな。

 時は流れて11月下旬のある日。翼に、秋に受けたマーク模試の結果が返却された。第一志望大学の結果を見ると、驚いたことにA判定だった。どの教科も8割前後の得点率で、彼はものすごく喜んだ。

 (こんな結果が出せるなんて、俺は天使に導かれてるんや!)

と翼は思った。彼はもちろん、去年の不合格の悔しさをバネにして頑張ってきたわけだが、彼が思っているように、少女のおかげで頑張れたとも言えよう。しかし、模試の度に一喜一憂している暇は、彼にはなかった。


 すっかり冬になった、12月上旬のある日。この日は予備校での最後の模試があった。難しい記述模試だが、翼はもちろん気合全開でいた。自分ならいける、という自信を持っていた。特に緊張することもなく、普段通り、いつもの時間のバスに乗った。そして久我から例の少女が現れることを、彼は期待していた。するとその期待通り、少女は現れた。

 (よし、これで今日も頑張れるぞ。)

と彼は思った。少女は、彼からも良く見えるような、近くの座席に座った。そしてバスは走り出す。この日も少女に夢中になっていて、あっという間に終点に到着した。その後電車でも一緒になることができた彼は、少女がくいな橋で降りるまで見とれていた。ところが少女がいなくなると、気持ちを切り替えて、真面目に勉強のことを考えた。


 そして予備校に着いた。翼は試験の行われる教室に行き、試験開始まで参考書などを読んでいた。試験は午前9時から始まった。彼は、国語、生物、地学、英語、数学を受験した。これまでの成果を知るために彼はどの教科にも全力を注いだ。去年からは考えられないような成長ぶりを、彼自身も感じて、予備校最後の模試は終わった。


 試験を終え、予備校を出て五条駅に着いたのは、午後5時40分過ぎだった。改札を抜けると、ホームから電車の接近メロディーが聞こえてくるので、翼は急いで階段を駆け降りた。そしてやってきた電車に飛び乗った。車内はやはり、帰宅ラッシュで混んでいた。だが次の京都駅でたくさんの人が降りるので、そこからは広々と快適だ。翼はとりあえず、5号車の真ん中あたりへ移動した。それから3,4分の後、

 「まもなく、くいな橋、くいな橋です。」

とアナウンスされ、電車が駅のホームに入った時だった。翼の視界に、白とピンクのツートンバッグが映ったのである。

 (もしかして、天使なのか!?)

彼はバッグを見つめながら思った。少女は6号車に乗ったようだった。竹田駅に到着し、本当のところを確かめてみると、やはり例の少女だった。

 (まさか、行きだけやなくて、帰りも天使に会えるなんて・・・。)

翼は奇跡のように感じていた。改札を抜け、バス乗り場へと向かう少女に、吸い寄せられるように彼は歩いた。バス乗り場に着き5分程待ったとき、バスがやってきた。

 「18時05分発、特南2号系統、JR長岡京東口行きです。」

バスに乗り込み、いつものポジションに立とうとした。ところが意外と乗客が少なかったので、適当な空いている席に座った。もちろん、少女の姿がよく見えるところだ。そしてバスは動き出す。ふと少女を眺めると、朝は身につけていなかったマフラーをしていた。

 (茶色いコートに赤いマフラー、よく似合ってて美しい・・・。)

なんて思いながら、バスに揺られている間、翼は今回の模試の出来を喜んでいた。

 (ひょっとして今年は受かっちゃうかも。いや、絶対に受かる!)

