2-20 頬擦り
「ああ、ミア、久しぶりだね! 会いたかったよ」
ウィル様は、顔を合わせるなり、お決まりのキラキラ笑顔で私の手を取った。流れるように手の甲に口づけをするのも、もう驚きはしない……けれど、やっぱりまだ気恥ずかしい。
眩しすぎて、私は思わずウィル様から視線をそらした。
白いガーデンテーブルと、ペアのガーデンチェア。
いつも二人で過ごすテラスガーデンは、昨日と今日の暖かさで一気に様相を変えた。花壇には色とりどりの花が咲き、蝶を誘う甘い香りを放っている。
けれど、いくら視線を外しても、それよりも強いシトラスがふわりと香る。触れ合う手からあたたかな熱が伝わってきて、私は顔の向きはそのままに、視線だけ正面へ戻した。
「もう……ウィル様ったら。一昨日お会いしたばかりではありませんか」
そもそも、久しぶりに会って感極まったみたいな表情をしているけれど、実際は全然久しぶりでもないのだ。
「昨日だって魔法通信でお話し致しましたし、大げさですわ」
「魔法通信でミアの声が聞けたのはとても嬉しかったけれど、顔が見えないのは残念だね。話している相手を立体映像化する技術が開発されたら良いのに。ああ、この仕事が終わったら設計してみようかな。そもそも魔法通信機には不満が沢山ある。例えば、通話保留時に魔力供給源が離れた場合、待機魔力が――」
すっかり平常運転なウィル様を見て、私は思わずくすりと笑ってしまう。魔法や魔道具のことになると、本当に楽しそうだ。
立体映像化も、ウィル様なら本当にやりかねない気がする。そして立体映像化に成功したら、きっとまた別のことを思いつくのだろう。
「ところで、ウィル様。お父様を待つ間に、お見せしたいものがあるのです」
放っておくといつまでも喋っていそうなウィル様を遮って、私はテーブルの端に寄せておいた二つの紙袋を、彼の目の前に置き直す。
ウィル様は、すぐに紙袋を覗き込んだ。
「これは……手紙!?」
「ええ。こちらの袋が、私からウィル様にお送りする予定だったもの。こちらの袋が、ウィル様から私宛に届いていたものですわ」
「ああ、ミアからの手紙……! こんなにたくさん……、全部無事だったんだね!」
ウィル様の表情が、ぱあっと華やいだ。秀麗なお顔で、心底嬉しそうに笑っている。
「そのようですわね。開封もされていないようですから、抜き取られたものもないと思います」
「良かった……嬉しいよ。ねえ、ミア、こちらの袋を貰って帰っても?」
「もちろんですわ。もともと、ウィル様のお手元に届くはずだった手紙ですもの」
「ありがとう……! ああ、帰ったら一枚一枚しっかり読ませてもらうよ。本当に嬉しい」
ウィル様は紙袋から封筒をひとつ手に取り、大事そうに抱きしめたのち、頬擦りをした。
「えええ……?」
嬉しそうなのは良いが、喜びすぎだ。ちょっと引く。
「ねえ、ミア。マーガレット嬢は、手紙のことをなんて?」
「誤魔化したりすることなく、きちんと、謝ってくれましたわ。ですから、私からは不問としました。ウィル様にもちゃんと謝るようにと伝えてあります。今日は学園に行っていて留守ですが、後日、謝罪があるかと思いますわ」
「そうか……ミアは許してあげたのか。優しい君らしいよ」
「その……ウィル様」
「心配しなくても、大丈夫だ。手紙もちゃんと戻ってきたし、改心してくれたのなら、それで良い。……正直、はらわたが煮えくり返っていたけれど……うん、あまり厳しい対応はしないように努力するよ」
マーガレットのしたことを思い出したのか、そのお顔に一瞬だけ怒りが浮かんだものの、すぐさま彼は、にこりと笑いなおした。
「まあ……、ありがとうございます。嬉しいですわ」
「ふふ、惚れ直した?」
「もう、とうに惚っ……」
目をまんまるにして固まり、じわじわと頬に赤みを帯び始めるウィル様を見て、自分がさらりととんでもないことを言おうとしていたことに気がついた。私はしどろもどろになって、ぶんぶん首を横に振った。
「あっ……、違、そうじゃなくて、その、えっと……!」
「ふふ、残念。せっかくだから最後まで言ってほしかったな」
ウィル様は照れたように耳や頬をほんのり染めながら、私の頭を撫で、そのまま髪をひと筋掬って、口づけを落とした。
そのままじっと見つめる新緑色にともる喜びの灯に、今度は私の方が顔を熱くする番だった。
ひとしきり満足したところで、ウィル様は手に取っていた髪を私の耳にかけ、元通りまっすぐに座り直す。
「……まあ、実際、マーガレット嬢がミアを大切に思う気持ちは本物のようだし、実際にミアに危害を加えようとした訳でもない。手紙の件も、デイジー・ガードナーと、従僕に誘導されて行ったことだ。なら、反省しているのにこれ以上裁くのは筋違いだろう? だが、もしも――」
ウィル様は、至極冷静に語っていたが、そこで言葉を切って、先ほどとは全く違う、うすら寒い笑顔を浮かべた。
「――もしもマーガレット嬢が真っ当に謝罪せず、有耶無耶にしようとしていたら、きっと許さなかっただろうけどね」
隠しきれなくなった怒りを含む、氷のような微笑だ。マーガレットが、自分からちゃんと言ってくれて、本当に良かった。
「それから、マーガレット嬢は良いが、例の従僕……ヒースと言ったか? 彼やデイジー嬢は別だ」
彼はもはや笑顔さえ消して、怒りを霧散させようとしているのか、瞼を閉じる。
その怒りが自分に向けられたものではないとわかっていても、私はつい身震いしてしまう。
ゆっくりと目を開けてから、彼は先程よりも冷静な声色で告げた。
「詳しいことはエヴァンズ子爵の話を聞いてからになるが、こちらは魔法騎士団が動く理由になり得そうな証拠を手に入れた。手紙の件だけではなく、もっと色々なことが繋がっている。闇は深そうだ」
闇、と聞いて、私はお父様から聞いた『紅い目の男』のことを思い出す。
何か良くないことが起こっているのは、確かだ。
私は思わず、両手で自分の体をかき抱いた。
「ミア、君のことは必ず守ってみせる。必ずね」
ウィル様は、私が不安がっていることに気がついたのか、ふっと雰囲気を緩め、柔らかく微笑んだ。
椅子から立ち上がると、私の後ろに回る。そして、私の身体を温めるように、ふわりと抱きしめてくれた。
「ウィル様……」
私は彼の腕に、そっと自らの手を添える。
甘いシトラスの香りとぬくもりに、私の不安はすぐにどこかへ飛んで行ってしまったのだった。




