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近衛騎士は今日も経理係を保護する

作者: HANABI
掲載日:2026/06/15

朝は財布の確認。

昼は帳簿とにらめっこ。

夜は方向音痴の保護。


王城一の有能経理係と、その幼馴染の近衛騎士が送る、ちょっとだけ甘くて、ちょっとだけ騒がしい日常のお話です。

朝の王都は、焼きたてのパンの香りで目を覚ます。


一階にあるパン屋からは甘いバターの匂いが流れ、石畳を掃く音や店先で交わされる明るい声が、少し開いた窓から聞こえてくる。


そんな穏やかな朝の空気の中を、扉がコンコンとノックされた。


ティナは眠そうな目を擦りながら、ふわぁとあくびをひとつして扉を開ける。

そこには、見慣れた白い制服があった。

見上げると、いつもの幼馴染。


「おはよう〜」


「ティナ、だれか確認してから扉は開けろよ。俺以外だったらどうするんだ」


「うーん、大丈夫だよ。アッシュの足音って分かるから〜」


「分かるのと開けていいのは別だ」


「でも当たってたよ?」


「今日はな」


「大丈夫、大丈夫」


そう言って、ティナは気にも留めず部屋の奥へ歩いていく。



アッシュは呆れたように息を吐きながらも、片手に持っていた紙袋を丸い机の上に置いた。


部屋は広くない。


小さなベッドに、丸い机と椅子が二つ。

奥には簡素なキッチンがあり、壁には年季の入った姿見が一枚掛かっている。


少し開いた窓から朝の風が入り込み、白いレースのカーテンをゆらゆらと揺らしていた。


アッシュは窓辺の椅子に腰を下ろし、紙袋からまだ少しあたたかいパンを取り出す。


「今日も美味しそう。これは玉ねぎとベーコン?」


「そう。こっちはトマトとチーズ。ステラさんのおすすめだってさ」


窓から差し込んだ朝日が、向かいに座るアッシュの金色の髪を照らす。

白い制服の肩章が、光を受けてきらりと光った。


「今日も制服似合うね」


「そうか?」


「うん。近衛騎士って感じがする」


「近衛騎士だからな」


「そっか」


「そっか、じゃないだろ」


アッシュが呆れたように笑う。


ティナは机にコトリと湯気の立つカップを二つ並べた。自分のカップには角砂糖を一つ、二つ、三つ。

小さなスプーンでくるくるとかき混ぜると、甘い香りがふわりと立ちのぼる。


両手を合わせ、小さく神への感謝をつぶやく。

それから、焼きたてのパンにぱくりとかぶりついた。


「うん、美味しぃ。やっぱりステラさんのパンは最高!」


そんなティナの様子を目を細めて見ながら、自身もパンにかぶりついた。


「ティナ、おばさんが心配するから部屋着でドア開けるなよ。例え、俺でもな」


「大丈夫だよ、だってアッシュだもん」


アッシュは一瞬だけ言葉を失った。


「それは俺だから言ってるんだ」


「うん」


「他の奴だったら困る」


「そうだね」


「分かってるのか?」


「……たぶん?」


「たぶんじゃない」


返事の代わりに、もぐもぐとパンを噛む音だけが聞こえる。そのなんとも言えない、可愛らしさにアッシュは思わず笑ってしまう。


「お前なぁ……」


アッシュは視線を逸らしながら、話しを切り替えた。


「ほら!!そろそろ行かないと。まだ、髪が跳ねてるぞ」


そう言って、ティナの準備を急かした。


鏡を見るとふわふわの茶色い髪は見事な寝ぐせのままで、片方だけぴょこんと跳ねている。

手グシで抑えるけれど少しクセのある毛はそう簡単には直ってくれない。


仕方なくブラシでといて、固く団子結びにする。

これが仕事の時の定番のスタイルだ。


「着替えるから出て」


「はいはい」


慣れた様子で外へ出る。

扉が閉まる直前、


「ちゃんと顔も洗えよ」


「洗うもん」


「今思い出しただろ」


「う……」


アッシュは慣れた様子で玄関脇の壁にもたれた。


十分ほどして、ようやく扉が開いた。


「待たせた?」


仕事用にきっちりまとめたお団子頭。

