表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
キズナ  作者: 鮎川りょう
7/32

2章 小さな同郷人 1

 どこをどう歩いているのか、通い慣れた道なのにまったくイメージできない。駅に向かわずに左へ折れて、線路を見渡せる坂道を上った気もするし、そうじゃない気もする。ただ、行き着くところまで向かえと、浄化されずに繁殖した澱の塊が囁いていた。

 たぶんそれは人間不信。この先少しでも刺激されれば、待ったなしに爆発してしまう危険きわまりないもの。降下、轢死、消滅、そんな飛躍した言葉も浮かんでは消える。

 けれどナオミが消えたところで胸を撫で下ろす人はいても、哀しむ人は誰もいないはずだ。ナオミの生きざまは偽善者の讒言によって抹消されてしまうから。

(むごすぎる)

 ナオミは両手で顔を覆って道端にしゃがみ込んだ。

  

 刻々と時間がすぎる。夜のひんやりとした空気が肌を突き刺し、心を抉る。ナオミはふたたび歩きだした。

 公園に着いた。人の気配はなさそうだ。気が緩むと、泣くまいと誓った目から不意に涙がこぼれ落ちてきた。次から次にとこぼれてくる。ナオミは空を仰いだ。感じるはずの月もわからなかった。

 杖もつかずに、ふらふら夢遊病者のように歩く。鉄柵に触れる。杖をその場に置き、身を乗りだした。

  

「どうするつもりだ、飛び降りるのか」

 絶望に身をまかせたとき、足もとから声がした。でも悪意は感じられない。

 ふっと我に返る。

 かがみ込んで声の在りかを探ると、小さな気配。大きさは鼠ほど、いや、その半分ぐらいかもしれない。

「あなたは……人間なの?」

「答えにくい質問だな。俺の住む世界ではそうであっても、ここでは違うような気がするからな」

「えっ……、なら小人さん?」

  

 ナオミは言葉の反射、音の反響によって、おおよその形状を認識した。まぎれもない人の形、小さいだけの人。

「仮にそうだとしても、そんなことはどうでもいい。あんたは身を乗りだして、死のうとしてたんじゃないのか。飛び降りるつもりだったんだろ」

「かもしれない。でも、その勇気がなかったの」

「生きる勇気はあるのか」

 つらい切り返しだ。ナオミは返答に窮した。あるかといわれれば、あると答えたい。けれど生きる勇気はあっても生きる自信はなかった。一人暮らしの盲人が生き抜くには、やはりこの世界は過酷すぎるのだ。

  

「答えにくいなら、別に答えなくてもいいが、あんたに頼みがある」

「頼み?」

 嫌な予感がしなくもない。けれど失うものもない。

「それは。私にできることなの」

「できるさ」

 小人が、かがむナオミの服をよじ登ってくる。膝の上にちょこんと飛び乗った。「頼むから飯を喰わせてくれないか。じつは腹が減って死にそうなんだ」

  

 小人をバッグの中に入れ、家へ連れ帰った。夜食用のカップヌードルにお湯を注ぎ、小皿に移して食べさせた。よほど美味しかったのか、最初は毒見をする感じで食べはじめたが結局スープも全部飲み干した。

 落ち着くとナオミは尋ねた。

「どうして、あのとき声をかけたの。私が飛び降りると思ったから?」

 小人は面倒くさそうに答えた。

「それもある。だが、いちばんの理由は俺も困っていたからさ」

「困るって、何に」

「あんた、目が見えないんだろ。それにしちゃ人の心を読めないな」

  

 ナオミは、はっとした。この世界で困窮しているのは何もナオミだけじゃない。この世には盲人もいれば身体に障害を抱える人もいる。突発的に怪我をした人も病気になった人もいるのだ。目の前の小人もそう。ナオミの手のひらにも満たない大きさで、この世界を生き抜くのは相当に困難だ。猫も鼠も犬も、人間と思わないで攻撃してくるだろうし、鴉にもついばめられる。そもそも生活する場所すらないだろう。

「あなたの、名前を教えてくれる」

「吾作だ」

 小人がぶっきらぼうに答えた。

「行くあてはあるの」

  

 吾作の返答はない。どうして人間界にきたのか理由はわからないけど、空気の感じから判断すると、よんどころない事情で迷い込んでしまった気がする。腹も空かせていたし、食べるものも住むところもないに違いない。

「よかったら、ここにいてもいいのよ」

 この人も孤独で不安なのだ。それでいて弱みを見せずにあっけらかんとしている。その言動は、挫けやすいナオミにとって大きな励みになる。

「同情なのか、それとも憐れみか」

「両方よ。そして私の励み」

「励み?」

  

 思ってもいなかったのだろう、吾作の声が弾んだ。

「よし契約成立だ。その代わり腹いっぱい飯を喰わせてくれよ。栄養を考えてな。もちろん酒もだぞ。それから、あんた縫もんはできるかい。縫えたら服を作ってくれないか。俺はこう見えても清潔好きなんだ。あと風呂は一緒に入れないぜ。高潔だからさ」

 吾作が矢継ぎ早にまくしたててきた。ナオミは、ぷっと噴きだした。笑うなんて、いつ以来だろう。

「はいはい、仰せの通りに」

  


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