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食人鬼  作者: 小岩井豊
本編
8/15

六話

 男の子は吉村浩介と名乗った。わたしもその場で簡単に自己紹介をすると、そのまま流されるように彼に連れられた。

 吉村さんは迷いのない足取りで施設内の喫茶店に入っていく。そのお店は半分ケーキ屋さんのような品ぞろえになっていた。

「好きなものを頼みなよ」

 ほんとうは遠慮したかったけど、わたしは断れなかった。お腹が空いていたし、気のせいか、強制をあおるような雰囲気が吉村さんにまとわりついているように思えた。

「このバッグ、気になる?」

 窓際の四人用テーブルに着くと、吉村さんがいきなりそう言った。右手にあのクーラーバッグを持ち上げる。

 わたしは無意識のうちにバッグへと視線を向けていたのだろうか。いや、そんなはずはない。むしろ努めてバッグから注意を逸らそうとしていた。

「べつだん、気にしていません」

 わたしは試されているのだ。咲子さんがわたしを犯人と疑い、このバッグを奪ったように、吉村さんもわたしの揚げ足を取ろうと目を光らせている。

「この近所で殺人があったことは知ってるよね」

 吉村さんが膝の上にバッグを置いた。わたしは落ち着いた口調で答える。

「全国ネットでも大きく取り上げられていました。特にこの町では、知らない人の方が珍しいと思います」

 奈緒ちゃんは天才ピアニストとして一時期、全国的に話題となった著名人だ。こんな田舎町で起きた事件だとはいえ、奈緒ちゃんが被害者ならば話は違う。

「両腕がまだ見つかっていないらしい」

「みたいですね」

 吉村さんはにこりと微笑むと、窓の外に目をやった。

「僕ね、こういう話題にはすぐ飛びついちゃうんだ。趣味が悪いってよく言われるけど」

 そう言うと、彼は黙り込み、窓際の人通りの流れを観察するように視線を止めた。わたしはその横顔を眺める。

 作り気のない端正な顔立ち。柔和に細められた瞳は咲子さんとは対称的で、万人に好印象を与えそう。いい加減に切り詰めたような髪型なのに、それでも爽やかに見えてしまうのはどうしてだろう。これが草食系ってやつなのかも。

 ときに、と彼の薄い唇が開く。

「小夜ちゃんは、人間の『しょくせい』って信じる?」

「しょくせい?」

 聞き慣れない単語に首を傾げる。しょくせい。まっさきに変換出来そうな漢字でいえば、『食性』だろうか。

「君がいま想像している通り、食べるに性と書いて食性。草食性だとか、肉食性とかっていうあれ」

「それなら、人間はみんな雑食性だと思いますけど」

「大別してしまうとそうだけど、僕はそうは思わない」

 変なことを語る人だな、と思ったが、わたしは大人しく聞くことにした。

「人間は、もとが穀菜食動物だったという話がある。たとえば、ガンやその他生活習慣病への主な原因が、消化に深く関係していることは有名だよね。極端な話、消化さえスムーズにいけば病気にはかからない。穀菜食は全般的に、この消化プロセスを円滑にしてくれるんだ。ほら、ダイエットにも最適だし」

「ダイエット……」

 ちょっと気にしていることなので思わず反復してしまった。吉村さんは笑いながら、小夜ちゃんにはダイエットなんて縁のない話だろうけど、とお世辞を挟んだ。どこまでが本音か分からない。

「言ってしまえばさ、病気になりたくないなら、最初から肉なんか食べなければいいんだと思う」

 乱暴な考え方だ、とわたしは思った。しかし、こちらが口を挟む隙もなく彼は続ける。

「そもそも、人は穀物や野菜だけでも充分生きていけるはずなんだよ。身体のほとんどがアミノ酸で出来てるって言われるくらいだし、突き詰めれば、穀物だけでも生きていけそうだよね」