彼は自信を持っていた。やがて久我に到着し、少女がバスを降りる。定期券を運転手に見せる。そんな少女の後ろ姿を見ながら彼は、

 (ありがとう、本当に君のおかげだ。)

そう心の中でつぶやいた。この日は翼にとって、2度も少女に会えただけでなく、第一志望大学合格への強い確信を持った日にもなった。


 2013年も残りわずかとなった。12月30日。あの模試の日以来、翼は少女にもあっていないし、未来にも久しく会っていなかった。予備校からの帰りで、バスを降りて家に向かって歩いている時だった。日の入り直後の夕方。急に寒くなっていく。さらに田んぼのあぜ道にさしかかった時、北風が強く吹き出した。早く帰りたいと、彼が身を縮めた時だった。

 「おーい。永田。こんなとこで何してるん?」

翼の横で止まる自転車。そこにいたのは未来だった。なんと彼が未来に会うのは夏以来。彼女は髪の色を黒から茶色に変えていた。

 「おお、阪本やん。久しぶり。今予備校からの帰りや。ところで最近バスとかで見かけへんけど、どうしてるの?」

 「今バスには乗ってへんねん。自転車と電車だけで通学してるねん。」

 「えっ、そうなんや。」

 「うん。家庭の事情で。毎日ホンマに疲れるわぁ。」

突然で、久しぶりに未来に会えたので、例の少女を見かけた時ほどではないが、いくらかドキドキしていた。

 「国立大学受けるんやろ? それで、もうすぐセンター試験やね。」

 「うん。やから毎日みっちり予備校で勉強。今日はたまたま早めに帰ってきたけどな。」

 「へぇ。まっ、とにかく頑張りや。応援してるで。」

 「あ、ありがとう。」

 「じゃあ、急ぐから先に帰るわ。バイバイ。」

 「おお、じゃあな。」

久しぶりに未来に会えて、応援しているよとまで言われて、翼はとても嬉しかった。外は寒かったが、彼の心はいくらか温まった。

 (さぁ、俺も早く帰って勉強を頑張ろう。)

彼はそう意気込んだ。


 年が明け2014年。翼は元旦や三が日も休むことなく予備校に通った。それは受験する大学ははっきりと定まっていたからだ。一つは、近場の私大。そしてもう一つはもちろん、去年涙を流したE大学だ。まさに今、翼は一直線に目標に向かって進んでいるのだ。振り向くことなく、第一志望大学への夢を追いかけている。


 1月10日。この日も翼は当然の如く予備校へ向かう。久我バス停では、例の少女も現れた。客が乗り込み、バスが動き出したとき、

 「あっ、おはよう!」

 「おはよう。」

という男女の声が翼の耳に聞こえたような気がした・・・。


 バスが終点に着いた。思っていたよりも道がすいており、ほぼ定刻通りの到着だった。少女は足早にバスを降りていった。少し間をあけて、翼もバスを降りた。そして駅の階段を昇ろうとすると、上の方から楽しそうな男女の笑い声が聞こえてきた。ふと気になって、彼は声のするほうを見上げた。次の瞬間、翼の頭の中が真っ白になった・・・・・。彼が見た男女というのは、例の少女とその横を歩いている背の高い、見知らぬ男だったのだ。男女は仲が良さそうで、楽しげに話していた。

 「今日これから学校行くんか?」

 「うん。でもウチの定期券もうすぐ期限が切れるから、新しいの買いに行こうと思って。」

 「そういえば俺の定期券も、もうすぐ期限切れになっちまうぜ。」

 「へぇ、そうなん? 偶然やな!」

 「そうやな。よし、一緒に買いに行くか?」

そして男女は仲良く並んで、駅の定期券売り場の方へと向かい、やがて消えていった―――――。


 翼はその後も、無の状態が続いた。予備校に行っても思うように勉強ができず、昼過ぎには家に帰ってきてしまった。自分の部屋にこもって床に寝そべり、体は微動だにしなかった。それは以前、祖母を亡くしたときのように。それぐらい彼は、深い悲しみに陥っているということであろう。結局、この日は一日中何もしなかった。


 ところが時はセンター試験の一週間前。いつまでも落ち込んでいるわけにはいかない。翼は立ち上がり、また勉強を始める。もう夢の第一志望大学は、すぐそこまできているはずだという確信が、彼を再びやる気にさせた。彼はセンター試験の直前まで予備校で、そして家で勉強をし続けた。誰にも打ち明けられない、心の傷を押さえながら・・・。


