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第十二話

 朝、目が覚めて。

 真っ先に視界に写ったのは人間ほどの大きさの巨大な蛾。


「うわぁぁぉぉぉ!?」


 覆い被さっていたそれを払い除けながら、俺は朝っぱらから盛大な奇声を上げる。対する巨大な蛾は、ひょいと避けると器用に椅子の上に着地した。そうしながら、何よご挨拶ね、と鈴を鳴らしたような声で文句を述べる。


「まだ寝てるあんたを起こして欲しいって頼まれたからやってやったのに」


 六つある節足のうち前足で器用に呆れたようなポーズを取りながら、巨大な蛾は――アリアはそういうわけだと俺に視線を向けた。いやまあ時計を見ると確かに寝坊をしているのは間違いないので、その点に対しては助かる。助かるのだが。


「覆い被さるのは違うだろ?」

「違うの? あんたを起こすにはそれが一番効果的だってスロウが」


 いやそりゃ起き抜けに巨大芋虫はバッチリ目が覚めるが、そういう意味では起き抜けに巨大蛾もバッチリ目は覚めるが。

 じゃあ問題ないじゃないかと言われると、それはそれでちょっと違うのではないかと思うわけで。


「そもそも寝ている男に覆い被さるな、はしたない」

「あ、そこなんだ。……いやまあ、実を言うとあたしもちょっと恥ずかしかったわ」


 そう言って頬に前足を当てる巨大な蛾。照れるくらいなら最初からやるのやめてくれますかね。俺としても、スロウならともかくアリアはまだ知り合って日も浅いからそういうことをされると心臓に悪い。


「スロウならいいんだ……」

「まあ、あいつは幼馴染だし、付き合い長いからな」

「あたしもまあ所詮モンスターだから完全に人間の機微を知っているとは言えないけど、アリアンロッテになるために色々と勉強したから多少は分かるわ。あんたのそれは多分二重の意味で違う」

「どういう意味だよ」

「片方は、人と芋虫モンスターで幼馴染だからとか平然と言っちゃう感性。もう片方は自分で考えろ」


 訳分からんが、まあ前者の方については自分でも割とおかしいのは自覚している。しているが、いかんせん己の捻くれた性格の賜物というべきか、それがどうしたと言えてしまう程度には図太い神経をしている。


「ま、そうでしょうね。じゃなきゃあたしなんかを仲間にしようとか思わないもの」


 やれやれ、と頭を振ったアリアは、じゃあ起こしたからねと器用に前足でドアを開けて部屋から出ていった。かと思えば、隣の部屋から起きろバカイモムシという声が漏れ聞こえてくる。どうやらスロウも寝坊らしい。

 そんな声を聞きながら着替えていると、ドアがノックされ扉から巨大な芋虫と巨大な蛾が部屋に侵入してきた。絵面が中々酷い。


「おふぁようございましゅー」

「ちょっとエミル。あんたらそろってどうしたのよ」


 ゆらゆら揺れる芋虫を一瞥してから、アリアがこちらに複眼を向ける。どうしたのか、と言われても。昨日はちょっと色々考えることがあってと伝えると、ああなるほど、節足をぽんと叩いた。


「あたし達に頼らない討伐依頼の件ね」

「……そうだよ」

「でも、エミルは例の悪徳の件もありますし、出来ればわたしたちもいたいなーって」


 そういう話し合いをしているうちに寝るタイミングを逃し、お互い寝たのは夜中だった。今回の寝坊の理由はそういうわけだ、そう述べると呆れたように巨大な蛾が頭を振る。


「いや、それならあたしも混ぜなさいよ。仲間でしょ?」

「そうしたかったんですけど、アリアちゃん昨日さくっと帰っちゃいましたし」

「あぅ」


 ほぼ居候状態のスロウとは違い、アリアはギルド近くの建物を住処として借り受け生活していた。アリアンロッテならそうする、というのがこいつの行動原理だから、まあつまり屋敷住みでない場合はギルドに関わる方向なのだろう、アリアンロッテの追放後の生活は。

