08. 立ち塞がる方向性の違い
「…つまりワトソン嬢は、玉の輿狙いで兄上やその他のご令息に近づいているということだね?」
「はい。ワトソンさん本人がそう呟いていました」
「へ~。サイコパスってわけじゃなかったんだな~」
生徒会室で報告を行っていたセラフィに、オーガスタは心底そう思っていたと言わんばかりの声色で呟く。
一方、リーンハルトは神妙に考えを巡らせている。
「何も考えてないだけってわけではないなら、多少なりとも話が通じる可能性もあるのか…? 王家に嫁ぐには、当事者の意向以前の問題として規定の条件を満たす必要があるという現実を理解してもらうことが出来れば、自分から身を引いてくれる可能性もなくはないんだろうか…」
王家に嫁ぐ女性には、押しも押されもしない後ろ盾があること、もしくは、王家にとって非常に有益な稀有な能力を有することが求められる。
もちろんこの『稀有な能力』とは画期的な政策を打ち出す頭脳であったり、複数の国と通訳を介することなく渡り合うことのできる語学力であったり、人の何倍もの執務量を正確にこなす事務処理能力であったりといったものであって、好みによって評価が分かれるようなもの…例えば『美しさ』などはこれには該当しない。
ただし、「いったん高位貴族をかませばどんな出自でも能力でも王家に嫁ぐことができる」などと安易に考える輩が現れることを防ぐべく、王家に迎え入れようという人物には適性試験が科されている。
知識や教養、所作、品位、人望などを測られ、一定のレベルに達していない場合は容赦なく『不適合』とされる。ここで不適合と評価されてしまえば、どれだけ血筋が尊かろうが突出した才能があろうが王家に迎え入れられることは例外なく絶対にないんだそうだ。
まあ、王子妃を狙えるような家門のご令嬢は、幼い頃からそれを見据えて教育されているので、よほどのことがない限りは不適合になることなどないのだが。
もちろん前世のセラフィのテキトー設定ではそんなところまで作り込んじゃいなかったのだが、この世界の補完機能が物凄くちゃんとした国に仕上げてくれたらしい。
あの補完も、時々はいい仕事をしてくれるようである。
ピンクブロンドの男爵令嬢ミーナ・ワトソンは、知識も教養も足りていなければ所作も全然なっていない。しかも、あっちこっちに粉をかけるという問題行動により品位も人望もない。現状、基準を全くクリアできていない。
もしミーナがどこかの高位貴族に養女として迎え入れられたとしても、何か卓越した能力を有していたとしても、今の彼女では「王家に嫁ぐには値しない」という評価が下されることは確実と言える。
傍から見ているだけの人間は、わざわざ指摘されるまでもなく気づくことなのだが、浮かれ散らかしている当事者たちは全くそれに気づいていないようだ。
ミーナに至っては、恐らくそんな前提があること自体を知らないに違いない。
これが乙女ゲーム転生系のお話だったら、真っ先に男爵令嬢に攻略される役どころを背負わされていたであろう、騎士団長の息子・オーガスタだが、元ネタが単なるコメディ作品だったおかげなんだろう。ミーナにはちっとも興味がないようで、遠慮の欠片もなく言い切った。
「いや無理だろ。そもそも人の話を聞く耳なんか持ってねーからトラブル起こすんだろ」
「…それもそうだな…」
「しかもあの子の場合、リーンハルトの方から話しかけただけで変な勘違いしそうだから、迂闊に近づかない方がいいと思うぞ。そもそも、ラインハルト殿下といい雰囲気なのに、何でラインハルト殿下より格が落ちるリーンハルトにまで絡もうとするんだか、俺にはわからん」
リーンハルトは側妃腹の第三王子であり、近い将来、王籍を離れることが確実視されている。王子の中では明らかに格が下がるのだ。
リーンハルトに近づいた後に第二王子・ラインハルトに鞍替えするのであれば「更なるステップアップを狙ったんだな」とすんなり受け止めることが出来たのだが、今回は逆なので、玉の輿狙いであればこそ、オーガスタには理解できないようだ。
だけど、ミーナの行動原理には裏などない。至極単純なものなのだ。
「あの…会長のお顔の方が好みだって…」
「あ~なるほど。イケメンはいらんトラブルに巻き込まれて大変だな。俺には一生縁がねーヤツだわ」
するっと他人事を決め込むオーガスタに、セラフィはシンプルに疑問を覚える。
「どうして? オーガスタだってイケメンじゃない」
「―――――へ?」
「精悍で男らしいと言うか…キリッとしてて背も高くて、誰の目から見てもオトコマエなのに」
そもそも、生徒会役員は顔面偏差値が高いっていう設定なんだから、当然オーガスタだって、しっかりイケメンである。
もしモテないのであれば、それはきっと顔面以外の要因なんだろう。
セラフィが思うに、たぶんオーガスタはいい人止まりに陥りがちなんじゃなかろうか。
いいヤツなのに。いいヤツ故に。
「―――――お、おお。何かありがとな」
オーガスタは、気圧されたかのようにぽかんとしていたが、じわじわ言葉が吞み込めてきたようで、照れくさそうに頭をわしわしと搔いている。
明るく前向きなオーガスタのことだから必要以上に卑屈になったりはしないと思うが、少しでも自信に繋がってくれたのならセラフィとしても何だか嬉しい。
