プロローグ
俺の名前は佐藤 清之介。今年で二十五歳になるしがないサラリーマンだ。
特にこれと言った特技も趣味もない俺は、普通の大学を卒業し、普通の会社に就職し、普通の生活を送っていた。
大きな不自由があるわけではないが、面白味があるというわけでもない。谷もなければ山もない、ただただ平坦な道がどこまでも続いている、つまらない人生だと自分ながらに思う。
ついにアラサーと呼ばれる年齢に突入し、はたしてこのまま流されるように生きていていいのだろうかと、そんなことを漠然と思い始めたそんなとある日の事だった。
日付をまたぐほどの残業を終え、ふらふらになりながら帰宅する途中。俺の住んでいるアパートの前に一人の少女が佇んでいるのが見えた。
遠目から見た感じは小学生くらいで、アパートの住人だろうかなんてことを思ったのだが、近づいていくにつれて次第にその少女の異質さが露わになっていく。
眩いばかりの金髪に白い肌。黒と白が主体のお嬢様然とした服に、燃えるような真紅の瞳。そして極めつけと言わんばかりに頭からは雄々しさ溢れる羊の巻角が生え、背中には蝙蝠の羽、お尻からは悪魔の尻尾が伸びていた。
一言で言うならコスプレ少女。だが、浮世離れしているはずのその恰好は妙にきっちり、かっちりとはまっていて、少女のいる場所だけまるでアニメの一場面をそのままくりぬいたかのように見えた。
物珍しさに思わず見入ってしまっていたが、頭を振って気を取り直す。
昼間ならいざ知らず、こんな真夜中に女の子がコスプレをして外を出歩いているなんてどう考えたって怪しすぎる。絶対に訳アリだ。大人が子供に声をかけただけでニュースになってしまう昨今、関わり合いになるのは避けるべきだろう。
だが、少女が立っているのはアパートの真ん前、丁度入り口のところだった。中に入るためには避けては通れない。
歩調を出来る限りゆっくりにしながら、無視して通り過ぎるべきか、時間を置いて戻って来るべきかなんてことを考えていると、突然何の前触れもなく少女がこちらを振り向いた。
驚いて足を止めてしまったのも束の間、少女は俺めがけて迷いなくずんずんと歩いてくる。真夜中に人気のない路地で見知らぬ少女が一直線に向かってくる様は正直滅茶苦茶怖かった。
少女は俺の目の前まで来ると、訝し気に顔をじろりと見たあと、不遜な口調で言った。
「なんだお前は」
それはこちらのセリフなのだが、通報されたら警察署に連れていかれるのは間違いなく俺だ。なのでとりあえず低姿勢でいくことにした。
「いえ別に、なんでもないです」
納得したのかしないのか、少女はふむと頷くと続ける。
「まぁよい。お前に一つ頼みがある」
「はぁ、なんでしょう」
すると少女は両手を腰に当て、胸を逸らし、足を肩幅に開くと大仰に言った。
「我が名はリリア。リリア・キル・デスヘルガルム。異世界から来た魔王だ」
「…………」
少女――リリアがなんと言ったのか理解するのに時間がかかった。
「……あー、異世界、異世界ね。なるほど。それはまた随分と遠いところから――って、は?なんだって?」
聞き間違いであってほしかったのだが、リリアは冗談で言っているわけではなさそうだった。なんなら、『この距離で聞き取れないとかお前耳ついてんのか?』と言いたげにしらっとした視線を投げてくる。
そのあまりにも堂々としたふるまいに思わず俺が間違っているのかと思ったが、当然そんなわけがない。異世界から来たと言われてあっさりと信じられる奴は多分この世界にはいないだろう。
つまるところこれは『ロールプレイ』って奴だ。格好だけでなく、口調や仕草まで好きなキャラクターになりきるというアレだ。なぜ真夜中にそんなことしてるのかだけはマジで意味わからんけど、この状況を説明するならそれしか思いつかない。
正直逃げ出したくてたまらないが、逃がしてくれそうな雰囲気でもない。適当に付き合ってキリのいいところで退散させてもらうとしよう。
「えー、それで?異世界の魔王様は俺に何を頼みたいんだ?」
