第八話
人間とは、勢いだけで進むと後悔する時がきっと来る。今がそれだ。
「さあ、どう?」
物凄い風切り音を立てて月の大聖女の上翼腕が振り下ろされる。翼腕、と言っていたが、やっていることはウッドベアの腕の攻撃と変わりない。原始的な物理攻撃だ。
が、それだけで十分な破壊力を秘めているのがよく分かる。そもそもあの翼腕、爪のついている手のひら部分だけでウッドベアの腕くらいあるぞ。セフィが食らったらまたぺちゃんこになるのでは、と心配になるほどだ。
俺? 勿論ミンチだよ。
「う、おぉぉぉおおお!」
「わ、凄い」
勿論何もなければ、である。ワクワクから後悔に変わり、開き直って覚悟を決めているその間に、スロウから支援を貰っていたのだ。強さはちょっとだけ強め。ここまでのレベルが相手だと例のアレ、全力でも良かったような気もしないでもないが、もしそれで向こうがちょっと本気出しちゃおうかとか思ったらそれでアウトだ。十倍近くに能力が跳ね上がったところで、勝てないものは勝てない。
だから、この程度の強化で受け止められたという時点で月の大聖女は相当の手加減をしていることが分かる。それでもダメージを食らうだろうと思っていたのに受け止められた、というところを評価したのだろう。
ガシリ、と受け止めていた剣ごと体を掴まれた。そのまま持ち上げられると、俺は月の大聖女の眼前まで持っていかれる。ゆっくりと細められていた糸目が開き、その瞳から何から何もかもが夜の海のような目がギョロリと俺を見た。
「なるほどなるほど。中々に、非の打ち所のない悪徳持ちね」
「言っている意味が分からないんですけど!」
「そんなに畏まらなくてもいいわ。スロウが面白いミミックロウラーなのは疑いようもないけれど、わたくしは貴方も意外と」
そのタイミングでもう片方の上翼腕がブロックに動いた。ガキン、と派手な音を立てて、セフィの攻撃が月の大聖女により弾かれる。
「くっ、やはり駄目ですか」
「いいえ、そんなことはないわ、流石よセフィーリア。……というか結構痛かったのだけれど、スロウ、貴女支援の倍率どのくらいにしているの?」
「心配しなくても、セフィちゃん先輩が振り回されないギリギリにしてますよーだ。いいからエミルを離して」
「あら、嫉妬?」
「しっと!」
「はいはい」
夜の海の色の目がこちらを見てウィンクをすると、月の大聖女は俺をスロウの隣へと置き直した。大丈夫だった? とスロウが聞いてきたので、別に何かされたわけじゃないと返しておく。
「ゆーわくとかは?」
「なんでだよ。こういう言い方していいか分からんが、向こう魔物だぞ」
「でも、でも。エミルって、モテそうだし」
「……なんだろう、今のお前のその言葉は非常に駄目な気がする」
「お二人共! いちゃつくのは後にしてくださいませ!」
「あははははっ。本当に仲が良いのね、エミルくんとスロウは」
「さっきといい、今といい。俺って滅茶苦茶不名誉な高評価されてないか?」
今までスロウしかいなかったから分からなかったが、ひょっとしたら俺は会話が出来る魔物とは相性が良くないのかもしれない。スロウ、とはもう距離の取りようもないしする気もないから置いておくとしても、これからはもう少しその手の魔物と出会った時は気を付けたほうがいいな。
そんなことを結論付けつつ、俺は再度剣を構えて前を見た。下と真ん中の翼腕を四足歩行の足のように使い、残った上翼腕を攻撃に使う。そんなスタイルで戦う月の大聖女を見据え、今度はさっきのようにはいかないと一歩前に出た。それに合わせるように、セフィもレイピアの剣杖を構え隣に立つ。
「エミルさん。恐らく月の大聖女様は次の激突で勝負を終わりにするつもりです」
「何で分かるんだ?」
「お顔が少し飽きてきていましたので」
「会話出来る魔物って碌なのいねぇな……」
「いえあの、私の言い方が悪かったです。恐らく、もう実力を見終えた、と判断されたのだと思います。なので、後は少し遊ぶ程度で済ませるのだと予想が出来まして」
本当かよ。まあスロウのあれこれとしては確かに現状この支援だけでも十分になるだろう、さっき結構痛かったとか言ってたし。
