page1. 何見て跳ねる
時は、十月中旬。
長かった夏がようやくその力を弱め、短い秋を挟んで冬の足音が迫る頃。
「お疲れさまでした~!」
尾崎芸能本社内、スタジオエリア二階。
芸能業界最大手の企業が社内に構える、所属タレント専用スタジオにて――本日予定されていたアパレル撮影が、全工程つつがなく終了した。
「ローザさん、お疲れ様です!」
撤収作業が進む中で、ひとりの女性スタッフが被写体のひとり――今日はメンズの衣装を身に纏っている、その青年に声を掛ける。
「ん……はい、お疲れ様~!」
被写体はその声にぴょんと肩を跳ねさせると、パックジュースのストローから唇を離して振り返った。
たったそれだけの様子に、呼びかけた当人を含む周囲一帯が色めき立つ。
ふんわりと風を含んでさらさらと踊るストロベリーブロンドの髪。
空を閉じ込めたガラス玉のような蠱惑的な瞳。
どんな角度にも耐えうる絶対的な美が、愛らしい動きを伴うことで否応なしに周囲の視線を引き付ける。
ローザ・ノーストピア――一部の層から「妖精」と称される、今をときめくトップジェンダーレスモデルである。
「このあと、スタッフとモデルの子たちで夜ご飯に行くんです。ローザさんも一緒にいかがですか?」
そう言って微笑む女性スタッフの背後では、今日の撮影を共にした女性モデルたちが期待を孕んだ表情を浮かべ、ローザの返答を待っている。
ローザもこういった状況には慣れたもので、いつも通り笑顔で承諾――するかと思いきや。
「あ~……ごめん! 今日は先約があるんだよね~」
顔の前で手を合わせ、申し訳なさそうに眉を八の字にしながらローザは告げる。
普段であればこういった誘いを断ることは稀なのだが、今日は事情が事情だった。
「えーっ! 残念~!」
「俺も残念~! また一緒になった時、お詫びに奢らせてね?」
「そんなこと言われたら、ちょっといいお店選んじゃいますよ~?」
「っふふふ! 容赦ないな~!」
みんなもごめんね、楽しんできて! と言いながら、後ろに控える女性陣に向けて手を振ってみせるローザ。
たったそれだけで、落胆した空気を纏っていた一行の顔色がぱあっと輝きを取り戻す。
「……よし! じゃあ、お先失礼しまーす! バイバイ!」
明るさを取り戻した場の空気に満足げな笑みを浮かべ、ローザは手早く荷物を纏めて更衣室へと走るのだった。
「っていう訳で、来たよ~」
同日、午後五時五十二分。
着替えと遅めのおやつを済ませ、ローザはとある部屋を訪れていた。
社内向けエリア内、ダンススタジオD――その隣に隣接された、見学ブース。
その名の通り、ダンススタジオはダンスを行うための場所であり、複数ある同系統の部屋の中で、最も広い空間を有するレッスンルームだ。
主にパフォーマンスを活動内容とする尾崎芸能本社の事業部や子会社――ミュージカル事業部やアイドル部門などが使うことがほとんどなのだが……そんな部屋に、どうしてモデル事業部所属のローザが訪れているのかといえば。
「おう、いらっしゃい!」
「あっ、柴ちゃん! 先週ぶり~!」
「……仕事の時くらいは敬語を使ったらどうだ」
「あれっ、テイルの若社長も来てる……お疲れ様です!」
見学ブースの扉を開けて左手側、いくつかの椅子が置かれているうちの中ほど。
そこには、愛嬌のある顔をした吊り目の青年と、神経質そうな眼鏡の男の姿があった。
「今日はお招きいただきありがとう。スケジュール調整、我儘言っちゃってごめんね?」
「いやいや、最初に提案したのはこっちだからな。むしろ、乗ってくれて助かったよ」
ローザの感謝と謝罪を受け、吊り目の青年がニカッと笑う。
柴田咲楽――現在は男性アイドル部門にて社長補佐およびマネージャーを務める敏腕社員であり、かつてはモデル事業部のスカウトマンとして、ローザをモデルの道に誘った存在でもある。
そして、柴田の隣……奥側の椅子に腰掛けているのが――
「蓮なんて、お前に断られたらどうしようって朝から晩まで頭抱えてたんだぜ? この俺が大丈夫だって何度も言ってんのにさー」
「おい、デマを流すな。頭なんぞ抱えてない」
――尾崎蓮。
つい十年前までは国民的アイドルとして一世を風靡し、現在は日本が誇る尾崎芸能のアイドル専門子会社「テイルプロダクション株式会社」の社長を務める、生ける伝説。
その評判に偽りはなく、芸能界の表舞台から退いた今もなお、こうして長い脚を組んで座っているだけで圧倒的な存在感を放っており……さしものローザも、ほんの僅かに緊張しているというのが本音である。
「そんなことより、本来の目的はどうした」
「おっと、そうだった……ローザ、椅子どうぞ」
「はーい」
柴田に促されるまま、ローザはその隣に腰掛ける。
それと時を同じくして、見学ブースの壁のうち一面を構成するマジックミラーの向こう――ダンススタジオの中に、次々と少年たちが入ってくるのが見えた。
「今日のこの時間は……無所属の研修生のレッスンだな。今度の収録で披露する全体曲の振り写しだ」
「振り写し、ってことは……ダンスの振付を教えてもらうんだね」
「……研修生になった瞬間からデビュー後に至るまで、欠かさず行う工程だ」
