06. ピンクブロンドの男爵令嬢
翌日、想定外のことが起こった。
件のピンクブロンドの男爵令嬢・ミーナが、なんと、生徒会長・リーンハルトに声をかけてきたのだ。
「昨日、生徒会の皆さんと屋上でランチしてたじゃないですかぁ。今まで会長さんランチの時間帯に見かけたことなかったので、ランチ食べない人なんだろうなぁって思ってたんですけど、そういうわけじゃないみたいなのでぇ、今日はわたしと一緒にランチしませんかあ?」
「え、私…? 兄ではなく………?」
「はいっ!」
リーンハルトは見るからに困惑している。
ミーナとは、年次こそ同じだがクラスが違うこともあって接点はなく、挨拶を交わしたことすら恐らくない。
にも関わらず、親し気に声をかけられたことにも驚いたし、そもそも何故自分をランチに誘ってくるのやら、さっぱり理解できずにいた。
が。もちろんきっかけは昨日のランチ偵察にあった。
リーンハルトは、華やかさの中に爽やかさを併せ持つ紛うことなき超絶イケメンであり、ただそこにいるだけでとんでもなく目立つのだ。
そんなリーンハルトが長時間近くに居座っていたら、気づかずにいる方が難しい。
当然、昨日のミーナとて早々に、背後で存在感を放つリーンハルトに気づいていたし、和気あいあいとランチを楽しむ生徒会の面々が気になってしまい『本日のお相手君』との会話どころではなくなってしまった結果が、あの黙々としたランチだったのだ。
そして、ミーナが「あ、生徒会長ってランチに誘っても大丈夫な人なんだ」という認識を持ってしまったことにより、いまのこの事態を招くに至っているのだった。
リーンハルト以上に、セラフィも困惑している。
だって、前世のセラフィの考えたお話では、こんな展開はなかったはずなのだから。
今回は、昨日の「粗いトコロを突いてくれちゃいましたか…」みたいな、じっくり考えてみると納得するしかないケースとはわけが違う。
あのお話は大した長さでもなかったし、そもそも細かいエピソードには全く力を入れていなかったので、途中経過の部分なんて容赦なく割愛してしまっていた。
「男爵令嬢の狙いを探っていた生徒会役員たちは、なんやかんやありつつも彼女の狙いが玉の輿であり、本命は第二王子であることを掴んだ」くらいの実にアバウトなモノローグでさら~っと流してしまっており、そして今現在、自分達はその碌すっぽ描写していない部分を粛々と消化している真っ只中にいるという認識でいる。
と言うことは、『なんやかんや』の一言でふわっと済ませた部分を、この世界が補完した結果が、今のこの事態と考えるべきだろう。
(私が作ったお話のはずなのに、テキトーかつ大雑把な部分が多すぎて、原作の知識がほぼほぼ役に立たないんだけど…)
この世界とは膝を突き合わせて語り合いたい気分ではあるが、そもそも前世のセラフィがもうちょっと気合を入れて、「男爵令嬢は生徒会役員に対して、本能的に相いれないものを感じているらしく、自分から近づいて来ることはない」といった一文くらいさりげなく仕込んでおけば、リーンハルトがこんな風にミーナから絡まれる事態を招くことはなかったように思う。
絡まれるのがセラフィであってくれれば、自業自得みたいなものとして粛々と受け入れられたのに、煽りを受けるのが何故かリーンハルトだという目の前の現実は、セラフィのいたたまれなさを否が応でも刺激してくる。
せめてセラフィに出来ることは全てやるくらいの誠意は見せなければなるまい。
セラフィは決意のもと顔を上げた。
「大変オーガスタ、会長がピンチよ…!」
救出に乗り出そうとするセラフィを横目に、オーガスタは落ち着き払った態度でセラフィを制止した。
「いや待てセラフィ、ひょっとするとこれはチャンスかもしれない」
「え?」
オーガスタは声を潜めてセラフィに語り掛ける。
「ご親切にもターゲットの方から接触してきてくれたんだ。みすみすこの機会を逃す手はない。会長には彼女の誘いに乗ってもらって、直に探りを入れてもらうのが得策だと思わないか?」
「あ、スパイ的な…?」
「それそれ。お~。会長かっけー」