そんな気持ちで、二人でへらっと笑っていたら、リーンハルトがガシッとオーガスタの首根っこを引っ掴んで生徒会室の隅っこに引っ張って行った。
「―――――どうしてくれようかオーガスタ………」
リーンハルトは何やらドロッとしたものを溢れさせながらオーガスタににじり寄っている。
「いや俺なにもしてなくね?」
「オトコマエだと…? 俺は言ってもらったことなんてないのに………」
「『俺』が出てるぞリーンハルト。そりゃ王子に擦り寄ろうとしてるみたいなこと、慎ましいセラフィに言えるわけねーだろが。俺は家格が同じだから、気負う相手じゃねーってだけだと思うぞ」
「だとしても許せん」
こそこそとナイショ話している幼馴染二人を「ホント仲良しねえ…」なんて思いながら眺めていたセラフィの横に、いつの間にか公爵令嬢・フリデリカ(副会長)が立っていた。
「あらあらリーンハルト殿下ったら余裕のないこと。セラフィはこちらで、わたくし達とお話してましょう?」
「あ、はい!」
第二学年の二人はいつも落ち着いていて、わちゃわちゃしている第一学年トリオを広い心で見守りつつ、しっかりフォローしてくれている。
先輩二人は、完全に脱線していた後輩三人とは異なり、ちゃんと本来の任務のことを話し合っていたらしい。
「我々は風紀を正さなければなりません。甘い対応では、性懲りもなく同じようなことを繰り返すオツムの弱い輩を蔓延らせるだけです。ここはやはり、見せしめが必要なのではないでしょうか。身分が高かろうが例外ではないのだということを示すには、ラインハルト殿下は正にうってつけだと思うのですが、如何でしょう?」
「あのお方は、現状恥さらしでしかございませんので、改心しないようであれば我らが王太子殿下の治世には必要ありませんわ。やっておしまいになればよろしいかと」
「ですよね。ちゃっちゃとやっちまいましょう」
(…ひえ~………)
第二学年の二人は、そろって第二王子・ラインハルトに対して辛辣だった。
公爵令嬢・フリデリカは王太子である第一王子の婚約者だし、宰相の息子・ユングは王太子の側近となることが既に内定しており、王子に対して苦言を呈することが許される立場にある。
特に、道理を重んじていないとしか思えない第二王子・ラインハルトには口を酸っぱく言っているらしいのだが、ラインハルトは聞く耳を持ってくれないらしい。
気後れしがちなセラフィは、いつも二人の強さに感動してしまうのだが、この流れはいけない。
ユングは兎も角として、フリデリカの関与が強くなりすぎては、お裁き現場に立ち会うことになる可能性が高くなってしまうではないか。
「あの、あの、えーと…。でも、お二人は今後もラインハルト殿下との関係性が続いていくわけですし、人間関係がギクシャクしてしまうのも得策ではないように思います」
セラフィは「だからここは、王家とは何ら縁のない私が」と続けるつもりだったのだが、それを待つことなくユングはきっぱりと言い捨てた。
「いえ、ご心配には及びません。やるのは私ではなくブラックですので、私の与り知らぬことです」
「そうですわね。せっかくですので、わたくしもホワイトにやって頂きますわ」
「王族にふさわしい振る舞いができないラインハルト殿下など恐るるに足りませんしね」
「ええ、本当ですわ」
ははは。ほほほ。と、息の合った笑い声をあげる先輩二人の姿に、セラフィは呆然と佇むことしかできなかった。
クールビューティーなお二人が。
くだらない茶番になどチラリとも目を向けなさそうな気高いお二人が。
戦隊ヒーローもどきとして人前に出ることに対して、何の躊躇いも見せずに和やかに笑っているというこのミステリー。どなたか謎解きをお願いできないだろうか。
「あ―――――っ! 先輩たちが俺らをのけ者にして出動計画立ててる! ズルいですよ俺も混ぜてくださいよ!」
話し合いが決着したのか、リーンハルトから絡まれることに辟易してきたのか、こちらの動きを察知したらしいオーガスタが駆け寄って来る。
リーンハルトもまだ何か言いたそうな雰囲気はありつつもそれを口にすることなく、ゆっくりとこちらに近づいてくる。
だけど、セラフィと目が合った瞬間、微かに切なそうな表情を浮かべたように見えてしまって、セラフィの心臓は何故だかとくんと跳ねたように感じた。
「―――――会長…?」
セラフィは無意識のうちに呼びかけてしまっていたが、その次の拍子には、リーンハルトは何事もなかったかのように、いつも通りの穏やかで優しい笑みを浮かべていた。
「先に兄上を正すことになったのかな?」
「えっ…あ、はい」
まるで先ほどの表情は見間違いだったのかと思うほどに、リーンハルトは何でもない声色で話しかけている。
もう表情には一欠片の陰りもなく、気持ちを取り繕っているようには少しも感じられない。
例えあの表情が見間違いではなかったとしても、リーンハルトは、それについて語るつもりはないのだろう。
(もしかして、オーガスタと喧嘩しちゃったのかな…)
セラフィは、先輩の輪に加わった後は幼馴染コンビの様子には意識を向けていなかったので、雲行きが怪しくなって行っていたとしても気づけていなかった。
でも、喧嘩継続中なのであれば態度に出そうなオーガスタは完全にいつも通りなので、喧嘩が続いているわけではなく折り合いはついたんだろうと思うのだが…
(余計な気を使わせちゃうかもしれないことを気にしてるのかな…?)
