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食人鬼  作者: 小岩井豊
本編
7/15

五話

 もっと冷静にならなければいけない。そうは思いつつも、奈緒ちゃんの両手に関してだけは、わたしの執心は取り払えなかった。

 バナナクレープを頬張りながら、真白商業高校の校門を監視する。昨日はずる休みしたため、まだ風邪気味だと先生に告げて自然な流れで早退してこれた。わたしが食べているのは二つ目のクレープで、一つ目はイチゴとチョコレートのクレープを食べた。そのクレープ屋台は驚くほど繁盛していなくて、いくらのんびり食べていようと、斜め後ろでぼんやりと突っ立つ屋台のお兄さんは一切わたしを注意してこない。

 わたしは長椅子の一番はじっこに座っていた。すぐ目の前に屋台の看板が置いてあり、その看板からひょっこりと顔を出す形となっていた。なるだけ身体を隠せる良い配置だと思う。

 バナナクレープを食べ終えたところで、真白高校のチャイムが聞こえた。時刻から察するに、あれが放課後開始を告げる本鈴だろう。

 わずか数分ほどで校門前に姿を見せたのは一人の男子生徒だった。石の壁に背を預け、何をするでもなくぼうっとしていた。

 何気なしにその男の子を眺める。高校の校門は、国道を挟んださらに先に位置しているので、必然、男の子の顔は遠くて分かりづらい。それでも、彼がなかなかの美形だということはこの場所からでも分かった。顔だけでなく、雰囲気や立ち姿だけでも十分伝わる。

 最近、わたし自身について自覚したことがある。わたしは人一倍、他人に憧れやすい体質なのだと思う。昨日、咲子さんの容姿に見とれたように、あの男の子にも少しばかり心を奪われていた。

 仕事や勉強が出来たりといった能力的なことにも魅力を感じるけど、わたしはなにより、見た目が美しかったり、格好良かったりするものが何よりも好きだった。

 わたしは背が低いし、中三なのに子供っぽい顔をしてるから、未だに小学生と間違えられてしまう。勉強や運動が出来ないのはもともとだったけど、最近になって、わたしは自分の容姿にまで劣等感を抱き始めていた。奈緒ちゃんや、咲子さんや、あの男の子みたいに、人から羨ましがられるものを持つ人を見ると、わたしは羨望を禁じえない。ずっと遠くから眺めていたいって思う。ときには、欲しくてたまらないって思ってしまうのだ。

 どうしちゃったんだろう、わたし。たぶん昔は、こんなんじゃなかったと思うけど……。

 校門前で動きがあった。

 男の子が、ある女子を呼び止めていた。いや、呼び止めるというより、無理矢理腕を掴んで引きとめていた。

 女子生徒が振り返る。わたしは目を見張った。男の子に捕まえられたのが、咲子さんだったからだ。

 しばらくの押し問答の末、二人は並んで歩き出した。

 あの男の子は咲子さんの何なんだろう。あの様子からして、やっぱり二人は付き合ってるのかな。二人とも美形だから、わたしは純粋にお似合いだと思った。

 じっと見つめていたが、途端にわたしは目を覆いたくなってしまう。あろうことか、公衆の面前で二人がチューしていたのだから。

 やっぱりそうなんだ。二人は恋人同士で、みんなの前でいちゃつけるくらい形振り構わず愛し合っている。

 胸のうちに溶けた鉛みたいなものが奔流する。

 わたしは昨日まで、咲子さんを絞め殺して、奈緒ちゃんの手を取り返そうと考えていた。しかし、もっと胸のすくような復讐もあるのではないか。

 あの女は、人が死ぬほど大切にしているものを平然と掠め取った。それなら、あいつが大切にしているものだって、仕返しに壊してしまっても文句は言えないだろう。復讐としては実に効果的な気がする。

 ただし、果たしてわたしにそれだけのことをする余裕があるのだろうか。今この瞬間だって、警察に肩を叩かれて逮捕されやしないかとびくついているのだ。そうでなくとも、既に私服警官にでも尾行されているのかもしれない。

 この疑心暗鬼の不安定な精神状態の中、うまく咲子さんを貶めることなんて出来そうもない。それより、今最も重視すべきことは奈緒ちゃんの手のことだ。悔しいけど、わたしはあの手を取り返す術を一番に考えなければいけない。