「肉からしか得られない栄養もあるんじゃないですか? たとえば……」

 ちゃんと言い返せない。こういう常識をくつがえすような話なんか、今までしたことない。

「強いて挙げればたんぱく質か。でも、大豆にだってたんぱく質は多く含まれてるよ」

「吉村さんは、人がみんな穀菜食主義になればいいって、そう言いたいんですか?」

 吉村さんはゆるい動作で首を振った。

「人は穀菜食で生きられる生物なんだって話をしただけで、なにも僕は、みんなに穀菜主義を勧めたいわけじゃない。皆が皆そうなら、とてもつまらないと思う」

 わたしにはもう、彼がなにを言いたいのか理解できない。

 やがてアイスティーが二つ運ばれてくる。店員さんが、チーズトーストはもう少々お待ちください、と告げた。

 わたしは渇いた口内を潤すように一口すすった。吉村さんは手をつけず、優しげな目つきでわたしを見つめるばかりだった。

 恥ずかしくなって、わたしは視線を落とす。そうだ、わたし今、ナンパされてるんだっけ。彼には咲子さんがいるし、名目上だってことは分かってるけど、でも、なんだか緊張する。

「人間は単純じゃないし、何に対しても面白みを求めるから。食べなくていいものをわざわざ好んで食べる。生きる術ですら、娯楽へと昇華できる」

「結局、なにが言いたいんですか……」

 そう問いつつも、わたしにはだんだん、吉村さんの主張が読めてきていた。

「人が雑食性になったのは、人間が自ら望んで多様の食性を生み出した結果だと思わない?」

 わたしは押し黙り、吉村さんの言葉を促すしか出来なかった。

「さっきの絵。食人もまた、人の望んだ食性の一つだと僕は思う」

 ゴヤの絵が脳裏によみがえる。瞼を閉じると怪物の目を思い出してしまいそうで、わたしは目が乾くのを我慢してアイスティーを凝視した。

「ただの肉食性とは違う、ってことですか」

「近いと言えば近いけど、でも、根本が違うからね。どの食性とも違う。とくに食人の場合は」

 何故、食人が禁忌とされるのか。頭で考えなくても本能で分かる。だからわたしは、あの絵に嫌悪感を覚えた。

「子孫繁栄に対する冒涜なんだ。人が人を喰らい、同種族を減らしていくという行為そのものが。だからみんな、あの絵に生理的な不快感を抱く」

 否定したい。さっき、吉村さん自身の口から「人間は単純じゃない」という言葉が出た。いくら本能だからとはいえ、そんな原始的な倫理に縛られるのだって安易だ。わたしだって、子孫繁栄の冒涜なんて大それた理由で奈緒ちゃんを食べようとしたわけじゃない。

「草食性でも、肉食性でも、雑食性でもない。人肉食だなんて、それこそ鬼のような食性じゃないか」

 違う。やっぱりわたし、鬼なんかじゃない。邸宅の中で獰猛な息をまき散らし続ける野蛮な鬼なんかと、一緒にしてほしくない。

 店員さんがチーズトーストを運んでくる。湯気がチーズの香りを乗せ、鼻腔に絡んで食欲を誘う。

 そうだよ。わたし、普通の食べ物にだってお腹を空かせられるじゃん。わたしはただの食人鬼とは違う。奈緒ちゃんだから食べたいって思ったんだ。

 トーストの端に噛みつく。チーズのなめらかさとトーストのぱりぱりした触感が同時に舌を満足させる。ほら、美味しい。わたしにも普通の味覚が備わっている証拠だ。

「食事時にこんな話をして大丈夫だったかなと思ったけど、よかった。こっちのお腹が空いてくるくらい良い食べっぷりだ」

 意識せず、わたしは顔をあげて吉村さんを睨んでいた。

 皮肉に聞こえてしまったのだ。普通の人なら、食人話のあとでのご飯なんか、気持ち悪くて喉を通らないだろうって。わたしが人間と他の食物を同等に見ているんだろうって、そう揶揄されているように聞こえた。

