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食人鬼  作者: 小岩井豊
本編
3/15

二話

 ある日、わたしは中学生になって初めてのずる休みをした。お父さんの部屋に入って、いつものようにお父さんをベッドから起こすお手伝いをしているときに、「実は昨日からお腹の具合が悪いの」と告白した。

 お父さんは、それについて深く追求してこなかった。たぶん、生理痛が酷いのだと勘違いして、気を使ってくれたんだと思う。

「朝ご飯はインスタントにするから、もう部屋で寝ていなさい」

 お父さんはキッチンの手すりに掴まりながら、私の手も借りずにカップ麺にお湯を注いだ。気が引けたけど、私は黙ってうなずき部屋に戻った。

 布団を頭までかぶりながら、わたしはひどい罪悪感に苛まれた。

 お父さんの仕事はいつもお昼からで、事故で片足を失くして退院したあとも、ほとんど休むことなく日々働き続けている。一応生活保護も受けているけど、男手一つでわたしとこの大きな家を支えるために、お父さんは頑張っているのだ。わたしが世界一尊敬する人物はお母さんだったけど、お父さんのことも、それに比肩するくらい尊敬している。

 わたしは、あのお父さんを騙してしまったんだ。しかもその動機が……。

 心の揺らぎを打ち消すように、わたしは転がるように寝返りを打った。

 きっと大丈夫だよ。たった一回の過ちくらい、どうってことないじゃん。結局、全てばれずに終われば済む話なんだ。

 ふいに部屋の扉がノックされた。わたしは半纏を羽織り、扉を引いた。お父さんはもう車椅子を動かせており、出掛ける準備を済ませていた。

「もういくの?」

「悪いけど、今日はお父さん、夕飯はいらないよ。帰りが遅くなるからね」

 私はガッツポーズしたくなるのをこらえた。お父さんの帰りが遅くなるといえば、大抵は深夜十二時をこえてしまう。するとお父さんが財布から五千円札を出して手渡してきた。

「今晩は、好きな店屋物でも頼みなさい」

「こんなにいらないよ。お小遣いだって、この前貰ったばかりだし」わたしはあくまで控えめに拒否した。

「いつも小夜(さよ)にはお世話になっているからな。これはボーナスだよ」

 お父さんはにっこり笑った。わたしはそれ以上遠慮せず、お礼を言って受け取った。お父さんには悪いけれど、今はお金が必要なのだ。

 お父さんはいつも福祉車を運転して職場に向かう。たまには乗せるの手伝うよ、と言ってみたけど、お父さんは、気にせず早く寝なさい、と首を振った。



 お父さんが出掛けたあと、わたしはまず、二階の物置部屋に入った。すぐに目当てのものは見つかった。

 有名なスポーツブランドのクーラーボックスだ。小学校でバスケをやっていたとき、お父さんがプレゼントしてくれたもの。バッグにしてはやけに角張っているけど、黒地のエナメル素材にブランド名が印字されていて、一見ただのスポーツバッグにしか見えない。街中で普通に肩から提げていても、へんに怪しまれることもないだろう。

 しかし、出来るだけ派手にならないような格好で外に出た。中学生が平日の昼間から外にいるのはおかしいと思われてしまうからだ。

 わたしは電車で出来るだけ遠くに行き、見慣れない駅で降りた。駅前のホームセンターを見つけたので、さっそくそこに入った。

 わたしがまず探したのは包丁である。どういう包丁がいいのか分からなかったけれど、とにかく一番重そうなものを選んでみた。刃の幅も厚く、手に沈むような重みがしっくりとくる。商品名は捌き包丁とあったけど、わたしはこういう包丁のことを肉切り包丁と呼ぶのだと思っていた。でも、言葉の響きが野蛮なので、わたしはこれを捌き包丁と呼ぶのに賛成だった。

 次に探したのは木の板だ。出来るだけ丈夫な木がいいと思っていたが、どの種類の木材が堅いのか、わたしには知識がなかった。そばにいた店員さんに堅い木はどれかと尋ねてみると、店員さんに、「基本的にこういう店では柔らかい木材しか扱ってないよ」と笑われてしまった。

「すでに加工された樫の木板ならあるけど。ほら、あそこ」

 店員さんはあるコーナーを指して言った。店員さんは終始ため口だった。

「お嬢ちゃん、小学生でしょ。おつかいでも頼まれたの? こればっかりはパパやママに手伝ってもらった方がいいと思うけどなぁ」

 わたしはむっとして、無言で小さく頭を下げて店員さんから離れた。

 店員さんが指し示したコーナーに行くと、そこには確かに樫の木板があった。でも思ったより小型で、うちにあるまな板より一回り小さいくらいだった。迷ったけど、そもそもバッグに入る大きさでなくては駄目なので、これでいいやと妥協してカゴに入れた。

 そのとき、カゴの中の様子にやっと気づいた。捌き包丁に樫の木板、ゴム手袋や雨ガッパやビニール紐など。ぱっと見、それ目的にしか見えないような禍々しさだ。

 買うのは包丁と木板だけでいいや、と諦めることにした。他の道具なら、自宅や近所のお店でも済ませられるだろう。



 ゴム手袋やビニール紐はやっぱり家にも置いてあった。ゴム手袋は未使用だし、ビニール紐も、適当な長さに切り分けて持って行けばいい。

 ただし、雨ガッパだけは不便そうだった。お父さんが昔使っていた、薄い透明のカッパしかなかったのだ。着てみたけどちょっとブカブカで、あまり素材も丈夫そうには見えない。しかし、さっき買った樫の木板がやけに高額だったので、もうこれ以上お小遣いをはたきたくなかった。別に着たまま長い距離を歩くわけでもないし、ブカブカのままでいいや、と思うことにした。

