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page11. 底なしラビットホール

 

 『ローザ・ノーストピア』という名は、芸名である。


 本名、北郷きたざと梨太郎(りんたろう)

 幼い頃は『ロザリオ』というミドルネームを持っていたが、日本国籍選択時に作成した戸籍には記載しなかったため、現在は前述の名前が本名となる。

 そんな彼が今の名前を名乗るようになるまで道のりは――決して平穏とは呼べないものであった。


 母方の故郷であるアメリカで生まれ、物心ついてからは国を跨いで幾度となく居を移した。

 そのたびに、彼の前には高い壁が立ちはだかる。


 最初は、言語の壁だった。

 言葉の通じない少年は異物として避けられ、ないものとされ、いつも孤独だった。


 次は、両親の地位による断絶だった。

 新たな言葉を覚え、コミュニティとの交流を築いても、子供では抗いようのない力によって何度も壊された。


 何度も奮起し、挫かれ、時間はどんどん過ぎていく。

 両親は仕事で忙しく、幼少期から日本に預けられていた病弱な実弟とは年に一度会えるかどうか。

 そんな過酷で孤独な環境の中、梨太郎は次第に塞ぎ込んでいった。


 そんな彼を目にして、日本に住まう父方の祖父母は思うところがあったのだろう。


「この子の今後のためにも、じっくりと学ぶ機会を設けてあげなさい」


 何度目かの帰省の折、両親と梨太郎は広い居間に呼び出され、そう告げられた。

 無論、それは学力だけのことではなく、時間をかけて関係性を構築し、社交性と人間性を育むことも重要視しての指摘だった。


 しかし、これこそが梨太郎にとっての地獄の始まりだった。


 ローザの中には、思い出すことのできない記憶がある。

 それは、日本に来る前の二か月間――アメリカに帰国した際の、短い記憶。

 ローザは当初、出生地であり言語が通じるアメリカを拠点とする予定で、アメリカの祖父母のもとで生活を営んでいたのだ。


 しかし、生まれ育った土地に戻り、現地の学校に通い始めた時――その計画は打ち砕かれることとなった。

 原因は、言語でも両親の地位でもなく。


 男性でありながら母と瓜二つの、目立ちすぎる容姿であった。


 強いショックの影響か、この期間のことについては詳細な記憶がない。

 ただ、それまでの孤独などが比較対象にもならないくらいに……地獄のような日々であったと、ローザの混濁した記憶の断片は今も訴えている。


 そして……気付いた時には、両親の手引きで日本の祖父母のもとへと預けられていた。


 またしても言葉の通じない、見知らぬ土地。

 自分が帰るべき場所は、この世界のどこにもないのかもしれない。

 乱立する電信柱に貫かれた青い空を虚ろな目で見上げながら、少年は悟ったのだった。


 以降、小学生にあたる期間はインターナショナルスクールに通い、同時に日本語を学んだ。

 日本語は今まで学んだどの言語とも共通項がなく、完全習得まで非常に苦戦したが……祖父母のもとで共に暮らすこととなった弟の梨琥が、いつも行動を共にしてサポートしてくれた。


 中学からは、日本の学校に通うこととなった。

 かつてと同じく、容姿の件や両親の知名度はここでも付き纏い……以前よりはマシだが、それでも嫌な目や危険な目に遭ったことも少なくはなかった。

 こちらも詳細は省くが……進学直前に祖父から習った合気道を何度か実戦投入した、と表現すれば、その内容は推し量れるだろう。


 生まれ出でて、帰るべき場所なんてどこにもない。

 言葉を得ても、力を得ても、生まれ持ったものがある限り認められない。


 そうして三年を過ごした梨太郎少年は。

 中学校の卒業式の翌日、唐突に姿を消したのだ。





「……家出を、して……新幹線で、東京に……」

「……うん」

「夜中……街中を歩いてたら、知らないおじさんに絡まれて……そしたら、柴ちゃんが助けてくれたの」

「柴田さんが……?」

「うん……偶然、車で通りかかって……『モメてるから』って、間に入ってくれて……」


 未成年の深夜徘徊ということもあり、柴田はすぐ警察署に連絡しようとしたが……梨太郎は泣き縋った。

 どこにも属せないのなら、せめてこの地のうち一番混沌とした場所で、雑踏の中に紛れて消えていきたかった。


「それを、柴ちゃんに話したら……『ウチに来ないか』って、名刺を渡されて……」

「……付いていったのか?」

「…………うん」

「危ないだろ」

「うん……でもね、あの時は……騙されてもいいなって思ってた」


 いきなり大手芸能事務所の名刺を渡されて、素性も定かでない男に付いていく。

 その行為の危険性を知った上で、それでも成り行きに身を任せてしまうほど、梨太郎は自暴自棄だった。


 結果として、幸いにも名刺は本物であり、柴田は当時、尾崎芸能のモデル事業部に所属するスカウトマンで。

 翌日、柴田と共に名古屋に赴き、祖母と面談を行った上で、正式な上京が決まったのだった。


「……ひとつ、聞いてもいいか?」

「うん……」

「どうして、モデルをやろうと思ったんだ?」


 話を聞く限り、梨太郎は自分の容姿にいい思い出がないようだった。

 にも関わらず、それを武器とするモデルになることを選んだ理由を……ニゲラは、ローザの言葉で聞きたいと思った。


「……地元から離れられるなら、っていうのも、あったけど。でも、一番は……」


 ローザがそっと瞼を伏せる。

 まるで、心の深くに沈んでいった感情を、慎重に手繰り寄せるかのように。


「……この姿で生きることを、許してもらえる人間になりたかったから」


 そうして取り出された言葉は、切なさを孕んでニゲラの心に突き刺さった。

 

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