第十八話
ネクロマンサー騒動も終わり、村はいつも通りの日常が戻ってきた。ギルドの依頼はぽつぽつ、あるいは常設依頼程度で他は無し。そんな、なんてことのない日々が、俺にはなんだかやけに新鮮に感じられる。
「今までが普通じゃなかったから」
「はっきり言わないでくれ」
ギルドのお姉さんの言葉にそう返すと、俺はちらりと依頼掲示板を見た。冒険者生活を始めて最初の依頼。その時と同じように、そこには常設依頼しか貼っていない。ミミックロウラーの討伐。あるのはそれだけだ。
「あ、それそろそろ取り下げる予定だよ」
「え? そうなのか?」
「うん、スロウちゃんがこの村にいついてから、芋虫殺すのが申し訳なくなった人が増えたんだって」
「その当事者は遠慮なく虫ぶっ殺すけどな」
そもそも最初の依頼を受けたのもスロウだ。あいつが同族殺しをやりたがったから、俺は仕方なく受けたんであって、人でなし呼ばわりされる筋合いはない。そうは思いませんかお姉さんや。
「あの時はしょうがないって。まだスロウちゃんのこともよく知らなかったんだもの」
そう言いながらお姉さんは視線を横の机に移動させる。机の上で丸まって眠っている芋虫を見ながら、まあ確かに今ならスロウちゃんが言い出したんだろうって分かるけど、などと呟いた。
「それにしても、結構仲間が増えたわねぇ」
「何だか知らないうちにな」
今度は俺も一緒に視線を机の下に動かす。大体成人男性くらいのアリジゴクが寝転がっていた。スロウもシトリーも、ここ最近のドタバタの反動か、暇になったら昼寝するようになってしまった。まあまた忙しくなれば元に戻るだろうと放っておいてあるが、一見すると大分異様な光景ではある。
「ったく。そういうところは完全にモンスターよね、こいつら」
そう言いながら事務所からアリアが出てきた。書類の整理終わりました、とお姉さんに告げると、ギルドの受付変わりますよと言葉を続ける。ありがとうアリアちゃん、とお姉さんはアリアにお礼を言うと、じゃあ休憩入りますと事務所の中へと消えていった。
いやどうでもいいんだけどさ。お前もモンスターだよな。
「だから何よ」
「何と言われると返答に困るが。お前もう性質までモンスターやめたのか、と」
「何言ってんのよ。あたしの本質はモンスターのままよ」
ほれ、と右手がゴキゴキと音を立てて虫の節足に変わる。いやそういう意味じゃなくて、何と言うか本能とかそういう感じのやつの話をしているんだよ。だから顔をトリックモスの蛾顔に戻すのやめろ。今人来たら騒ぎになるだろ。
「そうだったわね。あたしもちょっと暇で気が抜けたのかしら」
顔を人間に擬態させながら、ふぅ、とアリアが頬に手を当て溜息を吐く。どうでもいいがその頬に当ててる節足、戻したままだぞ。おっと、と人間の手に擬態させたアリアは、本格的に気が抜けているなと項垂れた。
「アリアンロッテならこんなことにはならないのに」
「まああのキャラは気が抜けるなんて言葉とは無縁だろうから、そうだろうな」
「とは言っても、流石にアリアンロッテモードでギルドの接客は……」
そこまで言って、ありだな、とアリアは頷く。無しだよ。悪役令嬢がギルドの受付をするとかどういう展開の話になるんだよ。あれか? 主人公やヒロインがそこにやってきて、何故貴女がここに、みたいな展開か?