「ああ。なんとも恥ずかしい話なのだが、転移してきた際のショックで記憶をなくしてしまったようでな。我が魔王であることと名前だけは憶えているのだが、それ以外が全く思い出せない。どうしたものかと困っていたところに、丁度お前がやって来たというわけだ」
「なるほど」
そこまで聞いてさすがに理解する。
これはアレだ、美人局って奴だ。その割には導入があまりに異質だが。きっとこの後、行く当てがないから泊めてくれとかなんとか言ってきて、ほいほい家に上げたら恐い人達がわんさか押し寄せてきて金をどばどば巻き上げられるのだろう。
これは本格的に逃げたほうがよさそうだな。
「そうなんですか。それは大変ですね。それじゃ」
「まぁ待て」
そそくさと立ち去ろうとするも、スーツの袖を掴まれて止められる。
「いや、そういうのほんといいんで。俺金持ってないですし」
そう言いながらリリアの指を引き剥がそうと試みるが、どういうわけか万力で挟まれているかのようにびくともしない。なんならスーツがメリメリと音を立てているくらいだった。指の握力どうなってるんですかあなた。
さすがに身の危険を感じて少女に向かって叫んだ。
「ええい離しやがれ!うちはそういうの間に合ってるんだよ!」
「よくわからんがひとまず落ち着けキヨノスケ」
「ひとまずもふたまずも無…………へ?今、なんで俺の名前……」
名乗った覚えはないし、部屋の表札を見たのだとしても名前まではわからないはず。郵便受けだってちゃんと綺麗にしているのでそこからばれることもまずない。じゃあなんでだ。どうしてこの少女は俺の名前を知ってるんだ。
困惑する俺に構うことなく、リリアはつらつらと言葉を並べたてていく。
「ふむ、お前の事なら手に取るようにわかるぞ。サトウキヨノスケ、二十五歳独身、彼女無し、血液型はB型、誕生日は二月二日、ダイガクとやらを卒業後すぐに就職、○×カブシキカイシャとやらに三年間勤務、今年からエイギョウブとやらに配置換え……」
「え、ちょ、ま、待て待て待て待て!怖っ!何なのお前!?WHAT!?」
リリアが言った俺の個人情報は全て間違っていなかった。だからこそ恐ろしい。
するとリリアは得意げな笑みを浮かべて言った。
「ふふ、我は魔王だからな。人間の心を読むことなど造作もない」
「こ、心を、読む……?」
いや待て、冷静になれ清之介。
普通に考えて心を読むなんてことできっこない。これはきっと高度な詐欺だ。あたかも俺のことを知っている風を装って油断を誘い金をむしり取ろうって算段なんだ。なんならリリアが今言った情報くらい調べようと思えばいくらでも調べられるしな。
「コウドナサギとやらが何かは知らんし、何かを取ってやろうという気もないのだがな」
「…………」
あれ、なんでだろう。今声に出してなかったはずなのに会話が成立してた気がする。
すると、それを証明するかのようにリリアは続けた。
「当然だ。お前が考えていることは全て我に筒抜けなのだから」
俺が思ったことに対する的確な答えが返ってくる。あてずっぽうで言っただけではこうはならない。え、まさか、本当に読めるの?
「だからさっきからそう言っているだろう。疑り深い奴だなキヨノスケは。わかった、そこまで言うのなら、お前の初恋の相手であるヒノモリカエデとやらとの甘酸っぱい思い出話でも語って――」
「あー!あー!いい!いいです言わなくて!信じる!信じるからやめてください!」
退屈な社会人になってしまった今、キラキラしていた小学校の時の思い出なんか聞かされたらリアルに死にたくなってしまう。懐古厨だからね――っていやいやそんなこと言ってる場合じゃねぇ。
見ず知らずの少女の口から俺ですら忘れかけていた小学校の時の初恋の相手の名前まで出てきてしまったらさすがに信じるしかない。
このリリアと言う少女は本当に俺の心を読むことができるのだ。
だが、そんな不可思議な芸当を人間が出来るわけがない。となると、まさかさっき言ってた魔王って言うのもマジだったりするのか……?