 咲子さんと男の子はマックに入り、テイクアウトで紙袋を下げて出てきた。わたしは二人のあとを追う。

 二人が向かった先は、咲子さんの住むマンションだった。あの男の子は、咲子さんの部屋に平気で入れるくらいの深い間柄なのだろう。

 マンションの向かいに古本屋さんがあった。わたしはそこに入り、立ち読みするふりをして、窓越しにマンションの玄関を観察した。今日はちょうど塾もお休みだ。男の子が出てくるまで待ってやろう。

 しかし、夜の八時を回っても男の子は出てこなかった。もう高校生だから、家の門限なんてものはないのかな。

 一方のわたしは、そろそろお父さんが家に帰ってくる頃なのでそわそわしていた。

 今日は諦めてもう帰ろう、そう思い直し、これ以上の監視をあきらめた。

 それからというもの、学校帰りで塾がお休みの日は毎回、わたしは二人の動向を観察し続けた。咲子さんと男の子はいつも一緒だった。たまに手をつないで歩いたりするし、道の真ん中で平気でチューをしてしまう。二人がカップルであることはもう間違いない。そして毎回、最後は男の子をマンションに連れて、二人っきりで夜遅くまで過ごす。咲子さんの家族らしき人物は今まで一度として見たことがない。高校生だからそれはないだろうと思っていたけど、もしかしたら咲子さんは一人暮らしなのかもしれない。

 薄々感づいたことがある。二人はもともと、ここまでべったりだったわけではないんだと思う。

 咲子さんはきっと、あの男の子に守ってもらっているんだ。彼女はきっとわたしの影におびえている。

 考えを変えると、奈緒ちゃんの手を持ち去ったのが自分だと自ら教えているようなものだ。

 わたしはこれまで、警察に捕まるどころか、家に訪ねられたり、疑われたりするようなことなど一度としてなかった。奈緒ちゃんの手が、まだ咲子さんのもとにあるということは明白だ。

 どういう理由で手を所有し続けているのか、わたしには想像もつかない。ただ、奈緒ちゃんの手がちゃんと冷凍庫などで保管されているか、それだけが現時点での一番の懸念事項だった。



 ある日の土曜日。

 昨日の金曜日、わたしはいつものように咲子さんと男の子の学校帰りを尾行し、二人が夜中までマンションから出てこないことを確認して大人しく帰宅した。

 そして、今日は早起きをしてマンション向かいの古本屋で待機していた。もしかしたら、男の子は昨日、そのまま咲子さんのマンションに宿泊した可能性がある。

 もし男の子がマンションから出てきたら、わたしはなにかしら行動を起こそうと思っていた。

 朝の十時。

 男の子がマンションの玄関から出てくる。もう春も終盤のため、彼は涼しげな半袖のポロシャツを着ていた。昨日は制服でマンションに入ったはずだけど、あらかじめ普段着でも持ってきていたのだろうか。わたしは呼吸を止め、彼の肩にかかったものを注視する。

 わたしのクーラーバッグだ。まさかあの男の子があれを持ち歩くなど、想像だにしていなかった。あれは何を意味しているのか……。

 まず前提として、あれに奈緒ちゃんの手が入っているなんてことはあり得ないだろう。もし警察の職務質問でも受けて、バッグの中身を見られでもしたら、それであの人は事件の犯人扱いになってしまう。だから奈緒ちゃんの手はあのバッグ以外の場所ということになる。

 じゃあ、どうしてわざわざ、あのバッグで外出してしまうのか。理由は一つしか考えられない。

 彼はわたしをおびき寄せようとしているのだ。街中でわたしと出会えるかもしれないと踏んだのか、それとも、わたしのこの監視自体に気づいているのか。どちらにしても、肝心の目的が読めない。わたしを誘導して、一体どうするつもりだろう。

 わたしは意を決し、手にした漫画雑誌を棚になおした。古本屋を出ていそいそと彼を追いかける。その際、チュニックの上から羽織ったパーカーの着崩れをなおし、ポケットの中に手を差し入れる。そこには小さなナイフが入っていた。十徳ナイフのような小柄なもので、数回使えば折れてしまいそうな代物。でも、一回だけなら十分に使えるはず。

 受けて立ってやる。どうせ奈緒ちゃんの手を警察に届けるつもりなんかないんだ。今の現状がそれを明確に物語っている。

 本当ならこのままマンションに入って、奈緒ちゃんの手を探したり、咲子さんを襲ってあげてもよかった。だけど矛先は、まずあの男の子へと向いていたのである。

 馬鹿にされてるみたいで、むかついたから。



 しばらく歩くと、男の子が公営図書館に入った。

 わたしもたまに行く図書館。数分の間を置き、わたしも入館する。

 この図書館はさほど広くはない。市の中心街にあるし、施設内に喫茶店や民族資料館を併設してあるからだ。少し歩くだけで館内を見て回れるけど、しかし、何故かあの男の子が見あたらない。

