終章二節
* * *
盗賊の隠れ住む里から竜越への帰路についたのは、与羽と辰海、比呼、そして案内役をかって出てくれた森の民――月魄の四人だった。治療を続ける凪はもちろん、隠れ里の監視を引き受けた蒼蘭もしばらくは残るらしい。
蒼蘭の弟である月魄も与羽たちを竜越に送り、そこでいくらかの情報交換を行った後、隠れ里に戻るつもりだと言う。
「あの村、名前も決めんとね。いつまでも『盗賊の村』とか『隠れ里』とか呼ぶわけにはいかんし」
与羽はほとんど整備されていない山道を慎重に歩きながらつぶやいた。
緊張が解けたからか、与羽は普段の調子を取り戻している。先ほどから、ぶつぶつ単語をつぶやきながら、先ほど後にした集落の名前を考えていた。すでに彼らが中州の民になったかのような、ふるまいだ。
「きっと向こうからいい名前を名乗ってくれるよ」
あいかわらず与羽の半歩後ろを歩く辰海が、そうほほえんだ。
そのさらに後ろには比呼がいる。
月魄は案内人らしく彼らの前方を歩いていた。
「まっ、そうだろうけどさ」
与羽の目は期待で輝いている。
青桐たちが中州の民になってくれた場合の喜びを隠せずにいるようだ。
辰海はそんな与羽の横顔を穏やかな気持ちで見つめた。
無邪気で明るい与羽。戦以降ほとんど見なくなっていた顔だ。
やはり、与羽に暗い顔は似合わない。心からそう思った。
与羽の明るさを取り戻させたのが、盗賊たちであることは少し気に入らないが……。
「…………?」
与羽がふと辰海を見る。
一瞬、嫉妬心が伝わったのかと、ヒヤリとしたが、おそらく辰海の視線を感じただけだろう。
「辰海、怪我は大丈夫?」
少しいぶかしげな顔を見せた与羽だったが、すぐに気遣わしげに眉を下げる。
与羽がこれほどまじめに心配してくれるなど珍しい。
「あたりまえでしょ。こんなのかすり傷だよ」
辰海はそうほほえんで答えた。
隠れ里での戦いで斬られた腕は、動かせばひきつって痛むが、凪の手当てのおかげもあり、血は止まっている。薄く跡が残る可能性はあるが、問題なく治るだろう。
「後悔しとる? ついてきたこと」
「何で後悔しないといけないの?」
辰海のきょとんとした顔を見て、与羽は少し仏頂面になった。
腕に傷を負ったのはもちろん、与羽に理不尽な暴力を振るわれそうになったり、面倒な交渉事を行うはめになったり――。
大変なことはたくさんあったはずだ。
にもかかわらず、辰海はそれに全く頓着していない。鈍感なのか、すでに忘れてしまったのか……。
そんな態度が気に入らず、与羽は辰海の腕を肘で軽く小突いてやった。もちろん傷のあるところだ。
情けない声を出して腕をおさえる、辰海。
その反応に満足し、与羽は意地の悪い笑みを浮かべて山を駆け下りはじめた。
さすがに子どものころ山で遊んでいただけあり、その素早さと平衡感覚には目を見張るものがある。
「まっ、あんたがおってくれて助かったけどさ」
前方を歩いていた月魄を抜かし、斜面を一つ下り切りったところで与羽は振り返った。
斜めに差す光の帯の中に立つ与羽のつややかな黒髪は、陽光で青とわずかに黄緑にきらめいている。それに縁どられた笑顔はいつもより穏やかだ。
比呼でさえ、その笑顔に心奪われそうになりながらも、与羽に同意した。
比呼や雷乱では与羽の感情を鎮めることはできなかっただろう。辰海のように受け入れるのではなく、力技で押さえつけようとしたはずだ。
しかし、それが与羽の逆鱗に触れる行為であることは、なんとなくわかる。
さらに、形式ばったあいさつや様々な交渉事も、文官である辰海だからできたことだ。階級はかなり低いものの、その能力が上級文官に劣らないものであることは知っている。
「……与羽、…………」
そうつぶやく辰海は、熱に浮かされたように、はるか下方の与羽だけを見つめていた。
その瞳が潤んで見えるのは、傷の痛みだけではないだろう。
「はやく、帰ろう」
与羽はすでに前を向き、歩きはじめていた。
「ちょ……、待って! ひとりじゃ危ないよ!」
それを辰海が慌てて追い駆ける。
取り残された比呼と月魄はお互いに目配せし合い、同時にため息をついた。
辰海はすでに与羽に追いつこうとしている。
ほほえましいような、もどかしいよな――。
比呼と月魄は、それぞれ何とも言えない表情を浮かべて、ゆっくりと前方の二人を追いかけた。
<完>
「紅花青嵐」でした。
作品の時期は、前作「七色の羽根」から約半月後。7月中旬ごろですかね。
やっと梅雨が明けて、夏真っ盛りになりはじめたくらいの季節だと思っていただければ幸いです。
「袖ひちて」のように比呼を主人公にしようかとも思ったのですが、与羽がいるならやっぱり与羽が主人公ですよね(笑
さて、この作品は初夏と言うことで、章タイトルや登場人物の名前も夏らしい植物名でまとめてみました。
一章の若柳と二章の梧桐は、そのまま植物ですね。
三章の木下闇は木陰みたいなものです。夏の青々と茂った木々が作る日陰。
四章の登蔦と五章の日輪も作品の雰囲気に合う単語を引っ張ってみました。
ちなみに、日輪は太陽でもありますが、日輪花はひまわりの別名です。
キャラは、盗賊の頭青桐と短槍使いの女さくらは、まんま植物で分かりやすいですよね。
凪にべったりな短剣使いの少年風露は、「風露草」から。夏に咲く紫系の素朴な花です。
長剣使いの鳳梨は、パイナップルです。
弓使いの君影は、スズランですね。
凪が診ていた少女は、葵って名前だったんですが、出す隙がありませんでした。縁があればまた――。
次作は結構長めです。キャラ数もかなり多く、シリーズ全体にかかわる、大きな転換期でもあります。
お楽しみに!
2012/4/7
2016/9/26




