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食人鬼  作者: 小岩井豊
本編
10/15

八話・独白

 小学生のわたしは、いわゆる箱入り娘というやつでした。滅多に外に出してもらず、箱の中で卵のように育てられるという、あれです。

 たとえば、吉村さんや咲子さんは、幼児時代にどんな思い出がありますか?

 普通ならたぶん、幼稚園や保育園で同年代の友達に囲まれて有意義に過ごすと思います。

 わたしは、そのどちらにも通いませんでした。ずっと家の中にいて、ベビーシッターや家庭教師にお世話してもらっていました。外に出たり、公園やプールで遊んだりという経験はすこしもありません。他の子供たちと交流した覚えもないです。

 両親が過保護だったという理由もあり、お母さんは報道のお仕事で、お父さんは大学の教員だったので、必然的にわたしに構える時間が少なかったからだと思います。

 さっき、幼稚園や保育園に通うことが有意義だと言いましたが、そのときのわたしは別に、その生活が有意義でなかったとは思いませんでした。幼い子供は、大人に囲まれて育つものだと思っていたからです。

 小学校には、受験を経て入学しました。首都圏内の大学キャンパス内にある国立小学校です。入学前、両親に一つだけ約束させられました。

 ――お母さんのお仕事のことを周りの子たちに話してはだめだよ。

 お母さんは、朝や夕方の報道番組でニュース記事を読む仕事をしていました。誰でも一度は目にするような、いわばテレビの看板みたいなひとです。

 なので、特に悪いことはしていないのだけれども、テレビに映るお母さんをネタにして面白がり、わたしを馬鹿にする子が必ず現れるからだ、という理由からだったのです。

 わたしは言いつけを守りました。というか、同世代の子供たちと遊んだ経験のないわたしに、そもそも最初から友達なんか出来っこなかったんです。約束は自然と守られました。

 わたしが小学校に入る頃、お母さんのお仕事は、単なるニュースキャスターというカテゴリーを飛び越えていました。タレントや役者活動をしたり、報道キャスターとしても、自ら世界中に出向いて現地レポートなどをしていました。身をていして世界情勢を提供するお母さんの姿に、日本中の人々はいたく感心させられたようです。

 そんなわけで、わたしにとってのお母さんは、普通のお母さんとはイメージが違います。

 母とはお茶の間に居るものではなく、お茶の間のテレビの中に居るものだということです。

 お母さんと会えるのは二、三ヶ月に一度くらいでした。

 お母さんはいつもサングラスや帽子をしていました。有名人だから当然です。

 素顔を見せるのはレストランに入ってからです。高層ビルの最上階にあるような、個室のレストラン。そこなら誰にも素顔を見られず、落ち着いて食事ができます。

 両親そろって物識りで優しいので、その滅多にないお母さんとの食事会は、わたしの悩みや質問に答えてもらう相談コーナーみたいになっていました。

 そして、最後は必ず、お母さんがお話を聞かせてくれます。世界中をレポートして得た経験をもとに、とても価値のあるお話をしてくれました。

 面白くもあり、勉強にもなり、ときには涙するような感動話も聞かせてくれました。かけがえのない、貴重なひとときでした。

 恥ずかしいけど、二人には正直に告白しておきます。

 わたしは、お母さんの大ファンでした。

 ――笑わないでください、吉村さん。



 小学三年生のあるとき、お父さんが海外の大学まで出張した時期がありました。期間は一ヶ月だとか、そこらだったと思います。

 お母さんは常に家にいないので、ホームシッターを呼んでいました。小学校の送り迎えにホームシッターのお姉さんが来るのは恥ずかしかったけど、もとよりわたしは、学校時間外で他の子たちと遊んだことがなかったので、生活サイクルはほぼ変わりませんでした。

