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キズナ  作者: 鮎川りょう
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 夢には色がある。

 健常者との懇親会で、ナオミがそう話し始めると「嘘、目が見えないのにどうして色を感じるの」と、疑問を持たれる。

 当然のことだと思う。一般の人は全盲イコール暗闇だと決めつけているから。でも決して暗闇なんかじゃない。むしろ透き通った世界といったほうが近いのだ。

 さらに「音にも色や匂いがあるのよ」と付け加えると、大抵の人はそこで白けてしまう。眉唾だとしか思えないのだろう。音に色があるなんて、どう考えても理屈に合わないから。

 稀に興味を抱いた人も、その後に「音には形も備わっているの」と言うと、一様に笑いだす。

「まるでエスパーね。だったら杖なんかなくても歩けるでしょ」

 結局、最終的には信じず批判する。憐れみだけを残して。

 人とはそんなものだ。占い師の言葉を信じてもナオミの言葉は信じようとしない。ナオミが、盲人を超越する特別でない限り。

  

 叔母から絶縁を言い渡されたのは盲学校を卒業したばかりで、季節が冬から春に移り変わろうとするときだった。あまりに唐突すぎて、一瞬、庭先から漂う沈丁花の香りが消えてしまったのを今でも鮮明に覚えている。

「務めは果たしましたよ。もう立派な大人なんだから、早く一人暮らしをしてくださいね」

 それれほどきつい口調ではなかったが、叔母の隣で小学生の従妹が「あいつがいなくなったら、新しいベッドと机を買ってくれるんだよね。約束したよね」と声を弾ませていた。

 慌てた様子で従妹を窘める、叔母の動揺した気配も伝わってきた。

  

 ナオミにとっては突然でも、叔母の家族の間では既定路線でしかなかったのだろう。それだけに残酷な言葉だった。家も土地も母名義だったはずなのに……そして若くして亡くなった父の遺産も藪の中。

 まさに四面楚歌。家はいつのまにか名義を書き換えられ、預金もない状態で追立てを迫られる。そのうえ就職も決まっていないため、収入を得る手立てもない。さらに全盲ときている。

 心が壊れそうだった。

  

 でもナオミは、この人たちの前では決して泣くまいと決めている。母に先立たれた全盲の少女を、まがりなりにも八年間育ててくれたのだ。打算があろうとなかろうと、叔母が手を差し伸べてくれなければ今どうなっていたかわからない。それにナオミは十八歳。完全な大人とはいえないけど、体力も精神力もあの当時と比べものにならないほど鍛えられている。

 ナオミは、押入れの下段の引き戸に鍵を差し込んだ。そしてそこからやわらかい曲線が描かれたバイオリンケースを取りだした。

 母の形見。ナオミの唯一最後の綱。「いつか必要になるから、そのときお金に換えなさい。叔母さんには隠し通してね」と託されたストラディバリウス。

「でも、そんなに高額なものじゃないのよ。売ってもせいぜい百万円ぐらい。叩かれると半分かもしれないの」と、ナオミの手を握りしめた母は、いつかこういうときがくると予感していたのかもしれない。

  

 翌日、楽器店へ行きバイオリンを売った。母のいう通り値踏みされて六十万円だった。それでも当座の生活費とアパート代には十分な金額だ。

 仕事も盲学校の紹介で整形外科のリハビリ室に就職が決まった。広々とし、治療設備も整っていた。そこの一角で、ナオミは盲学校で習得したマッサージを担当する。

 患者層は老人と主婦が大半をしめ、感じの悪い人は特にいなかった。医師をはじめとする職員も同様で、みな親切だった。なかでも受付で事務をする女性は、年齢がナオミに近いせいもあり何かと親切にアドバイスをくれた。

 ただ院長だけは接触する機会が少ないためよくわからない。ぼんやり感じる色も、赤だったり青だったり、その都度変化する。患者の中には直情型の人もいればクレイマーもいるから、ストレスを溜めずに感情をコントロールできる人間なのだろう。

  

 勤めはじめて一ヶ月、ようやく患者にも慣れた頃。閉院間際にやってきた患者がマッサージ室のベッドに横たわるなり、唐突に話しかけてきた。

「やめた子、あんたと同じぐらいの年齢だったよな」

 何のことか話を読めなかった。ナオミは治療の準備をしながらさり気なく聞き返した。

「誰のこと、ですか」

「わるい、わるい。そうだよね。知らないんじゃわかるわけないよな。えっと、確か半年前までここに勤めていた女の子なんだけど、あんたと同じ全盲の人でさ、急にいなくなっちゃたんだよ。上手だから楽しみにしてたんだけどね」

「ここに全盲の人が、私と同じぐらいの人が、いたんですか」

  

 初耳だった。医師からも、リハビリ室の介護士からもそんな話は聞いたことがなかった。もし一緒に働けたなら、どんなに心強かっただろうか。そんな思いにとらわれながら、患者の背中に指を這わせていくと、腰の辺りにしこりを見つけた。腰全体が硬くなっている中でのしこりだった。

 ナオミは「少しずつ圧をかけますね」と、親指を患部に押し当てた。一秒、二秒、三秒目にしこりに達した。疲労を放置したものと思われるが、ナオミには悪魔の姿をした澱が砦を築いているようにも見えた。

 その砦を皮膚の上から押し続け、指先に波動を送った。すると堅固に築かれた砦が見る見る崩されていく。

「じょ、上手だな、あんた」

 患者が喉をつまらせながら言った。「あの子も上手かったけど、あんたは、それ以上だ」

  

 勤務が終わってからも、患者の言葉が頭の中にこびりついて離れなかった。どうして上手な人が短期間で辞めてしまったのだろう。職場内には障害者を排除する空気は感じられないし、謎だった。

 もしかして事故にでも巻き込まれてしまったのだろうか。

 というのも盲人の弱点はスピードと変化。どんなに万全の準備をしていても、この二つの前ではまるで無防備になってしまう。それが遠くまで見渡せることのできる健常者との大きな違いだ。

 だから知らない道を全速力で走ることはできない。慣れ親しんだ道でも急な変化には対応できない。太陽が東から昇って西へ沈むのと同じ摂理だと思う。定めとして受け入れなくてはいけない事実なのだ。

  

 そんなことをあれこれ考えていると、ナオミのすぐ横を、けたたましいクラクションを鳴らし猛スピードで車が通りすぎていった。

 ここは駅へ続く商業地、おびただしい数の飲食店が連なる繁華街だ。けれど道幅が狭いために車は進入できず、先の信号で曲がることを余儀なくされる。大回りして、いったん幹線道路に出なければ、ロータリーには行けない仕組みになっているのだ。

 その苛立ちがクラクションを鳴らして、必要以上にエンジンを噴かす行為につながっているのだろう。そんなときは大抵、車もドライバーもナオミには赤色に染まって見える。

  

「あの……」

 と、背後から声をかけられた。男にしてはバイオリンの旋律にも似た繊細な声だった。

「前にいた女の人と、友だちですか」

 振り向くと、そこに緑色のミント系につつまれた人体を知覚した。確かミント系は人見知りのはず。そんな人がどうして話しかけてきたのだろう。ナオミは立ちどまった。

「それは、島津整形外科のことを言ってるの?」

「そうです。そこで働いていた、あなたと同じ全盲の人です」

 緑色の人体が、一瞬ぽうっと赤紫色になった。

「その人が、好きだったのね」

「はい」と答える言葉まで変色している。

「話を聞かせてくれるかしら」

  


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