これが恋と気付くとき
忘れられへん。あんな綺麗な人。中学3年間でも高校3年間でも見たことがないぞ。
翼は、少女に会って衝撃を受けてからというものの、未来には時々会って挨拶を交わしたが、例の少女には会わなかった。
時は流れて6月13日。衝撃的な出会いから2週間が経った。翼はいつも通りの7時40分のバスに乗り、いつものポジションに立った。そして、バスが久我に到着した時だった。乗客の中に例の少女とよく似たような人がいた。少女はバスに乗り込んで、近くの空いている席に座った。
(あの少女って、まさかあの時の・・・)
気になった翼は、時々少女のほうを見ていた。すると少女も彼のほうを見た。チラッと見て目をそらしたかと思うと、もう一度彼を見た。これには翼もドキッとした。二度見されて、やはりあの時の少女だということが、彼には分かった。
その一方で、翼は受験勉強も頑張っていた。ある日、予備校で模試があった。全教科を受け終わったとき、現役の時とは違うぞという感覚が彼にはあった。着々と成長していく自分を感じながら、いつもより早い時間に予備校をあとにした。
その帰りのバスの中でのこと。
「次は、久我、久我です。」
というアナウンスが聞こえたとき、彼は無性に降車してみたくなったのである。
(あの天使が利用している久我バス停の周辺は、どうなってるんやろう? そこから家に帰るとどれくらい時間がかかるんやろう?)
そういうことが気になったのである。翼はサッと降車ボタンを押して、久我でバスを降りた。そしてゆっくりと自分の家のほうに歩いて行った。久我バス停から、いつも自分が降車している久我の杜バス停までは、一直線なので道に迷うことはない。彼は散歩感覚で歩き続ける。いつもの道まで戻った時、普通に帰るのもつまらないと思った彼は、少し遠回りをして、いつもは通らない田んぼのあぜ道を通ることにした。あぜ道を歩くと風が心地よく、山に沈む夕日を見ることもできた。翼は最高の気分で家に帰ったが、あの少女の存在を、頭の片隅では気にしていた。
季節は梅雨の真っ只中、6月20日のこと。この日は朝から雨が降り続いていた。雨の日は乗客の一人ひとりが傘を持つため、天気の良い日に比べ、さらに社内は混雑するし、乗客の乗り降りにも時間がかかる。そのせいか、バスはいつもより遅れていた。この時翼はすでに、久我バス停を意識するようになっていた。バスが久我に着くと、彼は乗客を見回す。その中には白とピンクのツートンバッグの、そう、あの少女がいたのである。彼もすぐに気付くようになっていた。少女はバスに乗り込むが、空いている席がなくて仕方なく翼の横に立った。彼は、少女が接近してきたことにより少しドキッとしていた。停留所で止まるたびに、バスの中はどんどん混んでいく。これでもか、という具合に乗客が増える。一人分のスペースも当然のごとく狭くなる。すると突然、翼の肩に何か温かいものを感じた。それは、少女の肩だったのだ。場所が狭くなり、おのずと接触したのだろう。もう彼にはそれがたまらなかった。胸の鼓動が明らかに速くなってくることに彼も気付いた。少女と接していた時間は長かった。バスは定刻よりも20分遅れて駅に到着したが、翼は少女に接することが出来て良かったと感じていたのだ。少女の肩のぬくもりは、彼の梅雨でジメジメした気分を吹き飛ばしたのである。
ますます少女のことが気になるようになった頃の、6月26日。帰りのバスでのことだった。久我の杜バス停でバスを降り、帰ろうとすると、
「ちょっと待って。」
と、翼を呼び止めたのは未来だった。
「おぉ、阪本。どうかしたん?」
「実はさ、友達から貰ったドリンクバーのタダ券が2枚あるねん。それでさ、期限が今日までやから、使わへんかったらもったいないし。で、そこにちょうど永田がいたから一緒に行こうと思うんやけど。」
「おっ、いいね。じゃ、行かせてもらうぞ。」
「そんならウチについてきて。すぐ近くやから。」
