表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
4/13

page3. 能ある子犬は夜にも吠えず

 

 時計の針が進み、八時の半分が過ぎた頃。


「あっ、ニゲラくん!」


 社員寮のロビーでSNSチェックをしていたローザは、待ち人の来訪にぱあっと顔を輝かせる。

 その視線の先には、先ほどまで鏡の向こうで踊っていた少年――レッスンを終え、シャワーや着替えを済ませてきたらしいニゲラの姿があった。


「…………」

「っふふ、いらっしゃい~! 座って座って!」


 スマホをテーブルに伏せ、向かいの椅子を手で示してニゲラを招く。

 ニゲラはぺこりと小さく会釈すると、言われた通りに向かいの椅子に腰掛けた。


「えーっと……来てくれてありがとう」

「……」

「改めまして、俺はローザ・ノーストピア。ここ、尾崎芸能のモデル事業部でファッションモデルをしています」

「…………」

「実はこの度、アイドルとしてテイルプロに所属することになって……それで、一緒に活動してくれる子を探してるんだ」


 ローザがテイルプロ所属となることについては、「今回のスカウト相手に対してのみ」という条件で口外が許されている。

 情報をみだりに拡散させないためにも、相手は慎重に選ぶようにと釘を刺されてはいるものの……ローザは、この一回で決める覚悟ができていた。


「さっきのレッスンのね、休憩の時……君を見つけて、とっても綺麗な子だなって思ったんだ」

「…………」

「ルックスだけじゃなくて……動きのひとつひとつが洗練されてるっていうのかな? すごく目を奪われて……いいな、って思ったの」


 その時感じたことを、正直に述べる。

 下手なおべっかなんて必要ないくらいに、ローザはニゲラの存在に心惹かれていた。


「だから、ね? いきなり『一緒にやろう』って言うのもアレだし……君のこと、知りたいなって」


 駄目かな? と首を傾げると、ニゲラは無表情のままローザから目を逸らす。

 ……僅かに頬に赤みがさしているところを見るに、褒められて照れているのだろうか。


「…………」


 何か言いたげに唇を薄く開いては、言い淀むようにきゅっと結ぶ。

 そんな動作を何度か繰り返した後、ニゲラがぽつりと呟いた。


「……ぉ、」

「んー?」

「……おれ、」


 それは、生まれたての子犬が鼻を鳴らすような。

 とても弱弱しく、今にも消え入りそうな声だった。


「……し、喋るの、うまぐねがら……」

「…………え、」


 ローザは、耳に届いた音の響きに呆気にとられる。

 もったりとした緩やかなテンポに、柔らかい鼻濁音。

 そして……聞き慣れたものとは大きく異なる、独特のイントネーション。


 と、東北訛り……!


「…………」


 初めて生で聞くそれに感動しているローザをよそに、ニゲラは俯いて顔を伏せてしまう。

 先ほどまでは頬が薄く色づく程度だったが、今は耳の先までりんごのように真っ赤だ。


「あ、えっと……」

「…………」

「こっちの言葉、得意じゃない……のかな?」

「…………ん……」


 気持ち小さめの声でそっと問いかければ、ニゲラはこくん、と頷く。

 全身を縮こまらせてバツが悪そうにするその様子は、ローザが先ほど目にした通り、何かを怖がる子供のそれに違いなかった。


「……い、イメージ、崩れっがら……しょし……」

「イメージ……」


 その言葉で、ローザはニゲラが何を思って喋らないのかを察する。


 ……この子は、他人が自分に期待している姿を壊さないようにしているんだ。


 周りと同じじゃないことへの羞恥、焦燥、疎外感。

 そして……失望されることへの、底の見えない恐怖。

 その苦しさを、ローザは……知っている。


「……そんだわげだんで、あんたと一緒には……」

「……ニゲラくん、ちょっと来て!」

「……えっ、ぅわ!?」


 ローザはがばっと椅子から立ち上がり、ニゲラの腕を掴む。

 そして、びっくりして抵抗する間もないニゲラをぐいぐいと引っ張り……ロビーの奥に設置されているエレベータの中に、その長身の体躯を引きずり込むのだった。




「え~っと~……どこだっけ~……」

「……あ、あの……」

「ん~? あっ、その辺の椅子とかベッドとか、適当に座ってていいからね~……よいしょっと」


 明るい声でそう口にするローザ。

 しかしその姿は……自室のクローゼットを全開にし、その中に上半身を突っ込んで中を漁るという、およそ売れっ子モデルがしていいとは言えない格好をしている真っ只中である。


