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page6. 兎の下り坂

 

 十一月、第三週。

 『NearNight』のレッスン開始からは約半月が経過しており――そして、彼らの初お披露目となるテレビ番組『ネクストスタジオ』の公開収録が、二週間後に迫っていた。


「っ、はぁ……はぁっ……!」


 夜のダンススタジオで、荒い息遣いが響く。

 辛うじて消灯されていないスタジオエリアだが、既に時刻は夜の十一時を回っており――時折様子を見に来る警備員と彼を除いて、人の気配はない。


「げほ……っぐ、……は、っぅ……」


 どさっと倒れるようにして膝をつき、彼――ローザは床に放り投げたトートバックを手繰り寄せた。

 肺は酸素を求めるのに、からからに渇いた唇は水だけを求めていて……ちぐはぐな呼吸のせいでこみ上げてきた吐き気を、ミネラルウォーターで無理やりに飲み下す。


 二週間、ローザはニゲラと共にパフォーマンスに向けての準備を進めてきた。

 初日のボーカルレッスンから始まり、収録時のトーク内容の吟味や、テレビ放送時に挿入する録画映像の準備、来月発売の雑誌に掲載するグラビア撮影、そして――公開収録に向けた、ダンスレッスン。

 このダンスレッスンにおいて、ローザはまたしてもニゲラとの差を眼前に突き付けられたのだ。


 先輩たちのパフォーマンスを細かく分析し、取り入れるべきテクニックの取捨選択を正しく行う集中力と観察眼。

 自分が理想とする動きを具体的にイメージし、再現できるまで何度も試行錯誤する忍耐力と継続力。

 ニゲラが有する長所の全てが、日を重ねるごとに彼をアイドルへと昇華させていった。


 目を灼かれるほどの強烈な輝き。

 それを至近距離で見続けたローザの中で、何かがチリチリと焦げていく。


「……これじゃ、だめ……」


 荒れに荒れた呼吸の中、やっとのことで絞り出す。


 彼が少し加減を誤っただけで、楽器の音の中に紛れてしまう歌声も。

 明確な意味を持って翳される指先の隣で、行き着く先を迷ってしまう腕も。


 こんなのは、駄目。

 『ローザ・ノーストピア』は、こんなんじゃない。


 ぺきっ、と。

 空になったペットボトルが、掌の中で悲しげな叫びを上げた。




 ……ここ数日、ローザの様子がおかしい。

 ニゲラがそう思い至ったのは、『ネクスタ』収録を一週間後に控えた日のことだった。


 まず、顔色が白くなった。

 ローザは元々色素が薄いため、一見すると気付かないが……薄めのメイクを施している肌の下、少し前まで薄い薔薇色を宿していた頬は、数日前から新雪のように真っ白だ。

 また、ぼーっとしていることが増えたのも気になった。

 前はあちらから話しかけてくることのほうが多かったのに、最近はこちらから話しかけても、虚空を見つめたまま気付かないことすらある。


 そして一番は――これは数日というより二週間ほど前からだが――寝る前に電話をすると、留守番電話に転送されるようになった。

 最初は先に寝てしまっているのかと思ったが……試しに数回テキストメッセージを送ってみたら、日付を超える前後で既読がついた。

 起きてはいるが、深夜に差し掛かるまで連絡に気付いていないようだった。


「………………」


 レッスン前のダンススタジオで、ニゲラは鏡の中の自分とにらめっこする。

 大丈夫かと聞いても笑顔ではぐらかされて、それ以上は踏み込ませてもらえない。

 どうにもならない現状と――何より、ローザの力になれない自分がもどかしい。


 今日もまた、元気がないのだろうか。

 これ以上聞いたら、しつこいと嫌がられるだろうか。

 でも俺は、ローザのことが――


 そんなニゲラの思考を、ガチャリという金属音が遮る。

 音のした方向に顔を向ければ、ちょうどローザがドアを開けて部屋に入ってくるところだった。


「あっ……ニィ、お疲れ様」

「……お疲れ様」

「まだコーチ来てないよね? 遅刻しちゃうかと思って焦った~」


 そう言いながら、ローザはいつも荷物を置いている部屋の角に向かって歩いていく。

 その様子を鏡越しに見て――ニゲラの背筋が、さあっと冷たくなった。


「……ローザ」

「んー?」


 床にトートバックを置いて中身を漁っているローザに、ニゲラはずんずん歩み寄る。

 そして、その肩をぐっと掴んで自分のほうへ振り向かせると――


「……いつからだ?」

「……ぇ」

「足、いつからそうなった?」


 ――一目見た瞬間に気付いた違和感について、間髪入れずに問い詰めた。


「な、なんのこと……?」


 ローザは笑顔を浮かべたままそう返すが、その視線がニゲラに向くことはない。

 詰問から逃げるように視線を泳がせるその様子に、胸のざわつきが加速した。


「……とぼけるなよ。それ、痛むんだろ」


 ニゲラが語気を強めるのには、理由がある。

 左足を庇うような重心の位置と、特徴的なリズムを刻む動き。

 今のローザが見せるその歩き方が――幼い頃からサッカーをしていた兄が、怪我を負った際にしていたものとよく似ているためだ。


「どの程度の怪我なんだ? まさか、病院行ってないとか言わないよな」

「…………」

「……行ってないんだな」


 思わず深い溜息を吐けば、ローザの肩がびくっと大きく跳ねる。

 怯えているようなその仕草を見るに、どうやら事の重大さは理解しているらしかった。


「……よいしょ、っと」


 ニゲラはローザの肩を掴んでいた手を離すと、その太股の下と背中に腕を回して、華奢な体をひょいと持ち上げる。


「っ!? に、ニィ!?」

「骨までいってない確証はないんだろ。大人しく掴まっててくれ」


 ちゃんと検査しなかったあんたが悪いんだからな。

 不機嫌を隠さない声でそう言えば、腕の中のローザは小さく震えながら大人しくなるのだった。

 

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