「なんで今、そんな話を」

「例の事件の被害者、枝野奈緒子。彼女の腕の一部に人の歯形があった。僕にはどう考えても、それがカニバリズムによるものとしか考えられない」

「彼女の両腕は見つかってないんですよね。どうして吉村さんがそのことを知ってるんですか?」

 わたしは彼の隣のクーラーバッグを気にした。それを見抜くように、吉村さんがこう切り返す。

「察しの通り、このバッグは拾いものだ。例の事件の証拠品らしきものが入っていたよ。うちの連れが偶然見つけて、見かねた僕が拾ってきた」

 連れとは、つまり咲子さんのことだろう。わたしはあえてそのことに触れず、反駁した。

「なぜ警察に届けなかったんですか?」

 吉村さんはバッグの上に手を置き、微笑を浮かべた。その飄々とした態度にいらつき、わたしは声を荒げる。

「わたしを疑ってるんですよね。はっきり言ってください」

「疑ってるよ。確信してると言ってもいいくらい」

「なら、どうして警察に……」

 周囲の視線を感じて言葉尻を切る。代わりに息を深く吐き出し、吉村さんと目を合わせた。

「警察なんかには届けないよ。僕は、きみを理解してあげたいと思っている。なんせこれ、ナンパだからね」

 この後に及んでこの人は、なんて意味の分からないことを。

「何が言いたいんですか」

「何がもなにも、額面通りに受け取ればいい。僕はただ、君が人を食べようとした訳を知りたい」

 呆れてものも言えない。だけど、わたしはまだ冷静を解いてはならない。ここで犯人と認めてしまえば、また咲子さんのときみたいに嵌められかねないのだ。

「まさか、あのバッグがあった場所に、たまたまわたしが居たからって、それだけの理由で犯人扱いですか? わたしが奈緒ちゃんを殺した証拠には」

「奈緒ちゃんね」

 ぎくりとして口をつぐむ。冷静にと自分に言い聞かせておきながら、さっそく彼女を愛称で呼んでしまった。

 吉村さんの手元に置かれたグラスの氷が溶け、からんと音を立てた。彼はあれから一切アイスティーに手をつけておらず、なのに、やけに涼しげな顔で舌を回した。

「きみはあの日、咲子さんと会ったね。そして、彼女に自宅まで送ってもらった」

 これは肯定しても問題ないだろうと思い、わたしは正直にうなずく。

「わたしが、あの日あの時間に森林公園に居たこと、さっきも言った通り、認めます。そのバッグがわたしの居た辺りに落ちていたことも信じます。だけど、それだけでこういう扱いを受けるなんて、納得がいかないんです」

「このバッグに入っていたものが、どうにも引っかかった」

 吉村さんはわたしの反論を受け流した。

「まず、凶器と思われる血の付着した包丁。その柄の部分に貼られた、店舗名を示すシールがね」

 シールなんて貼ってあったかな。よく覚えていない。焦ったけど、わたしは出来るだけ表情を変えないように努めた。

「真白ヶ丘駅から十駅以上も離れたN駅。調べてみるとね、そのN駅前のホームセンターで買われたものらしいんだ。だから、犯人は遠方に住む者だという可能性も払拭できない」

 そうだろう、とわたしは勝ち誇る。そう思ってもらうために、わざわざ遠くのお店まで出向いたんだ。

「それを差し置いても余りある、近隣住民への疑いだ」

 吉村さんの顔つきが若干固くなる。

「まず、枝野奈緒子の腕を包んでいた数個のドライアイスの小袋。無地透明の袋に、もとは固形状だったと思われるドライアイスの残骸。あれはどうやら、近所のスーパーで入手した物のようだ」

「どうして、そんなことが言えるんですか」

「この町のスーパーで提供されるドライアイスは、そのほとんどが粉末の状態でしか手に入らないらしい。今どき固形状でくれるスーパーなんて、県内中探してもあそこくらいだ」

 どこかで聞いたことがある。最近はどこのスーパーも、触ってもすぐに流れる粉末状態で提供するんだって。わたしはあのとき、ドライアイスを一つの袋にまとめようとは考えなかった。固形状のものは、より危険だと知っていたから。

