page2. 兎は子犬を狩るにも
「う~~~~ん……」
マジックミラーの向こう――覚えたばかりの振付をほぼ完璧にこなし、アップテンポな音楽に合わせてステップを踏む研修生たちを見ながら、ローザは唸り声をあげていた。
「どうだ。お気に召す者は見つかったか」
「……わかんなーい!!」
「わっははは!」
唇を尖らせるローザの様子に柴田は大声をあげて笑い、尾崎は溜息を吐く。
あの日、条件を聞いたうえで安請け合いしてしまったことを、ローザは早くも後悔し始めていた。
「だって、ダンスの良し悪しなんてわかんないし……顔だってみんな綺麗だもの」
「そりゃあそうだ。あいつら全員、アイドルの卵だからな」
強いて言うなら、前列で踊ってる奴らは優等生か人気どころって感じ。
そう柴田にアドバイスされ、再び彼らに目を向けるが……なんだかしっくりこない。
……ダンスがうまいらしいとか、人気があるらしいとか。
そういうので選ぶのは、なんだか違う気がする。
「……おっ、もう一時間経ったか。ちょうど半分だから、ここで休憩時間だな」
柴田がそう言うと同時に、研修生たちがコーチに向けて頭を下げ、各々が自由に行動し始めた。
ある者はペットボトルを手に休憩を始め、ある者はメンバーとふざけ始める。
こうして見ると、みんな普通の男の子だなあ……と呑気に考えていた、その時。
「……しっかり見ておけ」
「えっ……?」
「人間の有する素質というのは、パフォーマンスの時に限って湧いて出るものではないということだ」
そう口にすると、尾崎はおもむろに椅子から立ち上がり、ドアへと歩みを進める。
「あれっ? 蓮、もう戻んの?」
「今日中に捌きたい案件がある。柴田、お前は最後まで付き合ってやれ」
「……りょーかい!」
そして尾崎は、ドアノブに手を掛けながら一言。
「……一週間くれてやる。俺はそれでいい」
それだけ言い残して、さっさと見学ブースから出ていってしまった。
「……えーっと……?」
「よかったな、ローザ!」
「えっ?」
「蓮、お前の人を見る目を信じるってさ!」
「……今のを翻訳できるの、さすがにツーカーすぎない?」
この二人も不思議な関係だよなあ、と思いつつ、言われた通りしっかりと研修生たちに目を向けるローザ。
すると、部屋の手前側の一番端――鏡の前で一人、ダンスの練習を続けている姿が目に留まる。
他の研修生たちが壁際の物置台周りに集まってワイワイと賑やかにしている中、ひたすら孤独にステップを踏む姿は……少し浮いて見えた。
「…………あの子……」
「んー? ああ、ニゲラか」
「ニゲラ?」
不思議な響きの名前に首を傾げながら、ローザはその少年をまじまじと見つめる。
平均より高めの身長に、すらりと長い手足。
鏡越しに見える顔立ちは、可愛いというよりはクール系、カッコいい系のそれだ。
「芦名ニゲラ――先月のオーディションで入所した新人だよ。確か、秋田の実家からひとりで上京してきてる」
「ふーん……あっ、こっち来た」
どうやら、サビの振付の復習が終わったらしい彼――ニゲラが、ちょうどローザたちの近くに寄ってくる。
どうやら、壁際に置いたタオルを取りに来たらしい。
……なんか、綺麗な雰囲気の子だなあ。
腰を屈めて荷物を手にするその姿に、ローザは少し感心する。
職業柄、綺麗な人間なんて相当な数を見てきているローザではあるが、それは容姿の話。
無意識下の僅かな所作で人の目を惹くことができるというのは、ある種の生まれ持った才能だ。
ニゲラのそれは――整った容姿はもちろんのことだが――長い脚を一歩踏み出すだけで爽涼な風が部屋に吹き込むような、清らかなものを感じさせた。
不躾であると思いながらも、目と鼻の先にあるその姿をまじまじと眺めてしまう。
まあ、マジックミラー越しだから、こんな無礼を知られる心配も――
「……え?」
ぱちり、と。
すぐそこに居る少年と、目が合った気がした。
……気付かれた?
