第五話
「はっ!」
目が覚めたセフィは勢いよく起き上がり、そして俺とスロウを見てホッと胸を撫で下ろす。あ、夢だったということにしたぞこのお嬢様。
「スロウ」
「はーい」
「いえ! きちんと現実は認識いたしました! 二度目は結構です!」
じゃあ今の表情はなんだったんだ、と問い掛けると、どうやら目が覚めた時に芋虫のドアップがなかったことに対するものらしい。あー、分かる分かる。俺もそれやられたから。
まあとにかく。セフィはゆっくりと天を仰ぎ、そしてこれも試練なのでしょうか、とどこかの何者かに問い掛けていた。何か認識したというより諦めたといった方が正しそうだな。
「改めて。……スロウさんは、モンスターなのですか?」
「そうですよ」
「……これは私の意見なのですが。人の中に紛れているモンスター、特にミミックロウラーなどはその正体を隠すものでは?」
「わたしは別に。エミルと一緒にいられればそれで問題なしなので」
「エミルさんと、ですか」
「何だよその目は。言っとくけど、ちゃんとギルドには書類提出してるんだからな。使役モンスター、ミミックロウラーのスロウって」
「恋人の名前を使役モンスターに付けている変人、と認識されていませんか?」
「失礼な」
あと昨日も言ったが恋人じゃない。そもそも人じゃない。もし言うなら恋虫? それも違うな。まあとにかくそういう関係じゃない。
その辺りを訂正させつつ、しかしセフィの言った言葉には少し思い当たるフシが出てきたので、後でしっかりと確認しようと心に決めた。
「後で良いのですか?」
「今は仕事中だしな。書類に不備があるわけじゃなし、向こうの勘違いなんだから、文句を言うのはこっちで、言われるのが向こうだ」
「とゆーか、面倒なだけですよね?」
「お前は黙ってようね」
一発チョップを叩き込んでスロウを黙らせると、まあそういうわけだからとセフィに向き直る。何がどういうわけなのかは自分でもよく分からないが、とにかく今はこっちを優先するというので納得してもらうとして。
「話を元に戻すぞ。今回のクマ、スロウの勘だとちょっとおかしいってことだよな」
「ですね。単独ってわりには、動きがちぐはぐです」
「ちぐはぐ、ですか」
スロウ曰く。まあこいつ自体も勘というかノリというかで喋っているので話半分で良いのかもしれないが、通常の行動と変化した行動の二パターンにしては合わない。
いやだからそこら辺さっき説明されただろ。行動範囲の狭さとか。
「でも、なーんか違うんですよ」
「もっとちゃんとした理由を出せ」
現状ただ何となく文句つけてきたようにしか思えん。そんな意味を込めてスロウに述べると、むむむ、と何かを考え込む仕草を取った。そうしたあと、これでいいのか分かりませんけど、という前置きをする。
「んーと。例えば、エミルはわたしと他のミミックロウラーの違いって分かりますか?」
「嘗めんな、流石に分かるわ」
「えっへへ~。エミルのそういうところも大好き」
「話進めろ」
「こほん。じゃあセフィちゃん先輩、わたしと他のミミックロウラーの違いって分かりますか?」
「え? えっと……並べられていれば、可能性は」
「じゃあ」
ふぅ、とスロウが口から糸を吐いて両手に芋虫を作り出した。ひっ、とセフィがその光景を見て小さく悲鳴を上げる。ああ、正体見せた時のことを思い出して過剰反応してるなこれ。
ともあれ。そうして作った二体の芋虫をスロウはセフィにずずいと見せる。そうして、どっちが自分なのか、と彼女に問い掛けていた。
「え? っと……み、右、でしょうか」
「残念。正解は、どっちもわたしです!」
「それは卑怯では!?」
「あ、成程な」
そのやり取りでスロウが言いたいことが分かった。そういうことか。じゃあ確かに二体の可能性があるな。
そして一方のセフィであるが、何のことやらと頭にハテナマークが飛んでいる。武者修業をしているって言ってたし、こういう状況とか体験しているんじゃないのか、
そう尋ねると。
「お恥ずかしながら……冒険者としての実力はベテランとは言い難く」
「いやまあそりゃ同い年くらいでそこまで行ってたら逆にびっくりだから別に気にしないんだけど」
でも、セフィの口振りからするとこういう状況はある程度ベテランじゃないと遭遇しないやつだって認識でいいのだろう。俺達みたいな初心者に毛が生えた程度だと絶対分からない。本来ならば、というただし書きがつくが。