「それが、あのスーパーだけだなんて。そんなこと、なんで吉村さんが……」

「固形のドライアイスに気づいたのは、残念ながら僕じゃないよ。全部咲子さんからの受け売り。ギャルっぽい顔してるくせに、あのひと意外と家庭的だからね」

 吉村さんは冗談めかしたように笑う。わたしはその笑い声に同調できない。

「犯人が近辺に住む者だと推測できる、もう一つの理由」

 わたしはもう、彼から目を逸らしていた。

「事件現場と、バッグが放置されていた場所の位置関係。およそ百メートルくらいかな。事件発生後、おそらく咲子さんは三十分としないうちに森林公園に向かった。その短期間で、しかも、『多目的広場』にこのバッグは置かれていた」

「公園内の場所が、バッグの位置とどう関係があるんですか」

「この市に住む者なら、みんな知ってるはず。現場からもっとも近い『やすらぎ広場』より、そこから少し歩いた『多目的広場』の方が、一時的にバッグを置くには都合がいい。何故かは、小夜ちゃんにも分かるだろうね」

 吉村さんはいやらしい質疑だけを提示し、理由をわたしに述べさせようとしていた。幾分諦念し、声を小さくして応答する。

「『やすらぎ広場』は、ホームレスの溜まり場だから、でしょうか」

「その通り。それに対して『多目的広場』は公園奥地にあるため、夜になれば人通りはほぼ皆無だ」

 言うまでもない。だからわたしは、わざわざ多目的広場まで歩いたのだから。

「でも、そんなの市の住民じゃなくたって知ってる人は沢山います。あの森林公園は県内でも有名な観光名所ですよ」

「これもあくまで、可能性の一つだからね」

 ここでようやく、吉村さんはアイスティーに口をつけた。小休止を入れるように、ストローなしで深くグラスを傾けていく。まだ何かあるらしい。焦らされることにまた苛立ちを覚えた。

 音もなく、グラスの底がテーブルに着地する。

「ここからがもっとも重要だ。気になる犯人像について」

 息を呑み、吉村さんの話を促す。

「血飛沫の付着した合羽が入っていた。無論、あれは服に血が飛び散らないようにするための配慮だろう」

 件の雨ガッパを思い起こす。あれは以前お父さんが使っていたもので、もちろん大人用だ。直接わたしと関連するようなことがあるのだろうか。

 あることを思い出し、わたしは言葉をなくした。

「不思議なことに、雨合羽の裾が破けていた。成人用の合羽のようだったけど、犯人の身長には合わなかったらしい」

 奈緒ちゃんの解体作業中、わたしはカッパの裾に足をかけて転んだ。あのとき、たしかに確認した。裾の部分が破けちゃったけど、作業上では問題ないだろうって。

 それが身長特定につながることまでは、考えにも及ばなかったけど。

「嫌がる咲子さんに土下座して頼み込んで、やっと着てもらえたよ。咲子さんの身長は160前後だけど、合羽の裾はなんとか踏まない程度だった。破れた位置から推し測ると、犯人の身長は140から150cm。ちょうど、小夜ちゃんと背比べが出来そうな感じだね」

 すると、ふいにわたしの手が引かれた。心臓が止まりそうになるほど吃驚し、わたしの手を取る吉村さんを見返した。

「そして決定的なことに、被害者の腕に血痕が付いていた。小さな、人差し指の痕だよ」

 吉村さんの手は、わたしの人差し指を握っていた。握られたという感覚がないほどに優しく、わたしの指は根本から先端まで撫で上げられる。背筋が震え上がり、意識せず呼吸が荒くなっていく。

「バッグの中には新品のゴム手袋も入っていた。どうしてこれを使わなかったのかと思ったけど、そこは、犯人も人の子だからだろう。どうせ持ち去る腕に血痕が付着しても構わないと楽観したか、それとも、よほど焦っていたのか。何にしても、本当にそそっかしい犯人だ」

 三日月型に吉村さんの口元が緩む。わたしは目を離すことができない。指が解放されると、わたしの手は力なくテーブルに落ちた。

「ここも引っかかっていたんだ。どうして犯人は、手間を惜しんでまで公園に立ち寄ったのだろうと。でも、これで解消した」

 そうだ。そもそもわたしは、血で汚れた手を洗うために、あの公園に赴いたのだ。もしあのときゴム手袋さえ着けていれば、あの公園に出向くこともなく、咲子さんと出会うこともなかったし、バッグも奪われなかったはず。今、こんな状況に陥ることもなかったかもしれない。