じゃあ俺は? 攻撃を受け止めて、捕まえられて、何か変な評価を受けたくらいで。そこまで考えて、まあ冒険者なりたての実力を見るならそんなもんか、と思い直した。
「じゃあ、後はセフィの卒業式ってことか」
「そーそー。盛大に一発入れてやってよセフィちゃん先輩」
「だな。俺もフォローするから、やってやれ」
「……はいっ」
言葉と同時に俺達は駆け出す。ちょっとだけ無茶するよ、と一声かけたスロウは、俺へのブースト、速度上昇の値を跳ね上げさせた。そうだよな、フォローだから攻撃は別に必要ない。陽動と囮が出来ればいい。
月の大聖女の手加減した上翼腕の一撃よりもずっと早く行動した俺は、そのまま持てる力で手のひらに攻撃をしてかち上げさせた。おっとっと、と声を上げる月の大聖女を見ることなく、俺はそのままもう片方の上翼腕へと一足飛びで距離を詰める。
「本当に無茶するわね。反動が怖いわよ」
「スロウが大丈夫だってやってんだから大丈夫だよ」
「はいはい」
そのまま剣を振り抜く。当然ながら傷は付けられないが、それでも上翼腕を横に跳ね飛ばすくらいは出来る。片方は上に、片方は横に。そうして今回の勝負で使うと言っていた上翼腕を両方とも弾いておけば、後は。
「いけ! セフィ!」
「やっちゃえセフィちゃん先輩!」
「はぁぁぁぁぁぁ!」
がら空きの聖女部分に、攻撃が通る。先程の上翼腕とぶつかった時と同じくらい派手な音を立てて、セフィのレイピアが月の大聖女へと叩き込まれた。
「ったぁー。うわ、服に穴空いちゃった」
「全力を込めましたので」
「はいはい。よし、合格。スロウは勿論、エミルくんも。……そして、セフィーリア、貴女も」
そう言って先程までの糸目気味に戻った月の大聖女は、セフィの頭に手を当て、お疲れ様、とゆっくり撫でた。
「やっぱり俺達おまけだったな」
「いーんじゃないですか、それでも」
スロウの言葉に、俺はああそうだな、と返す。
視界の先では、月の大聖女に抱き着き泣いているセフィの姿が見えた。
そんなこんなでスロウの聖女認定は終了。書類の項目も種族だけだったのが、資格称号も記載されることになった。これでスロウは、ミミックロウラー/聖女という肩書となる。なんだこれ。ちなみに俺もあの戦いで新しく資格称号を貰えたらしく、魔物使い以外に騎士として活動してもよくなったらしい、なんでだ。
「私は妥当だと思いますよ」
そう言ってセフィは笑う。冒険者生活三日目で騎士の資格もらうやつがどこにいるんだよ。自分で言ってて頭おかしいんじゃないのかって思うんだから、他の連中がどう思うかなんか火を見るより明らかだろ。
そう彼女に抗議すると、そうは言っても条件は満たしたので、と苦笑していた。
「上級以上の魔物、ないしはモンスターとの戦闘を経験すること。子爵以上の貴族からの推薦をもらうこと。試験を受ける以外ですと、これらが条件になっています」
「今日両方やったね、エミル」
「……月の大聖女って上級とかそういう枠組みに入れていいもんなのか?」
「まあ月の大聖女様曰く、分類的にはハーピーやセイレーン、コカトリス等と同じらしいですので」
とりあえず枠組みには入るってことね了解了解。もうどうでもいいや。手に入ったってのは理解したから。
だから、後は持て余すこれをどうするかということだ。
「聖女と騎士ならば、行動範囲はかなり広まります。それこそ他国にだって行こうと思えば行けるでしょう」
「そこまで行きたいとは別に思わんけど。でもまあ」
ちらりとスロウを見る。どうしました? とこちらを見て小首を傾げるそれを見て、まあこれまで森しか知らないやつに色々教えるための手続きがなくなったと考えればマシか、と一人思い溜息を吐いた。
「とはいっても、他国はこいつの説明面倒だしやっぱり無しだな。それでいいか?」
「わたしはエミルが一緒ならどこでもいいです」
「まあまだお二人は冒険者になったばかり。あせらずとも、ゆっくりと経験を積んでいけばよろしいでしょう」