ローザたちが話している間にも、ダンススタジオの中にはどんどん研修生が入室してくる。
そして、およそ二十人強が入室し終えた頃。
最後に入室したコーチと思しき女性が、マジックミラーを背にする形で研修生たちの前に立った。
『本日のレッスンを始めます』
『よろしくお願いします!』
『今日のレッスン内容ですが、一昨日メールで送付した資料の通り――』
鏡を挟んだ向こうで発される音は、部屋に設置されたマイクで拾われて見学ブースに流れるようになっている。
話の内容を流し聞きするに、どうやら先に配られた動画にて簡単に振付を予習した上で、今日は実際に踊りながらの確認と全体合わせという流れのようだ。
「へえ、こういう流れなんだ」
「んー……まあ、研修生だからかなり丁寧なほうだな。デビュー組なんかだと、動画で十割みっちり覚えてくるのが当然みたいなところあるし」
ほら、あの辺とか覚えてきてないだろ。
そう言って柴田が指差した後列の集団は、確かに前列の研修生たちに比べると動きが覚束ない。
その様子は鏡越しにコーチも把握しているのだろうが……彼らのために特別に時間を割くようなことはせず、振付確認はどんどん先へ進んでいく。
「きっびしー」
「本気でやっている者たちを最優先に考える……当然のことだろう」
「それはまあ、そうなんだけどね」
あっという間に振付確認を終え、フォーメーションと立ち位置の確認を始めている研修生たちを見ながら、ローザはにんまりと笑みを湛える。
「さーて……いい子は居るかな~?」
そして、さながら獲物を探す肉食獣のような瞳で、ローザは今日の本題に取り掛かるのだった。
発端は、一週間前に入った柴田からの電話だ。
『アイドル、やってみないか?』
最初に聞いた時は耳を疑った。
自分で言うのもなんだが、ローザ・ノーストピアはそれなりに知名度のあるファッションモデルだ。
仕事は順風満帆で、社内とはいえ実質的な転職を考えるような事態に陥っていないことは誰が考えても明らか。
素直に「どうして?」と問うてみれば、数か月前から動き始めているプロジェクトについて教えられた。
Tale of Petalsプロジェクト。
曰く、この尾崎芸能の会長・尾崎泰山の勅令に端を発し、若き社長である尾崎蓮が企画した一大プロジェクト。
八人組のアイドルをデビューさせ、五万人のキャパシティを有するドームライブを完遂させる――それがこのプロジェクトの具体的な目標であり、求められる最低ラインである。
その第一弾、前半にデビューする四人組ユニットのメンバー候補として、ローザに白羽の矢が立ったとのことだった。
このプロジェクトのテーマが「可能性と挑戦」であることから、新たな挑戦を体現するメンバーになってほしい、と。
「……で、本音は?」
柴田から一連の説明を受けた上で、ローザは即座に切り込んだ。
ローザを選んだ本当の理由が、そこにはないと感じたからだ。
「……お前は昔っから勘が鋭いなあ!」
電話の向こうで、柴田が豪快に笑う。
ひとしきり笑った上で告げられたのは、おおかたローザの予想と違わない内容だった。
一言でいえば、人材不足。
既に二名のメンバー候補が研修生内から選出されているが――社運を賭けたプロジェクトの掴みとなる第一弾のメンバーとして、それに耐えうるだけのインパクトを持った人材が他に存在していないのだという。
「ふーむ……早い話が客寄せパンダってことかな?」
「言い方っ!」
「っふふふ、冗談だよ~! 話題性の重要さは、俺だってよく知ってるもん」
業界外から人材を投入し、既存顧客以外からの注目度を高める――このプロジェクトの未来だけでなく、将来の人材確保に関する戦略としても有用な一手である。
その分リスクもいくらか想定されるが……看板アイドルデュオ「クオリア」という先駆者が居るぶん、外部人材登用に関するハードルは低い。
それに……ここで勝負に出るあたり、あの若社長は養子の立場でありながら、尾崎泰山の「尾崎イズム」をしっかりと継承しているらしい。
『新しい明日を描き、夢見る力を提供する』――尾崎芸能の経営理念に好感を抱いているローザにとって、その選択と生き様でこれを体現せんとする尾崎蓮という人間は、信頼に値する存在だと感じることができた。
「……うん、わかった! やってみようかな!」
「えっ、即決かよ。持ち帰って考えてもいいんだぞ?」
「っふふ! 柴ちゃんのことだし、既にうちの事業部に話は通してるんでしょ? 事業部長、なんて言ってた?」
「……『ローザのしたいようにさせてあげて』だってさ」
「んひひ、さっすが!」
トントン拍子に進む話の中、柴田が「ああ、それでさ」と足を止める。
「蓮……うちの社長から、お前にひとつ宿題が出てるんだよな」
「えっ、ここまで来て言う~?」
「悪い悪い! 何、お前にとっても悪い話じゃないよ。実は――」
それは、なんてことのないように告げられたひとこと。
社長が課したその宿題にどんな思惑があるのかは、ローザには分からない。
しかし、これこそが――ローザの人生を大きく左右する『鍵』であることを、彼はうっすらと感じ取っていた。
「――残りのひとりのメンバーを、ローザに選んでほしいんだってさ」