 もう一度家を出る。スーパーに立ち寄り、冷凍食品を何回かに分けて購入して、固形のドライアイスをその都度もらった。固形ドライアイスは素手で触れると火傷すると聞いたことがあるので、一つにまとめるようなことはせず、袋で小分けにされたままクーラーバッグに入れた。

 スーパーにはファーストフードコーナーがあったので、そこでハンバーガーを食べた。悪い事をしている気分になったけど、これからすることに比べれば全然大したことないな、とおかしくなってしまった。

 集めた道具を全てクーラーバッグに入れて、帰りがけに駅のロッカーに預けた。

 家に帰り、部屋に入ると、わたしは疲れで一気に眠くなってしまった。ベッドで横になり、携帯の電池カバーを開けて裏返す。そこには、奈緒ちゃんと撮ったプリクラが貼られていた。

 携帯を枕元に置いて、電池カバーを両手で包む。奈緒ちゃんの描くピースサインを延々と眺めていたら、いつのまにか寝てしまった。



 目を開ける。窓から夕日が射し、わたしの部屋をオレンジ色に染めていた。わたしは電池カバーを胸に抱いたまましばらくぼうっとしていたけど、ちらりと流し見た壁時計にはっとして、勢いよくベッドから跳ね起きた。

 もう塾の授業が始まっている時間だ。今日はずるしたから塾もお休みしたけど、わたしには他にやることがあるんだった。

 朝方に着替えた地味な服装のまま、わたしは家を飛び出した。

 駅のロッカーを開け、クーラーバックを出して肩にかける。重かったけど、全速力である場所へと走った。

 奈緒ちゃんはいつも塾から自宅まで歩いて帰る。一度奈緒ちゃんの家へ遊びに行ったとき、彼女がある裏道を教えてくれた。ちょっと危ない裏道である。

 わたしは商店街を訪れた。背の低いビルと文房具屋さんに挟まれた小道を通ると、そこにはひっそりとしたスナックや民家が建ち並んでいる。民家といっても、そこら一帯はほぼ空き家となっているようだ。スナックは十一時から営業と玄関に書いてあるけど、そもそも営業しているかすら怪しいほどの廃れ具合だった。その路地の突き当たりを右に曲がり、奈緒ちゃんの教えてくれた穴場スポットの裏道へと入る。

 右手にはビルの背中があった。灰色の壁はすすけていて、触ると汚れてしまうので気をつけて歩いた。左には錆びたフェンスが続いており、道に合わせて十メートルくらい伸びている。フェンスから見下ろすと、すぐ斜め下には廃墟の一軒家がそびえていた。大邸宅といっていいほどの家だったが、朽ち果て、全体的に茶を帯びていて、見るも無惨な様相だった。

 フェンスがなくなる。そこには、廃墟の門へと続く下り階段があった。四十段くらいはありそうな、長くて古い石の階段。廃墟の門は南京錠で施錠されているけど、この階段だけでも邸宅の名残りを感じることができる。

 この裏道をさらに進んで右に曲がると、また普通の街道に出られる。奈緒ちゃんはよく、塾の帰りにここへ寄り道に来るそうだ。一度だけ、奈緒ちゃんにここに連れてきてもらったことがあった。

『今までこの場所で他の人と出会ったことはないし、私にとっては秘密基地みたいなものなの』

 この階段で奈緖ちゃんと一緒に腰掛けていると、奈緒ちゃんがそう言った。

『勉強やお稽古で疲れると、毎回、ここに癒されに来るのよ。いわば私の聖地ね。実はこの場所を紹介したのって、小夜ちゃんが初めてなの』

 あのときの奈緒ちゃんも、照れ臭そうに笑っていた。わたしはうれしさのあまり奈緖ちゃんに抱きついて、奈緒ちゃんもわたしのことを抱き返してくれた。

 わたしはそのときのことを深く反芻しながら息をととのえた。階段に腰を降ろし、クーラーバッグをかたわらに置く。そこはビルからのボイラー音に包まれ、あたりの空気を轟々と揺すっていた。

 すっかり日は沈み、廃墟は暗黒に満ちている。和洋折衷をあしらった変わった邸宅で、ずっと眺めていると心が不安定になってしまいそうなアンバランスさだった。

 ふいに、割れた窓の奥で何かがうごめく。わたしは目を凝らした。うごめく何かは、たしかにこちらを見ていた。

 赤い眼だった。血走ったような、屍肉を欲する粗暴な眼。鬼だ、とわたしは判断した。普通に考えれば犬か猫だろう。でもわたしには、あれが鬼だという確信があった。

 鬼は赤い両眼をしばたき、黒い影をうごめかせた。しきりに、わたしの方を見つめていた。

 わたしは優越感に浸った。あの鬼は、自分を表に出せないのだ。わたしのように上手く鬼の姿を隠せないから、ああやって廃墟の家に身をひそめている。鬼はわたしのことを羨んでいる。だって、わたしがこれからする行為は、きっと周りの人間たちにばれることはないのだから。

 ポケットに手を入れ、携帯の電池カバーを確かめる。一辺一辺を指でなぞり、最後にカバーの裏に触れた。そこに貼られた奈緒ちゃんとのプリクラの感触をうっすらと感じ取る。

 自然と口元がほころんだ。

 わたしはいま、奈緒ちゃんの手とつながっている。

「小夜ちゃん?」

 ゆるんだ頬を固くして顔を上げる。

 学生鞄を両手に抱えながら、奈緒ちゃんが小首を傾げた。

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