三章三節 - 小休憩
まだ華金山脈の地理に明るくない比呼は、聞きなれない名前ばかりで首をかしげた。
辰海はわかるのか、「かなり進むね」と感想を述べる。
「与羽と辰海くんの体力なら真夜中までにはつけるよ。そっちのお兄ちゃんもかなり身体能力高いし」
ラダムはにっこりと比呼にほほえみかけた。邪気は感じられないが、どこか挑むような、比呼を試そうとしているような笑みだ。
「気をつけて。森の民はたいていそうだけど、人当りいいくせに一筋縄じゃいかん」
寝そべったまま、わずかな風に揺れる木の葉を見ながら与羽が言う。
「そんなぁ。ボクは結構いい子な部類に入ると思うけどなぁ……」
「表面上は、ね」
与羽がいたずらっぽく口の端を釣り上げる。
「そうじゃなくて、どうして中州の隠密が務まる」
そう聞いて比呼ははっとした。
森の民は華金山脈に住む中州の民という顔のほかに、中州の隠密として他国の情報を集める役割も担っている。昨日会った暮波の村長もやさしい人あたりの裏で、様々な情報を操っているのかもしれない。
「といっても、みんながみんなじゃないけどね。森の民の中にも、何も知らん人が多いし。特に北に行けばいくほど敵国から離れて平和だから。まぁ、暮波とか人や情報が集まりやすい場所、南でかなり奥まった場所にある集落はいろいろやっとることも多い。うちらが向かっとる竜越とか、ね」
「話しちゃっていいの?」
ラダムが確認するように問う。
「比呼だって中州の間諜だし、別にいいでしょ」
「と言うか、与羽もその辺ちゃんと把握してるんだ。辰海くんは文官だし古狐だし全部知ってるんだろうけど……」
「こないだまでは、おぼろげにしか知らんかったけど、調べた」
「与羽……」
「この間まで」とは、戦の前に中州の後ろ暗い歴史をつづった墨塗り表紙の書を読む前のことだろうか。
辰海は不安げに与羽の様子をうかがった。
「言うても、ラダムとか飛走姉弟とか、森の民と親しくなれば、何となく察しはつくけど。比呼が間諜になってからも、こつこつ調べとったし」
辰海の見る限り与羽の顔に悲観はない。
「暮波は情報収集を主にやっとる森の民」
「まぁ、収集というよりは情報集約だけどね」
暮波村長の孫娘がそう補足する。
「いろんな場所からいろんな手段で集まってくる情報を整理、分析して、中州城主に報告する。暮波自体がどこかに行って――っていうのは、あまりないかな。そういうのをやってくれてるのが竜越とか南のほうにある集落の人たち」
「まぁ、癖のある人が多いけど、竜越の人は基本親切だから大丈夫」
与羽はそう言って体を起こした。今まで寝ていた岩の上に立って、あたりを見渡す。
「暮波は華金山脈にある集落同士をつなぐ大事な村。こんな山の中でも一応道があってね。全部の集落をつないである。たいていは、どの集落に行くにしてもその道を使う。暮波から竜越なら大まかに四、五本くらい道があるけど――」
「今はどの道も使ってないよ」
ラダムが与羽の言葉を引き継いで言う。
「本当は近くに道があるんだけどね。村と村をつなぐように通ってるからどうしても蛇行するし、補給の必要も少なそうだし、ボクの知る限り一番早い経路を使ってる。公式の道じゃないけど、森の民がたまに通るから、それほどひどい道じゃないし」
「『それほどひどい道じゃない』って――」
先ほど危うく野ばらの茂みに倒れこみそうになった与羽は、苦い笑みを浮かべた。
「大きな笹の茂みを分け入ったり、身の丈以上の岩を超えたりしないんだから、ひどい道じゃないでしょ?」
「普段どんな道を通ってるの……」
与羽はあきれたようにつぶやく。
比呼も意外な気持ちで、ラダムを見た。
一見鈍そうな少女だが、身体能力は与羽と同じくらいもしくはそれ以上高いかもしれない。
確かに、今の彼女に隙と言える隙は見あたらない。
「夕方にはちゃんとした道に出るつもりだから安心していいよ」
与羽を励ますように、ラダムはにっこり笑った。邪気のない幼子のような笑みだ。
「ん~……」
了解の返事なのか、不満の表れなのか。与羽は眉間に浅くしわを刻んだ。