「合羽の破れた裾の位置、被害者の腕に着いた指の血痕から、犯人は極端に背の低い女性か、小中学生の児童だと推測できる。そして、被害者は中学生の女の子だ。すなわち、最も彼女と関連性を見いだせるのは、身長的にも納得のいく同世代の女の子だろう。これで犯人の移動手段の偏りにも納得がいく。成人女性なら出来ても、中学生なら限られることも多い」

 思考がから回って上手く理解できない。それでも、わたしが追い詰められているのだということは、なんとなく分かった。

「したがって、あの時間に森林公園に居た小夜ちゃんは限りなく疑わしい。どうだろう、状況証拠のこじつけ論だけど、案外、的を射ていたんじゃないかな」

「あの、わたし……」

 捕まりたくない、そう言えるだけの権利が自分にないことはよく分かる。でも、嫌なものは嫌なんだ。だってわたし、まだ奈緒ちゃんのこと、ちゃんと味わってない。あんなに頑張って手に入れたのに……。

「勘違いしないでほしいのが、僕たちは別に、きみの敵になりたいわけじゃない」

 わたしが嗚咽し始めたことを気遣ってか、吉村さんが優しく声をかける。

「どうして咲子さんが、あのとき君にコーヒーや飴を勧めたのか、分かる?」

 泣き声を上げないよう注意しながらうなずく。吉村さんに追い詰められながら、わたしはあのときの咲子さんを思い出していた。

 咲子さんは、わたしの口の臭いを気にしてくれたんだ。口どころか、わたしの身体中はきっと、奈緒ちゃんの臭いで充満していたのだから。

「もう一度訊くよ」

 吉村さんが丁寧に問う。

「どうして枝野奈緒子ちゃんを食べようと思ったの?」

 わたしは両膝に手を添え、テーブルクロスの模様に目を落とした。

 奈緒ちゃんの全てを奪ってまで、奈緒ちゃんを食べようとした理由。禁断に足を踏み入れてまで奈緒ちゃんを欲した理由。

 彼女に失望したから――それが直接食べたい欲求に繋がったわけじゃない。

 壊したいくらい好きだったから――本当にそうだろうか。

 憧れを手に入れかった――二度と彼女の演奏を聴けなくなるのに?

 どれもピンと来ない。自分のことがここまで分からないなんて、わたしは、頭がおかしくなったのだろうか。それとももう、すでにわたしの中に鬼が棲み着いているからなのか。

「ちょっと、お手洗いに行ってきます」

 席を立ち、返事も待たずにトイレへと向かう。斜め下を向き、他のお客さんや店員さんとも顔を合わせないようにした。

 わたしは誰にも顔向け出来ないくらい、醜いやつになってしまったのだ。



 トイレから出て吉村さんのもとへと戻る。吉村さんは椅子に横向きで座り、窓の外を見ながら携帯で誰かと話していた。さんざん自分は敵じゃないと言っておきながら、やっぱり、警察に通報しているんだろうな。

 静かに彼の正面に腰掛ける。

 本当なら、このまま逃げることだって出来たはずだ。しかし、わたしはそうしなかった。

 何故なら、わたしはまだ、奈緒ちゃんの手を返してもらっていない。どれだけ自分を嫌悪したところで、それだけは変わらなかった。動機すら判然としないまま、しかし奈緒ちゃんに関してだけはどこまでも貪欲に欲する。もしかしたら、最初から動機などなかったのかもしれない。わたしはただ、鬼の食性のままに奈緒ちゃんを求めただけなのだろうか。

 これだけ自分が嫌なのに、どうしても我慢できない。

 そこで吉村さんが通話を終えた。閉じた携帯を片手に、首だけを傾けてわたしを流し見る。

「おめでとう、小夜ちゃん。事件が解決するってさ」

 意味が分からず、唖然として吉村さんの笑みを見つめる。そして彼は、さらに理解しがたい事を口走った。

「代理の犯人が捕まった」

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