第二十五話
ボスガニを倒してフォーマルハウトの城へと戻ってきた俺達は、報告もどうせそこだろうとスロウが寝込んでいる部屋へと直行することにした。
「愛情だよぉ……」
「本人は幼馴染の友情だとか言い出すわよ、きっと」
「やかましい」
実際そうなんだからしょうがないだろ。俺にとってスロウは幼馴染で、いつも隣にいる芋虫で、これからもきっとずっと隣にいる芋虫だ。ただそれだけだ。
「はいはい。じゃあまあそういうことにしておくから」
「エミル!!」
「ちゃんと対応してあげなさいよ」
扉を開けた途端、スロウが俺に目掛けて突っ込んできた。そのまま抱き着き、決して離してなどやるものかとわしゃわしゃ抱きしめてくる。どうやら寝込んでいる状態から無事に復帰出来たらしいな。
「まあそれはそれとして。とりあえずここでは一旦擬態しておいたらどうだ?」
「エミルの顔を見ないと元気でなかったんですもん」
多足がくすぐったい。別に俺は見慣れているし、村かあるいはベルンシュタインの城でならその状態でも問題はなかっただろうが、ここはフォーマルハウト公爵領。流石に芋虫状態のままでいると少し面倒なことになりかねない。
そうですね、と俺に抱きついたままぐねぐねと体を動かしたスロウは、この体勢から器用に擬態を完了させた。変わらず抱き着いているままである。
「いい加減離れろ」
「やだ」
「やだってお前」
「エミルが離れていくから、やだ」
俺の胸に顔を埋めながら、どこか拗ねたようにスロウがそんなことを言う。離れるって、ちょっとお前を寝込ませたやつをぶっ殺しに行っていただけだろうに。どうしてそんな発想になるのやら。
わしゃわしゃとスロウの頭を撫でながら、とりあえず、離れるわけがないと伝える。
「大体、お前は俺の相棒だろ? 少なくとも、俺からお前と離れるようなことはないよ」
「本当ですか?」
「ああ」
「ずっと一緒?」
「お前がそれでいいなら、これから先もずっとだ」
「エミル大好き!」
「はいはい」
抱きしめる強さが強くなった。だからもう離れろってば。そういう意味じゃないからな、一応言っておくけど。
そう言うと、分かってますよ、とスロウは抱き着きをやめる。そうしながら、えっへへ、と何が嬉しいのか笑みを浮かべた。
「セフィーリアさま、あのお二人は」
「付き合っていません」
「……はぁ」
何かアンゼリカ嬢が納得いかない顔をしながらこっちを見ているが、一体何が言いたいやら。ちらりと聞こえた会話からすると俺とスロウが付き合っていないことが不満なのだろうが、そんなもんこっちの都合なので知るかとしか言いようがない。そもそも俺はスロウにそういう感情を持っていない。
「悪いけれども、私もそこには思うところがあるわ」
「いや、だから知らねぇよ」
傀儡人形もどこか苦虫を噛み潰したような顔でこちらを見てくる。が、すぐに表情を戻すと、まあそれでも見たいものは見られたと口角を上げた。
ああそうだ。その表情で何となく察した。
「傀儡人形」
「あら、どうしたのかしら」
「スロウに変なこと吹き込んだな」
「人聞きが悪いわね」
「タコだろお前。じゃなくて、だったら何でスロウがこんなんなってたんだよ」
別にいつも一緒にいるわけじゃない、こともないが、まあそれでも別行動だって普通にするし、討伐依頼で見守る役になっていたことだってある。少なくとも、そんな過保護ではなかった。
「だから私? 疑り深いのね」
「出会ってからの行動を振り返ってから言えよ、そういうことは」
「疑り深いのね」
振り返ってそれかよ。俺は相も変わらず胡散臭い笑みを浮かべている傀儡人形を睨み付け、別にちょっかいを出すのは勝手だが、と言葉を続けた。
スロウを不安にさせるのなら、許さん。
「お熱いことで。でも本当に濡れ衣よ。私はただ、貴方達がいない理由をセフィーリアさんもアンゼリカも濁していたから教えてあげただけ」
「それが――」
「今にも飛び出していきそうだったもの。しょうがないでしょう?」
ぐ、と言葉に詰まる。セフィとアンゼリカ嬢は心配かけまいとして伝えなかったのだろうというのに対し、傀儡人形はスロウがそのままだと飛び出していきかねないと思い伝えたと言う。素直に考えればどちらもスロウのことを考えていたのだと思えるのだが。