 そして迎えた1月18日。センター試験1日目だ。翼は朝早めに支度をし、バスと電車を乗り継いで試験会場へと向かった。方向音痴の彼は、無事に会場に到着できたのでひとまずホッとしていた。翼は試験の直前に慌てるのは好きではなかったが、少しばかり参考書を読んでいた。他の受験生たちの緊張も高まっていくようだ。


 そして午前9時より、翼の戦いが始まった。彼は理系なので、文系科目の試験が行われる1日目は、結構大変なものだった。特に彼は国語が苦手だった。それでも焦らずに、懸命にマークを塗りつぶしていった。英語リスニングまで、高い集中力を保ったまま試験1日目を終えた。


 翌日、センター試験2日目。前日と同様に会場へ向かい、午前9時からの戦いに挑んだ。2日目は理系科目の試験がある。翼は、ここぞとばかりに力を振り絞る。なかでも数学は彼の得意教科なので、時間いっぱい、一切手を止めることなく問題に食らいついた。そして達成感のもと、センター試験という最初の山場を乗り越えた。


 その次の日、予備校にて自己採点をすることに。周囲の人は採点を進める度に、叫んだり、落ち込んだりするようだが、そんなことは気にせず、翼は自分の結果に夢中になっていた。1教科、また1教科と採点を終える度に、彼はワクワクするような気持ちになっていった。

 (す、すげぇ! 俺の予想よりもずっといい出来じゃん。)

全教科の採点が終わり、第一志望大学に十二分に手が届く結果となった。


 翼は、自分で自分のことが信じられなかった。一年前ではあり得なかったことが今、起きているということに驚いている。また彼は、これまでにないほど強気になっていた。センター試験の直前に、大きなショックを受けたが、それにも耐えられる強い心をもっていると、確信したからである。


 ところで、まだ受験は終わったわけではない。まだまだ勝負は続くのである。翼は休むことなく、受ける大学の二次試験の勉強に移った。


 そして1月下旬。次の山場である私大受験の日がやってきた。翼は張り切って試験会場へと向かった。実際の試験において、翼はそれほど緊張した様子ではなく、数学、英語、生物の試験問題を自分の出せる力をすべて使って解いた。

 (大丈夫や。今年こそは大学生になれるぞ。)

全教科の試験が終わったとき、彼はそう思った。これで残すところは、翼の本命、E大学のみとなる。そして彼は、春の訪れを信じるのであった。


 2月に入って、いよいよ受験勉強にもラストスパートをかける時が来た。翼は毎日毎日予備校に通い、授業はないので、ただひたすらに自習室にこもって勉強をした。もちろん土曜日も日曜日も、休むことはなかった。


 2月中旬のある日、予備校から帰ってきた翼は、自分の机の上に置いてある手紙に気付いた。確認してみると、1月末に受けた私大からだった。封を切ってみると、大学の合格通知書が入っていた。それを見て翼は喜んだ。去年は一度も掴み取れなかった合格を今、手にしているからだ。

 (よし! これで本当に大学生になれるぞ!!)

そんな嬉しい気持ちを両親にも伝えた。そして、おめでとうと言ってもらった。これにより、残すE大学に向けての勉強にも、さらに身が入るようになった。


 2月23日、翼の目指すE大学の受験日まで、あと2日となった。とは言っても、受験の前日には受験地に向かわなければならないので、勉強できるのはあと1日と言っても良いだろう。翼は、予備校に足を運ぶのも、今日で最後かもしれないと思って、張り切って通学する。


 最後だということで、翼は色々なことを思い出した。毎日バスや電車に乗るのは嫌だと思っていたこと。それでも混雑したバスや電車に乗って、毎日、雨の日も風の日も予備校に通ったこと。そして何より、素敵な少女たちに出会えたこと。他にも、大変だったこと、辛かったこと、投げ出しそうになったこと。色々とあったからこそ、これまでの努力を決して無駄にしたくないという気持ちが、彼にはあった。


 予備校に到着すると地下の自習室へ行き、適当な場所の席に着いた。そして、机の上でテキストを開いた。翼の受験に必要な科目は数学と生物で、もちろんこれら2科目に絞って勉強をする。

