4-5 魔力相性
朝の光が、瞼の裏を刺激する。
けれど、身体がすごくだるい……もう少しだけ、寝ていたい。
ごそごそと寝返りをうつと、なんだかいつもと違う香りがする。
――シトラスの香り。ウィル様の香りだ。
「ん……ウィル様……。ウィル様の香り……」
私は寝ぼけたまま、呟く。
「――おはよう、ミア」
「……ウィル様の、こ……え……?」
私の独り言に返事をする、澄んだ優しい声が聞こえてきて、私の頭は急に覚醒した。
慌てて目を開くと、私の寝ているベッドの前に長ソファーが置かれていて、そこにウィル様が騎士服のシャツのまま、襟元だけを緩めて、寝転がっていた。
「え……ウ、ウィル様? どうしてここに!?」
「どうしてって……ふわぁ……ここ、俺の部屋だし」
「え? えっ?」
あくびをしながら、少しかすれた甘い声で答えるウィル様は、そのままソファーに身を起こす。
私も起き上がってあたりを見回すと、確かにここは、私が借りている部屋ではなかった。
「ななな、なんで? あれ、昨日、私、どうしたんでしたっけ!?」
私は寝起きの頭をフル回転させる。馬車に乗って聖魔法を発動したところまでは覚えているが、その後どうやってオースティン伯爵家に帰ってきて、どうしてウィル様の部屋で寝ていたのか、全く思い出せない。
恐る恐る自分の身体を見ると、いつのまにか部屋着への着替えまで済んでいた。
「ふふ、心配しなくても、俺は何もしてないよ。身体を拭くのも、着替えも、きみの侍女シェリーがやってくれたから。馬車からここに運んだ時以外は、眠っているきみに、指一本触れていないよ」
「そ、そうなのですか?」
「うん。シェリーには怒られたけれどね。『貴方様がついていながら、どうしてこんなに無理をさせるんですか』って」
そう言ってウィル様はふふ、と笑う。ベッドの横の水差しに手を伸ばして、二つのグラスに、それぞれ果実水を注ぐと、私に一つ、手渡した。
「ありがとうございます」
「ああ」
私はベッドから出て、お礼を言ってグラスを受け取る。ウィル様は安心したように目を細めた。
「もう動けるみたいだね。良かった。……昨日は、ごめん。無理をさせてしまって」
「まあ、謝らないでください……私が、悪いのですから」
「ううん。注意していなかった俺も悪かった。ごめん」
「いえ、そんな……」
ウィル様は申し訳なさそうに眉を下げた。
「ミアは昨日、馬車であったこと、覚えてる?」
「ええ……『加護』の魔法がウィル様に定着しなくて、私、むきになってしまって……」
「定着?」
「はい。聖女様が、言っていたのです。『加護』の魔法は、ある程度聖力を注ぐと、ある一点で、それ以上注げなくなるのだと。そこで、カチッとはまるように相手の身体に固定され、定着すると言っていました。けれど、私、うまくウィル様に魔法を定着させることができなくて」
「ああ……そういうことか。それで倒れる前に、あんなに悲しそうな顔を……」
ウィル様は顎に手を当てて私の話を聞いていたが、眉を顰めて頷いた。
「……私、ウィル様と相性が良くないのかもしれません。そう思ったら悲しくて……それで、どうしても『加護』を完成させたくて、躍起になって」
「そっか……」
ウィル様は、ソファーから立ち上がると、私の頬に片手を伸ばして、親指で優しく撫でた。
「相性、ね。ふふ。ミアが俺との相性を心配していたなんて……本当に、なんていうか。ああ……もうだめだ、可愛い」
「ウ、ウィル様。魔法の相性ですからね?」
「もちろん、わかってるよ」
なんだかウィル様の表情と言葉尻に妖しげな響きを感じたが、魔力相性が悪いのは、冗談抜きで困る。
なんせ、これから二人で一緒に行動する時間も、身を守らなくてはならない場面も、増えていくのだから。
「……そう言って甘やかして下さるのは嬉しいですけれど、私にとっては、そんな場合ではないのです。だって……『加護』ができなければ、もしも魔族が現れても、ウィル様と一緒に戦えないもの」
「――大丈夫」
ウィル様は、私の額に、ちゅっと音を立ててキスをした。
「心配しなくても、ミアと俺の魔力相性なら、抜群にいいはずだよ。もう既に証明されてる」
「既に……? どういうことですか?」
「うん。ほら、これ。この魔法石が、証拠だよ」
ウィル様は漆黒の髪を耳にかけ、自らの耳を飾っているピアスを指し示した。
彼の瞳と同じ、新緑色の魔法石が、耳元で美しく輝き、揺れている。
「魔法石に二つ以上の魔法を込める仕組みについても、最近少しずつわかってきてね。一つの魔法石内で、二つの力が、反発せず長期間維持されている――これは、俺の魔力とミアの聖力の相性がいいという証拠に他ならない」
ウィル様の話によると、魔力相性の悪い相手が魔法を込めた魔法石には、魔力は蓄積されないか、短期間で霧散してしまうという。
彼が幼少期から肌身離さず持っていた『癒しの護符』にウィル様の魔力が蓄積されなかったのは、その魔力相性が原因だったようだ。
「それに、これも。――ほら、見て」
ウィル様が手のひらを上に向けると、きらきらと輝く光の粒が、手のひらに集まった。
「ミアの聖力だよ。いまだに俺の身体に、ミアの『加護』が保持されている。それに、あの見知らぬ聖女に加護をかけられた時と違って、俺の意思に呼応するように、不自由なく動いてくれるんだ」
ウィル様がもう片方の手のひらを上に向ける。
それと同時に、光の粒が出ていたほうの手のひらからは光が消え、もう片方の手のひらが輝きだした。
「私、『加護』に失敗したわけじゃなかった……?」
「うん。際限なく聖力が注がれてしまった理由は、誰かに聞いてみないとわからないけど……とにかく、ミアが心配していたようなことはないと思うよ」
「はあ……よかった……」
私は心底ホッとした。ふにゃりと頬が緩むのが、自分でもわかる。
「ふふ。本当に可愛い……昨夜の俺、一緒の部屋にいてよく我慢したな」
ウィル様は、緩めていた騎士服の襟を直しながら、苦笑する。
「ねえ、ミア。身体はまだだるい?」
「ええ……少しだけ」
「なら、今日は休む?」
「いいえ。出勤二日目からお休みするなんて、できませんわ」
「そう言うと思ったよ。でも、今日は大事をとって、聖力は使わずに過ごそう。情報の整理とか、資料作りとか、聖魔法の練習以外にもできることはたくさんあるから」
「ええ……そうします。ありがとうございます」
「じゃあ、せめてちょっと出勤を遅らせようか。シュウさんに連絡してくる。シェリーを呼ぶから、ここで待っててね……よっと」
ウィル様は、ベッドの横に移動していたソファーを持ち上げ、元あった場所に戻す。
重そうなソファーなのに、一人で軽々と運んでいて、細身に見えるけれどやはり鍛えているのだな、と私は再認識した。
そうして、ウィル様は私に甘い笑顔を残すと、颯爽と部屋を出て行った。
今更だけれど、ずっと部屋の扉が細く開いたままになっていたことに気づき、ウィル様が私を本当に大切にしてくれていることを実感する。
「あ……そういえば、加護の解除、してない」
私がそのことに気づいたのは、ウィル様が出て行ってしばらく経ち、シェリーが部屋に入ってきた時だった。




