第十話
トリックモスは擬態を得意とする昆虫型のモンスターだ。姿は蛾に近いが、蜂に近い要素も持ち合わせている。顔なんか特にそうで、蛾のような顔に蜂の顎がついているのでいかにも肉食モンスターでございといわんばかりだ。
擬態要素はミミックロウラーとは違い、二つの要素を組み合わせる。体の形を変える同タイプの擬態と、鱗粉を用いた幻惑だ。これのおかげでトリックモスの擬態は見分け辛く、本体も凶暴性や強さも相まって中級のモンスターとされている。ウッドベアみたいな下級の上澄みで辛うじて中級かも、みたいなのとは違う、正真正銘の中級モンスターだ。
「――あら、怖がらなくても良いのですよ。わたくしは、争いを好みませんの」
「何か急に口調変わったな、別にもう取り繕う必要ないのに」
「うるっさいわね! あたしのロールプレイの邪魔すんじゃないわよ!」
どことなくおしとやかな口調からまた変わる。というか今ロールプレイって言った? ロールプレイってあれだろ、演劇とかでやる役割とかキャラを演じるやつ。
「そういうとこエミルの悪い癖ですよ、悪徳悪徳」
「お前はお前でやかましいわ。でもまあ確かに今のは反省するべきかもしれない」
曲がりなりにも相手は中級モンスターだ。ついこの間月属性頂点と手合わせしたので何となく感覚が麻痺しているが、普通は冒険者生活一週間程度のペーペーが敵うはずもない相手なのだ。そういう意味でも、ここは素直に謝罪しておくのがいいだろう。言葉も通じるみたいだし。
というかこういう言葉の通じて割と気安く喋るタイプを討伐するのは微妙に憚られるんだけど。隣にいる芋虫を思い出してしまうので。
「あーっと、じゃあ悪い。改めて会話を再開しようか、トリックモス」
「アリアンロッテ」
「へ?」
「わたくしはアリアンロッテ。かつて断罪され堕ちた令嬢、でも、心は未だ高潔なまま。さあ、大したことは出来ませんが、わたくしは貴方がたを歓迎いたしますわ」
す、とカーテシーを取った自称アリアンロッテは、そのまま案内をしますわと言いながらこちらに背を向け歩き出す。さっきのカーテシーの時も今も足元が全く見えないスカートだからなのか、その動きに足音は聞こえない。
「えっと、エミル。どうします? 背後から斬ります?」
「なんでだよ。お前俺をド外道にしたいのか向こうに合わせた行動して欲しいのかどっちだよ」
「エミルに任せますよ」
「じゃあついてくぞ。……というかお前の中の俺って、ああいう風にちゃんと応対してくれる相手だろうとモンスターならぶった切るみたいなイメージなわけ?」
「全然」
とりあえずチョップをお見舞いしておく。痛い、と若干涙目になるスロウを気にせず、そのまま自称アリアンロッテの後を追った。
「ところで」
「ん?」
「何でエミルは自称アリアンロッテって言うんですか?」
「いやだってアリアンロッテってこないだ言った小説の悪役令嬢の名前だぞ」
俺の言葉に先頭にいる自称アリアンロッテがピクリと反応した。その反応とさっきの口上からすると、どうやら本当に目の前のトリックモスは悪役令嬢アリアンロッテを演じているらしい。
「アリアンロッテって人は、こんな場所に住んでいるんですか?」
「いいや。物語の途中で主人公達に負けて国を追放されるんだ、だから」
「ええその通り。わたくしは国を追われた身。あの敗北は苦くとも、この命は未だ健在。ならば生きるが道理、でしょう?」
くるりと振り返る自称アリアンロッテ。そしてその言葉を述べた後、何だか凄く満足げでふぅ、と息を吐いた。あ、これ多分今まで出来なかったんだな。
「エミル」
「どうした?」
「わたしついていけてないんですけど」
「奇遇だな、俺もだ」
とりあえず目の前の自称アリアンロッテがどういう存在かはある程度分かった。言葉が通じるのも分かったから、会話も可能だろう。今までのを会話と呼んでいいのか分からないが、まあ意思疎通出来るとみていい。
となると、後は。
「なあ、アリアンロッテ?」
「ええ。何かご質問でもあるのかしら?」
「いや、俺達がここに来た理由は分かってんじゃないのか?」
「勿論。大方、前回のお客様からの招待状でも受け取ったのではなくて?」
「じゃあなん――」
ガクン、と膝から崩れ落ちた。いきなり何が起きたのか、と思う余裕もなくそのまま床に倒れ伏してしまう。これは一体、と朦朧とする意識の中で目を凝らすと、どうやら粉のようなものが舞っていることに気付いた。
「鱗粉……!」
「よくお気付きになられましたわ。ええ、この鱗粉には少々の麻痺毒と幻覚作用を混ぜてあります。久しぶりの会話は楽しかったけれども、わたくしはまだ捕まるわけにはいかないの」