 (ここで勉強をするのも今日で最後なんやろうなぁ。)

そう思いながら、また色々なことを思い出す。厳しい講師がいたこと、いつも楽しい授業を展開する講師がいたこと、自習室の優しい管理人さんのこと。振り返ってみれば、やはり良かったと思えた。とにかく翼は勉強をした。お昼にはパンをかじって休憩をとったが、それ以外はずっとテキストを読んだり、手を動かしてノートに何かを書き込んだりしていた。そうして時刻は午後5時前になった。自習室の閉鎖時刻が近づいてきたので、翼は帰ることにした。

 (やることはすべてやったんや。)

そう確信し、リュックを背負って自習室を後にした。


 予備校を出ると、外は綺麗な夕陽に照らされていて、空は雲一つない快晴だった。気分の良くなった翼は、別のルートで帰ろうと、いつもと反対向き、京都駅のほうへ向かって歩くことにした。地下鉄で帰るのもつまらないと感じた彼は、JRの在来線乗り場のほうへと向かった。そして長岡京駅までの切符を購入し、ホームへ降りた。そして、停車していた西へ向かう電車に乗った。まもなく電車は走り出し、車窓から見られる夕陽に照らされた街並みが、彼の目に鮮やかに映った。その美しさに感動していた。

 「まもなく、長岡京、長岡京です。」

アナウンスが聞こえる。景色に夢中になっていると、あっという間に目的の駅に到着していた。翼は電車を降りて、駅の改札へと向かった。


 駅を出ると午後5時半になっていたが、まだ陽は高かった。翼は夕陽に染められながら、ゆっくりと歩いて家へ帰る。

 (そう言えば、あの1月10日以来、天使を見かけることは一度もなかったなぁ。)

歩きながら彼は思った。センター試験の直前、あこがれの少女が見知らぬ男と仲良く歩いていたのを見て、彼の心に穴があいた。その穴が完全にふさがったわけではないが、以前よりは気持ちが軽くなっていた。あんなに美しい少女に、出会えただけでも幸せなことだったろうとも感じていた。彼は色々あったことを振り返りながら、夕方の街を歩いて帰った。


 家に帰ってからは受験地に向かう準備だけをして、勉強はせずに夜は早く休むことにした。


 そして翌日、2月24日。翼はいよいよ受験の場所へと向かうことに。新幹線などを利用して、あこがれの場所に到着した。試験前日は、試験会場となっている大学校舎の下見に行った。

 (いよいよ去年のリベンジをする時や。絶対に合格して、俺はここで勉強するんや!)

憧れのキャンパスを目にしながら、翼は思っていた。その後彼は近場のホテルに宿泊し、ゆっくりとくつろぎながら明日の本番に備えた。


そして迎えた2月25日、試験当日。翼はホテルをチェックアウトして、バスで試験会場へと向かった。バスが到着した時だった。携帯の着信音がしたので、確認してみると母親からのメールだった。

 <自分を信じて。頑張れ!>

たった一言に過ぎなかったが、それを見た彼は嬉しくなって、手をギュッと握りしめながら大学の門をくぐっていった。


 試験室に入った翼は、受験番号を確認しながら自分の座席に座った。周りの受験生たちは、試験開始が近づくにつれて緊張の様子を見せる。翼も落ち着き払っているわけではなかったが、それほどに緊張しているわけでもなかった。

 (もうすべてのことをやりきったんや、大丈夫。)

彼は何度も自分に言い聞かせていた。やがて部屋には試験監督たちが入ってきて、試験の説明や問題の配布が行われていく。あたりの緊張は、ますます高まっていくようだ。


 そして・・・。

 「回答を始めてください。」

監督のその一言で、試験が始まった。翼の一年間の努力の集大成を、見せる時がやってきた。はじめの科目は生物。彼は特殊なことはせず、最初の問題から目を通していく。一年前はほとんど分からなかったことが、今なら分かる。問題を解き始めたばかりでも、翼にはそんな実感があった。頭を働かせて解く考察問題は、ゆっくりと丁寧に解いていく。難しめの問題に対しても、今まで予備校で学んできた知識をフルに活かし、答案を練り上げた。この時翼は、自信に満ち溢れていた。一年前の落ちぶれ果てていた自分の姿と比べながら、今ある自分の成長ぶりを感じていた。彼は次々と問題を解きこなした。時間も意識しながら、少しでも質の良い答案を書くことに努めた。