 で、せっかく借り受けているのだからとギルドの手伝いを少しだけだがやっているらしく、昨日はその書類の整理が終わっていないからと早々に帰ってしまったのだ。


「言ってくれればそっち優先したのに」

「でもその代わり、アリアちゃんが寝不足になっちゃいますよね?」

「トリックモスは元々多少寝なくても行動出来る性質持ちよ、なめんな」


 まったく、と溜息を吐いたアリアは、そもそも、と芋虫のスロウと俺を見た。


「こうやって本体でうろついても何も言われないような場所を大切にしない理由はないわよ」


 それもそうか。スロウのせいで大分感覚がおかしくなっているが、擬態状態でもない芋虫や蛾の姿でいても「スロウちゃんは今日も可愛いわね」だの「おやアリアちゃんおはよう、今日はその姿なんだね」だの言うような人間が住んでいる家は多分ここくらいだ。次点でギルドのお姉さんのところ。

 ともあれ。寝坊の原因はそういうわけなので、今日はそのあたりも踏まえてギルドに行こうと思う。そう提案すると、スロウもアリアも了解と頷いた。







 流石に家から外に出る際には擬態が必要である。そろそろ大丈夫になってきたような気もしないでもないが、やはり一部の村人はそのビジュアルに忌避をしてしまうものもいる。ミミックロウラー討伐依頼が張り出されているくらいだし。

 そんなわけで道中は擬態、ギルドの建物に入ってお姉さんしかいないのを確認した後は好きなように、というのがここ最近の流れだ。ちなみにスロウはその時々で、アリアは基本常時擬態である。


「それで、エミル君。依頼は決まったの?」

「それはこれから決めるところかな」


 ギルドのお姉さんの言葉にそう返し、俺はギルド掲示板を見る。常時依頼のミミックロウラーはまあ置いておいて。それ以外の下級や中級だと一番手頃なのがウォーターラクーン、通称水洗いクマくらいか。


「いいけど、それだといざという時あたし手伝いにくいわよ、そいつ火に耐性あるし」

「いやだから俺一人で討伐するんだからそれでいいんだよ」


 どこまでも過保護である。そう、そもそも何故こんなことになったのかと言えば、このメンバーが強過ぎることだ。

 考えてもみて欲しい。スロウがいることで支援と回復で自身の能力がモリモリと上がり、アリアがいることで鱗粉による毒麻痺眠り幻覚なんでもございで敵の能力がモリモリ下がる。これで俺がやることは敵にとどめを刺すことだけだ。場合によってはアリアの火攻撃でとどめすらいらない。


「そもそも、スロウはもうしょうがないにしても。今更だけど何でお前までそんな色々出来るの?」

「アリアンロッテは火の魔法を得意とした他に、相手を弱らせる薬物にも見識が広かったわ。その力を使い、主人公達を何度も窮地に陥れたの、全ては己の誇りのために」


 アリアンロッテの名前が出た時点でもう察した。つまりこいつは完全にアリアンロッテになりきるためにはスキルもそれの準じたものでないといけないと考えたのだ。ここまで来るともう逆に感心するね。


「まあ結果として俺いらなくない? になってるわけだが」

「それは違うわよ。正直なところ、この辺のモンスターとあたし達の強さの釣り合いが取れてないの。ぶっちゃけるけど、下級なんか十匹単位で出てきてもどうにかなるわよ、今のあたし達」


 そんな強さのパーティーがその辺のモンスター一匹や二匹を相手にするのだから必然的に誰か出番がなくなる、と。そしてその割りを食ったのが今回は俺だった、と。

 そういうわけよ、と人差し指をくるくる回すアリアを見ながら、じゃあなおさら俺一人で討伐依頼をやらないとなと述べる。どういうことだろうと首を傾げるスロウの横で、そうなるでしょうねとアリアが苦笑していた。