「……ろ、ローザさん……何して……」

「ん~と……あっ、あった! これこれ!」


 部屋のドア付近でおろおろするニゲラをよそに、ローザは小さめの段ボール箱を抱えてクローゼットから這い出る。

 そして、封をしていないそれを開いて数冊の本を取り出すと、ニゲラに向けて表紙を見せるように掲げた。


「じゃーん!」

「……それ、」

「ふっふっふ……これが『日本語アクセント辞典』で、こっちはアナウンサー向けの標準語の教本! そんでこっちはねえ、俺が勉強する時に作ったお手製のノートだよ~」


 他にも日本語講座のテキストとか、ニュースを録音したCDとか……と口にしつつ、段ボールの中身をどんどん床に積み上げていく。

 そうして箱の中身が空になったところで、ローザはふう、と息を吐いた。


「……俺が生まれて初めて話した言葉はね、英語なの」


 それは、幼少期の記憶。

 ……思い出すたびにどこかが軋む音がする、そんな記憶だ。


「俺ね、父方の祖母が日本人で、あとはアメリカの血を引いてるクォーターなんだ。だから、生まれはアメリカ」

「…………」


 おいで、と微笑んで、ふわふわのカーペットをぽんぽんと叩く。

 ニゲラは少し居心地が悪そうに身じろいだ後、大人しくローザの隣に歩み寄り、その場に腰掛けた。


「けどね、うちは両親がファッション関係の仕事してて……結構な頻度で世界中飛び回ってるんだよね。俺もそれに連れていかれて、すごい勢いでいろんなところに引っ越した」


 思い出せる限りで一番古い記憶は、アメリカのどこかの空港の景色。

 生まれてからずっと一緒に暮らしていた母方の祖父母と離れるのが悲しくて、わんわん泣いて両親を困らせたことを覚えている。


「最初はフランスに引っ越して……けど、フランス語なんて全然分かんなくてさ。大人とは英語で意思疎通を図ることもできたけど、やっぱり……その土地の言葉を離せないのって、子供の間では結構キツいんだよね」


 自分たちが生まれ育った場所に、その土地の言葉を使えない者が入り込む。

 それは、狭い世界に生きる幼い子供たちにとって、初めて体感する大きな脅威だ。


「全然友達できなかったし、なんかこう……孤独でさ」

「…………」

「このままじゃ駄目になっちゃうなー、っていう危機感があって。それで、フランス語の勉強を始めたの」


 両親にねだって、幼児向けのフランス語の本を買ってもらった。

 そうして勉強するうちに、あっという間に一年半が過ぎた。


「それで、もうすぐ自分からみんなに話しかけられる! ってところまで行ったんだけど……その前に、また引っ越しになっちゃって」

「…………まだ、別の国?」

「うん。次はスペイン」


 最初の教訓を生かして、引っ越しの前からその土地の言葉の勉強を始めた。

 ちょうど小学校に入学する頃の年齢で、最初の自己紹介をスペイン語で披露したのを覚えている。

 属する集団の年齢が上がったことも相俟って、今度は友達にも恵まれた。

 そうして過ごすうちに、一年が過ぎ――


「そのあとはね、一年ペースでイタリア、イギリス、オーストラリア、ドイツ……」

「い、行ぎすぎでねが……?」

「っふふふ、そうだよね~! それで、行く先々で言葉の勉強から始めてたら……学校の成績が落ちちゃって」


 その状況を見かねて「待った」をかけたのが、日本に住む父方の祖母であった。


「ちょうど十歳になる時かな~。『この子の今後のためにも、じっくりと学ぶ機会を設けてあげなさい』って、おばあちゃまが俺を引き取ってくれたの」


 だけどさあ、とローザは続ける。


「おばあちゃま、名古屋の人で。もうすっごいみゃーみゃー言うの!」

「みゃー……」

「っふふ、うん。それがね、俺が最初に覚えた日本語で……モデル始めてこっちに来るまで、標準語は全然喋れなかったな~」


 だからこれは、上京するにあたって勉強した時の努力の跡。

 幼い自分が泣きながら積み上げた、生きたいと願う気持ちの到達点。


「……君が一人で抱えているものを、全部理解できるとは言えないけどさ」

「…………」

「なんか……放っておけなくて」


 鏡の前でひとり、ステップを踏む姿。

 あれは、孤高ではなく――孤独だったのかもしれない。


「だからもし、現状を変えたいって思うなら……お手伝いさせてほしいなあって」


 一緒にアイドルやるとか関係なしに、友達として。

 そう言って笑って見せると、ニゲラの重たげな瞼が確かに見開かれた。


「……なして……」

「んー?」

「なして、そごまで……俺に……?」

「んー、そうだなあ……」


 理由なら、たくさんある。

 ひとりで頑張っている姿を、自分に重ねたとか。

 鏡越しに目が合った瞬間、可能性を感じたとか。


 でも、一番は――


「――ナイショ!」


 人差し指を唇に当てて、ローザは悪戯っぽく笑うのだった。

 

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