薄く化粧をして、重そうな鞄を抱えたティナが顔を出す。


「いや」


アッシュはティナのカバンに手を伸ばした。


「貸せ」


「うん」


ティナは当たり前のように手を離す。


アッシュは重さを確かめるように少し持ち上げて、眉を寄せた。


「……ったく、何入れてるんだよ」


「書類?」


「疑問形?」


「たぶん書類」


「たぶんじゃない」


ティナは少しだけ視線を逸らした。


アッシュはそれ以上追及せず、短く息を吐く。


「……まあいい。財布」


ティナは肩から提げた鞄を開けて、中をごそごそ探る。


「ある」


財布を取り出して見せる。


「通行証」


「あるよ」


今度は首から下げた革紐の先を持ち上げる。


「鍵」


「閉めた」


「よし」


そのまま二人で部屋を出る。

木造アパートの外階段は朝露を含んで、ギシッと音がした。


下のパン屋から香ばしい匂いがふわりと上ってきた。

一階ではちょうど店先の看板を出していたステラが顔を上げる。


「あら、おはようアッシュ君、ティナちゃん。パンはどうだった?」


「美味しかったです!」


「美味しかった」


声がぴったり重なる。


二人は顔を見合わせて、それから同時に小さく笑った。


「あらあら、ほんと仲良しねぇ。なら良かった。また焼いておくからね」


「楽しみ!」


階段を下りて石畳へ出る。


朝の王都はまだ人も少なく、店先で水を撒く音や、荷車の軋む音が静かな通りに響いていた。

角を曲がれば王城まで一本道。

……のはずだった。


「ティナ」


「うん?」


「右」


「え?」


「王城そっちじゃない」


「……ほんとだ」


本人は真っすぐ歩いていたつもりだったらしい。

きょとんとした顔で振り返る。


アッシュは呆れたようにため息をついた。


「今日はちゃんと送っていく」


「はい、お願いします」


素直にそう言って笑うティナに、アッシュはもう一度だけため息をついた。

それでも歩幅は、ちゃんと彼女に合わせている。


二人は並んで、朝の王城へ向かって歩き出した。



王城の正門が見えてくる頃には、通勤する役人や騎士たちで辺りは少しずつ賑わい始めていた。


「じゃあな」


「うん、また帰りに」


重いカバンを渡してもらい、両手に抱える。

そして当たり前のように手を振って、それぞれの持ち場へ向かった。


ティナは王宮財務局の建物へ入り、慣れた廊下を歩いていく。


「おはようございます」


「おはよう、ティナさん」


「おはよう」


挨拶を返しながら自分の机へ向かうと、ドスンと鞄を下ろして小さく息をついた。


課長が苦笑する。


「また全部持ってきたのか」


「必要かもしれないので」


「そういうところだぞ」


ティナはお団子頭を軽く整え、机の引き出しから瓶底眼鏡を取り出してそっと掛けた、その瞬間だった。


「ティナ」


奥から落ち着いた声が飛んだ。

経理課課長、エドモンドだった。


「騎士団第三隊の修繕費、少し見てもらえるかな」


「はい」


ティナは帳簿を受け取ると、ぱらりと数ページめくった。


そのまま机の上の納品書へ手を伸ばし、隣に積まれていた登録台帳も静かに開く。


さらり、と紙をめくる音だけが響く。


やがて指先が止まった。


「……室長」


「どうした?」


「ここ、おかしいです」


エドモンドが椅子から立ち上がり、ティナの机へ歩み寄る。


「どこだい?」


ティナは納品書の一行を指さした。


「馬具修繕費です」


「金額は合っています」


「ですが、納品数と登録数が合いません」


「納品数?」


ティナは登録台帳をそっと横へ寄せた。


「第三隊の登録馬は十二頭です」


「全部交換しても四十八個。予備を見ても、この数量にはなりません」


エドモンドは納品書へ目を落とす。


「……九十六個か」


「はい」


ティナはさらに隣の帳簿を開いた。


「先月は八十八個でした」


「二か月続けて、この数です」


近くで書類を整理していた先輩のソフィアの手が止まる。


