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キズナ  作者: 鮎川りょう
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2

 吾作は汚れた身体を拭いてきれいにした後、ビニールクロスの敷かれたテーブルの上に登って胡坐をかいた。布袋の中から緑の小瓶を取りだした。そのコルク状の栓を前歯で挟んで抜き、手のひらにほんの少しこぼして口に含んだ。

「何か、くすり臭い匂いがする」

 ナオミが不思議そうに聞いてきた。

「ああ、これか。これは、俺が採取した草を調合した秘薬だ」

「秘薬? それを飲んだの。いったい何のために……」

  

「心配するな。あんたの危惧するものとは別物だし用途も違う。幻覚作用も起きないし、気持ちよくもならないんだ。その代わり、秘められた潜在能力を覚醒できる。俺はこれを発見して里の長老に見せた。驚いていたよ。だって見えないものが見えるようになるんだからな」

「もしかして、透視?」

「そうだな。普段は気を集中すれば考え方ぐらいわかるが、飲むと、人の過去と未来を覗ける」

「私の過去を覗くつもりなの」

 その問いかけに吾作は答えようとしなかった。すでに透視をはじめていたのだ。頭だけがやたら熱かった。垣間見えた映像が凄惨だったせいもあるが、人間っていうのはこんなにも人を貶められる生きものなのか。吾作は叫びたい衝動を必死に耐えていた。

  

「つらい過去だったんだな。でも俺だって十歳のときから一人で暮らしてきた。小人なんて生まれながらにしておっさん顔の赤ん坊だし、人間ほど愛されなかった。けどあんたは俺以上に優しい父親と母親がいて、温もる時期もあったんだから、それだけでも幸せなことだと思わないか」

「そうね、温もりはずっと心に残ってる。でもあなたと違って、私は盲人。ハンディを背負って生まれてきたの。心は傷だらけ……」

「傷はいつかふさがるさ。心の持ちようでどうとでもなる。一緒に酒でも飲むか、忘れさせてやるよ」

「はいはい、ありがとう」

 ナオミが肩をすぼめる仕草を見せた。きっと納得していないのだろう。だが、傷ついた心を修復させるのは時間しかないのだ。今は何を言っても無理だと吾作は知っていた。

  

「ところで……」

 ナオミが尋ねてきた。「どうして小人さんの里が人に見つからないの」

「俺が今から言うことを、信じるか」

「うん」

 ナオミが唾を飲み込んで頷いた。真剣さが伝わり、これから話すことが小人族の本質だと気づいたからだろう。吾作は少し間を置いて話しだした。

  

「俺たち小人は、たぶんこだまとか猪とか、河童とかの精霊の成れの果てさ。というより人間に追い立てられて、はぐれたのかもしれない。それで人間に見つからないようバリアーを張り、独自の風土を築いてきた。でも小人として暮らし続けて、その秘めた力を秘めたまま眠らせていた。そんなとき俺は、迷い込んだ谷底で採取した薬草と毒草を調合して、長老に飲ませた。飲んだ途端、長老は自分の能力が少し解放されたことに驚き、秘密裏に草の調合を勧めた。けど他の長老に露見すると、手のひらを返された。俺は里を追放されて、人間界に追いやられたってわけだ」

  

「精霊だったの、小人さんって?」

「ああ、だったってだけで、今じゃ能力はないに等しいけどな」

「能力がない?」

「だって俺は酒好きで、喧嘩好きで、食いしん坊だからさ。里に愛着も湧かないし、友と呼べる仲間もいない。それに精神を集中して相手の心を覗くだけで、大した力じゃなかった。人間界に来てしみじみ無駄な力だと痛感したよ」

「でも薬草を飲むと、人の過去と未来がわかるんでしょ」

「他人を覗けても、自分は覗けない」

  

「それって人間が飲むとどうなるの。透視できるようになるの。だったら私が飲んで、あなたを透視するわ。映像は見えないけど、ほぼ正確に感じることはできるから」

「見てどうする。俺が精霊なら、敬うか」

 ナオミが黙った。そりゃそうだと吾作は納得する。ナオミにとって吾作はペットと同じ対象でしかないのだ。人の言葉を話すペット。身の回りの世話をして、見返りに心の空洞を埋める。犬猫の代わりでしかないはずだ。

  

 翌朝。目を覚ますと、ベッドに腰かけ、ナオミが窓の一点をぼうっと見つめていた。まるで幾日も放置された蝉の抜け殻のようだった。

「何を考え込んでいるんだ」

 吾作は、ティッシュボックスを利用した即席ベッドから飛び降りた。ふんわりして歩きにくいベッドの表面を、よろけながら近づいた。

  

「ううん、別に。ただ、空が青いんだなって思っていたの」

 見えないのに、何を言いたいのか見当がつかなかった。

「話が読めないな。はっきり言ったらどうなんだ」

「そうね。じゃ、本を読んでくれない」

「本?」

 それと青空と何の関係があるんだと、吾作は心の内でぼやいた。

  

 しかし昨日の今日だ。ナオミの胸中を推し量れば無理からぬこととも思っていた。だからといって家に引きこもり、無気力な生活を送れば共倒れになる。

「あんた、ほかに何かできることはないのか」

「あるけど……でも、それ昨日見たんでしょ。透視で」

「見るには見たが、印象に残っているのは、叔母夫婦の仕打ちと職場の一件だけだ。あとは記憶に残っていない」

  

 そう断言した後、吾作の脳裏に、ぼんやりとした昨日の映像が浮かび上がってきた。

 場所は断定できないが、高い石の建物が林立した都市だ。ナオミは黒っぽいコートの襟を立て、人の行き交う雑踏を歩いている。沈んだ表情で楽器のケースを担ぐナオミに、薄い陽光は気づこうとしない。日を当てることすら忘れている。そうして混み合う通行人に疎まれながら、楽器店のショーウィンドの前へたどり着く。ナオミは立ちどまる。モノクロームの絵画のような景色に溶け込み、しばらく立ちつくしている。淡い映像の中、なぜかナオミの目の縁だけが赤かった。

(泣いている?)

「そうか。あんた、その楽器を売りたくなかったのか。取り戻したいんだな。もう一度、弾きたいんだろ」

  


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