言われるがまま、翼は未来のあとに続いて歩いた。3分ほど歩くと、目的地に着いた。
「永田、ここ知ってる?」
「こんなところ知らんわ。入ったこともない店やな。」
「そうなんや。まあ、とにかく入ってみようや。」
未来にそう言われて翼は、全く知らない店に入ることに。
店に入るとロッカーがあった。2人はそこに靴を入れると、カウンターのほうへ向かった。そして中にいる店員にタダ券2枚を差し出した。すると店員がメニュー表を2人に見せた。
「どれになさいますか? この表の中からお選びください。」
「じゃ、ウチはメロンソーダ、氷有りで。」
と、未来はすぐに注文を決めた。しばらく考えてから翼も、
「じゃ、カルピス、同じく氷有りで。」
と、注文を決めた。
「へぇ、意外。カルピス飲むん?」
「何かおかしいか?」
「いや、別に・・・。」
すると店員が、
「お待たせいたしました。メロンソーダとカルピスになります。」
と、注文の品を出してきた。2人はそれぞれを受け取って、テレビのよく見える席に座った。テレビはゴールデンタイムの番組を放送していた。時々目をやりながら、二人はジュースを飲む。すると未来がこんなことを言う。
「勉強ってさぁ、難しいよね。ウチも何をしたらええかよく分からんくてさ。」
「うん、そうやな。」
「ほら見て、これウチのノートなんやけど、どう? 見て分かる?」
「んっ、どれどれ・・・。あっ、少しだけ知ってる言葉もあるかな。」
「そう・・・。永田はさぁ、勉強で何か工夫してることってある?」
「うーん、特にこれといった工夫はしてないけど、毎日コツコツと勉強に取り組むことかな。」
「そうか、毎日コツコツやな。」
納得したようにうなずく未来。気付けばジュースも残りわずかに。
「あっ、氷入れたの失敗やったな。」
未来がつぶやくように言う。
「確かに。なんか味が薄くなってきたぞ。」
「そうやな。じゃあウチ今度来るときは氷を入れんようにせなあかんわ。」
そんな話をしながら、氷で薄まったジュースを2人は飲み干した。ジュースのグラスをカウンターに返す。
「ありがとうございました。」
という店員たちの声が聞こえた。2人はロッカーの靴を取って履き、店を後にした。
帰りながら翼が言う。
「ジュース、美味しかった。でも今日はほぼ一日中雨やったからな。晴れてて暑い日やったらもっとうまかったんやろうな。」
「そうやな。」
空を見上げると、雲の隙間からチラッと三日月が見えていた。
「ところでさ、永田の行きたい大学ってどこなん?」
「ああ。俺は一応国立E大目指してるんや。」
「へぇ、そうなん。」
「実はさ、その大学に昔じいちゃんも通っててな。だいぶ前に事故で亡くなったんやけど。俺もじいちゃんに続きたいって思っててな。」
「そうなんや。なんかすごいね。そういうのって。」
「まぁな。」
大きな水たまりのたくさんできた砂利道を、夜風を浴びながら歩く2人。
「永田ってさ、弟おったよね。今何してるん?」
「弟は今中学生でさ、部活動はかつての俺と同じ、山岳部なんや。」
「へぇ、山登りしてるん?」
「うん、アイツも結構楽しいって言っとるわ。」
「ふーん、いいねぇ。」
そうして話に夢中になっている間に、家の近くにきた。
「阪本、今日はジュース、ありがとな。」
「うん。付き合ってくれて、ウチこそありがとう。」
そう言うと2人は手を振って帰っていった。翼は色々と話ができて満足だった。
その週の土曜日、6月29日。浪人生には土曜日も日曜日もない。翼はこの日も予備校へと向かう。土曜日はバスが来る時間も平日とは違う。7時30分のバスに彼は乗った。そして、久我に差し掛かった時だった。
(さすがに土曜日には現れないだろう。)
とは思いながらも彼は、バス停のあたりを見回した。乗客は少なかったがその中には、ツートンバッグの例の少女がいたのである。びっくりして翼は目を疑ったが、確かにあの少女だったのだ。
(へぇ、土曜日にも天使が現れるんや!)