新人のフィンも思わず顔を上げた。


「よく気づいたね」


「騎士団担当ですから」


「いや、そういう意味じゃなくてね」


フィンがぽかんと口を開く。


「登録馬の数まで覚えてるんですか?」


ティナは少しだけ考えてから首を傾げた。


「覚えているというより……」


登録台帳を軽く持ち上げる。


「いつも確認しています」


「担当なので」


フィンは困ったようにオーウェンを見た。


「担当って、そういう意味でしたっけ……」


ティナと同期の彼は、慣れた様子で肩を震わせて笑っている。


「フィン」


「はい」


「慣れろ」


「ティナはそういう生き物だから」


「人扱いしてくださいよ」


「そういう話じゃないんだよなぁ」


くすり、とソフィアが笑う。


窓から差し込む朝の光が机の上に積まれた帳簿を照らし、開け放たれた窓からは初夏の柔らかな風がそよそよと吹き込んできた。


紙がふわりと揺れ、インクと羊皮紙の匂いがかすかに鼻をくすぐる。


遠くからは廊下を行き交う人々の足音と、どこかの部署で鳴った鐘の音が微かに響いていた。


ソフィアは苦笑しながら、ティナの前に別の資料をそっと置く。


「じゃあ、ついでにこれもお願い。第二隊の遠征費」


「はい」


ティナは迷いなく資料を受け取る。


指先が紙をめくるたび、さらり、さらりと乾いた音が静かな執務室に溶けていく。


部屋にいた全員が、それぞれの仕事へ戻っていく中、ティナだけはもう周囲の音など聞こえていないかのように、数字だけを真っ直ぐ見つめていた。


昼を少し過ぎた頃。


ティナは第二隊の遠征費資料を抱えて、財務局の廊下を歩いていた。


騎士団棟へ届けるだけ。

財務局を出て、中庭を抜けて、右手の回廊を進めば着く。何度も通った道だ。


……のはずだった。


「……あれ?」


気づけば、ティナは見覚えのない渡り廊下に立っていた。


窓の外には中庭ではなく、訓練場が見える。

遠くから剣の打ち合う音と、騎士たちの掛け声が響いていた。


「騎士団棟に来たかったから、間違ってはいない……?」


そう呟いた瞬間、背後から低い声がした。


「間違ってる」


振り返ると、白い制服姿のアッシュが腕を組んで立っていた。


「アッシュ」


「ここは騎士団棟じゃない。訓練場の裏だ」


「近い?」


「遠い」


「そっか」


「そっか、じゃない」


アッシュは短く息を吐き、ティナの抱えた資料に目を落とした。


「届け物か」


「うん。第二隊の遠征費資料」


「貸せ」


「大丈夫、持てるよ」


「荷物はな」


「?」


「問題はそっちじゃない」


ティナが首を傾げる。


アッシュは小さくため息をついた。


「道に決まってるだろ」


「あ……それは、ちょっと自信ない」


「知ってる」


素直に資料を差し出すティナに、アッシュはもう一度ため息をついた。


その少し後ろで、近衛騎士の同僚らしい青年がにやにやと笑っている。


「アッシュ、また保護か?」


「うるさい、ダリル」


「いやぁ、相変わらずだな。朝も送って、昼も拾って、帰りも送るのか?」


「勤務が合えばな」


「それを人は恋人って言うんだよ」


「違う」


「違うよ?」


二人の声がぴったり重なった。


ダリルは楽しそうに肩を震わせる。


「ほら、そういうところだよ」


ティナだけが不思議そうに首を傾げた。



昼休みが終わった後。


経理課の執務室には、再び紙をめくる音と羽ペンの走る音だけが静かに響いていた。


窓の外では初夏の風が木々を揺らし、遠くから訓練場の掛け声が聞こえてくる。


ティナは何冊目かの帳簿を閉じ、小さく首を傾げた。


「……室長」


「どうした?」


「これも、変です」


エドモンドが顔を上げる。


「今度は何だい」


ティナは帳簿の横に登録台帳をそっと並べた。


「王都西地区の物資購入費です」


「数字は合っています」


「でも、変です」


部屋の全員が手を止めた。


フィンが小さく呟く。


