二章四節 - 暮波
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暮波は比較的中州城下町に近い森の民の集落のひとつだ。
四つの山に囲まれた浅い窪地の底に田をつくり、それを囲むように畑と家がある。戸数は八十ほど。森の民の集落の中では最大規模だ。
人が多く、城下町にも近いことから、華金山脈に点在する集落の中心地としての機能を持ち、物や情報が多く集まってくる。
与羽たちがこの集落についたのは夕方の早い時間帯だったが、四方を山に囲まれた暮波は、すでに黄昏色に染まりつつあった。
気温も下がりはじめ、いくぶん過ごしやすくなっている。
「ふぅ」
与羽は短く息をついてすり鉢状の村のふちを歩いていく。向かうは、村長の屋敷だ。
与羽の顔を見知っていなくても、青とわずかに黄緑にきらめく独特な黒髪と青紫の瞳から彼女の正体を察した人々のあいさつに応えつつ、ゆっくり進む。
わらぶきで小さめの家が多い中、村長の屋敷はいくつもの離れが連ねられ、大きかった。
旅人をもてなし、宿泊できるようにしているためだ。
「ようこそ、姫君」
お互いに顔を見知っているため、暮波の村長は与羽たちを気さくに迎え入れてくれた。
「急な来訪申し訳ありません」
与羽は老年の村長にそうわびてから、戦の件での感謝を述べる。
村長はどちらにも、もともとしわだらけの顔をさらにくしゃくしゃにして笑みながら応えてくれた。
「それで、暮波殿。戦の件とは別にお伺いしたいことがあるのですが……」
その後、与羽は凪のことについて切り出した。もっと失礼のない自然な流れで話を切り替えたかったが、今は時間が惜しい。
「そうでしょうな」
しかし、村長は全く気にしていない様子だ。
「戦後の忙しい時期に、礼を言いに来ただけではなかろう? しかも、事前に連絡をする暇もないほどの急用ということでよろしかろうか? ひょっとして、後ろの若者が関係しておるのですかな?」
村長の目はまっすぐ比呼を見据えていた。
「お初にお目にかかりますな。暮波の村長を務めておる暮波竪久じゃ」
「はじめまして。比呼と申します」
「中州の間諜をやってくれています」
与羽はそう補足説明を入れた。
「間諜か。若いのに大変じゃな……」
村長が穏やかに目を細めて比呼を見る。
「姓はなんという?」
「姓……」
聞かれて比呼は口ごもった。
「中州、もしくは薬師ですかね」
そんな比呼に代わって与羽が答えた。
ちなみに、「中州」姓は中州城主の許可のもと中州に住む姓を持たない民なら誰でも必要に応じて名乗ることができる。
「おぉ! お前さんがあの『薬師の婿養子』か!」
村長が納得したように手を叩く。
「へ?」
与羽と比呼が同時に間の抜けた声を出した。もしかしたら、辰海も声を出していたかもしれない。
「なんじゃ、違うのか? 森の民の間では半年ほど前から言われとるが……。薬師の凪那嬢にいい人ができたと」
「そうなの?」と与羽が比呼を振り返る。
口の端にいたずらっぽい笑みが浮かんでいるのは気のせいだろうか。
「君のご想像にお任せするよ」
しかし、比呼はいち早く驚きから立ち直っていた。
中性的な整った顔に不敵な笑みを浮かべて言えば、与羽は負けを認めたのかしぶしぶ前に向き直る。
「間が抜けとるように見えて――。そういうへんが辰海とは違うんよね……」
そんなつぶやきが聞こえた。
「まぁ、確かに凪ちゃん関係のことです」
気を取り直して与羽が言う。




