第三十五話
「あら、目が覚めた?」
「エミル!」
意識が浮上して真っ先に見えたのは金髪の少女。がぶっ飛ばされて金髪の少女になった。前者が月の大聖女、後者がスロウである。思い切り突き飛ばしたわね、と体を起こした俺のもとに翼腕で体を支えた月の大聖女がノシノシとやってくる。
いや、なんでいるんだよ。
「何故って、エミルくんを見に来ただけよ」
「だからなんで」
「わたくしが見たいから戦ってもらったのに、何故見ていないと思うの?」
いや、言われてみればそうなんだろうけど、でもあの場所にいなかったよな。そんなことを思いながら相手を見ると、まあここでは見ていないからと返される。
「わたくしは月属性の頂点。月の呪文があれば遠見も容易いわ」
そういえばこいつそうだっけ。月の大聖女って名前なんだから月属性なのは当たり前なんだが、脳筋物理のイメージしか無いからすっかり忘れていた。
「そんなことより。エミル、大丈夫ですか?」
「ん? ああ、特に問題ないな」
ちょっと体に負担を掛けたが、目覚めた今の状態では反動も特にない。立ち上がり腕をぐるぐる回してみせると、スロウは良かった、と俺に抱き着いてきた。そんな心配することもないだろ、と頭を撫でると、そんなことはないとむくれられた。
「エミル、結構な時間意識ぶっ飛ばしてたんですからね!」
「え?」
確かによく見ると空が赤い。夕方に近い時間らしいというのが分かるが、俺と騎士が戦っていたのは昼間。そう考えると確かに割と長い時間意識飛んでたみたいだ。
「って、待った。お見合いは?」
「終わったわよ。というかあんた達の試合の時点でもう終わったようなものだったんだけど」
横にいたらしいアリアがそう述べる。まあ確かにあの時点でお見合いも何もないか。そんなことを思い、じゃあ相手はもう帰ったんだな、と呟いた。
「そう思いますか?」
「うお」
横合いから声。視線を向けると、左腕を包帯で巻いて布で吊っている騎士の姿が。いやぁ、やられましたね、と笑いながらこちらにやってくるところだった。
「ご心配なく。主からの命で、月の大聖女様付きをやらせてもらっていますので」
「いやまあ、それならいいんだけど……って、その腕」
「ああ、これですか」
見事にへし折れました。そう言って騎士は笑う。いや笑い事じゃないだろ、というかそんな重傷ならさっさと治してもらえよ。
そう思い、口にしたが、騎士は困ったように笑うばかり。
「何かあったのか?」
「聖女様に断られましてね」
「何で?」
「『エミルが目を覚ますまで、絶対に治療しませんから』だそうです」
「……何で?」
「言わずとも分かるのでは?」
いや、まあ心配してくれていたのは分かるんだが、それでも別に治療くらいしてやってもいいんじゃないかと思うわけで。俺がぶっ倒れたのは全力を超えて動いた反動だし。
そんなことを考えていると、月の大聖女がああそれならわたくしのせいね、としれっと言いやがった。
「何でだよ」
「エミルくんを回復させようとしていたから、自然に目覚めるまで回復はしないようにって」
「さっきからこれしか言ってない気がするが、何でだ?」
「貴方が堪えられるように、かしらね」
そう言って糸目をす、と開く。相変わらず瞳から何から何まで夜の海のような目が、そのまま俺を見透かすようで、思わず視線を逸らしていた。
「あら、そんなに嫌かしら。わたくしの目は」
「嫌だって言ったら?」
「もっとじっくり見てあげる」
これだから頂点の連中はたちが悪い。思い切り舌打ちすると、月の大聖女は何が可笑しいのかケラケラと笑った。
「さて、と。じゃあちょっと真面目な話をするわよ。エミルくん、貴方、体の調子は?」
「さっきも言ったぞ、別に問題はないって」
「嘘は言っていないわね。あ、こら、目を逸らさない。今はちゃんと真面目な話よ」
「そう言われても」
その何でも見透かすような、吸い込まれて沈んでいくような目が苦手なんだよ。多分黙っていても無駄なのでそのまま述べると、月の大聖女は一瞬動きが止まり、そして次の瞬間には盛大に笑い出した。
「あははははっ。そう、貴方はそういう感想になるのね。うん、そんなはっきりと苦手と言われたのは久しぶりね。火と、光もそうだったかしら」
「ああそうかい」
名前を出していないが、多分火属性の頂点と光属性の頂点のことを言っているのだろう。そんな連中と並べられるのは果たして良いことか悪いことか。まあ今のところ出会っている頂点連中が軒並み碌な奴じゃないので、十中八九悪いことだ。