「あの、それで。一体何が分かったのですか?」
「ん? ああ、スロウ、俺が話してもいいか?」
「そっちの方が多分いーんでお願いします」
「了解。んじゃまあさっきのスロウの芋虫模型だけど。見た目は全く同じ、でもどっちかがスロウだ、って言われたからそうだと思い込んだ」
「思い込み……。では、今回のウッドベアも?」
「まあ似たような感じだけど。見かけたクマ、多分それぞれ違ったんだと思うんだよな」
でも、モンスターの個体の違いとか、余程特徴的なものがなければ、それ相応の知識とスキルがなければ分からない。ウッドベアAとウッドベアBがいたとして、一体ずつ動いてたら、縄張り意識のこともあって別々の個体だって気付かないはずだ。
「お二人の考えでは、つまりこのウッドベアは異常個体であり、二体存在する、と」
「どっちかだけ異常な動きしてるって可能性もあるけどな」
「たぶんどっちもですね。畑荒らしてる方は、うろついてる方がいる時は近寄らないようにしてるっぽいですし」
だから行動範囲が重なっていて、二体同時に目撃されなくて、行動も同時に行われなかった。
ということは、これが正解だとすると。
「畑を荒らしている方のウッドベアの巣らしき場所へ向かっている組は、こちらとは別行動です。ですので、私達は比較的安全だとされていましたが」
セフィがごくりと唾を飲み込む。そう、彼女の言う通り、片方のウッドベアが攻められている今の状況は。もう一体のウッドベアの縄張りが展開している状況となるわけで。
「ならば、とりあえずこの話を他の方にも――」
そう言ってセフィが振り向いたその視線の目と鼻の先。いつの間にか現れていたウッドベアが、その巨大な腕と爪を振り下ろしている瞬間で。
ぐしゃり、とセフィが潰れた。白を基調としていた彼女の装備は、自身の血で真っ赤に染まっている。腕の下でピクリとも動いていないことを見る限り、彼女の命がどうなっているのかは確認するまでもないだろう。
などと、その瞬間に考える余裕など俺は、俺達には無かった。あのクソグマが腕を振り下ろしたその瞬間には俺はもう飛び出していて、自身の持てる限りの全力の攻撃をそこに叩き込んでいたからだ。異常個体だか何だか知らんが、結局は中級に入るか入らないかのモンスター。全く攻撃が通らないなんてことはない。
「スロウ! こっちはいいから、そっちを早く!」
「エミル! こっちは終わりましたから、そっちに行きます!」
流石に一撃で倒せるほど甘くない。傷はついたがその程度。今の騒ぎで他の見回り組の冒険者もこちらに来てくれるだろうから、俺はそれまで粘ればいい。
なんて甘い考えを持っていると思ったら大間違いだ。剣を構え直し、殺る気満々のクマを睨み付けながら、俺は隣のスロウに声を掛けた。
「いけるか?」
「任せてください。さあ、全力支援行きますよ~!」
ば、とかざした手から光が溢れ、俺に注がれる。と、同時に俺の中の力が溢れてくるかのように、というか溢れて。
「ストップストップ! やり過ぎやり過ぎ!」
「ほえ?」
「お前これ、絶対最上級の支援掛けただろ」
「掛けましたけど。全力って言ったじゃないですか」
「やり過ぎだ! だってほら見ろ」
突っ込んできたウッドベアを片手で受け止める。えぇ、ちょっと自分でやってて軽く引くんだけど。能力が二倍どころか十倍近くまで跳ね上がっている感じがする。
まずい、これはまずい。これに一回慣れてしまうと、いざという時に絶対死ぬ。そのまま殴り飛ばしたら転がっていったウッドベアを見ながら、俺は今の状況に軽い恐怖を覚えた。
「戻して、んでもっと軽いのにしろ。じゃないと俺がそのうち死ぬぞ」
「そんなことはさせませんよ。セフィちゃん先輩だって」
「いや分かってるんだけど、それはそれで嫌なの。俺はちゃんと相応がいいんだよ」
調子乗って、自爆する。なんてお約束のようなオチは絶対に嫌だ。話には聞いていたが、いざ実際に自分の身に降り掛かると大分ゾッとする。というか、もっと予め試しておくべきだった。ミミックロウラーの同族殺しの時に支援使わなくて済んだなとか言ってる場合じゃなかった。
「じゃあとりあえずさっきの支援は終了させました。で、エミルが死なない程度の支援をやればいいんですか?」
