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冬の遡行は、後悔と共に。

作者: 朝風就月

 風が冷たい。杖を持った手は震えている。今は確か十二月だ。厚着じゃないと耐えきれない。早く、帰りたい。

 が、ここで帰る訳にもいかない。というか実は帰る所もない。

 私はここで、何をしているのか。私はここで、待っている。

 運命を、変えてくれる、奴を。


 寒い。

 玄関ドアを開けて、まず思ったことがソレだ。コートやらマフラーが無ければ耐えられない。全く、冬は嫌いだ。まぁ、逆に夏も嫌いなのだが。

 自転車に乗って、学校を目指す。風が冷たい。

 公園を通り抜ける。別にそうしなくても良いのだが、気分だ、そういうのは。

 木の葉はもう殆ど抜け落ちて、枝は寂しかった。乾燥した風が、僕の肌を刺激する。

 そして、いつも通り過ぎる、そこに。

 ……また、居るな、あの人。

 

「おはよう。」

「あぁ、おはよう。」

 期末テストも終わり、何処か緩んだ朝の教室で、彼女は窓側二番目というときめかない席の僕にいつもの挨拶をした。

 結城美冬(ゆうきみふゆ)、同じクラスの女子。そして、先月から付き合い始めた、僕の彼女。

「やっぱり寒いね、もう十二月だし。」

「そうだね。上着が欠かせないよ。」

 彼女との出会いは四月…なのだが、不思議とあまり関わる事も無く、実際関わり始めたのは二学期に入ってから。同じ教科係になったことからだ。それから彼女の方から色々して来て、色々あったが、今の関係に至る。

「どうかしたの?」

「え?何が?」

「いや、何かあった風な感じだから。」

 風ってなんだ。

「いや…何でもないよ。」

「そう。あ、そろそろHR始まるからいくね。」

 彼女は手をふる仕草をして、自分の席に戻って行く。

 …クラスの全員に見られている。怖いなぁ、そして痛いなぁ、槍の様な視線。

 僕達がつきあっているというのはクラス中の公然の事実であり、彼女がアプローチしている時などもクラスメート達は全て見ている。恥ずかしい。

 更にはこれによって男子の過半数を敵に回してしまい、僕は槍の視線を受けてしまっているという訳だ。

 担任は期末が終わったからといってたるまない様にと注意を促す。はいはい、僕は至って普通の高二ですから安心してください。

 そんな担任をよそに、僕はふと、窓を見る。結露が酷く外は見えない。我が高校は全クラス冷暖房完備なので寒くは無い。逆に少し暑い。

 結露している、窓。

 相合い傘、描いて見ようか。

 ………。

 いや、何考えてんだ僕!?女子か!?女子がやりそうな事を何やろうと考えた!?馬鹿なのか!?あまりのリア充ぶりに馬鹿になったのか!?

「……何やってるの?」

 美冬がそこにいた。HRはいつの間にか終わっていたらしい。

「美冬!?あっ、いやこれは…なんというか…。」

「何もしてないよ。」

「あっ、うん…。」

「相合い傘、描こうとしてた、とか?」

 何故バレた!?

「図星、みたいだね。」

「………あぁ。」

「フフッ、分かりやすいんだよね、君は。」

「そ、そうなのか…。」

 マジか、僕の挙動は分かりやすいのか…。

 その後、クラスメイトの犯行により黒板に僕達の相合い傘が描かれたのは、言うまでもない。


 その日の帰り道は、雲一つ無い、快晴の寒空。帰宅するだけの通学路は、違った。

 不思議と、何のためらいも無かった。その人に話しかけることが。面識のない、ただ通学路にある公園のベンチに佇んでいる、老人。ただ、数日前から必ずと言っていいほどそこにいて、謎の親近感、いや好奇心が湧いただけだ。いつもなら通り過ぎていたところを、自転車を降りて、別段出さなくてもいい勇気を出して話しかけてみる。