「マジとはなんだ?魔法の略か?」
「あの、とりあえず心読むのやめてもらっていいですか?」
「なぜだ?」
「怖いからだよ!」
心を読まれるなんて体験は初めてだが、当然気分のいいものではない。人に知られたくないこともたくさんあるし、話せないことだってたくさんある。小学校の頃の思い出なんかまさにそれだ。
そんな想いを汲んでくれたのか、リリアは納得したように頷きながら言った。
「なるほどな。だが安心しろキヨノスケ。我は『そっち方面』には理解がある。例えお前が夜な夜な何を――いや、ナニをしていようとも気にはしない」
「ちょっと待てや。あなたは一体何の話をしているの?」
話の流れからして下ネタであることは間違いないだろうが、どうしてそっちに流れたのかがまるでわからない。ていうか記憶なくしてるくせになんでそんなことは覚えてんだよ。
誓って言うが、俺は下ネタなんて考えていなかったし思ってもいなかった。ちなみに趣向だって健全そのもの。普通の成人男性のソレ……のはずだ、多分。
するとリリアはあっけらかんと言った。
「ナニと言ったらナニしかあるま――あぁ、そういうことか。しかしながらキヨノスケ。確かに我は先程『そっち方面』に理解があるとは言ったが、羞恥心がないわけではない。我に恥ずかしいことを言わせて楽しもうというお前の気持ちもわからないではないが――」
「思ってねぇよそんなこと!何あたかも俺がそう思っているかのように言ってんだ!」
いや待て、落ち着け清之介。COOLだ。COOLになれ。
魔王だろうがなんだろうが、大の大人がこんな小さい女の子と下ネタで盛り上がっていいわけがない。社会的にも道義的にもよくない。誰かに聞かれたら通報待ったなしだ。
「ふむ。我はこう見えても二十万三千飛んで十五歳だ。だが、小さい女の子と呼ばれるのも存外悪い気はしないものだな」
「だから心読むのやめろ?」
ごほんと咳払いして仕切り直す。
「で、その魔王様が俺に何しろって言うんだよ」
「さっきも言ったが、我は記憶をなくしている。元居た世界のことも、この世界に来た目的も、何ひとつ覚えていない。いわゆる根無し草と言うやつだな」
記憶が無いわりに変な言葉は覚えてるんだなこの魔王。
「そこでキヨノスケの出番と言うわけだ。我の記憶が戻るまで、我の世話をしてほしい」
「居候させろってことか?普通に嫌なんですけど」
こんな角も羽も尻尾も生えてる魔王とかいうよくわからない生物を居候なんかさせたらどうなるかわかったもんじゃない。戸籍なんかあるわけないだろうし、異世界からとはいえ扱い的には不法入国になるだろう。何かあったときムショに入れられるのは間違いなく俺だ。
「大体、魔王って言うくらいなんだから魔法でなんでもできるんじゃないのか?それこそ、どっかに家を建てるとか、人の家を奪うとか」
「そうだな。人間共を抹殺し、この世界そのものを我が家にするというのもできなくはないが、我がこの世界に来た目的がわからない以上、無駄な諍いを起こすつもりはない」
この人なんかとんでもないこと言ってる。
「む、信じていないな?どれ」
リリアはそう言って俺のアパートの方に右手を向けると、『パチン』と小気味のいい音を出しながら指を弾く。
次の瞬間、アパートが爆発した。
「お、俺のアパートおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおっ!?」
叫ぶ俺に、満足げな顔を浮かべてリリアは言う。
「な?」
「いや『な?』じゃねぇっ!なな何やってんだお前マジでっ!俺以外にも住んでる人いるんだぞっ!?」
「まぁそう怒るなキヨノスケ。ほれ」
リリアがもう一度指を弾くと、爆発したはずのアパートが一瞬にして元に戻る。コントかな?