捕まるってなんだよ。あれか? 小説のアリアンロッテは追放された後に暗殺者でも差し向けられたっていう流れでもあるのか? というかお前自分の設定で勝手にこっちを害するんじゃねぇ。
「エミル!」
「ふぅ」
「は?」
そんなことを思っている間に解毒したスロウが俺にも回復魔法を掛けていた。鱗粉の麻痺と幻覚の効果がなくなった俺はゆっくりと立ち上がり、よくもやってくれたなと真っ直ぐ睨みつける。
「いや、え? 待って? 何今の? 解毒と回復? ミミックロウラーが? というか今のは聖女の魔法じゃないの?」
「あれ、よく分かりましたね。最近聖女に認定されたスロウです、よろしく」
「はぁぁぁぁ!? 何でミミックロウラーが聖女認定されてんのよ、おかしいでしょ」
「まあそれは俺もそう思う。が、今はそんなことはどうでもいい、重要でもない」
剣を抜き放つ。会話は成立したし、素の状態でのスロウに対する驚きようから割と感性は一般人、一般虫? っぽいが、いかんせん行動原理が中級モンスターそのままだ。
「無闇矢鱈に人を襲うモンスターとなると、流石に討伐対象になるからな」
「くっ…………ん? 無闇矢鱈に? どういうことよ?」
「いやだから、お前が取り逃がした獲物だった相手から調査依頼が」
「待って。獲物って何の話よ。あたし人なんか食ってないわよ?」
「はぁ?」
本気で驚いた様子の自称アリアンロッテの表情を見る限り、どうやら嘘でもなさそうで。
どうする? とスロウに視線を送ると、まあなるようになるでしょうという返答が来た。さもありなん。
「大体、あたしは悪役令嬢アリアンロッテよ? 人を食べたら台無しじゃない。さっきのだってロールプレイの一環みたいなもので、ある程度したら解毒して帰ってもらうわよ」
「思った以上にやべー理由だ。というか、そもそもそんな理由で肉食モンスターの人食いってやめられるんだな……」
「何よ。それを言うならそこの芋虫だってそうでしょ? ミミックロウラーって成体になると一番獲物が狙いやすい擬態を鍛えるって聞くわ。人に完璧に擬態するってことは、元々の獲物は人だったんでしょ?」
「…………そうだったんですか!?」
「何でお前が一番驚いてるんだよ」
というか、話を聞く限りミミックロウラーとトリックモスって全く別種なのか。何となく実際の虫と同じように幼虫成虫の関係かと思ってた。
「あんた冒険者でしょ? そういうの習わないの?」
「その辺の実際の関係とかはもっと専門分野なんだよ。魔物使いの下級モンスター使役程度だと習わん」
「ふーん。まあいいわ、ミミックロウラーは成体でもその芋虫のままだし、あたし達トリックモスは幼体でもあの姿よ」
一つ賢くなったわね、と自称アリアンロッテが笑う。モンスターにモンスターの知識を習うのは割と合理的なので問題ないはずなのだが、なんだろうこの微妙にムカつく感じ。
「にしても、よくそこまで鍛えたわね。普通のミミックロウラーじゃ多分百年生きてても達成出来ないわよ、それ」
「ふふん、どうですか?」
「何で俺を見るんだよ、向こうにドヤれ」
そう言いつつ、俺は視線を自称アリアンロッテに向ける。そう評価している自称アリアンロッテ自身も、その擬態はかなりのものだ。薄い赤紫のウェーブロングの髪も、ツリ目気味の黄色い瞳も、艶のある唇も、フリルの付いたゴシックドレスを着ていても分かるスタイルの良さも。物語のアリアンロッテが現実にいたのならばこうだろうと思わせるような美しさで。
「むー」
「どうしたスロウ」
「わたしは!? わたしは可愛いですか!?」
「何対抗心燃やしてんだよ。お前の擬態は完璧だよ」
「ねえ、あたしをダシにしていちゃつくのやめてくれる?」
ジト目でこちらを見る自称アリアンロッテ。別にいちゃついてなどいないし、そもそもこいつは芋虫だ。知らないなら教えてやるが、俺はこいつが非常に気持ち悪い人みたいな芋虫の時からの付き合いなんだ、だから正体も何もかも知ってるんだよ。この人の姿がどうだとか、そういうところの話はとっくに終わってるし、人の擬態が可愛いからとか関係ないの。
「惚気けるな。ぶっ飛ばすわよ」
そうやって俺と芋虫はそういう関係ではないと説明したら、ジト目が更に鋭くなった。そうしながら、何かやる気が無くなった、と視線を落として溜息を吐く。
「まあいいわ。出ていけっていうならここから出ていくし、討伐するって言うならお好きにどうぞ。まあその時は勿論こっちも抵抗するわよ。ぶち殺す気でいくわ」