 一言目は、どうしようか。

「あの…。」

「うん?」

 老人は特に驚きもせず、返してきた。

「いや、いつもそこにいるから、気になって。」

「……あぁ、ここが好きでね。分かるかな…何の変哲のない場所が、好きになってしまうのが。」

「えぇ、まぁ。」

 分かるような、分からないような。

 自転車を留めて、横に座った。話す事も無く、少し沈黙が続く。風が吹き、残り少ない木の葉が鳴る。

 先に口を開いたのは、相手側だった。

「あそこのラーメン屋、美味かったんだよ。特に、豚骨がね。」

「へぇ、今度行って見ようかな。」

「あぁ、行くといい。……出来るだけ、早くな。」

「えっ?」

「……何でもない。」

 他愛もない話だった。そしてすぐ、

「そういえば君は…。」

「はい?」

「彼女は、いるのかね?」

 見ず知らずの人に凄い事聞いてくるなぁ…!

「はい…、同じクラスの女子と…。」

 それに正直に答えてしまった僕もどうだかと思う。

「そうか…。」

 何か嬉しそうだな…この人。

「少し、この老いぼれの話を聞いて欲しいんだが…良いかな?」

「えぇ、どうぞ。」

「ありがとう。ただのつまらん身の上話だがなぁ…。」

 老人はイトウと名乗った。

 曰く、普通の人生だったらしい。学校も、仕事も、家庭も。そしてこの歳になり、ただ一つの心残りも除いて、後悔は無いらしい。

「その、心残りってのは…。」

「………。」

 少し間を開けて、老人はコートからボロボロの文庫本を取り出した。

「君にやる。」

「これは……。」

「陳腐な恋愛小説だよ。稚拙な文章で、よく有る展開で、怒りを覚えるほどだ。けどね、何故か何度も、読み返してしまうんだ。」

「なら…。」

 貴方が持っていた方が良い、という僕の口を老人は遮る様に、

「いや、いいんだ、もう。」

「えっ?」

「……あぁ、もうこんな時間だ。すまないね、こんな老いぼれに付き合ってくれて。」

「いえ…。」

「だいぶ擦り切れて読めない所もあるだろうが、気にするな。そう大した事の無い物語だ。」

「でも…。」

「じゃあ、な。」

 そう言って老人は、寒空の中、杖をついて去っていった。結局、ただ一つの心残りを聞き忘れたのは、だいぶ後になってからだ。

 上着が欠かせない、例年より寒い十二月の事だった。


 それから数日経った。冬休みも近づき、いよいよ授業もやることが無くなる。二限目、現代文の先生はやることも無いので先生オススメの映画でも見てろとなったので映画鑑賞となった。

 …………。

 つまらない。マジでつまらない。

 何だよコレ…。こんな映画よくオススメ出来たな先生!?

 クラスメイトは美冬含む半数以上が寝ている。その他、自習など。おい観てる奴誰も居ないな!?ここまで観てた僕馬鹿みたいじゃないか!?

 もういい、寝よう。

 ………。

 待てよ。カバンから一冊の本を出した。あの老人から貰った、ボロボロの文庫本。題名は擦り切れて分からないが、作者は扶優深雪(ふゆうみゆき)と書いていた。中身はさほど擦り切れてはおらず、何とか読めそうだ。

 どうせ暇なんだ。コレでも読んでおこう。


 何だよ、コレ。僕はただ、映画の音声だけが聴こえるだけの暗い教室で、戦慄する。

 まだ、三分の一間でしか読んでは居ない。が、その時点で確証を得るには十分だ。

 確かに、文章が稚拙で読みにくい。展開もありきたりというか、別に変わったところが無い。更には構成が下手だ。起承転結の起が無い。もうちょい説明が欲しい。が、そこじゃない、問題は。

 この小説、モデルが僕達だ。それも最近の。

 出来事、挙動に至るまで、全て同じと言って良いほど似ている。名前も僕達をもじってる。

 これはまさか、一種の予言書?

 あの老人、何者なんだ?……まさかだとは、思うけど。

 三分の一まで読んだ所で、今に至っている。つまり、ここからは、未来……?