確かに、こちらから近づいたわけじゃないので、何ら警戒されることなくミーナに接触することができる。
偶然を装ってミーナの側をうろちょろしながら必死に聞き耳をたてるよりも、直接会話できた方が、スムーズに得たい情報を得られるのも確かだろう。
理屈はわかる。それが一番合理的だとも思う。
そうは思うのだが―――――
「でも、会長が物凄く恨めしそうなカオでこっち見てるんだけど…」
そう。当のリーンハルトが先ほどから、どんよりとしたオーラを漂わせて、これ以上ないくらいありありと不本意を訴えかけてきているのだ。
あれはどう考えてもセラフィとオーガスタに助けを求めている。
あのオーラに中てられておきながら、素知らぬ顔で受け流す勇気などセラフィにはない。
「あれはただのヒガミだから、ほっといても大丈夫だ」
「………ヒガミ…?」
「ほら、会長は俺たちの頼もしいリーダーなんだから、使命から目を背けるような真似するはずがないじゃあないか」
「そっか…な………?」
「そうそう!」
公然の事実として、リーンハルトとオーガスタは幼馴染で、とても仲がいい。
一応オーガスタは身分差に配慮して、学園ではなるべく馴れ馴れしくしないように努めているようだが、生徒会室で二人で会話しているときなどは口調も砕けているし、気を抜くと名前も呼び捨てていたりする。
そんな、リーンハルトをよく知っているはずのオーガスタが力強く言い切るのだから、それが正解のような気がしてくる。
いたたまれなさにかまけて「とにかく何とかしなきゃ」という考えに傾きがちなセラフィだが、ミーナの動向を探るという任務の方に主眼を置けば、確かにこれは降って湧いた好機と言えるかもしれない。
(それに、会長がワトソンさんの側にずっと張り付いてくれてたら、いざ戦隊ヒーローもどきがお裁きを下す場面に突入しちゃったとしても、会長には変装する隙がないってことにならない…?)
レンジャーに扮するのは今回ただ一回こっきりだと決まっているわけではないのだから、今後のことを考えると、他人の目があるところで堂々と変装するような真似はできない。
いくら正体なんて思いっきりバレバレだったとしても、いけしゃあしゃあとシラを切り通さなければならないのが、陰のヒーローってもんなのである。
(そう考えると、少なくとも会長だけは大惨事を回避することができるのかも…)
公爵令嬢・フリデリカ(副会長)にも大惨事は回避していただきたいところだが、今のところフリデリカよりもリーンハルトの方が遥かに惨事に近いところにいるので、まずはリーンハルトを最優先に考えても許されるように思える。
「じゃあワトソンさんの偵察は会長にお任せして、私達は後方支援に回った方がいいかな…?」
「おう。それをおススメ「オーガスタ~………?」あ~…もう撒いて来たのか早えなあ」
「えっ? あ、会長!」
背後からかかった地を這うような声に驚いたセラフィが振り向くと、そこには、自力でミーナを躱してきたらしいリーンハルトが、オーガスタにじっとりとした視線を送っていた。
「なに逃げて来てんですか会長。リーダーがやる気を見せてくれなきゃ、俺ら下っ端に示しがつかないでしょう。さささどうぞ男爵令嬢のところにゴー!」
リーンハルトの湿度の高い視線など全く意に介さず、しれっと煽るオーガスタの首にがしっと腕を回したリーンハルトは、小声で恨み言を吐く。
「おっまえ…ここぞとばかりに…」
「そりゃそうだろ。才能に溢れ容姿にも恵まれて人生イージーモードなリーンハルトだって、たまには思い通りにならない歯がゆさってもんを味わってもらわないと、俺みたいな筋肉しか持ってない人間、やってらんねーだろが」
獅子の子落とし的なことなのだろうか。オーガスタはリーンハルトに試練のようなものを与えたいらしい。気の置けない関係性だからこその感覚なように思う。
「それだけだよな? 他の意図はないんだよな?」
「さあ、どうかな~?」
「オーガスタ~………っ」
オーガスタは分かりやすくニンマリと笑っているので、期待通りの反応を返してくれるリーンハルトとのやりとりを楽しんでいるんだろうことが感じ取れる。