しかしながら、どうやらリリアは読心術だけでなく魔法の力も本物らしい。ていうか魔法なのか今の。詠唱もなんもなかったんですけど。
でも、指パッチンしただけでこんなことが出来るなら、人類抹殺なんてそれこそパッチンパッチンやってるだけで終わってしまうだろう。さっきの『世界我が家計画』もどうやら嘘ではないらしい。
こんなやべぇ奴が居候させてくれとか言ってんのか。冗談だろ。
「あの、他当たってもらえます?うちのアパート犬も猫も魔王も禁止なんですよ」
「それは無理だ」
「なんで」
「この世界で初めて話した人間の世話になると決めていたのでな」
「当たり屋かよ」
するとリリアは何かに納得したように頷いてから言った。
「わかっている。タダで住まわせてやるほど俺は優しくない、居候に見合った対価を寄越せと、そう言いたいのだろう?」
「言ってないです。そう言う問題じゃないです。単純に住まわせたくないんです」
「だが、今の我は身ひとつしか持ち合わせていなくてな。何かを差し出せと言われても、この小さくもすれんだーな魅力溢れる身体くらいしかない」
「言ってないって言ってんだろ」
「確かに、いくら魔王と言えど出会ったばかりの男に身を委ねるのは怖くもある。初めてだしな。だがそうでもしなければ絶対に居候はさせないと言うのなら我も腹を決め――」
「だから言ってないって言ってんだろうが!その長い耳は飾りなんですか!?」
心を読めるはずなのに全く会話が成立しないのはなんなんだろう。
「ならば何を望むと――ま、まさか、身体だけでは飽き足らず、我そのものを寄越せと!?つまるところ我に結婚しろと、そう言いたいのか!?」
「あのさぁ、さっきから何なのお前」
「い、いきなり『おまえ』だなんて、まだ了承すらしていないのにもう夫婦になった気でいるのかキヨノスケは!魔王相手になんと豪胆なんだ!どうする!?我は『あなた』と呼べばいいのか!?」
「付き合ってらんないよもう」
埒が明かないのでリリアの両肩を掴んで真面目な顔で向き合う。俺の真剣さが伝わったのか、こくりと頷いたリリアは目を閉じて唇を突き出してきた。あぁ全然伝わってねぇわこれ。
そんなリリアには構わず話を続ける。
「対価を寄越せとか、結婚しろとか、そういう問題じゃないんだよ」
「なるほど。四の五の言ってないで黙って身体も心も明け渡せと、そう言いたいのだな?」
「違うわ。聞け、俺の話を」
ようやくまともに聞く気になったらしいリリアは黙り込む。
「俺はもういい大人で、社会的責任ってもんがある。そんな俺が、お前みたいな小学生、よくて中学生くらいにしか見えない女の子を部屋に住まわせてるのを会社とかご近所さんに知られたらどうなると思う?」
「それはもう毎晩しっぽりと酒池肉林を楽しんでいると思――」
「なんでそっち方面にしか話が流れないのあなたは?脳内スイーツランドなんですか?」
一向に話が進みそうにないので、成人男性が見知らぬ女の子を部屋に連れ込んだらどうなるか、戸籍のない人間を勝手に住まわせたらどうなるかを一から百までこんこんと説明してやる。
するとリリアは得心がいったと言うように「なるほどな」と頷いてくれた。長かったなぁここまで。
「そういうわけだから、お前を住まわせることは出来ないんだよ。悪いけど他を当たってくれ」
困っているところを何もしてやれないのは心が痛まないでもないが、俺にだって守らなきゃならない日常がある。向こう見ずに突っ走っていいのは大学生まで。社会人は結果がどうなるかまで考えて物事を決めなければならない世知辛いものなのだ。
すると、リリアはなんとはなしに言った。
「要するに、我がキヨノスケの部屋にいても問題なくなればいいわけだな?わかった。であれば少し待っているがいい」
「待っているがいいって何を……あ、ちょっと!?」
言うが早いか、リリアの姿が一瞬にして消える――が、五秒もしないうちに再び姿を現したかと思うと、さっきまで持っていなかったはずの紙を一枚差し出してきた。
リリアが渡してきた紙。それは紛れもなく日本国民であることを証明する『戸籍謄本』であり、そして氏名の欄には『佐藤リリア』と記載されていた。
それだけでもうすでに色々と意味がわからないのだが、何より目を引いたのは婚姻の欄。そこに『佐藤清之介』――つまり俺の名前が書いてあった。
「え、なにこれどういうこと?なんで俺とお前が結婚したことになってんの?」
当然偽造を疑ったが、中身は役所の様式そのものだし、内容証明の判子もしっかり押してある。おそらく本物だろう。でも、だからといってそうなんですねとあっさり認めるわけにもいかない。