そう思いながら少女を見ていた。土曜日はバスも平日ほど混雑していなく、客の乗り降りにも時間がかからないため、早く終点に着く。少女に見とれていた彼は、少女が立ち上がったのを見て初めて終点に着いたことに気付いた。少女が先にバスを降り、その少し後に彼もバスを降りた。
駅の階段を昇っていく少女を、翼は見つめる。彼は意識もしていないのに、階段を昇るスピードをあげ、少女に接近した。少女は改札をくぐり、駅のホームへ。翼もそれに続いた。そして少女は、停車していた国際会館行きの電車に乗った。少女が6号車2番ドアの近くの席に座るのを見て、彼は6号車1番ドアの手すりにつかまって立った。そしてやはり、少女の姿を気にしていた。
「国際会館行き、まもなく発車します。」
という電車のアナウンスが聞こえてきたかと思うと、すぐに電車のドアが閉まった。そして電車はゆっくりと動き出す。
「本日も市営地下鉄烏丸線をご利用いただき、ありがとうございます。次は、くいな橋です。」
竹田からくいな橋まではおよそ1分。すぐに次のアナウンスが入る。
「まもなく、くいな橋、くいな橋です。」
すると少女は立ち上がり、そのままドアのほうへ。
(えっ、ひと駅しか乗らへんのか!?)
と翼は思った。電車がくいな橋に到着すると、少女は降りていった。
(一体天使はどこへ行くんやろう?)
そんなことを彼は思っていた。
7月に入ったその後も、翼はたびたび例の少女や未来にバスや駅で会うことがあった。一方予備校では、前期の授業が終わり、夏期講習に入ろうとしていた。いわゆる、受験の天王山という大事な時期だ。
そんな中での7月18日。たっぷりと勉強をし終えて、竹田駅でバスを待っている時のことだった。
(バスが来るまであと10分あるのかぁ。)
腕時計を見たその時、楽しそうに話す2人の少女たちの声が、翼の耳に入ってきた。ふと彼が振り向くと、そこにいたのは未来と、例の少女、渚だった。その時彼は、突然心拍数が上昇していくことに気付いた。帰りにその少女を見かけるのは、彼がその少女のことを気にするようになって以来、初めてのことだったからだ。コバルトブルーな空のもと、茶色い髪のその少女が、ひときわ美しく翼の目には映った。鼓動がますます速くなっていく。
そうしているうちに7時25分、バスが来た。翼は、すべての客が乗車するのを見てから乗車し、いつものポジションにつく。少女たちはと言うと、車内の真ん中あたりの席に2人並んで座っていた。
「7時25分発、特南2号系統、発車いたします。ドアにご注意ください。」
アナウンスの後、バスは走り出した。少女たちはずった楽しそうに話している。翼は時々胸に手を当てながら、その声を聞いていた。乗客が減ったり増えたりしながら、バスはどんどん進んでいく。それに伴うかのように、彼の鼓動も速くなる。彼が例の少女のことばかりを考えているうちに、バスはもう久我橋を渡っていた。
(あっ、もうあの天使は降りてしまうのかな。)
この時翼は気付いた。バスが交差点で大きく左に曲がった時、少女は座席を離れ彼の横を通った。その瞬間、彼の心拍数はピークに達した。バスのドアが開き、降りていく少女。その後ろ姿を目に焼き付けながら翼は思った。
(美しい、素晴らしい、これは・・・、もう言葉じゃ表現できねぇ!)