 念のため喫茶店や資料館も覗いてみる。やっぱり、どこにも居なかった。お手洗いにでも入ったのだろうか。

 図書スペースに戻る。適当に参考書コーナーなどを眺めて時間をつぶす。男の子がここに入ったのは間違いないので、ときおり館内中を調べ回ったりもした。

 そんな中、わたしはある本に目移りしてしまう。

 フランシスコ・ゴヤの画集だった。なんとなく、わたしはこの人を知っていた。たしか美術の教科書にも数作品載っていたはず。教科書の説明に、戦争の悲惨さだったり、人間のうちにある野蛮性を表現する画家と書かれていた。

 画集のページをめくっていき、はたと手を止める。

 それは、わたしがこれまで見てきたどの西洋絵画よりも衝撃を受けた絵だった。そして、目を逸らしたくなるほどの戦慄とおぞましさを知った作品。

 描かれているのは老年を思わせる長身の怪物。怪物は人を喰らっていた。それも、幼児ようにいたいけな小さな身体をである。幼児の頭部はすでに怪物に喰いちぎられており、生々しい色をした血液が喰われた箇所から流れている。

 わたしが一番苦手なのは、この怪物の光を感じられない目だった。渇望し、何かに怯えているようで、なのに諦めを知らない執念深い目。死に際の老人が惨めたらしく生にしがみついているように見える。

 醜い、と直情的に思った。手が汗ばみ、自然と眉根にしわが寄る。しかし、わたしは本を閉じなかった。

 愕然としていた。わたしは今、この絵を通して自分自身を振り返っていたのだ。自分と重ねていた。現在のことはもちろん、強制的に過去のことまで想起させられる。

 途端に吐き気がおそってくる。しかし、わたしの胃は逆流を許さなかった。身体が覚えている。あのときの味も、あのとき感じた恍惚も、涙を流しながら覚えた感動さえも。

 本を取り落とす。硬質のハードカバーが図書館の床とぶつかり、乾いた音が館内に響く。わたしは後ずさり、背後の本棚にぶつかった。周りから送られる好奇な視線もやがて希薄になっていく。

 どうして今になって思い出してしまったのだろう。思考が倒錯する。どうして今まで忘れたままでいられたのか。

 やだ、わたし、こんなはずじゃなかったのに。

 劣等感なんてものじゃない。わたしはもともと醜いやつだった。わたしが最も嫌悪すべき存在は、わたし自身だったのだ。

 床に落下したゴヤの画集は、なおもあのページで開かれたままだった。怪物の真っ黒な双眸がわたしを捉えた。

 悲鳴を上げそうになる。そのとき、ある手が画集へと伸びた。その手は丁寧にほこりを払うと、事も無げに本を拾いあげた。

 わたしは少しずつ視線を上方へと向ける。

 そこに立っていた少年を見た瞬間、わずかばかりだが、身体中の毒気が中和された気がした。

「サトゥルヌスの絵。そんなに恐かった?」

 彼は瞳を細める。あの男の子だ、とすぐに思い出した。パーカーのポケットに手を入れ、ナイフを抜き出そうとしたが、骨を抜かれたように上手く力が出せない。

「この絵をおぞましいと思うのは、いたって普通の感覚だ。本来、食人はおぞましい行為でなければいけないからね。だけど僕は、人肉食をひと括りにして差別したくはない」

 男の子が一歩あゆみ寄る。わたしは背中を本棚にはばまれ、それ以上後退できない。

 彼が画集を差し出した。わたしは立ちすくんだまま、ためらいながらもそれを受け取る。恐る恐る画集の表紙を見つめるわたしに、男の子は柔和な笑みを向けた。

「たとえそれがどんなに非人道的な行為だって、僕の理解にすら及ばなくたって、その中に人間的なものを垣間見ることが出来たなら、僕はそれで満足だ」

 わたしは唾を飲み込み、彼を見上げた。

「……わたしに、何か用ですか」

「別に。ただのナンパ」

 意味の分からない返答をされ、わたしは言葉を失った。ナンパって、いったいどういう口説き文句だろう。

「実は僕、ロリコンなんだ。どうかな、その辺でお茶でも」

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