「……」
「納得のいっていない顔ね」
「どっちにしろスロウの不安は解消されなかった。だからあいつがあんな状態になったんだろ」
「そうね。これは予想外」
「嘘つけ」
予想出来ないはずがない。全部お見通しで、こうなることを見越して、だから伝えたんじゃないのか。視線と言葉で傀儡人形に伝えると、向こうはそれこそ心外だ、とばかりに頬に手を当てた。
「私も、ただの親切心で言葉をかけることくらいはあるわ。今回はそれが裏目に出てしまっただけよ」
「信用できない」
「もう、強情ね。……じゃあ、どうするの? 八つ当たりの対象に、私も含んでみる?」
そう言ってクスクスと笑った傀儡人形は、アンゼリカ嬢に訓練場を開けるよう話をしていた。
「何がどうなってこうなるのよ。いや、聞いてたけど」
「わけが分からないんだよぉ……」
「まあ正直俺もよく分かってない。けど、あの胡散臭いタコ女に一発当てられるチャンスがあるならやってみても、ってな」
「完全に八つ当たりですね、エミル」
「ああそうだ、八つ当たりだよ。悪いか」
「悪いわ」
「良くはないよぉ……」
フォーマルハウトの城内にある訓練場、その広いスペースで俺と傀儡人形が対峙していた。理由は今の会話の通り、八つ当たりだ。
とは言うが、実際そうならないように立ち回ることは間違いなく出来たはずなのに、あえてそうしたようにしか見えない以上、この八つ当たりも多少の正当性はあると見ていいはずだ。
勿論アリアとシトリーには俺の意見は却下された。何でだ。
「まあ、わたしもエミルのこれは八つ当たりで正当性もへったくれもないと思いますけど」
そしてスロウですらこれである。どうやら俺の味方はいないらしい。というかスロウはそれでいいのか。
「まあ実際病み上がりで余裕なかったし、誰が悪いって感じでもないとは思いますよ」
「はい、じゃあ終わりね。撤収するわよ」
「お疲れ様だよぉ……」
「待て待て待て。いいのか? あれに一発ぶち込めるチャンスなんだぞ?」
あの胡散臭い傀儡人形に、いいように使われて、いいようにあしらわれて。反撃するチャンスがやってきたのに、それをみすみす逃すなんて。
「いや、そもそも向こうも反撃するのよね? 手加減は当然するでしょうけど、間違いなく月の大聖女様との戦いと同じことになるわよ」
「あら? 意見が合わないの?」
そんなことをやっていたを見ていた傀儡人形が、こちらにやってくる。そうしてアリアとシトリーを見て、そしてスロウと俺を見て。成程、と笑みを浮かべた。
「なら、そうね。戦いたくなるお話をしてあげる。スロウちゃん、どうして水泡病になったのかしら?」
「え? それは、ルクワームクラブでぬくもりを取られた海に入ったからですよね?」
「……おい、お前まさか」
傀儡人形は答えない。それが答えだとばかりに微笑むと、さあ、少し遊んであげるわと訓練場の中心に歩いていった。
「ちょっとエミル。挑発に決まってんでしょ」
そんなことは分かってる。絶対になると分かっていたなんてことはないだろうし、そもそもスロウが海に入るかどうかも不確か。だから、思わせぶりな事を言って俺を戦いの場に引きずり出そうとしている以外の何物でもない。
だから、俺は行く。
「あーもう、馬鹿」
「しょうがないんだよぉ……」
「エミルがやるなら、わたしは隣にいますし」
いや、まあスロウみたいに乗り気ならともかく、アリアとシトリーは別に無理しなくてもいいからな。あくまでこれは俺の八つ当たりの延長線上なんだし。
そう言うと、アリアもシトリーもジト目で俺を見てきた。
「ここまで来て見学、なわけないでしょ」
「やる時は、いっしょだよぉ……」
「アリア、シトリー……」
こんな何の生産性もないただの八つ当たりにわざわざ付き合ってくれるのは、人がいいというか、いや、虫がいいか? それだと意味が違うな、まあいいや。とにかくこの二体は性格が相当いい奴らしい。
「エミル、エミル。何だかわたしの性格が悪いみたいなんですけど」
「お前は今更だろ。いや性格が悪いとは言わんけど」