少女が降車してからも、翼の興奮状態はすぐには収まらなかった。ふと気付けば、バスはもう久我の杜に着いていた。翼は少し慌てながら財布を出し、運転手に定期券を見せてバスを降りた。帰ろうとすると、未来に呼び止められた。
「永田、今日も行かへん?」
と言って、未来はドリンクバーのタダ券を翼に差し出した。
「えっ、今日もいいのか?」
「うん。また友達からもらったねん。」
「ああ、そうなんや。じゃあ、時間もあることやし、行こうかな。」
そして2人は、以前にも訪れた近くのドリンクバーに行くことにした。
店に入ってカウンターに行き、注文をする2人。
「ウチはメロンソーダ、氷なしで。」
と、未来が注文する。それに続いて翼も、
「じゃあ、ブラックコーヒー、氷なしでお願いします。」
と、素早く注文を決めた。実は前回店に来た時から、コーヒーを飲みたいと思っていた彼、注文に迷うことはなかった。翼はカウンターに置かれた2枚のタダ券を、まっすぐに並べた。
「あれっ、永田ってA型やったけ?」
「いや、俺はO型。ただ斜めに置かれてたチケットが気になっただけ。」
「ああ、そうなんや。意外とキッチリしてるんやね(笑)。」
そして注文の品が出てきた。2人はそれぞれのグラスを持って、前回訪れた時と同じ、テレビのよく見える席に座った。そして未来が、
「今回は氷なしやで。前回は氷入れて失敗やったからなぁ。」
と言う。
「あぁ、そうだったな。」
そう答えながらも、翼は例の少女のことで頭がいっぱいだった。一方で未来は、テレビを見ながら時々笑っていた。2人はその後ほとんど会話をすることなく、気付けばグラスが空になっていた。そのまま2人はグラスをカウンターに返却し、ドリンクバーを後にした。
帰り道でようやく2人が話しだした。
「あぁ、コーヒー美味かった。」
と、翼が言う。それからしばらく間をあけて未来が、
「山登り行くのに都合のいい日があるねんけど、どうかな?」
と、翼のほうを見ながら言った。
「へぇ、いつがいいの? 俺は今週忙しいけど、来週なら空いてるで。」
「ウチも来週は都合がええわ。それじゃ、来週の火曜日はどうやろ?」
「うん、ええよ。」
「じゃあ行けるね。でもさぁ、服装とか交通手段のこと考えたら、結構お金かかるんとちゃう?」
お金の心配をする未来だが、どれくらいの費用がかかるかも、翼にはちゃんと分かっていた。
「近くの簡単な山なら、そんなに費用はかからんよ。運動靴と動きやすい服さえあれば十分や。」
「じゃあ、ジャージとかでもいいってこと?」
「うん。上等や。あと交通費も大体千円ぐらいやと思うわ。」
「へぇ、その程度なら安いな。」
そんな話をしながら、2人は川沿いの道を歩いていく。すると道の真ん中に、一匹の亀が現れた。亀は動かずにじっとしている。それを見た未来が、
「こんなところに亀がおるやん。でもここは人や車が通るから危ないわ。」
と言う。
「永田、亀って触れる?」
「えぇっ、俺ちょっと、なんか、怖いわ。」
「じゃあちょっとウチのカバン持っといて。結構重いけど持てる? その細い腕で。」
「それくらい平気や。」
「じゃあ、お願いね。」
未来は翼にカバンを預けた。そして彼女は、道にいる亀を両手で持ち上げて、人や車の通らない安全なところまで移動させに行った。
「ここなら大丈夫やろう。」
そう言って戻ってきた未来。
「カバン持っててくれてありがとう。」
「おお、結構重かったぞ。これを背負って毎日通学してたら疲れるやろうな。」
「うん、めっちゃ疲れるわ。」
翼は未来にカバンを返すと、再び歩き出した。翼の頭の中にはやはり、例の少女のことがあった。ずっと忘れられないでいたのだ。そして気付いた時には、2人の家がある団地に来ていた。
「じゃあ、来週の火曜日、楽しみにしてるから。」
と、未来が言った。
「おお、今日もありがとな。じゃあな。」
「じゃあね。」
そうして2人は家に帰った。
未来と山に登ることと、あの少女のこととで頭がいっぱいでありながらも、翼は自分の部屋に入って勉強を始めた。どんな状況であろうとも、彼は勉強をサボろうとはしなかった。ところが、勉強を始めてから30分がたった頃だった。彼の身体に異変が生じた。突然、呼吸困難に陥ったのである。彼はそのまま床に倒れ込んだ。苦しくて、どうしようもなかった。その時、携帯からメールの着信音が聞こえた。メールの相手は未来だった。
<ゴメン、やっぱり来週の火曜日は無理。他の予定が入ってた。>