 そんな生活が始まって、一週間ほどが経ってからでしょうか。

 突然、家にお母さんが訪ねてきたのです。

 そうですね。帰ってきた、というより、訪ねてきたという感覚です。

 ドライブにでも行こうよ。お母さんがそう言いました。いきなりのことで訳が分からないながらも、うれしいことに変わりはないので、わたしは快諾しました。

 次の日は学校をお休みして、お母さんと二人きりでドライブに出かけました。お母さんと一緒に居られることに、わたしは興奮しっぱなしです。

 どこへ行くの、そう尋ねてみると、

 内緒よ、とお母さんはかわいらしく笑いました。

 高速道路に乗り、とあるパーキングエリアに入りました。

 ここでお留守番しててね、と言いながらお母さんが車を降りました。

 戻ってきたお母さんの手にはペットボトルのジュースがありました。べつに喉の渇きをうったえた覚えはないのですが、飲み物を買ってきてくれたようなのです。

 ――怪しいですか? そうですね。こうして物事を抽出して語れば、怪しく聞こえるのは当然ですよね。

 ジュースを飲んだ途端、急激な眠気が襲ってきました。



 目を開けると、信じられないことに、わたしは独房の中にいました。

 岩壁が上下左右を埋め尽くしており、ある一面に鉄製の扉があるだけです。

 扉には顔の大きさほどの四角い穴が開いています。鉄格子やガラスなどは嵌まっていませんが、何しろ小さな窓なので、そこから出ることはかないません。

 窓から覗くと、真っ暗な空間が広がっていました。どうやらそこは地下だったようです。扉を叩くと、ごぉんごぉんとした音が空間に響いていきました。

 扉の真横には電気のスイッチがあります。見上げると、こぶし大の白熱電球が垂れ下がっていました。明かりがなくなるのは怖いので、いっとき、スイッチに触るのは止めておきました。

 独房の隅にはがらくたが積んでありました。そのほとんどが家電製品の残骸か、壊れたおもちゃかぬいぐるみです。しかし、ゴミ倉庫というにはあまりにも中途半端な造りの部屋で、やはり、そこは独房と表現するしかありません。

 きっとわたしは、何者かに誘拐されてしまったのだと思いました。窓の穴に顔を押しつけ、お腹の底から声を出しました。泣きながら、何度も何度も、お母さんやお父さんを呼びました。

 なんの反応もなく、わたしの声は地下の暗闇に吸い込まれていくばかり。すぐに声が枯れ、しだいに、喉が干からびていきました。

 ふと見上げると、天井に小さな穴が空いていました。そこから、少量ながらも水が漏れ、岩の壁をまっすぐと伝っていたのです。地面には小さな水たまりが出来ていて、少しずつ、割れた岩の隙間へと流れていっているようでした。

 地面にあるものなど、わたしは口にしたことがありません。行儀が悪いし、お腹を壊してしまうからです。

 だけど、そのときはそうも言っていられませんでした。両手を水たまりに差し、ひと掬いだけ飲んでみました。錆びた鉄のような味です。ぎりぎり、飲めないことはなかったんですけど。

 怯えてばかりではいられないので、まずはがらくたの山を漁ってみました。

 携帯電話がないかと期待したのですが、むろん、そんなものが都合よく捨てられているはずがありません。そもそも地下なので、使えるかどうかもあやしいです。

 古くさいラジオを見つけました。手のひらくらいの大きさで、一応、電池も入っていたようでした。しかし、これも使えないに決まってる。

 分かってはいるものの、わたしは藁にもすがる思いでラジオをいじくりました。スピーカーからは、絶えずざーざーとした不快音が流れます。

 諦めかけたそのとき、なんと、ラジオが電波を受け取りはじめたのです。FM放送の一局のみで、音もかなり不鮮明でしたが、それでも受信しました。ほんと、不思議ですよね。

 スピーカーに耳をくっつけて、流れ出す雑音に聞き入りました。

 最初は音楽番組でしたが、やがてニュースが始まりました。

 もしかしたら、わたしが誘拐されたニュースが流れるかもしれません。幼いながらも、少しでも情報を得なければ、とわたしは考えました。まぁ、結局、そのときはわたしに関するニュースなど一切流れませんでしたけど。