「また始まった……」


ソフィアが苦笑する。


「今度は理由も分からないの?」


ティナは少し考え込んでから、小さく首を横に振った。


「分かりません」


「でも、変なんです」


その一言だけで、エドモンドの表情が変わる。


「オーウェン。去年と一昨年の登録資料も持ってきてくれ」


「はい」


十分後。


机の上には何年分もの帳簿と登録台帳が積み上がっていた。さらり、と紙をめくる音だけが静かな部屋に響く。


やがてティナが、一枚の登録書類をそっと指差した。


「ここです」


「保証人?」


「はい」


ベル商会。

アーク商会。

ロイド商会。


商会名は違う。

代表者も違う。

けれど保証人は同じ人物だった。

住所も、倉庫の所在地も一致している。


ソフィアが思わず眉をひそめる。


「偶然……にしては出来すぎね」


オーウェンも別の資料を見比べ、小さく息をのんだ。


「室長、ここ数年で似た登録が何件もあります」


エドモンドは静かに資料へ目を落とした。


「断定はできない」


「だが、一度監査室に確認してもらう必要がありそうだ」


その時だった。


一枚の申請書を見つめていたティナが、小さく声を漏らす。


「あ……」


眼鏡の奥の視線が、紙の上で止まったまま動かない。


ソフィアがそっと近づく。


「気づいたの?」


ティナはゆっくり頷いた。


「……ローレン先輩の字に、似ています」


部屋の空気が静まり返る。


フィンだけが事情を飲み込めず、小さく首を傾げた。


「ローレン先輩って……?」


エドモンドは少しだけ目を閉じ、それから静かに答えた。


「去年まで、この課にいた職員だ」


「ティナの指導係でもあった」


ティナは紙から目を離さないまま、小さく付け加える。


「似ているだけ、かもしれません」


その声だけが、静かな執務室に落ちた。


その時だった。


コンコン、と扉が叩かれる。


「失礼します」


入ってきたのは王城監査室の職員だった。


「エドモンド室長。少々お時間をいただいてもよろしいでしょうか」


室長は立ち上がると、穏やかに頷いた。


「もちろんです」


監査官は一礼し、机の上に広げられた資料へ視線を向ける。


「何かございましたか?」


エドモンドは苦笑しながら書類を軽く持ち上げた。


「ええ。まだ断定はできませんが、少し気になる点が見つかりまして」


監査官も資料を受け取り、静かに目を通していく。


保証人。

住所。

倉庫所在地。


そして何枚かの登録書類。

数秒後、その表情がわずかに引き締まった。


「これは、一度持ち帰らせていただきます。もしかしたら確認のご協力をお願いするかもしれません」


「わかりました。お願いします」


そのやり取りを見ていたティナが、小さく首を傾げる。


「今日の監査室の方、いつもより静かですね」


ソフィアが思わず苦笑した。


「それはね、ティナ」


「はい」


「静かな時ほど、ちゃんと怖いのよ」


「……そうなんですか?」


「そうなの」


ティナは納得したような、していないような顔で、監査官が持っていった書類の方を見つめていた。


エドモンドはそんな様子を見て、穏やかに笑う。


「ティナ」


「はい」


「君の『変です』は、案外みんなを助けているんだよ」


眼鏡の奥でぱちりと瞬きをする。


「……そうなんですか?」


「そうだよ」


何がそんなに評価されているのか分からないまま、ティナは素直に「はい」と頷いた。


その様子に、ソフィアとオーウェンは顔を見合わせ、小さく笑い合った。



監査室は、再び経理課の部屋を訪れていた。


経理課長エドモンドと監査室の担当者が短く言葉を交わし、過去数年分の帳簿を合同で確認することが決まる。


急遽集められた人員の中には、ティナの姿もあった。


王城内の会議室には、帳簿や登録台帳、申請書が次々と運び込まれていく。


普段は静かなその部屋も、今日ばかりは紙の擦れる音と、椅子を引く音で慌ただしかった。


紙をめくる音。