 どうしよう、最後まで、読もうか。読めば、僕たちの未来が、判る、よな。そうなるよな。

 が、そこでチャイムが鳴った。先生はいかにもというくらいの悪態をついて、じゃあなと教室を後にした。僕は半ば夢の様な意識から現実に戻される。欠伸をしながら、美冬が近付いて来た。慌てて、本をカバンに戻す。

「……つまらなかったね、映画。」

 寝ちゃった、と美冬。

「あ、あぁ!そうだね。」

「どうかした?」

「いいや、何でも?」

「そう。」

 それ以上、美冬は深入りしてこなかったのが良かった。この小説の事を話してしまうと、なんというか、面白味がなくなる。

 その後も、自習などが続いたが、僕があの本を開く事はなかった。


 どういうことだろうか。

 夜、僕はベッドの上で横になりながら考えてみた。

 先に本のあとがきを見たが(邪道を言われても仕方無いな。)まずそれらしいものが無かった。あとがき、更には奥付まで無い。どうやらこれは故意に破られている。なんて事してくれてんだ、あのジジイ。

 おかけで題名は判らずじまい。作者の扶優深雪がどんな人物なのかも分からない。あとがきというものがどれほど大切かが分かった気がする。

 その扶優深雪、ネットで調べても出てこない。そんな人物は居ないみたいだ。

 そして帰り道にあの公園のあのベンチに寄ったが、あの老人はいなかった。

 完全にお手上げである。

 もうこうなったら、全部読もう、美冬には悪いけど。

 覚悟を決めるんだ、僕!


 暫く、何も発せれなかった。

 少し、呼吸が出来なくなった気がする。

 全く、冗談も程々にしてくれ。

 この本曰く、僕らが今から起こる出来事はこうだ。

 冬休みに入って、僕らは一度、デートをする。場所は▲▲駅周辺。そこでゲーセンや買い物を楽しむ訳だが…。そこで彼女は、美冬は、

 事故に遭って、死ぬ。

 暴走した車に撥ねられて、死ぬ。

 そこからは男の、僕の自責と後悔の念ばかりだった。楽しい回想と、悲しみの現実。そして最後は、

 あの時、こうしていれば。そうしていれば。ああしていれば。どうしていれば、

 彼女を、守れたのだろうか。

 ここで終わっていた。

 ……ふざけるな。

 美冬が死ぬだって?暴走した車に?そんなありきたりな理由で?冗談も大概にしろ。

 ぶつけ様の無い怒りが、僕を満たす。

 そして、

 ぶつけ様の無い焦りが、僕を焦がす。

 どうすればいい?どうすれば、彼女を守れる?

 …………。

 そんな事はないか。思って見れば、ただの偶然の一致かもしれない。そう、深く考えなくてもいいんだ、僕。

 あのジジイ、今度遭ったら一発殴ってやる。……実際に人を殴った経験は僕には無いんだけど。

 寝よう、疲れた。


 ………その晩、全く眠れなかったのは、言うまでもない。


「どうしたの?寝不足?」

「あぁ、うん。」

「駄目だよ、遅くまでゲームしてたら。」

「あぁ、うん、ちょっとね。」

 若干会話が噛み合っていなかった。こういう時、駄目だなぁ、僕。

 翌日の教室。今日は十二月にしては暖かい陽気に包まれていた。なのに教室の暖房はついており、相変わらず暑い。

「そうだ、冬休みになったら、一回会わ、ない?」

 えっ。

「いや、休みだから暇だし、その、デート、というものを…。」

「あの…それは…。」

 あの本の通りになる。

「だ、駄目だよね…。その、ごめんなさい…。」

 可愛い。

 いつもなら僕に対して強めに推してくる彼女が、今日は違った。何処か緊張した、モジモジしながら。

「その、いいよ。」

「えっ、いいの!?」

「まぁ、暇だしね。どこで…。」

「そうだね…、▲▲駅とかは?」

 それはまずい。

「あー、ごめん。あそこにはいい思い出が無くて。」

「そう…。じゃあ、その先の■■駅とかは?」

「いいよ、そこで。日は…。」

 そうして話は進んで行った。どうして▲▲駅が駄目なのかは言うまでもない。ただ、場所が違うのなら、死の運命から逃れられるのではないかと思った。とは言っても、別に運命と決まった訳でもない。あの本は出鱈目だ。そうに決まってる。