というような内容だった。翼は苦しい体を動かして、
<残念だね。また別の機会があればいいね。>
と返信した。
その後も、胸の息苦しさは収まらなかった。
(ああ天使、ツートンバッグの天使、茶色い髪の天使が・・・)
翼はこのようなことを心の中で思っていたのか、それとも実際に声に出して言ったのかさえ分からなかった。苦しくてもがきながらも、意識がもうろうとしていながらも、彼の頭の中は少女のことでいっぱいだった。目を閉じる度に少女の姿が、瞼に浮かんでは消えていく。少女のことを考えれば考えるほど、彼の息苦しさはますます激しくなっていった。
翌朝7時。翼は目を覚ますと布団の中にいた。いつ布団に入ったのかも、彼は知らない。胸の息苦しさは幾分収まっていた。母親から弁当を受け取ると、いつも通りバスに乗り込んだ。この時、ふと彼は思った。
(今日もあの天使は現れるんかな? 天使の姿を視界に入れたら、倒れちゃうんじゃないかな・・・。)
バスはどんどん走っていく。朝の混んだ、細い路地を進んでいく。やがて久我が近づいてくる。バス停を一つ過ぎる度に、翼の心拍数は上昇していった。何度かえづきそうにさえなった。
とうとうバスは大きく右に曲がり、久我に到着した。そして乗客を見回すと、当然のようにあの少女もいたのである。この瞬間、彼の心拍数はまたも絶頂となったのだ。少女は空いていた車内後方の座席に座った。少女とは距離があるが、それでも少女の存在による衝撃は強かった。少女の乗車以来、翼はずっと胸をさすっていた。バスが終点に着くまで、ずっとさすり続けた。終点に着くとすぐにバスを降りて、駅の階段を駆け上がった。翼は少女の衝撃と、それによって引き起こされる明らかな体の異常のことを気にしながら、国際会館行きの電車に乗った。
そんなことがあった週の土曜日。予備校にてマーク模試が行われた。翼は、これまでの成果を試すチャンスだと思い、全力で受けた。運良く体調も良かったためか、これまでにないほど頭が働いた。彼は成長を実感することができたと同時に、第一志望大学への道も切り開かれていくように感じた。
週が明けて7月22日。この日も翼は予備校へ向かう。いつも通りの時間のバスに、いつも通り少女も乗ってきた。少女は車内前方の座席に座った。少女の存在を気にしながら、相変わらず彼はドキドキしていた。終点に着くと、先にバスを降りた少女に続いて彼も降り、駅の階段を昇っていった。そのまま改札もくぐり抜け、ホームへと向かう。翼はこの時も、少女の茶色い髪に夢中だった。ホームの3番乗り場に、ちょうど国際会館行きの電車が到着した。少女が電車に乗り込むのを確認してから、彼も電車に乗った。平日の電車で混んでいたので、いつものポジションにはつけなかったが、少女と程よい距離の位置に立つことができた。すべての乗客が乗り込むと、電車はすぐに出発した。
「次は、くいな橋、くいな橋です。」
電車のアナウンスが聞こえる。少女は見ていた手帳か参考書のようなものをバッグの中にしまった。そして電車はすぐに、最初の停車駅くいな橋に到着した。停車してドアが開くと、少女はそこで降りた。
(やっぱり天使はここで降りるんだな。)
長い髪を耳に掛けながら、少女は降りた駅のホームを歩いて行く。その光景を見つめながら、翼は何か熱いものを体に感じ始めていた。
電車が京都駅に到着した。満員で押しつぶされるのを避けるために、翼は電車を降りた。五条で降りるのと比べ、少し余分に歩くことにはなるが、この時の彼には構わなかった。駅の地下から地上に出て、ものすごい勢いで予備校に向かって歩き出す。この時彼の体は、吹き出しそうで、今にも溢れ出しそうな何かによって、ものすごく熱くなっていた。
(ああ、俺は勉強するぜ。賢くなって絶対に第一志望大学に受かってやる。そして、あの天使のように美しく・・・。)
そう思いながら、夏真っ盛りで蒸し暑い都会の街を歩いた。
(しかし最近の俺ときたら、息苦しくなったり体が熱くなったりして。まさか、恋なのでは・・・?)
そう、鈍感な翼もとうとう気付いたのである。異性にはあまり興味を抱くことはなかった翼だが、あの少女に対してだけは違っていた。
(俺、あの天使が好きなんや。ツートンバッグがトレードマークで、茶色い髪の天使が好きなんや!)
改めてはっきりと、彼は心の中でつぶやいた。外の空気の暑さと、少女に対する気持ちと、さらに勉強に対するやる気とで、翼の体はますます熱くなっていった。