普段どおりの態度で接するリーンハルトに、普段通りに接して欲しいってことなんだろうと判断したセラフィは、不自然にならないようにだけ意識してリーンハルトに微笑みかけた。
リーンハルトは嬉しそうにふわっと表情を綻ばせたので、正しい対応だったってことなんだろう。
そうだろうとは思うのだが、セラフィは何だかどぎまぎしてしまっていた。
それがどうしてなのかは、言葉にすることは難しいのだけれども。
「兄上が相手だと、やっぱり私はちょっとやりにくさを覚えちゃうんだよね。せっかくの機会だから心置きなく振り切りたかったんだけどな」
あの哀切を帯びた表情なんて微塵も感じさせることなく、リーンハルトは朗らかに語っている。
…内心あたふたさせられているセラフィの気持ちも知らないで。
きっとリーンハルトは人たらしに違いない。そう思うことで気持ちを落ち着かせようとしていたセラフィは、ふとリーンハルトの発言内容にひっかかりを覚えた。
(ん…?『心置きなく振り切りたい』って、どういう…?)
セラフィには先程のニュアンスは、「思いっきりやりたかったのに、兄上相手だとちょっとなあ…」と言ってるようにしか聞こえなかった。「第二王子の愚行を止めたい」がメインではないように聞こえてしまったのだ。
さっき話し合っていたのはお裁きのことであって、セラフィは出陣する気満々のホワイトとブラックを止めようとしてたわけで、…つまり………?
嫌な予感に支配されたセラフィは、恐る恐る口を開いた。
「会長はえっと…その………レンジャーやりたかったりするんですか……?」
「うん。実は」
リーンハルトは少しはにかんだように表情を緩ませている。
(えええええ~!?)
セラフィは衝撃を受けずにはいられなかった。
いや、まあ、はじめから生徒会の面々の反応は、ノリノリのオーガスタは置いておいてもレンジャーに対して拒否反応があるようには見えなかったが、それは使命感によるものであって、恥じらいや忌避感は少なからずあるはずだと思っていたのだ。だってセラフィにはあるから。
それなのにすんなりと受け入れているどころか積極的に黒歴史を刻もうとする皆さんに、セラフィは動揺を抑えるだけで精一杯である。
「あの…どうしてですか…?」
「立場が弱いとは言え私も一応王族だから、常に人目に晒されていてね。日頃から節度ある言動が求められていて、こんな機会でもなければなかなか羽目を外すこともできないから」
(うっ………)
リーンハルトの言い分は、哀しいかなセラフィにも理解できてしまった。
リーンハルトだって本当は、馬鹿馬鹿しいことを全力で楽しんだり、くだらないことで大笑いしたりもしてみたかったんだろうに、ただ王子だというだけでなく立場が弱いが故に、足元を掬われる可能性を極力排除するためにも、それは許されて来なかったに違いない。
レンジャーは身分を隠して活動するのだから、「王子がやったことではない」として扱われるので、堂々とはっちゃけていいってことだと解釈したくなるのも頷ける。
リーンハルトの気持ちは分かる。
叶えてあげたい気持ちもあるけれども―――――
(でも、でも、ちっとも正体隠せてないのに………?)
リーンハルトに名乗りとポージングを回避してもらいたいというのは、謂わばセラフィの気持ちの問題であって、リーンハルトの意向に沿ったものではない。
窮屈に生きてきたリーンハルトの心中を思えば、望みを叶えてあげるべきなんだろう。
でも、そもそもあんな戦隊ヒーローもどき、普通の国、普通の学園には絶対にいない。いるわけがない。すんなり受け入れられていること自体が既におかしい。
こんなの前世のセラフィのおふざけ小説の影響なのは疑いようがないわけで、やっぱりどうにも居たたまれないのだ。
(うう………。変装せずにお裁きを言い渡すだけじゃダメ…? それじゃ全然はっちゃけたことにならないから、会長は満足できない…?)
そもそも、レンジャーの出動を阻止したいのは恐らくセラフィだけだろうという、直視しがたい現実がそこかしこに垣間見えてしまっていて…。
セラフィは一人密かに苦悶し続けていた。