「エーミールっ! ふーんだ、そうですか、つまりエミルはそんな人だったんですね」
「何でだよ。俺はただ」
「お二人共。いちゃつくのは後にしていただけますと」
そのタイミングでアンゼリカ嬢からジト目の待ったが掛かる。横ではセフィがいつものことだから、と彼女をなだめていた。別にいちゃついてはいないし、スロウの機嫌がただ悪くなっただけで。
「心配しなくても、エミルさんはスロウさんを大切に思っていますよ」
「それは、分かってますけど……」
「あ、こっちでもやるんだぁ、それ……」
セフィとスロウのやり取りにシトリーのツッコミが入る。なんだよこっちでもって。もういいからいい加減始めようぜ。さっきまでの怒りの気分が何だかもうすっかり無くなってしまった気すらする。
「ですが、その方がきちんと戦えるのではなくて?」
セフィはそう言って微笑む。そうしながら、向こうの思惑に乗る必要もありませんと言葉を続けた。
思惑って、そうか。挑発して怒りの八つ当たりになったところをいいようにする気だったのか。
「そんな単純な方法に引っ掛かるとは思っていないわ。安心して頂戴」
「悪かったな単純で」
そう言いながら武器を構える。怒りはなくとも八つ当たりは続行中だ。せめて一発はぶち込んでやる。
「ふふっ。では、始めましょうか」
そう言うと同時に傀儡人形の腹からタコの触手がまろび出た。クスクスと口元に手を当てたポーズのまま、腹から飛び出た触手が俺達にムチのようにしなって唸りを上げる。
「いきなり直接攻撃!?」
「意表を突いたでしょう? 貴方のことだから、きっと魔法や搦め手を使うと予想していた」
だからこその直接攻撃か。確かに意表を突かれたが、この程度の攻撃ならば余裕で躱せる。ズバンと触手が訓練場の地面を穿つのを見ながら、俺はそこに向かって剣を振るう。
「足ぶった切って焼きダコにしてやるぜ!」
びしゃり、と地面をうがった触手から水飛沫が飛ぶ。そんなもので攻撃が止まると思ったら大間違いだ。そのまま俺は。
「ちょ!? なにやってんのよあんた!」
俺は、アリアに向かって剣を振り下ろしていた。え? と思ったが、俺の意思に反して、武器を構え直したままクルリと立ち位置を反転させる。
「直接攻撃ならどうとでもなる、と思ったのでしょう? だからその水がどういうものかを気にせず浴びてしまった」
「なんだ、これ」
「傀儡人形の名前の由来、以前聞いていたわね。人を言葉巧みに操ることと、この人形の体を指してそう言うのだ、と。まあ勿論他の意味があるのだと考えていたでしょう?」
「まあ、そりゃ……じゃあ、これが」
口は動くが体は動かない。今の俺は完全に傀儡人形の操り人形だ。八つ当たりをするはずが、何故かそいつの味方をして仲間に剣を向けているという間抜けぶりである。
「ええ。名前の由来の一つ。殻の中の水を対象の体内に循環させ、傀儡にする。傀儡にする人形、だから私の名は、ね」
勿論制限はあるけれど。そんなことを言いながらも、傀儡人形は面白そうに俺を好き勝手に動かしている。やめろ、変なポーズを取らせるな。
「さて、水が循環し切るまでもう少し時間はあるけれど。貴女達はどうするの?」
「降参します」
「降参するよぉ……」
「エミル返してください」
「勿論よ。はい、スロウちゃん」
体が勝手に動き、スロウのもとに駆け寄って思い切り抱きしめる。もう絶対離さないとばかりのそれに、スロウも一瞬動きが止まってしまった。
「というか、スロウ、これ支援魔法や回復魔法でどうにかならないのか?」
「え? あ」
「気付くのが少し遅かったみたいね」
そう言ってクスクスと楽しそうに笑った傀儡人形は、踵を返しアンゼリカ嬢の下へと行ってしまった。
こうして訓練場の中心に残されたのは、スロウを抱きしめ続けている俺のみで。
「おいこれ解除しろよ! スロウ、お前でもいいから」
「せっかくなので、もうちょっとぎゅってしてもらおうかなって」
そうしてアリア、シトリー、セフィ、アンゼリカ嬢、傀儡人形の前で、十分近くスロウを抱きしめ続けることになるのだった。さっきとそう大して違わないなんてことはない。決してない。




