五章四節 - 交渉
辰海の場合は、無意識的に与羽の声に反応してしまった。とっさに従ってしまったため、相手の攻撃を受けようとしていた刀に力がこもらず、左腕に浅く傷を負うはめになった。
しかし、相手からの追撃はなく、お互いに上司の指示を待つにらみ合いだ。
月魄と風露も相手をうかがいながら次第に攻撃を弱め、休戦状態に入った。蒼蘭と弓使いの君影たちも同様だ。
与羽と青桐がそれぞれそれを確認して、お互いに目配せし合う。
「私たちは、凪ちゃんが無事に帰りさえすればいいんですが、そちらにもそちらの事情がありそうですね」
与羽は丁寧な口調のままそう切り出した。ちらりと凪の抱えている薬草の束や乳鉢を見る。
「この村には病人がいるの、たくさん」
凪は青桐が口を開く前に、自ら状況を軽く説明した。盗賊に襲われた話で、比呼がわずかに怒りをにじませた以外は、話はつつがなく進んでいく。
凪と会い落ち着いたのか、与羽は表情一つ変えない普段の無関心さで聞いている。
「辰海、来て」
話をすべて聞き終わってすぐ、与羽はそう声を張り上げた。
振り返って彼を確認することはしない。
辰海も無言で与羽の半歩後ろに従った。
「傷は大丈夫?」
その問いに辰海はわずかに目を見開いた。与羽があの瞬間を見ていたとは思わなかったのだ。
「大丈夫。まだ血は止まらないけど、浅いから」
「あとで凪ちゃんに診てもらってね」
与羽はちらりと手巾の巻かれた辰海の左腕を見た。
「今は……、補佐を頼む」
青桐との交渉の手伝いだろう。
「もちろん」
辰海は与羽に頷いて、青桐の巨体を見上げた。
「中州国、文官筆頭古狐家長子――古狐辰海と申します」
恭しく頭を下げつつも、警戒は解かない。
「文官筆頭」と言う言葉に、青桐の表情が険しくなった。辰海自身の官位は低いが、嘘はついていない。
「本格的な話し合いをした方がよさそうだな……」
城主代理と文官筆頭家長子という組み合わせに、青桐は気を引き締めたようだ。
「そうしていただければ幸いです」
与羽が至極まじめな顔でうなずいた。
「では、まずこの村の成り立ちと、あなたたち盗賊について聞かせていただきましょうか」
与羽はそれを皮切りに、様々な質問をしていった。時々、凪に確認をとるのも忘れない。
辰海はその補助だ。足りない部分を聞きだし、頭の中で情報を整理していく。紙と筆は持っていたが、左手を負傷し、書き取るのに不自由があったのだ。
青桐は事の次第をすべて話した。正確に。
国と衝突すれば、勝ち目はない。できるだけ穏便に物事を運ぶ必要があった。
相手が年下だからと言って侮ることもない。与羽にも辰海にも隙がなかった。嘘や矛盾は、きっと見抜かれてしまう。若くても、中州ではかなり有能な官吏なのだろう。