 電池がもったいないので、一度ラジオの電源を切り、壁を背にして座り込みました。

 窓の外を見つめて、誰かが顔を出すのをしばらく待ってみることにしました。



 それで、わたしは少し寝ていたようです。

 目を開けると、扉の窓にお母さんの顔がありました。お母さんは、とくにこれといった表情を浮かべておらず、わたしの様子をじっと眺めていました。

 歓喜に震え、わたしは声をあげました。扉にかけよります。扉越しに、やっとお母さんと対面。

 まだ生きてたの? お母さんはそう言いました。

 あれから三日も経ったのに。

 お母さんの言葉が信じられませんでした。わたしの中では、閉じ込められてからまだ半日も経っていないという感覚だったからです。

 そういえば、とお腹をさすると、びっくりするくらい真っ平らなのが分かりました。途端に空腹感を覚え、扉にべったりくっついてお母さんにすがりました。

 お腹が空いたの。早くここから出して。

 わたしの声が聞こえていないみたいに、お母さんは静かに独房の中を覗き込みました。やがて、あの水たまりを目に止め、舌打ちをしました。

 あら、水があったの。よかったね小夜。水があるのとないのとでは、餓死する期間もだいぶ違ってくるわよ。ほんのちょっぴり、長生きできるわ。

 がし?

 自分の耳が、自分のじゃないみたいでした。目の前のお母さんも、お母さんじゃないみたいでした。あれは、お母さんの皮をかぶった誘拐犯だったのでしょうか。



 それっきり、お母さんは独房に姿を見せませんでした。日にちの感覚はやっぱりありません。人間は、お日さまを見なければ一日の長さを推し測れない生き物なのだと知りました。

 最初はひどい空腹感で目眩まで起こしていたのですが、やがて、胃に穴が空くような腹痛がしてきました。胃酸がのたくりまわり、内壁を削るかのようです。

 とても立っていられなくて、わたしは地面に横になりました。お腹がぐるぐると渦巻くようで、とにかくなにか詰め込まなければだめだと思い、がらくたの破片で地面を削り、砂を食べました。

 気持ち悪くなって、すぐに吐いちゃいましたけど。

 さらに時間が経つと、今度は頭が割れるような頭痛に襲われました。頭の中をいじくりまわされてるみたいでした。酸化液で脳を溶かされるような、殺人的な頭痛です。

 ラジオで現在の日にちを聞きました。お母さんとドライブに出かけて、もう九日が過ぎているようでした。

 この頃になると、例の頭痛や腹痛に悩まされることはなくなっていました。代わりに、食べたいという欲求も失せ始めていたのです。

 四六時中ねぼけ眼で、景色が歪んで見えました。頬に触ると、骨の感触をありありと感じ取れました。手や足は青ざめています。

 身体の芯から力が抜け、もはや立つこともできません。地面にずっと当てていた腰あたりの血が滞って、じわじわとした痒みが常時へばりついていました。

 初めのころ、ものを食べられないという現状にひどく恐怖したのですが、そんな原始的な感情も徐々に薄れていきました。なにかを考えることにさえ無気力で、生に対しての執着を奪われていくような感じです。

 ラジオの番組で数回、お母さんの出演する番組を聴きました。

 お母さんは、ある紛争地域の現地レポートを終えた体験談を語っていました。

 お母さんは特に、紛争の中で生きる子供たちに注目していたようです。

 飢餓で悩まされる世界中の子供たちのために、日本でももっと、支援の意識を持たなければいけない。そんなことを語っていました。なんとも、滑稽ですね。

 出演者の大御所演歌歌手が、お母さんにこんなことを尋ねました。

 ――もしあなたにお子さんが居たら、飢餓で苦しむ子供たちの現状について、どう教育してあげますか?