オーガスタの気持ちは、まあ何となく分からないでもないし、セラフィとしては、リーンハルトには陰の任務からは離れたところにいて欲しいので、リーンハルトがミーナに張り付いてくれるのであれば、それに越したことはない。
でも、全く乗り気でないリーンハルトを目にしてしまうと、この事態を招いた元凶…あのおふざけ小説を生み出した張本人としては罪悪感が半端なく、オーガスタのようにゴリゴリ押し付けるのは気が引ける。
だが、ここでセラフィはピンときた。
偵察対象は、なにもミーナひとりではないのだと。
確かに男爵令嬢・ミーナの問題行動は目に余るが、そもそも、本来であれば恋愛のような完全にプライベートな部分に、生徒会がいちいち顔を突っ込むというのも、ちょっと適切とは言えないような気がする。常識的な範囲であれば、自由に楽しんでいいはずのことなのだから。
それなのに問題が大きくなってしまっているのは、偏に第二王子・ラインハルトが関わっているからに他ならない。力を持つ者の自由な振る舞いは、ともすれば自由を飛び越えて傍若無人と化してしまう可能性を秘めている。
ミーナが自重してくれるのが一番だけれども、同時にラインハルトにも自重していただかなければ、結局のところ解決とは言えないのだ。
「じゃあ、ワトソンさんはわたしが偵察するので、会長はラインハルト殿下の偵察をしていただくってことでどうでしょう?」
それなら、ミーナとリーンハルトの距離は適切に保たれるので、周囲から「第三王子までも男爵令嬢に篭絡されたのでは…」なんて疑念を抱かれることもなく、リーンハルトの面目は保たれる。
加えて、ラインハルトとリーンハルトは兄弟なので一緒にいても何ら不自然なことはないし、リーンハルトがラインハルトから不興を買ってしまう可能性をも低くなると思うのだ。
そう、第二王子・ラインハルトにしてみたら、お気に入りのミーナと異母弟リーンハルトがいちゃこらしている姿を見せつけられたりしたら、心中穏やかにはいられまい。
きっと、それなりに平穏に保たれていた兄弟関係にも亀裂が生じてしまうことだろう。
だけど、リーンハルトがラインハルトの側に張り付いている分には、変に疑いの目を向けられることはない。正に一石二鳥なのではないだろうか。
「会長はお忙しいので、ラインハルト殿下に付きっきりってわけにもいかないでしょうし、オーガスタと手分けして対応にあたって頂ければと思います。ワトソンさんの方は私が責任をもって請け負いますので、どうぞご安心ください!」
我ながらなかなかいい考えだとホクホクと笑みを浮かべたセラフィの様子に、幼馴染コンビは顔を見合わせた。
「いや、あの、別に兄にみっちり張り付く必要ないんじゃないかな? 元凶はワトソン嬢なんだから、そっちに手を割いた方がいいと思うんだけど」
「でも、風紀面で懸念のあるワトソンさんと、男性である会長やオーガスタが接点を持つのは、やっぱり好ましくないと思うんです。フリデリカ様も王家に準ずるお立場なので、問題のある方とは距離を置いておくべきでしょうし、ここは何の不都合も生じない私が適任だと思います」
これなら、リーンハルトもフリデリカも、そろってお裁きから遠ざけることができる。
いいカンジに働いてくれたであろうオーガスタが戦線離脱となってしまうのはちょっと痛いところではあるが、セラフィ自身はどっちにしろ身を削るつもりだったんだから、手間としては大差ない。
セラフィの一理ある説明に、リーンハルトとオーガスタは言葉に詰まってしまっている。
セラフィはそれを、二人に納得してもらえたものと受け取ったのだが、もちろんリーンハルトとオーガスタの心中はちっとも穏やかではなかった。
「…ほら~…。オーガスタがいつになく絡むから、責任感の強いセラフィが一人で頑張る方向になっちゃったじゃないか…」
「すまん…これはちょっと想定外だった…。セラフィっておおらかな印象だけど、何気に行動力あるよな…」
自分の前世の後始末のために躍起になっているセラフィは、心配そうに見つめるリーンハルトとオーガスタの視線に気づくことはできなかった。