羽ペンの走る音。

時折、小さく交わされる確認の声。

部屋には静かな緊張が漂っていた。


ティナも机の端で、一枚ずつ資料に目を通していた。


「ティナさん」


監査官が一枚の登録書類を差し出す。


「こちらはどう思われますか」


眼鏡の奥の視線が、ゆっくりと文字を追う。


一秒。


二秒。


そして、小さく頷いた。


「……気になります」


「理由は?」


少しだけ考え込む。


それから、静かに首を横へ振った。


「うまく言えません」


監査官は穏やかに微笑んだ。


「構いません」


「ありがとうございます」


そのやり取りを見ていたソフィアが、小さく肩をすくめる。


「説明できなくても、この子の『変です』は当たるんですよ」


監査官も苦笑した。


「そういう方は、ときどきいらっしゃいますね」


調査は続いた。


積み上がる書類。

並べられた登録台帳。

何枚もの申請書。


その中で、不意にティナの指先が止まる。


「あ……」


部屋の空気が静まった。


ティナはそっと紙に触れる。

文字を指でなぞる。


「……ローレン先輩」


エドモンドがゆっくり近づいた。


「気づいたのか」


ティナは小さく頷く。


「似ています」


「字が」


断言ではない。


けれど新人の頃、隣で何度も見た文字だった。


数字の書き方。

止め方。

払い方。

丸みの癖。

忘れるはずがない。


ソフィアも書類を覗き込み、静かに目を伏せた。


「私も……そう思います」


監査官はその書類を丁寧に受け取る。


「こちらも含めて確認いたします」


ティナは少し迷ってから、小さな声で言った。


「でも……」


視線が集まる。


「何か事情があるのかもしれません」


新人だった自分に、帳簿の見方を教えてくれた人。

失敗して落ち込んだ時も、笑って励ましてくれた人。

そんな記憶が胸をよぎる。


監査官は穏やかな表情のまま頷いた。


「だからこそ調べます」


「決めつけるためではありません」


「事実を確かめるためです」


ティナは静かに「はい」と答えた。


やがて窓の外はゆっくりと暮れていき、執務室にも夜の気配が落ち始める。


ひと区切りついたところで、エドモンドが資料を閉じた。


「今日はここまでにしましょう」


「監査室へは、こちらで必要書類を引き継ぎます」


ティナはまだ書類を見つめていたが、やがて小さく頭を下げた。


「お疲れさまでした」


その背中を見送りながら、ソフィアがぽつりと呟く。


「疑うより先に、信じようとするのね。あの子」


エドモンドは穏やかに微笑んだ。


「けれど、数字には決して目をそらさない」


「だから、みんなが彼女を信じるんでしょうね」



気づけば窓の外はすっかり暗くなっていた。


仕事を終えたティナは、ソフィア、オーウェン、フィンと連れ立って王城の食堂へ向かう。


賑やかな食堂には、食器の触れ合う音と楽しそうな笑い声が溢れていた。

焼きたてのパンの香りに、香草の効いたスープの匂い。

疲れた身体に、それだけで少し力が戻ってくる気がする。


空いている四人席に腰を下ろし、注文を決めようとした、その時だった。


食堂の入口から、白い制服姿の二人組が入ってくる。


「アッシュさん、ダリルさん」


フィンが小さく呟く。


隣を歩くダリルが軽く手を挙げると、アッシュはこちらに気づいた。


そして迷うことなく、そのままティナの席まで歩いてくる。


「よう」


「アッシュ」


自然すぎるくらい自然に、ティナの隣へ立つ。


その様子を見たソフィアが、ふっと笑った。


「じゃ、私たち向こうに行きましょうか」


「え?」


ティナが顔を上げる。


「え、なんでですか?」


「たまにはゆっくり食べなさい」


「いつも一緒ですよ?」


「そうね」


ソフィアはにっこり笑ったまま答えた。


オーウェンも慣れた様子で立ち上がる。


「行こう、フィン」


「え、あ、はい」


ダリルも何も言わず、その流れに乗る。