戸籍なんてそう簡単に作れるものじゃないし、そもそも『リリア・キル・デスヘルガルム』なんて珍妙な名前の奴の相手を役所がしてくれるわけがない。婚姻にしたって俺はサインどころか実物を見たこともないのだ。こんな意味不明なことが出来るとしたら、それこそ魔法でも使わなければ――。
そう思い至るのと同時に、嫌な予感が脳裏を過った。
「ま、まさか、お前……!」
するとリリアはふふんと鼻を鳴らして自慢げに言った。
「ああ。時を遡ってちょちょいとな」
「時を遡って!?マジで何やってんの!?」
異世界の魔王様はそんなことまでできるらしい。もうなんでもありだな。
というか――。
「時を遡れるなら自分が記憶喪失になる前に戻ったらいいだろうが!」
「魔王は唯一にして無二の存在。過去に行ったところでそこにいるのはここにいる我だ。もちろん未来に行っても同じだな」
要するに魔王様は時間と言う概念に縛られない存在ということなんだろう。その辺りを考え出すと頭がおかしくなりそうだったので俺は途中で考えるのをやめた。
しかしながら、リリアが本当に過去に行ってきたと言うのなら聞かないわけにはいかない。
「……それで、何してきたの?」
「大したことはしていない。我をお前の許嫁にしてきただけだからな」
「許嫁!?」
「ああ。お前がまだ言葉も喋れないほど幼い頃に行き、事故に遭いそうになったところを我が助けたことがきっかけでご両親に気に入られてな。我に身寄りがないことを知った夫妻は我を養子に迎え入れ、キヨノスケの許嫁にしたのだ。それから我はお前の命の恩人兼幼馴染兼お姉ちゃん兼許嫁になった、というわけだ」
内容が濃すぎてまるで頭に入ってこなかった。よくもまぁこの一文にそれだけの内容を詰め込めたもんだな。ツッコみどころしかなくて逆にツッコめないよ。
するとリリアはまるで遠い日を懐かしむような穏やかな表情を見せた。
「ふふ。幼き日のキヨノスケはそれはそれは愛らしくてな。我のことが大好きで、『しょうらいはりりあとけっこんする!』なんて息まいていて、それがまたどうにも母性本能を――」
「やめて?俺の記憶にないことをさもあったことかのように言うのやめて?」
「ちなみに我らは高校を卒業後、即結婚しようとしたところをさすがに早いと親に反対されそのまま駆け落ちし、七年前にこの地に来て二人だけの結婚式を挙げ、貧しいながらも幸せな家庭を築いている、ということになっている」
「『ということになっている』、じゃないよ。何その絵に描いたような若気の至り。最近のドラマでも見ないんですけど。え?ていうかなんでわざわざ結婚したの?」
「夫婦になってしまえば、我がキヨノスケの部屋にいても何ら問題あるまい?」
確かにリリアの目的は『俺の部屋にいても問題ない状況を作ること』だったわけだが、まさかそんなことのために結婚までしたってのか。頭ぶっ飛びすぎだろ。
「さ、さすがに冗談ですよね?」
だが、俺の言葉をリリアは無慈悲に否定した。
「冗談ではない。過去改変は少しいじっただけで未来が大きく変わってしまうからな。これでも改変する前の状況とあまり変わらぬよう色々と模索してはみたのだが、キヨノスケが死んだり世界が滅亡したりとどうもうまくいかなかった。唯一うまくいったのがさっき話した『命の恩人兼幼馴染兼お姉ちゃん兼許嫁、駆け落ち結婚ルート』だったのだ」
「美少女ゲームみたいなこと言ってんじゃないよ。あと今なんかさらっと怖いこと言わなかった?」
俺が死んだとか世界滅亡したとか聞こえた気がする。
するとリリアは昨日の夕飯の話でもするかのような気軽さで言った。
「ああ。『命の恩人兼幼馴染兼許嫁、略奪結婚ルート』では、キヨノスケがストーカーを名乗る女に惨殺され、『命の恩人兼幼馴染兼許嫁、事実婚ルート』では世界が核の炎に包まれて終焉を迎えた」
「気になる単語ありすぎだろ。逆にどうしてそうなったのか詳しく聞きたいんですけど」
ていうか『お姉ちゃん』概念めっちゃ大事だな。どこにどう作用してるのかは全くわからんけど。
「いや、ちょっと待て。そもそもの話、お前が過去を改変してきたのが本当なら俺の記憶に変化がないのはおかしいだろ」
少なくとも、リリアと許嫁になったとか駆け落ちしたなんて記憶は俺にはない。
「キヨノスケの記憶は、我がキヨノスケと初めて出会った時のものをさっき上書きしておいたからな。だから安心しろ。過去が変わろうと、今ここにいるお前は以前のお前のままだ」
「パソコンかよ。なんでそんな怖いことを無許可でするの?話が何もかも荒唐無稽すぎて信じられないんですけど」
