表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
キズナ  作者: 鮎川りょう
1/32

1章 追放 1


 四方を神秘なバリアーで覆われた未開の里。その地の空がようやく茜色に染まりはじめた頃、里の最北端に位置する洞窟の入口で、男が足を投げだし、目を擦りながら岩壁にもたれかかっていた。

 男は長閑なこの地で、ここ十数年ついぞ見かけなかった荒くれ。生業が猟師でもあり、浅黒い素肌の上に分厚い毛織のベストを着込み、腰に鋭利な短剣を装着していた。頭は縮れた短髪で、顔半分に凶暴な山賊を連想させる厳ついひげを生やしていた。それでもくりっとした目と、ふっくらとした丸顔のせいで、どうかすると地蔵さんのようにほっこり見える不思議な男だ。

 けれど、男のいる場所は岩肌が鋭角に切り立つ険しい断崖。下方は日の光すらとどかない深い闇。ここを根城にする猛禽類以外、近寄るものは誰もいない禁断の場所だった。

  

 男は吾作、とりわけ無自覚な小人。温厚な者が多く暮らす小人族にあって一際粗暴で、毒草の栽培や調合、はては酒の密造と、その退廃さは突出していた。長老たちは事の重大さを憂慮し、吾作に「人間界へ行って悟りを得よ」と通告した。一種、里からの追放である。

「体のいい厄介払いにすぎねえ」

 吾作は、長老たちから言い渡された言葉を思いだすようにつぶやいた。

 言い分はあった。が自身も、自分を賢明な男だとは思っていなかった。陽気に過ごす仲間を横目に一人孤独を好み、いっさい仲間づき合いをしようとしなかった。

  

 吾作は代々猟師の家系。猪や鹿をしとめ、肉と毛皮を村に卸して生計を立てていた。だが吾作が十歳のとき、冬眠前の熊に襲われ父が殺された。怒り心頭、祖父が罠を仕かけて標的の熊を捕らえるものの、放った矢が熊の爪に払われ、勢いそのまま近くにいた母親の首に刺さった。

 父に続いて母も死に、罪を感じた祖父は弁明もせずに流刑された。状況はどうであれ、自分の放った矢で娘が死んだという事実を拭えなかったのだろう。

 その後、十歳で孤児になった吾作は里へは下りず、山小屋で一人静かに暮らした。というのも吾作には、わずかではあったが透視能力という他の小人にはない力を秘めていたのだ。そのため、ことあるごとに祖父を疎む人の心が透けて見えていた。

  

「それにしても、こうも見事に手の平を返されるとは……俺は超がつくほどの大ばかだ」

 吾作は吐きすてると立ち上がり、半ばやけ気味に洞窟へ向かおうとした。が、すぐに思い直して布袋から刻んだナス科の葉を取りだした。それをキセルの先端につめ、燐で発火させた火種で燻して煙を吸った。さらに短剣で木の枝を切り、油を浸した布を巻いて松明をつくった。

「長老は、この不気味な洞窟を抜ければ人間界へ行けるというが、無事到達した者はほとんどいないと聞く。なら洞窟は墓場だ、島流しと変わらねえ」

  

 小人界で罪を犯した者は、湖に浮かぶ小島で鎖につながれて生きる。稀にしか犯罪が起こらないので、定期的にやってくる役人以外管理する者は誰もおらず、重い足枷をつけたまま食料の調達をしなければ生き延びられない苛酷な刑でもあった。

 逃げようにも四方は渦を巻いた深い湖で逃げられず、みな改悛して刑期満了を待たずに赦免されたという。ただ吾作の祖父は反骨心が強かったのか、それとも娘殺しという自責の念を消せなかったのか、最後までそこで暮らし続けた。

「何が流刑は偲びないだ、何が人間界で悟りを得よだ。ふざけんじゃねえ」

 吾作の放った憤懣は、谷から吹き上げてくる風に乗って、煙草の煙とともにあっという間に上空へ流されーー空しく消えた。

  

 観念して入り込むと、洞窟内は暗く薄気味悪い通路といえた。じめじめして、とてもじゃないが悟りにつながる道とは吾作には思えなかった。

 一歩足を進めるたびに、闇の中からざわざわ土を擦るような摩擦音が響いてくるし、恫喝するような唸り声も聞こえてきた。その唸り声に運ばれて、吐き気をもよおすほどの異臭も漂ってくる。

 松明に火をつけ、目を凝らすと、壁や天井に明確な形のない無数の黒い影が這いずり回っていた。彼らは吾作の歩調に合わせて進み、ときに近づいて威嚇し、ときに立ち塞がって追い返そうとしてきた。

  

 昨夜の長老の話では、すべて自らの怖れが招く幻覚だというが、幻覚で片づけるにはあまりに臨場感がありすぎる。というのも強いダメージは受けないものの、彼らから衣服をつかまれたり引っ張られたりしたのは事実であるし、何より、牙を剥く彼らから吾作と共通するやりきれない感情も流れ込んでくるのだ。

 もしかしたら黒い影の実体は長老たちのいう幻覚などでなく、吾作と同じで、里から追放された同族ではないのかと思ったりもする。

  

 試しに、幻覚なのか同族なのか影に向かって松明を近づけてみた。すると影はしばらく抵抗するかに妖しく揺れ、闇雲に異臭を吹きかけてきた。が、吾作が少しも動じないせいで、そのうちウォンウォンと哀切にも似た呻き声を上げて泣きだした。

「頼むから、火を近づけるのはよしてくれ。まぶしいのは苦手なんだ」

 痩せこけているが、やはり同族だった。

「あんたは人間界に行かないのか」

「行ったよ。でも人間は巨人だし、蟻だって怪物さ。集団で襲われ、命からがら逃げてきた。ここが唯一安全なんだ」

「こんな所にいないで、里へ戻ればいいじゃねえか」

「女房は再婚したし、もう鼻つまみものなんだ」

「情けねえ奴だ、勝手にしろ」

  

 同族の影に背を向けて歩きだすと、数メートル先にかすかながら光が射しはじめ、平坦だった道が急勾配の上り坂になった。吾作はようやく出口に差しかかったのだと確信した。あれほど執拗につきまとっていた哀れな影の姿も今は消えている。

「ついに出られるのか」

 安心するとげんきんなもので、急にお腹が空いてきた。けれど布袋に入れた握り飯は、いつのまにか彼らに喰われたらしく空っぽだった。ならばせめて喉を潤そうと竹筒を口に当ててみるのだが、水も知らぬまに飲まれたようで一滴も残っていなかった。

「ふん、同族かと同情したのが間違いだったか。これではまるっきり盗賊だ」

 釈然としない吾作は大股で歩きだすと、突きでた岩土に足をかけて、ほぼ垂直になった人間界への道をしゃにむによじ登っていった。

  


誤って削除してしまった、全盲の少女と小人の物語の再掲載です。よろしくお願いします。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