「その言い方はどうだろう」
「任せてくださいよ。絶対に死なせませんから」
「うん、それは分かってるんだけど」
体勢を立て直したウッドベアがこちらに駆けてくる。よしまあいいや、よろしく。そう言ってスロウに任せて俺は奴の腕を今度は剣で受け止めた。おお、成程。普段より三割増しくらいになってる。これなら一対一で戦っても何とか出来そうだ。
「スロウ」
「どーですか?」
「やっぱりお前信じて良かったわ」
「エミルが素直に褒めた! やったー!」
分かったからぴょんぴょんはしゃぐな、セフィが起きる。このクソグマをぶっ倒すまでは寝かせておいてやれ。さっき以上のトラウマになってる可能性だってあるんだから。
そんなことを言いつつ、俺はウッドベアの懐に入り込んだ。クマに似ているといっても、ミミックロウラーと芋虫ほどウッドベアはクマではない。木属性、というだけあって、その毛皮は木彫りの彫刻のような、削った木屑のようなもので出来ている。爪や牙も見た目だけならば木製だ。実際は鋭いから普通に切り裂かれるけど。
なので結構剣で斬ろうとすると面倒だったりする相手なのだ。特効武器は斧、弱点属性は基本四属性の一つ、火属性。
「うぉぉぉおお!」
まあどちらももっていないので、スロウの支援で上がった能力によるゴリ押しだ。剣にも折れないよう耐久値のブーストが掛かっているので、遠慮なくガリガリと何度も剣を叩きつける。やってきた見回り組の冒険者達も、俺の戦いを見て任せる方向にしたらしい。ありがたいが、新人に任せて大丈夫なのか? まあ大丈夫だと判断したからなんだろうけど。
そうこうしているうちにウッドベアの腹が裂ける。木彫りのクソグマのくせにいっちょ前に血とか腸とかぶちまけてんじゃねぇよ。トドメに口の中に剣を突き刺しながら、俺はそんなことを思った。
「はっ!」
目が覚めたセフィは勢いよく起き上がり、そして何事もなかったかのように立っている俺とスロウを見てホッと胸を撫で下ろした。そうだな、夢だったということにした方が良いぞお嬢様。
「いえ……流石にこの血まみれの装備を見てそれは無理があるかと」
「そりゃそうか」
一回潰れたもんな。軽く言っちゃってるけど、スロウが《リザレクション》で蘇生回復させなかったら間違いなく死んでいた。いや、というか一回死んでいる。けどその辺りは言わないほうがいいだろう。
「……そうですね。確かに、二度目はもう結構ですわ」
そう言って力なくセフィは笑う。どうやら自分の状況を完全に理解しているらしく、自身の胸に手を当て、心臓の鼓動が聞こえることに安堵をしていた。そうして次に来るのは震え。死の恐怖からくる、逃れられない絶望。
「大丈夫、大丈夫ですよセフィちゃん先輩。クマはエミルが倒しました。もう怖いやつはいません」
ぎゅっ、と。そんな震えるセフィをスロウが抱きしめる。よしよし、と宥めるように、赤子をあやすように。背中を擦り、頭を撫でた。それが効いたのか、彼女の体の震えは段々だと収まっていく。
そうしてしばらくスロウに抱かれていたセフィは、ありがとうございました、とゆっくり離れた。そうして、今度ははっきりとした意志のこもった目でこちらを見る。説明をして欲しい、ということなのだろう。
「とはいっても。ウッドベアに潰されたセフィをスロウが助けた、で終わりなんだけどな」
「助けた、と簡単に言いますが、あの状況からの回復など聖女の持つ最上級の《リザレクション》でもなければ――え?」
「どーですか?」
そこまで言ってセフィは何かに気付いたようにスロウを見て、俺を見て、そしてもう一度スロウを見た。
「え?」
「ああ、そうだ」
「スロウさんが、最上級の蘇生回復を……?」
頷く。横ではスロウがどやぁ、と自慢げな顔をしていた。
そんな中、ゆっくりとセフィが立ち上がる。眼の前にいたスロウの手を握ると、先ほどとはまた違う意志のこもった目をスロウに向けていた。
そうして、俺の聞き間違いでなければ。今俺の目の前で。
「スロウさん」
「はい?」
「今回の依頼が終わったら、城下町に来てください」
「へ?」
「貴女は、聖女の認定を受けるべきです。出来ることなら、今、すぐにでも!」
「へ? ほえ?」
俺の幼馴染の、人に擬態した虫が、よく分からないうちに聖女だとか言われた。
タイトル回収