「しないしない。あ、でもこの廃屋敷にこのまま住むのはどうだろうか」
「別に新しい住処探すだけよ。こほん――わたくしをわたくしたらしめているのは家格でも、巨大な屋敷でもありません。心が、誇りこそがわたくしなのです」
「アリアンロッテのセリフか」
最初のロールプレイの邪魔云々のくだりからして、こいつのやりたいことはアリアンロッテになりきることなんだろう。そのためにはモンスターの本能とか取っ払ってしまうほどの執念があるらしい。
そこに何となく横の芋虫と似たようなものを感じて、俺は思わず笑ってしまった。こんなバカがまさか他にもいるなんて、と。
「わたくしを馬鹿にしたの?」
「いや、別に今のはそういう意味では」
「他のことならばともかく。わたくしを――アリアンロッテを馬鹿にするのは許さないわよ!」
「だから違うって!」
問答無用、とキレた自称アリアンロッテの背中から巨大な蛾の羽が生えてくる。いや、違う、生えたんじゃない、見えるようにしたんだ。こいつ、徹底的にアリアンロッテになるために、擬態している時の虫要素は鱗粉の幻惑効果で隠してたらしい。そこまでくると逆にすごい。
そのままふわりと浮かび上がった自称アリアンロッテは、鱗粉を撒き散らしながら広いホールを飛び回った。さっきの案内、ってそうか、自分の戦いやすい場所に誘導してたのか。
「……てか、スカートで飛ぶなよ。見えるぞ」
「この部分見てその反応なのもどうなのよ」
急ブレーキを掛けた自称アリアンロッテが呆れたように溜息を吐く。そうしながら、その長いスカートをゆっくりとたくし上げた。
腰のコルセットから下の部分、人間でいう下半身が虫の下腹部である。成程、足が無いから足音がしなかったわけか。移動は隠してある羽で超低空飛行をしていたってことか。
「普通はこれ見て大騒ぎするものなんだけど。多分あんた達に調査を依頼した奴だと思うけど、そいつは堕ちて呪われた令嬢だって半狂乱で逃げてったわよ」
まあ普通は美少女のスカートで隠された下半身が虫の下腹部だったらそういう反応になると思う。が、いかんせん俺はもうスロウで慣れきっているので、今更虫の下腹部を見せられてもなんとも思わない。というかスカート捲り上げるな、はしたない。
「エミルが見たいならわたしも」
「見せんでいい。お前の場合は普通にパンツ見えるだろうが」
隣のアホ芋虫にチョップを一発叩き込んでから、さてではどうする、と再度自称アリアンロッテを見た。今のやり取りで戦意が無くなってないだろうか、と期待はしたものの、その辺りのげんなりよりアリアンロッテを馬鹿にしたことの怒りの方が勝るらしい。どんだけ強火だお前。
「ええ、わたくしは強火でしてよ。そう――強火でこんがり焼いてあげる」
「げ。やばい」
「エミル!」
ふふん、と笑った自称アリアンロッテの笑みでやりたいことを察した俺は、慌ててスロウを引っ掴むと全速力でもと来た道を走った。それと同時、鱗粉が着火してホールが爆発する。ちゃんと上空は燃えないように加減してあるところは流石中級モンスターといったところか。
「おい、スロウ。大丈夫か、焦げてないか?」
「エミルのお陰で。それよりエミルの方は」
派手な爆発のわりにダメージは少ない。ちょっと焦げた程度だ、と言うとスロウは即座に回復をしてくれた。ありがたいけど、こうもすぐに全快して動けるようになると、何かの拍子にスロウと別行動になった途端無茶して死にそうで怖い。これ前も思ったな。聖女が隣にいるって、案外いいことばかりじゃないのかもしれない。
「しかし、どうするか」
ブチ切れている割にはさっきの爆発もなんだかんだ死なないよう手加減している辺り、結構根は悪いやつではなさそうだし、割と話せる奴だし、そもそも発端は誤解だしで、出来ることなら殺したくはない。というか殺すにはスロウのガッツリ支援が必要なレベルなので、油断すると普通にこっちが返り討ちにあう。それも踏まえ、出来れば適当なところで落とし所を作りたいが、そうするには向こうが話を聞いてくれる状態になってくれる必要があるわけで。
「エミル」
「ん?」
「ちょっと試したいことがあるんですけど、いいですか?」
「ああ。まあ無茶しないなら」
「大丈夫ですよ、無茶をするのは」
そう言って口から糸を吐く。ぶわわ、と猛烈な勢いで吐き出された糸はぐるぐると折り重なり、紡がれて。
「この、スロウ二号ですから」
この間隣町の宿屋で見せた手のひらサイズの可動フィギュア、その等身大バージョンとでもいうべき。
もう一人のスロウが出来上がった。