「どういうことですか?」

「あたし達の言ったことのちゃんとした証拠が欲しいのよ、こいつは」

「別に、そんなことしなくてもエミルは強いってわたし知ってますよ?」

「お前がそう思ってることは俺も知ってるし、まあお前がそう思ってるんならちゃんと俺は強いんだろうけど」

「ねえアリアちゃん、これ慣れた?」

「まあまあ」


 何か向こうでお姉さんとアリアが何か言っているが、特にこちらに関係は無さそうなので放っておくとして。


「それでも、一人でやってみて自信をつけたいんだよ」


 そうスロウに告げると、少しだけ考え込む仕草を取り、分かりましたと頷いた。そうしながら、じゃあこれ受けましょうとさっき見ていた水洗いクマの討伐依頼を掲げる。ウッドベアより力が弱い分特殊能力で勝るこのモンスターを一人で倒して、そして。

 ちらりと視線を動かす。ギルドのお姉さんが持っているそれは、ベルンシュタイン公爵家のサインの付いている依頼書だ。つまりは、俺達専用の依頼。勿論依頼者はセフィで、城下町近くで起きた異常の調査協力をして欲しいというものだ。本来ならば即座に行くべきなのだが、俺の自信がぐらついていたせいで返事を一旦保留していた。だからそのためにも、俺は必ず。


「多分簡単に取り戻せると思うんですけどね」

「まあ、そうでしょうね」







 水洗いクマの水球をステップで躱す。あの時のウッドベアとの戦闘からそろそろ二週間、冒険者生活ももうじき一ヶ月になる。……まだ一ヶ月しか経ってないのか。そう考えるとやっぱり俺の冒険者生活は間違っているような気がしないでもない。が、まあそこはもういいだろう。

 今重要なのは、その一ヶ月の冒険者生活で俺はきちんと強くなっているということだ。


「うぉぉぉ!」


 斬、とウォーターラクーンをぶった切る。姿勢を低くして、別の個体からの水流を避けると、返す刀でそいつも叩き切った。これで討伐数は三匹、依頼は五匹だから残るは。


「っと、あぶねぇ」


 突進を剣の腹で受けながら、俺はバックステップで距離を取った。本来なら距離を取ることで向こうの水球や水流の攻撃チャンスを作ってしまうことになるのだが、今回にいたってはむしろそれは望むところだ。

 前に距離を詰めながら、水球を躱す。水流を避ける。多少は被弾するが、それでも俺の勢いは落ちない。驚愕なのか何なのか鳴き声を上げたウォーターラクーンを真っ二つにすると、最後の一匹を倒すために剣を構え直し、視線を。


「エミル!」


 スロウの声に反応して咄嗟に横っ飛びした。ぶわ、と地面から砂が舞い上がり、そしてさっきまで俺の立っていた場所が隆起する。いや、違う。そもそもこれは砂じゃない、鱗粉だ。


「トリックモス!? 地面に擬態してたのか」

「流石にミミックロウラーとはレベルが違いますね。捕食する直前までわたし分かりませんでした」

「まあ元々トリックモスは獲物じゃなきゃ脅威以外無視するからそんなもんよ。で、今回は」


 そう言ってアリアが笑う。ああそうですか、獲物取られて怒ってるってことなんですね分かりますよ。


「違うわよ、両方。獲物だったウォーターラクーンを倒されちゃったのもそうだし、その過程であんたを脅威と判断したってわけ」


 さ、頑張んなさい。そう言ってアリアはゆっくりと距離を取る。手伝います、と魔法をかけようとしたスロウを引っ掴んで、だ。ナイスだアリア。

 ちなみに最後の一体は今そこのトリックモスが食っているので、必然的に依頼を達成するためにはあれを倒すか、この辺りにいるかどうかも分からない六匹目を探すかの二択となる。俺が取るのは勿論前者。


