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龍神の詩6 - 紅花青嵐  作者: 白楠 月玻
四章 登蔦
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四章三節 - 愛憎

「ちょ……」


 当たってはいないものの、怒り任せで加減のない与羽のこぶしに、与羽同様焦りを感じていた比呼(ひこ)が冷静さを取り戻した。慌てて、再び振り上げられた与羽の腕を抑えつける。


「大丈夫。大丈夫だから」


 しかし、辰海がさらにその手を抑えた。与羽の手が自由を取り戻す。


「殴りたいなら、殴ってくれても構わない」


 与羽が本気で暴力を振るおうとするなど珍しい。それだけ、余裕がないのだ。

 城下町を発ってから、今までいつも通りにふるまってきたが、内心は常に不安でいっぱいだったのだろう。二日半歩き、疲労もたまっているはずだ。

 それらに耐えきれなくなって、様々な感情が自分で制御できないほどにあふれ出している。

 暴力でそれを発散できるのなら、辰海はそれを受けるまで。


「気が済むまで殴って。君が不安なのはわかる」


 ――それに、どれだけ殴られたって、僕が君につけてしまった傷に比べれば……。


「知った口を――!」


 怒り任せにこぶしを振り下ろす与羽の勢いで、額を覆い隠す前髪が乱れた。左眉の上には醜くひきつった傷がある。

 それを脳裏に焼き付けながら、辰海は目を閉じた。与羽のこぶしは鼻先数寸のところを薙いだ。

 辰海は回避動作をしていないので、与羽がわざと外したのだろう。そう言えば、最初のこぶしも当たらなかった。


 目を開けると、与羽は辰海を見上げていた。狂気をはらみつつも、潤んだ、今にも泣きそうな目をしている。


「わかるよ」


 辰海は与羽に威圧感を与えないために、その場にしゃがみ込んで、与羽を見上げた。精いっぱいのやさしさと愛情をこめて。


「どいて」


 力のない声で言う与羽の手が、辰海の首筋に触れた。首を絞められるかと身構えた辰海だったが、与羽の手は声同様に力が入っていない。


「君の気持はよくわかる。どうしようもなく不安で、心配で――」


 辰海の目じりから一滴。涙があふれ落ちた。

 それを見て何を思ったのか、与羽がわずかに目を見開く。


「不安だからこそ、一回落ち着こう。落ち着いて、話し合おう。どうすれば、凪さんを見つけられるか」


 与羽の瞳が揺れている。

 彼女にの触れる首から、自分の鼓動が感じられた。きっと与羽も、同じものを両手のひらに感じているのだろう。


「与羽……」


 辰海は両手で、与羽のほほを包み込んだ。

 怒りで上気したそこは、予想以上に熱い。

 与羽の肩がびくりとはねた。


「与羽、大丈夫だから」


 ゆっくりと言い聞かせながら、与羽の左目の下を親指でいとおしげになでる。


 与羽の唇がかすかに動いた。

 しかし、全く声にならないそれは、何を言おうとしているのかわからない。


「なに?」


 やさしく尋ねる辰海。

 与羽がきつく目を閉じた。


「だめ……」


 与羽の小さな口から、かすかな呟きが漏れる。


「頭でわかっとっても、気持ちがついてこない」


 再び開けた与羽の瞳には、未だ狂気がにじんでいる。


「邪魔するあんたが、……憎い」


 与羽の言葉にはっきりこもる憎悪にも、辰海は動じなかった。


「憎んでくれて構わない」


 迷いなくそう伝える。


 ――君が僕をどう思おうと、僕の意志は変わらない。


 何が辰海をそこまでさせるのか。

 引け目と恋慕と、罪悪感と愛情と、義務感と憧れと――。

 自分でもよくわからない複雑な感情に突き動かされている。


 ――何があっても、僕だけは君を――。


「あんたも、こんな醜い感情をむき出しにする私が憎いか?」


「全然」


 ――そんな君でさえ、いとおしいんだ。


 辰海は与羽にだけ見せるやさしい笑みを浮かべた。

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