そう言ってセフィは微笑むが、いかんせんこの三日で多分その辺の適当な冒険者の冒険者人生の半分かそれ以上の経験は済ませたぞ。そう反論すると、セフィはあからさまに顔を逸らした。やっぱりお前もそう思ってるんじゃねぇかよ。
まあいいや、と俺はもう一度溜息を吐く。濃い三日だろうが何だろうが、終わったものは終わったもの。ここで後は公爵家に泊まるという別方向の濃ゆい経験が待っているのだが、まあそれはそれとして。
「なあ、セフィ」
「どうされました?」
「本当に聖女を、冒険者を引退するのか?」
「はい。先程の戦いで残っていた憂いも消えました。これで綺麗サッパリと公爵令嬢に戻り、お二人のサポートをすることが出来ます」
「そうか…………いや待て、なんつった?」
何かすげぇ晴れ晴れとした笑顔で聞き捨てならないことを言わなかったか? そう問い返すと、別に聞き間違いでもなんでもないとばかりに、俺達の冒険の手伝いがしたい、と言い放った。
「それこそ先程の他国へのスロウさんの状況を認めさせるためになど、ベルンシュタイン公爵家の権力を使って」
「ストップストップ! 重い! サポートの手厚さが重い!」
「文字通り命を頂いたのですし、このくらいは別に」
「俺らが気にするの! スロウもこんなんだけど、友達に迷惑ばかり掛けるの好きじゃないんだから」
「こんなの扱いがちょっと不満ですけど、まあそーですね。別にセフィちゃん先輩に何でもしてもらわなくても、こっちはこっちで頑張りますよ」
勿論関わるなってわけじゃないですからね、と笑顔でそう続けるスロウを見て、セフィはだからこそ手助けがしたいのですと笑顔を返した。先程のことは極端な話だが、手伝えることが何かあるなら遠慮なく言ってくれていい、とそうも続けた。
「それでも気が引ける、というのならば。こちらの専属になるというのは如何ですか?」
「専属? セフィちゃん先輩のところ所属の冒険者になるってことですか?」
「そうですね、専属は確かに言い過ぎで、スロウさんの言う方が正確でしょう」
まあつまりこっちの手伝いをして貰う代わりにこっちも色々手伝うよ、というわけである。たしかにそれならまあ、ギリギリセーフか? 変な肩書が増える、ということさえを除けばだが。とはいえ、この辺はもう今までの流れだとあってもなくても変わらない所まで来ているので今更である。
どうする、と俺はスロウに尋ねたが、スロウはもう決まってるでしょうと俺を見て笑っていた。いやまあそうなんだけど、一応お前の意見も聞かないといけないだろ。
「わたしはエミルが一緒なら何でもいいんですってば」
「ああそうかい。……んじゃまあ、セフィのところの所属になるよ」
「はい。ふふっ、では、これからも改めてよろしくお願い致します」
こうして。冒険者生活三日目にして村のギルドの冒険者エミルとその使役モンスタースロウはいなくなり、四日目からは新しくベルンシュタイン公爵令嬢セフィーリア有する冒険者エミルとその使役モンスター聖女スロウが爆誕したわけである。
当たり前だが、翌日村に帰ってその辺りの説明をしたらギルドのお姉さんは凄いことになっちゃったねぇと目をパチクリさせていた。
そして、両親だが。
「流石はエミルのお父さんとお母さんですね」
「何か褒めてるようには聞こえないな」
驚くとかそういう前にウンウンやっぱり流石は息子とその彼女、とか分かったような顔をしていたので、俺は色々諦めて部屋に戻った。というか彼女じゃない。
「ったく、人が冒険して帰ってきたのに」
「でも、ちゃんとおかえりって言ってくれましたよ。わたしにも」
「……まあな」
「帰る場所っていいものですよ。わたしはほら、無くなりましたし」
「いや何言ってんだよ」
いきなり変なことをいい出したスロウに、何がどう無くなったって? と俺はここを、この家を、この部屋を指差した。
「お前の帰る場所も、ここだろ」
「……えっへへ~。そうでしたね、うっかりうっかり」
「流石は芋虫」
「酷くないですか!? 今はそういうのじゃなかったですよね!?」
「知ってるよ、だからだ」
「エミルの捻くれ者! でもそういうところも大好き!」