するとリリアは「ふむ」と頷いておもむろに指を弾いた。しばらくすると俺の携帯の着信音が鳴り、ディスプレイに俺の実家の番号が表示される。どう考えてもリリアが何かしたのは間違いないが、とりあえず通話ボタンを押して出てみることに。
「もしも――」
『き、清之介!?清之介なのか!?』
聞き間違えるはずのない父親の声はなぜか興奮したように弾んでいた。
「そうだけど。どうしたんだよこんな夜更けに――」
『どうしたもこうしたも、お前がさっき電話を寄越したんじゃないか!』
当然そんなことはしていないので、リリアの仕業だろう。
『いやそんなことはどうだっていい!母さん!母さん!清之介だ!繋がった!』
どたどたと足音が聞こえ、電話口が母親に変わる。
『清之介!?本当に清之介なのね!?あなた今どこにいるの!?七年前にリリアちゃんと行方をくらませてから連絡の一つも寄越さないで!どれだけ心配したと思ってるのよ!?』
それから母親に『俺がリリアと駆け落ちしてから両親がどんな思いでいたのか』というまったく身に覚えのないそれこそ他人事のような話を涙ながらにとつとつと語られ、ひとまず夜も遅いのでまた今度連絡すると言って電話を切った。
もう滅茶苦茶すぎて理解もツッコみも追いついていないが、リリアが過去改変をしてきたと言うのはさっきの両親の様子からしても間違いないらしい。
え、どうすんのこれ。
「まぁそういうわけだ。これからもよろしく頼むぞキヨノスケ――いや、あ・な・た?」
「離婚しよう」
「嫌だ。我は離婚届には絶対に判子を押さないからな」
「魔王のくせに離婚届とか人間かぶれなこと言ってんじゃないよ」
しかしながら、居場所を作るためだけに過去すら変えてしまう魔王様相手にただのサラリーマンが太刀打ちなんてできるわけもない。
そう悟った俺は降参の意味を込めて両手を挙げた。
「わかった、俺の負けだ。どうにかしてお前の住める場所を探してみるから、全部元に戻してきてくれ」
その俺のお願いに、しかしリリアは首を振った。
「それは無理だ」
「え?なんで?」
「時間遡行には莫大な魔力が必要になる。さすがの我と言えど、二千回ほどやり直しをしたからもう魔力がほとんど残っていないのだ。次に使えるのは大体二百年後くらいか」
「俺死んでるじゃねぇか!」
「安心しろキヨノスケ。お前との子供、孫、ひ孫、玄孫――その先延々と続く子々孫々は、我がしっかりと面倒を見てやるからな」
「いやそんな心配一ミリもしてないんだわ。大体なんでお前と子供作らなきゃならないんだよ!」
「何を言うんだキヨノスケ。『仕事も安定してきたし、俺達もそろそろいい頃合いかもしれないな……』と照れながら言っていたのを忘れたのか?」
「忘れるとか以前にそもそもそんなこと言った記憶がないんですけど!?」
でもよくよく考えてみると、記憶を上書きされる前の俺はこの頭ぶっ飛び魔王様と小さい頃からずっと一緒にいて、それこそ結婚までしてしまうくらいの仲だったわけで――いや、この話はやめよう。それは佐藤清之介であって佐藤清之介でない者の話だ。
なんにしても、俺が生きているうちにはもう過去改変出来ないということだ。そのうえ、俺とリリアが法律的に結婚をしてしまっている以上、俺の申し入れだけで離婚することも出来ないわけで、逃げることすらままならないことは明らかだった。
まさか、居候を断るというたったそれだけのことでここまで人生を狂わされるなんて誰が想像できるだろう。今日くらいは定時に帰っていればと悔やまずにはいられなかった。やっぱり残業って最低だな。
絶望して白目を剥く俺を見て、リリアは妖艶な笑みを浮かべながら言った。
「諦めろキヨノスケ。魔王に目を付けられた時点でお前に逃げ場はなかったのだ。観念して我と家族団らんの幸せな家庭を築くんだな」
「どんな脅しだそれは!大体お前の目的は居候だったはずだろ!すり変わってるじゃねぇか!」
「うむ。我もその気は全くなかったのだが、さすがに幼い頃から知っていると情が湧いてしまってな。それに、お前が事あるごとに『リリアは俺が必ず幸せにするからな』と力強く言うものだから、ついつい我も本気になって結婚まで――」
「それ本当に俺が言ったの?俺今も昔もそんな情熱的な奴じゃなかったはずなんですけど?ていうか俺の過去改変しに行ったのになんでお前まで改変されてんだよ!」
「そうは言うがなキヨノスケ。毎朝毎晩、好きだ好きだと言われ続けていればさしもの我とて堕ちざるを――」
「だから言ってないっつってんだろうがよぉ!」
こうして俺は、この頭のおかしい異世界の魔王様と一緒に生活する羽目になった。