「良いのかしら、そんなこと言って。その二体はわたくしと違ってきちんとした連中よ」
「自覚あるならどうにかしろよ」
「嫌よ。これがわたくしだもの。貴方だってそうでしょう? そしてそこのスロウも、アリアも、シトリーも。勿論セフィーリアも」
ぐ、そう言われると確かにそうなんだが。ちなみに視線を動かすと、スロウもアリアもセフィも頷いていた。シトリーだけちょっと迷っていたようだが。
ともあれ。話を戻すわよ、と月の大聖女に言われ、俺は渋々その目を見る。
「あははははっ。本当に嫌そう」
「だから嫌なんだってば」
「そう。でもちょっとだけ我慢しなさいな。……うん、よし」
す、とその目が再び糸目に戻る。そうしながら、月の大聖女は指を一本立てた。
「忠告よ。さっきの動き、わたくしか貴方の知っている属性頂点のいる時に使うようにしなさい」
「どういうことだ」
「今はまだ負担が大きいの。そして、変に回復とかしてしまうと貴方のバランスがおかしくなる。わたくし達無しで使って良くなるのは後二・三回倒れて、自然回復してからね」
うげ。やれるだろうと思ってやってみたんだが、思った以上に問題を抱えているらしい。まあとはいえ、そのくらいでいけるならそこまで大したことでもないか。
そんなことを思っていたら、こら、と翼腕でぶっ叩かれた。痛い、滅茶苦茶痛い。これ以上ないくらい手加減されているのは分かっているのだが、それでもめっちゃくちゃに痛い。
「スロウちゃんを泣かせないように、という話なのよ」
「へ?」
思わずスロウを見る。ば、と思い切り顔を逸らされた。え、何、お前泣いたの?
「当たり前じゃないですか! エミルが倒れて動かなくなって、全然起きなくて」
再びこちらを向いたスロウは、くしゃりとその表情を歪めた。泣きそうなその顔で、こちらに駆け寄るとゲシゲシと殴る。痛い。
でも多分スロウの心の方がもっと痛かったんだろう。ゲシゲシがポカポカに変わり、そしてトスンに変わり。
再び俺に抱き着くと、わんわんと泣き始めた。
「エミルが、大好きなエミルがぁ、いなくなるって考えたら……」
「……いなくならないって」
「なりそうだったんですよ!」
泣きながら叫ばれた。ぎゅ、と俺に抱き着く力が強くなる。絶対に離さないとばかりに、強く。
まいったな、と頭を掻き、そして視線をついと動かすと、アリアがどうしようもないなこいつという目でこちらを見ていた。シトリーやセフィも似たような感じである。
「大事な人を泣かせるものではありませんよ」
「うるせえよ」
騎士にまで言われた。いや分かってる、分かってるんだよ。でも、今回はちょっと俺の見通しが甘かったというか。
いやそもそもこんな勝負をしなければ良かったのでは? その事に気付いた俺は、月の大聖女を思い切り睨んだ。
「そうね、確かにスロウを泣かせた原因はわたくしにあるわ。ごめんなさい」
「素直に謝った……?」
「わたくしは傀儡人形と違って、謝罪を相手を追い詰める手札にするほど捻くれてはいないのよ」
「あれは別枠だろ」
酷い言われようね、とどこかで何かが言っているような気がしたが無視。
「とはいえ。わたくしとしては、今回の試合でエミルくんがそれを使ったのは良かったと思うわ」
他の状況。例えばモンスターとの戦闘中にこれを初めて使ったとしたら、場合によっては命が危なかったかもしれない。そう言われると、まあ確かにと思えてしまう。
そして月の大聖女の先程言った通りならば、倒れた時に魔法なりなんなりで回復させてしまうと、俺のバランスが崩れてしまう。その場合にどうなるかは分からないが、多分今まで通りに動くことは出来なくなるのだろう。
「まあ死なないなら、なんて考えは駄目だろうしな」
「無茶はだめです」
抱き着いたままのスロウが言う。そう言われても、どうしても無茶をしなきゃならない時ってのはやっぱりどこかに出てくるのであってだ。その時のために、これを使えるようにしておくのも大事だと思うんだ、俺。
「一応言っておくけれど。今日もう一度使おうとか考えちゃ駄目よ。今使ったら三日は意識が無くなる可能性あるのだから」
「いや、やらないやらない」
流石に自分の体だ、慣れるためにもう一回、が今すぐ出来ないことくらいは分かる。そして、スロウを泣かせるのだということも分かる。
俺がそう言うと、よろしい、と月の大聖女は頷いた。そうした後、じゃあそろそろ帰りましょうかと騎士に述べる。かしこまりました、と左腕が折れた状態のまま騎士は月の大聖女に一礼をした。