 お母さんがそれになんと答えたか、うまく思い出せません。お母さんらしい、もっともな答えを返していたように思います。

 もしあなたにお子さんがいたら。

 その演歌歌手が、彼女を人の親だと知らなかったための発言じゃありません。それもそのはずです。お母さんは、世間的には天涯独り身だと認識されていたのですから。

 そうです。わたしは、この事実を知らなかったわけではありません。今まで、知らないふりをしていただけです。

 わたしは本来の意味での箱入り娘ではありません。隠されるように育てられただけだったんです。望まれない子供だったんです。少なくとも、お母さんには。

 それが身に染みて分かってしまうと、もうどうでもよくなってきて。

 やっぱりそうなんだって。

 それなら、このままでいいやと思えてきて。

 砂だらけのまつげを拭うこともせず。産まれる前に戻りたくて、膝を抱いて、まあるくなって。

 やがてラジオが生命を失っていくように、わたしの鼻先で静まり返りました。



 わたしは目を閉じていました。眠りから覚醒していましたが、しばらく閉じたままでいました。

 何故なら、瞼の上からかかる陽光が眩しすぎたからです。

 全身が柔らかいものに包まれていました。懐かしくて温かい、お布団の感触です。

 ふいに、誰かがわたしの頭を撫でます。光に慣れて目を開けると、そこにはお父さんがいました。優しい笑みを浮かべ、お父さんがわたしの頬を撫でていたんです。

 助かったのだと知りました。わたしは、たしかに生きていたのです。

 起き上がってお父さんに抱きつきたかったけど、起き上がる気力がありません。

 お父さんが水を飲ませてくれました。薄れた視力が戻ってくると、自分がまた、見知らぬ場所に居るのだと知りました。

 ログハウスのような一室です。丸太組みの古めかしい部屋。頭上でベージュのカーテンが揺れ、窓の外に木漏れ日を見ました。

 お腹が空いただろう。

 お父さんが優しく問いかけました。わたしはかすかにうなずきます。お父さんはホワイトシチューのお皿を手にしていて、スプーンをわたしの口元に近づけてくれました。真っ白な液体の中に、きれいな褐色をしたお肉があります。

 食べなさい。

 口に含むと、未知の味が舌の上に広がりました。美味しい、という範疇を超えていたように思います。わたしは弱々しくも感動して、がらがらな声で尋ねました。

 これは、なんのお肉?

 お母さんだよ。

 牛肉だよ、とでもいうようにお父さんが答えました。

 なるほど、だからこんなに気分がいいわけか。正常を欠いた思考で納得し、口の中のお肉をよく噛みしめました。

 お父さんにお肉を多めにお願いして、何杯もシチューを食べさせてもらいました。

 今まで飢餓状態にあったというのに、胃はすんなりとお母さんを受け入れてくれます。わたしを死の寸前まで追い込んだはずのお母さんを、どうしてだか歓迎していました。

 やはり、美味しいという感じはありません。食べる、という感覚とも違います。

 みなぎるとか、吸収するとか、身体に取り込んでいくという感じでした。食物を蹂躙し、支配するような気分です。相変わらず起き上がれないくせに妙に力であふれていて、地を這う虫けらから天上の神にでも昇格したような、途方もない全能感で満ちていくのです。

 気付けば、わたしは泣きながらお肉に感謝していました。何故、ここでこうして、わたしがお母さんを食べているのか、その全てを理解しました。

 この感覚を味あわせるために違いありません。最高の状態で、自分を食べてもらうためだったんです。

 この件で、お母さんを一瞬でも軽蔑したことを、わたしは後悔しました。お母さんはやはり世界一尊敬できる人物だったんです。わたしのために自分の全てを差し出してくれた、とても偉大な母だったんです。謝ったり、感謝したりしたいけど、彼女はもうこの世にはいません。



 お母さんが行方不明になった事件はしばらく世間を騒がせましたが、一年もすると、人々の記憶から消え去ってしまいました。

 いまだに年に一度、お父さんと遠くへお出かけします。お母さんを食べた日を祝って、キャンプをします。

 一種の謝肉祭でしょうか。

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