「スロウ、あんたもちゃんと見守ってなさいよ」

「エミルが勝つのは分かってますけど、でも怪我するかもしれないのは心配ですよ」

「あれ? 勝つのは分かってるんだ」

「あれ見て分かりました。この間のアリアちゃんが特別だったんだって。モンスターとして測定すると、アリアちゃん多分上級行きますよね?」

「いや、それは知らないけど。まあでもその辺のトリックモスより強いのは保証するわ。……そういうあんたも、判定受けたら上級じゃないの?」

「多分そうですね、月の大聖女さんがそーゆーかんじのことを言ってましたし」

「月の大聖女、ねぇ」


 なんか呑気な会話してますね。まあそれだけ俺を信用していると思ってもいいんだろう。後アリアのボヤキは何となく俺も共感できる。今度会う約束取り付けるとかセフィが言ってたし、セフィの言葉なので何も考えずにアリアは了承していたが、まあ後悔ってのは後からするものだ、しょうがない。

 そんなことよりトリックモスだ。この間のアリアの時のようにスロウの解毒に頼った戦法は使えないし使わない。なので、舞い上がった鱗粉は吸わないように即座に距離を取る。

 そうしながらついでに、アリアに眼の前で同族殺しをするけどいいのかと問い掛けた。


「わたくしはアリアンロッテ。――慈悲をかける心は立派でしょうが、見知らぬ者までも全て救うことなど出来はしない、そうではなくて?」

「つまり大丈夫ってことだな。ちなみにそれ多分ヒロインが立ち寄った町の人の傷を全部癒そうとする場面のセリフじゃないのか?」

「よく知ってるわね。ひょっとして読み直したの?」

「お前の影響でな」


 そう言いながら剣を使って地面をえぐり取る。さっきまでウォーターラクーンが戦っていたおかげで、水たまりや泥には事欠かない。このトリックモスの一番の敗因は、出てくるのが遅かったことだ。俺が水洗いクマと戦う前から出てくれば、もうちょっと苦戦していたかもしれないのに。

 泥と水で鱗粉が掻き消される。そうして出来た隙間に向かって距離を詰めると、俺はその羽根を思い切り叩き切った。思ったより硬かったが、しかしちゃんと切れた。つまり、俺の攻撃は中級モンスターにも十分通用する。


「感謝するぜ、トリックモス。お前のお陰で、俺は自信を取り戻せそうだ」


 地面に落下したトリックモスの顔面に向かい、俺は思い切り剣を振り下ろした。朝のドアップを思い出し、こうして比べるとアリアって結構かわいい顔してるんだな、などとどうでもいいことも考えつつ一撃が叩き込まれ。

 ガキン、という音と共に、トリックモスの顔面と俺の剣が壊れた。


「げ」

「終わった後で良かったわね」

「そういえば、普段は剣の耐久値も上げてましたね」


 長さが半分以下になった剣を見ながら、俺はなんとも言えない表情になる。どうやら一番実力不足だったのは、この剣だった、というオチになりそうだ。さらば俺の最初の武器よ。


「それで、どう? あたしの同族倒して自信ついた?」

「その言い方やめない?」

「わたしの同族も、アリアちゃんの同族も倒しましたし、ひょっとしてそーいう流れなのかもしれないですね」

「何の流れだよ。そもそも、そんなこと言ったら」


 ミミックロウラー討伐から俺の冒険者生活があれよあれよと変な方向に向かっているのだ。これを機にまた変な方向になるとでも言いたいのか。


「セフィーリア様からの依頼があるじゃないの」

「変な方向だぁ……」


 そうだった。そもそもそのための自信回復の討伐だった。がくりと肩を落としながら、とりあえず今回の依頼達成と追加の討伐としてそれぞれの素材を剥ぎ取っておく。


「まあでも」


 その最中、スロウがなんてことのない調子で言葉を紡いだ。エミルなら大丈夫ですよ、と何の根拠もない言葉を述べた。

 でもまあ、スロウが言うならば。


「そうかもな」

「……あたしも思ってるのよ?」

「ああ。ありがとうアリア」

「こいつ、こういう時だけ素直だからたち悪い……」

「それがエミルですから」


 なんかそれ、俺の悪口になってないだろうか。



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