 「回答を止めてください。」

試験終了を監督が伝えた。その瞬間、試験室の緊張が少し和らいだ。


 その後は昼休みとなった。翼はおにぎりを一つだけ食べたが、時間にまだまだ余裕があったので、落ち着かない試験室から外へ出ることにした。ベンチを見つけたので、彼は座ってみた。そして、ポーチからラジオを取り出して受信してみた。ラジオからは、愉快な音楽が聞こえてきて、翼も楽しい気持ちになった。


 昼休みが終わった。試験室に再び試験監督たちが入ってきたので、翼も気持ちを切り替えた。教室の空気も、また緊張感に溢れていくようだ。

 「回答を始めてください。」

その声で2科目目、数学の試験が始まった。翼は問題冊子をめくり、解きやすそうな問題を探し、そこから攻めていくことにした。今までにやってきた模試や過去問で、見覚えのあるパターンの問題もあったので、彼の手はどんどん動いた。

 (そう言えば一年前の今頃は、眠くなってウトウトしてたかなぁ。)

彼はそんなことを思い出していた。しかし今の翼に、一年前の面影などない。ただひたすらに頭を働かせ、問題を解いていく。そんな自分がいることに、彼は気付いていた。もちろん難しい問題にも直面したが、決して彼は諦めなかった。この大学で勉強したい、なにがなんとしても・・・。そんな気持ちで、一点でも多く勝ち取るんだという勢いで、解答用紙を埋め尽くしていった。

 「回答を止めてください。」

ついに試験が終わった。長いようであっという間の戦いに、幕が降りた。


 試験が終わり、大学校舎を出る翼。その時の表情は、満足したような、やりきったような感じだった。

 (4月から、ここで勉強できますように・・・。)

そう祈りながら、彼は京都まで帰っていった。


 翼が京都駅に着いたのは、午後8時前。タクシーで家まで帰ろうと思い、タクシー乗り場を歩き回る。すると、一台のタクシーから手を振るのが見えた。それは、翼の父親が運転するタクシーだった。実は翼の父親はタクシードライバーで、夜勤をしていた。翼はそのタクシーに駆け寄り、乗り込んだ。

 「ひょっとしたて翼に会うかもと思って、しばらくここで待ってたんや。でも本当に会うとは偶然だな。」

 「へぇ、そうやったんや。」

翼もまさか、父親のタクシーに乗れるとは思わず、驚いていた。

 「よし、じゃあ家まで帰るか。」

 「うん。お願いします。」

この時彼は、道の説明が省けると思って、気が楽になった。タクシーは走り出す。

 「どうだった、試験は。去年よりも出来たのか?」

と父親が尋ねた。

 「うん。やれることはもうすべてやった。あとは結果を待つのみや。」

翼は自信に満ちた声でそう答えた。

 「そうか。よかったな。」

父親の表情も明るかった。タクシーは静かに、夜の街を走っていく。ふと翼の目に、料金メーターが上がるのが見えた。

 「運転手さん、このタクシーってお金取るの?」

彼は少し笑いながら、父親に尋ねる。

 「お客様が息子なら、お金は取れないなぁ。」

父親も笑いながらそう返した。

 (ただでタクシーに乗れるなんて、俺ってVIPやな(笑))

そんなふうに翼は思った。


 翼は、センター試験と2次試験に全力で立ち向かった。寒すぎる冬を懸命に乗り越えてきた。あとは春が来るのを信じて待つだけである。翼は、父親の運転するタクシーの中で安心しきってしまい、眠ってしまった。

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