「いいわねそれ」
「よくねえよ。お前の中のアリアンロッテどうなってんだよ」
「誇りと気高さを持った決して折れない令嬢、それがアリアンロッテよ」
「ご説明どうも。んで? ギルドの受付嬢はそれに該当すんのか?」
「あんた受付嬢の仕事を馬鹿にするわけ?」
「そういう話じゃなかったよな今!?」
ああ言えばこう言うというか、打てば響くというか。アリアとそんな会話をしていると、机の上の芋虫がもぞもぞと動き、そしてゆっくりと上体を起こした。キョロキョロと顔を動かした後、ああそうでした、と俺の方まで這いずってくる。
「ギルドで昼寝してたんでした」
「ああ、そうだな。で、目は覚めたか?」
「割とガッツリ寝ちゃいましたからね。いー感じに覚めてますよ」
膝の上、というか俺に真正面からのしかかっているような状態のスロウがそう言うのを聞いて、んじゃ起き抜けに適当な散歩でもするかと提案する。それもいいですね、と頷いたスロウは、流石にこのままだとまずいかと人型に擬態した。
「そういうわけだから、アリア」
「シトリーの面倒はこっちで見とくわ、安心しなさい」
そう言って手をひらひらとさせるアリアにありがとうと伝え、俺とスロウはギルドを後にした。
「むにゃむにゃ……もうちょっとだけ食べられるよぉ……」
物凄く間抜けな寝言を背後で聞きながら。
村を歩く。エミル、スロウちゃん。そんな風に呼ばれて挨拶を返すようなタイミングもあり、その際にはアリアやシトリーは一緒じゃないのかなどと聞かれることもあった。どうやら、何だかんだあの二体も村にいることに馴染んできたらしい。
「エミルがいるから、じゃないですか?」
「それはないな。どっちかと言うとそういうのはお前の方だろ」
ミミックロウラーのスロウ。その存在がまず第一にあって、だからこそトリックモスのアリアとトラップレシアのシトリーも受け入れられた。そっちの方がしっくり来る。
そう思ったのだが、どうやらスロウは違うらしい。まず第一にいるのは俺なんだとか。
「だってわたしはエミルの使役モンスターですよ? エミルが使役しているから、みんな安心している。ってゆー方がしっくりきます」
「俺にそんな信用度ないよ。大体それ言ったら、アリアとシトリーは俺関係ないしな」
「え? セフィちゃん先輩、エミルの使役モンスターで登録してないんですか?」
「いや、そこは本人――本虫? に任せるって言ってはあるけど、別にならなくても良い状態で好き好んでなるやついないだろ」
「わたし!」
「お前は本当に何でだよ」
聖女になった時点で別に使役モンスターの部分なくせば良かったのに、何故か今もそのまま、こいつは俺に使役されている。まあ所詮書類上の問題だが、それでも便利より不便なことの方が多そうな気もするんだが。
「いーんですよ。わたしは、最初の約束を守りたかっただけですから」
「最初の約束って、あの時のか」
まだスロウが人っぽい芋虫でしかなかった頃の話。その時に群れに戻らない、と宣言したスロウは、そのまま俺の使役モンスターになると続けた。もうかれこれ五年以上は前の話だ。そのままその約束を俺も律儀に守るために魔物使いのスキルを覚えたりとか色々あったが。
「もうそんなに前なんですね」
どこか懐かしむようにスロウが呟く。いやお前そうは言うがその宣言ずっと言い続けてたし何なら冒険者になる時にも言ってたから覚えてる覚えてないみたいな思い出にはなってないぞ。
「初めて言った時は、もう思い出じゃないですか?」
「まあ、そりゃ」
最初の宣言は確かに五年以上前だ。そういう意味では思い出といってもいいし、確かに俺も今思い出として考えてはいた。けれど。
「別にもういいんじゃないのか?」
「よくないです」
まあ、別にこいつがいいならいいんだけど。無理して使役モンスター扱いをやめさせたい、なんてこともないので、別にそこまで食い下がらない。
その代わり、というわけじゃないが。
「なあ、スロウ」
「どーしました?」
「久々にあそこに行くか」
そう言って足を踏み出す。あそこってどこですか、などという質問が飛んでくることもなく、スロウは俺の隣で同じように迷うことなくその場所へと歩みを進めていった。