「それではエミル殿。私もこの辺りで失礼させてもらいます」
「ああ。次は負けないからな」
「ははは、それはこちらのセリフですよ。では、また」
「ああ。ってちょっと待った。俺、あんたの名前知らないぞ」
そう言うと、ああそう言えば失念していました、と騎士は笑った。
「クロード、と申します。再戦、楽しみにしていますよ」
そう言うと騎士――クロードは月の大聖女の護衛に付くように控え、そしてそのまま去っていった。どうでもいいが徒歩なのか? いや、流石に庭園を出たら馬車なりなんなりで帰るか。
「……さて、じゃあ俺達も帰るか?」
抱き着いたままのスロウの頭を撫でながら、俺はアリアやシトリー、セフィにそう述べる。別段反対する理由もないであろうから、皆揃って頷いた。
が。
「なあ、スロウ」
「何ですか」
「もうちょっと離れないか?」
「やだ」
スロウがずっとくっついたままなのだ。流石に動きにくいし、一応名目はまだセフィの護衛なんだから、この状態だと支障が出る。
「あら、お気になさらず。私は何の問題もございませんわ」
「いや問題大有りだろ。もしここで何かに襲われたとしたら」
「別にあたしもいるし」
「ワタシも、いるんだよぉ……」
「ぐぅ」
言外に、いいからお前はスロウを宥めてろ、と言われた気がして思わず黙る。いや言外っていうか視線とかもろもろが思い切り言っている。
はぁ、と溜息を吐いた。そうしながら、なあスロウ、とくっついているやつに声を掛ける。
「悪かった」
「本当に思ってます?」
「思ってるよ。心配かけたなって」
「本当ですよ。めちゃくちゃ心配したんですからね」
「ああ」
ごめん、ともう一度謝る。これは意識を飛ばす直前、大丈夫だって言おうとしたことは言わないほうがいいだろう。全然大丈夫じゃなかったじゃないですか、ってまた泣かれるかもしれないし。
「そーいえば、エミル」
「ん?」
「気絶する直前、何か言おうとしてましたよね」
そう思った矢先、ちょっとだけ機嫌を直したスロウがそんなことを言い出した。いやだからそれは今黙っておこうときめたばかりでだな。
そんなことを思い、何とか濁そうと思っていたが、再びスロウがくしゃりと表情を変えたので慌てていや大したことじゃないんだってば、と言い訳をする。
「じゃあ、言ってくださいよ」
「……大丈夫だから心配するなって言おうとした」
「それだけですか?」
「ん? いや、それだけだけど」
「……」
じー、っとスロウが俺を見詰めてくる。そんなことを言われても、それ以外に何も。
そう返そうとしたタイミングで、スロウがだって、と口を開いた。
「声は出てなかったですけど、口は動いてましたもん。大丈夫だし、って。そしてその後にも」
「その後?」
何か言おうとしてたんだっけか俺。意識が飛ぶ寸前だったからイマイチ覚えていない。まあでも言うとしたら多分。
「……」
「どーしました?」
「いや、全然覚えてないから何も出てこない」
そうだ、全然覚えてないし、もしそれを口にしていても、まあ幼馴染だし嫌いなわけはないから当然なんだってことだ。
そもそもスロウの言う『大好き』も似たような意味で。
「わたしは、ちゃんとそーいう意味で言ってますよ」
「……な、何が?」
「エミルが大好きってことです。エミルは?」
「……そりゃ、嫌いなわけないだろ」
「むー。まあ今はそれでもいいです」
そう言ってクスクス笑うスロウが何だかいつもより妙に可愛く見えて。
「そーいうわけで」
ぐねぐねと芋虫に戻ったスロウがてい、と俺におぶさる。背中にわしゃわしゃと多足の感触を味わいながら、スロウの芋虫の顔がすぐ横にあることにちょっとだけドキッとして。
「……あ、やっぱり起きたばっかりだと重いですか?」
「そうじゃなくてもお前は重いよ」
「女の子に何たる言い草!」
「だからお前くらいにしか言わないんだってば」
「今回は、そんな言葉で言いくるめられませんからね!」
背中で暴れるな、落ちるぞ。ほら落ちた、ぼて、と地面に落ちた芋虫を抱きかかえ、大丈夫だから、心配かけたな、と改めて告げた。
「お姫様抱っこでそういう事言うの、ずるいです……」
「芋虫抱えてるだけだけどな」
「むーど!」
ねぇよそんなもん、最初から。再び暴れるスロウを宥めながら、俺はやれやれと溜息を吐いた。
「溜息吐くのはこっちだよぉ……」
「一生やってそうね、あれ」
「ふふっ。そうでしょうか。ひょっとしたら、案外すぐかもしれませんよ」




