5-8 双頭犬
怪我をした騎士たちの治癒を開始してから、けっこうな時間が経過した。
戦闘開始時に中天にあった太陽は、いつの間にか西の地平へ近づいていて、戦場に長い影を落とし始めている。
「まだ、戦いは終わらないのでしょうか」
「わからない……スタンピードとはいっても、こんなにたくさんの魔物が、こんなに長い時間、断続的に襲いかかってくることなんて、今までなかった」
怪我人の数も、増え続けている。終わりの見えない戦いに、騎士たちの疲労も限界近くなっていた。
「せいぜい数十匹だと想定していたのだが、百はとうに超えた。二百……いや、三百に届くか」
いまや、ウィル様も最前線に出ている。馬車の周辺はどうにか守られているが、今、治癒を受けながら話をしている騎士の持っていた盾も斧も、魔獣の牙や爪で傷だらけになり、一部が欠けていた。
「皆さんの疲労ももう限界ですわね……」
治癒を続けている聖女たちも、疲れた顔をしている。結界はどうにか保っているが、聖力が尽きてしまうのも時間の問題かもしれない。
馬車に設置された魔道具の光は、それでも白く輝いたまま。赤くならないのは、魔獣が全方向から襲いかかってくるため、退路の確保をする余裕すらない――つまり、馬車の周りが一番安全で、他に逃げ場がないからだろう。
「ウィル様……」
「きゅう……」
私は、愛しい人の名を呟いて、胸元に飾られている新緑色のネックレスをきゅっと握る。私の隣に陣取るブランも、心配そうに耳を垂らしていた。
ウィル様は氷の魔法と聖剣技を使いながら、テーラ隊の隊長とペアを組んで、冗談みたいに大きな魔獣と戦っていた。
「……あのでかい魔獣が、この群れのボスかもしれない。あれを倒したら、魔獣共も散っていくかもしれないな」
「確かに、ひときわ大きくて強そうですものね……」
「ああ。だが、隊長とウィリアムが組んで、互角か……。彼らは、この隊で最強の二人だ。どちらかが倒れたら、奴を討ち取るのは厳しいぞ」
私は、目の前の騎士の治癒を終えると、その場に立ち上がった。固唾をのんで、二人対一匹の戦いを見守る。
「ウィル様、どうか……」
しかし、その願いもむなしく、先に倒れたのはテーラ隊の隊長だった。
「……っ!」
黒い靄に弾き飛ばされて、地面に転がる隊長の姿を見て、私は思わずウィル様と魔獣の方へ駆けだしていた。
「あっ、おい、ミア嬢! 駄目だ、戻れ!」
「きゅい! ぷうう!」
騎士とブランが制止する声も無視して、私は祝詞を唱えながら、危険な最前線へと走って行く。
「――我が声は天の声、応じよ聖なる光――!」
黒い靄が、ウィル様に肉薄する。
ウィル様は、身に纏っていた全ての加護を剣に込めていく。最後の一撃にするつもりだ。
「はああああっ!」
「――『極大浄化』!」
ウィル様が白く強く輝く剣を魔獣に向けて振るったのと、私が持てる最高位の浄化魔法を放ったのは、全く同時だった。
ウィル様は一瞬、驚いた様子だったが、すぐに目の前の脅威に集中しなおす。剣に込められたありったけの聖力を魔獣に打ち込んでいく。
私もウィル様の隣に並ぶと、全力で聖魔法を浴びせかけた。
「グゥォオオオオォ!」
真っ黒だった靄が、徐々に薄れていく。
「……オォォ……」
長い長い雄叫びが、夕闇をついて、夜のはじまりへと伸び――そして、消えていく。
後に残ったのは、二つの頭と尻尾を持つ、紺色の巨大な犬だった。一つの頭だけでも、人の身長ぐらいの大きさがある。
双頭犬は、満身創痍だが、まだ息をしている。気を失っているようだが、黒い靄はもうすっかり消え去っていた。
「双頭犬……こいつが、魔獣たちのボスだったようだね。もう、魔獣たちは戦意を失ったみたいだ」
ウィル様が言ったとおり、遠くからこちらをうかがっていた魔獣たちは、双頭犬が倒れたのを見るやいなや、蜘蛛の子を散らしたように逃げていった。
「良かった……終わったのですね」
「ああ。……でも、ミア?」
ウィル様は、厳しい表情をして私の顔をのぞきこんだ。
彼の騎士服はところどころ破れているし、腕からは血が滴り落ちている。
私は、何も答えずに首を振ると、短く祝詞を唱える。
「――『治癒』」
ウィル様の傷を治癒し終えると、私はその場でふらついた。ウィル様は、私をとっさに支えてくれる。
「こんな無茶をして――」
ウィル様は形良い眉をぎゅっと寄せるが、私は、それにも答えず、もう一度祝詞を唱え始めた。
――これを発動したら、さすがに聖力が底を尽いて、倒れてしまいそうだ。
けれど、これは他の聖女には任せられない。私がやらなくては、誰もやらないであろうから。
後のことは、ウィル様が何とかしてくれるだろう。
「『治癒』……!」
治癒の光が、紺色の元魔獣を包み込む。虫の息だった双頭犬の傷は塞がり、穏やかな呼吸を取り戻した。
それを見届けると、私は今度こそ、ウィル様の腕の中で意識を手放したのだった。
*
私が目を覚ましたのは、その翌々日。日がとっぷりと暮れた後のことだった。
「ん……ここ……室内?」
どうやら私は、ベッドに寝かせられていたらしい。
質素で、けれど清潔な部屋だ。ベッドとサイドテーブル、その上には水差しとランプ。
小さな窓からは月明かりが差し、石造りの壁を青白く照らしている。
重い身体をどうにか起こすと、開け放たれた扉の外から、コツコツと廊下を歩く軽い足音がした。
足音の主――ピンク色の混じった白髪の少女が、通りがかりに、ひょこりと部屋をのぞき込む。
「あっ、ミアさん、起きてたんですねっ! ウィリアムさんを呼んできますぅ」
マリィ嬢が走り去ると、その後すぐに、大急ぎで走ってくる足音が聞こえてきた。足音の主は、予想通り、ウィル様だ。
「――ミア!」
ウィル様は、私の名を呼ぶと、そのまま部屋に入ってくる。
泣きそうな顔が近づいてきたかと思うと、私は、一瞬でその腕の中に閉じ込められてしまったのだった。