気づけば四人は少し離れた席へ移動していた。


ティナだけが不思議そうな顔で首を傾げる。


「……?」


「気にするな」


アッシュはそう言って向かいの席へ腰を下ろした。


「うん」


低く落ち着いた声。


見上げた先には、白い制服姿のアッシュが立っていた。

夜の灯りを受けた金色の髪が柔らかく光って見える。


「……どうした」


聞き慣れた声だった。


それだけで、今日一日ずっと重たかった胸の奥が、少しだけ軽くなる。

そんなことには本人も気づいていない。


「うん?」


「疲れてる」


「……ちょっとだけ」


「何かあったな」


「うん」


「話したくなったら聞く」


「うん」


それだけ言って、アッシュはそれ以上何も聞かなかった。


ほどなくして料理が運ばれてくる。


香ばしく焼かれた肉の匂いに、ティナのお腹が小さく鳴った。


何事もなかったような顔で、飲み物の札へ手を伸ばす。


「これください」


店員が注文を書き留めようとした、その瞬間。


「待った」


低い声が横から飛んだ。


アッシュが札を見て眉をひそめる。


「ビールは駄目だ」


「えぇー……」


「また帰れなくなるぞ」


ティナの動きがぴたりと止まる。


視線だけがふらふらと泳いだ。


「……一杯だけ」


「駄目だ」


「少しだけ」


「駄目」


「ちゃんと帰ろうとしたもん」


「中央噴水で寝てた奴が言うな」


「寝てない」


「寝てた」


「ちょっと座って休憩してただけ」


「朝までな」


「…………」


店員が吹き出しそうになるのを必死で堪えながら、こほんと咳払いをした。


「今日は果実水にしておきますね」


「……はい」


しょんぼり肩を落とすティナ。


そんな様子を見て、アッシュは呆れたようにため息をつく。


「酒弱いんだろ」


「分かってるもん」


「分かってないから言ってる」


返事の代わりに、ティナは黙って果実水の入ったグラスを受け取った。


食事を終え、席を立つ。


「帰るか」


「うん」


ティナは何の迷いもない足取りで歩き出し──


「そっちじゃねえ」


「あ」


何事もなかったように方向を変えようとした、その手首をアッシュが軽くつかむ。


「出口、こっち」


そのまま二、三歩だけ引いて、すぐに手を離した。


「……ありがとう」


そのまま何事もなかったように歩き出す二人。



少し離れた席では、ソフィアたちと一緒に腰を下ろしたダリルが、ビールをぐいっと飲み干した。


「お疲れ」


「お疲れさまです」


ジョッキが軽く触れ合い、澄んだ音が響く。


フィンはそっとティナたちの方へ目を向け、小さく呟いた。


「……やっぱり付き合ってますよね」


オーウェンが苦笑する。


「本人たちは違うって言うんだけどな」


「いや、無理がありますって」


ソフィアも肩をすくめた。


「私も最初はそう思ったわ」


「最初は?」


「本当に気づいてないのよ、あの二人」


ダリルが堪えきれずに笑う。


「近衛でも有名だぞ」


「『ちゃんと保護者が回収したか?』ってな」


その言葉に、オーウェンまで吹き出した。


「回収って」


「だって実際そうだろ?」


四人の笑い声が小さく重なる。


視線の先では、何も知らないティナがアッシュに連れて行かれ、危うく出口とは反対方向へ曲がりかけていた。


「あ」


「そっちじゃねえ」


軽く手首をつかまれ、そのまま方向を変える。


あまりにも自然なやり取りに、ソフィアはビールを口に運びながら小さく笑った。


「ほらね」


「……無理がありますね」


フィンの一言に、全員が静かに頷いた。



外には並んで歩く後ろ姿。


大きな背中と、その隣を歩く小柄な影。


歩幅は違う。


けれど、その距離だけは、昔から少しも変わらない。


ティナ本人だけは、それが特別だとは思っていなかった。


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