そうして辿り着いたのは森。ミミックロウラーを最初に討伐した場所ではなく、普段モンスターなんかは現れない、それでいてあまり人も来ないギリギリの場所だ。
「なんだか久々な気がしますね」
「実際久々じゃないか? お前が芋虫の被り物をしなくなった時だから……半年くらいは余裕で経ってるんじゃ」
「エミルが十五になるほんのちょっと前、でしたっけ」
「そんなもんか」
俺とスロウの擬態修業場所。冒険者になってから色々ありすぎて振り返る余裕もなかったが、今こうやってようやくそれが出来たわけだ。
そのままそこの一角に腰を下ろす。この木の下、ここでこうやって座っていたら。
「大丈夫?」
そうやって、まだ全然芋虫だったスロウが俺に尋ねてきて。
「大丈夫だ、ほっとけ」
そう言ってモンスター相手に返したんだったな。笑みを浮かべた俺を見て、スロウも嬉しそうに笑い、そして俺の隣に腰を下ろした。
「ねえ、エミル」
「ん?」
そうして最初のやり取りを思い出していたら、スロウがちょっと聞きたいことがあると俺に質問をしてきた。別に断る理由もないし、何だ、と俺は軽い調子で続きを促す。
「練習を付き合ってくれるって言った後、こう言いましたよね。『とりあえず人に見えるように、そう簡単に見破られて討伐されることがないように、そうすれば』――なんだったの?」
訂正。断る理由しかなかった。が、質問を受け付けないと今更言ってももう遅い。既にスロウは言い切ってしまっているし、後は俺の答えを待つだけになっているからだ。だから俺にはもう答えるしか選択肢はない。
とはいえ、実際問題何をどう答えたらいいのだろうか。あの時何を考えていたかなんて覚えちゃいない、なんてこともないのだが、しかし答えになるようなものは。
「自分でも分からない」
「えー」
「実際そうなんだから仕方ないだろ。そうすれば、なんだろうって思ってたんだよガキの俺は。あとは精々」
「精々?」
「……精々、森から出ても一緒にいられる、とか? 思ったり思わなかったりしてたくらいか」
まずい、自分で言っていて滅茶苦茶恥ずかしい。初対面の芋虫相手にこれって、何だか俺がこいつに一目惚れしたみたいじゃないか。芋虫だぞ、見た目は間違いなくモンスターだったんだぞ。
「じゃあ、ずっと一緒にいますよ」
「へ?」
「エミルが望んでくれるなら、わたしはエミルとずっと一緒にいます」
俺のそんな恥ずかしい思い出を聞いたからなのか。スロウは笑顔でそんなことを言い出した。いつものことと言えばいつものことなのだが、表情こそ笑顔だが、その言葉に込められらた意味は普段より強いようにも思えて。
「嫌ですか?」
「嫌じゃないさ」
だから、あの時とは違い、俺はスロウにそう返した。
「別に使役モンスターでもなんでもなくても、お前がいたいならずっと一緒にいてくれていいからさ」
幼馴染としてこれだけ一緒にいたんだから、これから一緒にいても何の問題もない。そんなちょっとだけ捻くれたことを思いながら、俺はスロウに向かってそう続けた。
そのタイミングで、スロウががばりと抱きついてくる。なんだ、いきなりどうしたお前。
「大好き!」
「いつも聞いてるよ」
そう言って俺は、抱きついてきたスロウの頭をポンポンと撫でる。ぐりぐり、とそれに合わせるようにスロウの頭が左右に揺れた。
そうしてしばらく森でぼーっとした後、そろそろ帰るかと立ち上がる。はーい、とスロウもそれに従った。
「もうすっかり、招待されたい家から帰る家に変わっちゃいましたね」
「ん? ああ、俺の家の話か」
その途中、アリアやシトリーと合流するためにギルドに向かっている道中の話だ。スロウが唐突にそんな事を言いだした。まあ確かに既にスロウの部屋まで出来ているからな、俺の家。
そんな無駄話をしてギルドに戻り、今日は夕食どうするのかとアリアとシトリーに問い掛けると、じゃあ一緒に、というのでそのまま揃って家に向かうことになった。
「エミルの家のご飯、美味しいから大好きだよぉ」
「あんた、ほどほどにしときなさいよ」
揃っても無駄話は終わらない。シトリーの言葉にアリアがそんなツッコミ入れつつ、そのまま俺一人とスロウ、アリア、シトリーのモンスター三体は揃って家の扉をくぐる。
『ただいま』
だなんて、何故か全員言いながら。