いや、スタジオ側から見学ブースの中は見えないはずだ。
明るさだってしっかり調整されているし、防音だって……。
「……あ……」
ドキドキとうるさい心臓を宥めていると、目の前の少年はくるりと踵を返し、部屋から出て行ってしまう。
……なんだろう。
もしかしたら、あの子が……。
「……柴ちゃん、休憩ってあと何分?」
「えっ? んーと……あと十分はあるな」
「……ちょっと行ってくる!」
「えっ!? あ、おい……!」
突然の行動に戸惑う柴田を残して、ローザは見学ブースから飛び出した。
その姿は、フロア端に設けられた小さな休憩所で見つかった。
「――ねえ、君っ!」
少年が自動販売機のボタンを押そうとしていた横から、ローザは呼び掛ける。
スタジオと見学ブースは出入り口の面する廊下が分かれており、急いでこちら側に来るために走ってしまった関係上、少し息が上がっているが……なんとかまともな声は出せた。
「っ!?」
対して、急に声を掛けられた少年――芦名ニゲラは、肩をびくっと跳ねさせて振り返る。
そして、視界に入った目立つ容姿の人間にさらに驚いたのか、ボタンに乗せた指をばっと引っ込め、固まってしまったようだった。
「っはぁ……はぁ……え、っと……ニゲラくん、だよね?」
「…………」
「お、俺……ローザって言うんだけど……ちょっと、君とお話したくて……」
「…………」
「き、休憩中で悪いんだけど……えっと……」
息を整えて、改めてニゲラに向き合う。
しかし、ニゲラからの返答はない。
「……えーっと、その……ニゲラくん?」
「……ぁ……」
「だいじょうぶ……?」
自分より高い位置にあるニゲラの顔を、下から覗き込む。
セットされていない前髪の下――先ほど視線がぶつかった涼やかな瞳は、戸惑うように僅かに揺れている。
表情に変化はないものの……ローザはその様子に、何か悪いことをして叱られる前の子供と同じものを、確かに見た気がした。
何かを、怖がってる……?
「………………」
「……ニゲラくん」
ローザは優しい声で囁くと、そっと手を伸ばし――
「……えいっ」
「……!?」
――ニゲラの背後で光っている自動販売機のボタンを、ぽちっと押した。
ガタン、と音を立て、紙パックが落ちてくる。
驚くニゲラをよそに、ローザは少し屈んで取り出し口に手を伸ばし、いちごミルクのパックを手に取った。
「はい!」
「ぇ……」
「買おうとしてたの、これでしょう?」
上から二段目の右から三番目、コーヒーの隣。
いちごを抱えたウサギのキャラクターが可愛らしい、子供受けしそうなパッケージ。
「おいしいよね、これ。俺もついさっき、同じの飲んだんだ~」
砂糖たっぷりだから、あんまり頻繁に飲むとマネージャーに怒られるんだけどね!
そう言ってニコッと笑顔を浮かべつつ、紙パックをニゲラに手渡す。
ニゲラはほんの少し目を見開きながら、大人しくそれを受け取った。
「俺ね、さっきのレッスン見ててさ。君のことが気になったから、お話してみたいな~って」
「…………」
「けど、休憩時間削っちゃうのは駄目だよね。今はしっかり休憩して……あっ、そうだ!」
ぴょん、と軽く跳ねて、ローザはジャケットの内ポケットに手を入れる。
そして、するりと取り出した飴色の名刺入れから名刺を一枚抜くと、ニゲラの手にそっと握らせた。
「俺ね、ここのモデル事業部に居るんだけど……敷地内の社員寮に住んでるから、よかったら後でお話しない?」
「…………」
「警備室で名前言ってくれれば、ロビーに入れるようにしておくから」
そこまで言ったところで、ポケットの中のスマートフォンが震え始める。
画面を見れば、見学ブースに置き去りにしてきた柴田の名前が表示されていた。
「やばっ、勝手に飛び出したの怒られちゃう……俺、戻るね!」
「ぁ、」
「じゃあ、後で会えるの楽しみにしてるね~!」
それだけ言い残して、返事も聞かずに駆け出す。
来てくれないかも、という不安は、不思議と湧かなかった。