 まぁ、こんな事を考えた所で、僕はもう、影響を受けてしまっている訳だが。

 大丈夫だろう、きっと。


 運命を感じてしまう、誰かのイタズラなのだろうか。

 雪である。少し積もってしまうぐらいの雪である。そして雪による運転見合わせである。それも、止まった所が、▲▲駅である。

 まずい、このままでは、あの本の通りになる。

「どうしよう、大分掛かりそうだね。」

 僕らは今、駅の大きい広場にいる。通り過ぎる人々は皆厚着で、降る雪も相まって余計寒く思えた。時計の短針は、まだ左側。

「あぁ、そうだな…。どうしようかな…。」

「元気無いね。どうかした?」

「あぁ、うん。大丈夫。」

「……寒いね、何か、買ってこようか?」

「あぁ、うん。」

 ……まずい。

「待って!」

「?」

「僕が行くよ。待ってて。」

「……頼もうかな。ありがとう。」

 近くの自動販売機を探した。▲▲駅は大きい駅なのに、だからだろうか、手頃な自動販売機が無かった。少しかかって、やっと見つけた。コーヒーで良いだろうか。いや、美冬は苦いのが苦手だっけか。

 急に、心配になって来た。本の予言通りにならないだろうか。こうやって、飲み物で悩んでいる内に、暴走した車がやって来ないだろうか。

 遂に、走ってしまった。温かいコーヒーとココアを手に、全力で走った。頼む、無事で、無事で居てくれ。通り過ぎる視線など、顔にかかる雪など、気にしない。気にするもんか。歩道橋を、突っ走る。寒い風を、切る。

 美冬は、そこにいた。マフラーとコートをそよ風になびかせ、降る雪に少し微笑んだ表情で、そこに、居てくれた。

 美冬がこちらに気づいて、驚いた表情で駆け寄る。

「どうしたの?そんな急いで?何かあったの?」

 息が切れている。けど、そんな事どうでもいい。

「何か…、なかった?」

「何もないよ。それよりも大……!」

 抱き締めた、コーヒーとココアを持った手で。ありきたりで、陳腐な展開。それでもいい。この展開はあの本には無い。僕は彼女を、とりあえず守れたのだ。

「ちょっと、何、してるの…!」

「ごめん。」

「いや、それよりも!」

「ごめん、ホントごめん。」

 謝罪の言葉しか出ない。ふと彼女の顔を見る。雪は未だ降って寒いのに、顔を少し赤くして、周囲を気にしている。少し見入ってしまった。そんな彼女が、可愛くて、綺麗だったから。


 その後、気まずくなって、もう帰ることになってしまった。しかし電車は止まっているままなので、少し遠いけど、歩きで。

 雪は未だに、降っている。時計の短針はやっと右に傾いた。

 二人とも無言。けどそれは、決して悪いものじゃない。

「………。」

「………。」

 それは恥ずかしさからで。

「………。」

「………。」

 それは嬉しさからもあったと思う。

 チラチラと雪が降っている。けれど、その冷たさは、感じなかった。いや、感じられなかった。片手で持っている少しぬるくなってしまったコーヒーのせいではない。

「あの…。」

「な、何かな?さっきの事ならホント…。」

「い、いや、もう謝らなくていいから!もう十分だから!」

「あぁ、うん…。」

「今日、おかしいよ。」

「うん…。」

「いや…うん、その、責めてるワケじゃないんだけど。」

「はい…。」

「その…、何か、あったの?」

 言ってしまおうか。別に言っても、世界が破滅する訳でもない。もしそうなっても、今の僕なら別に良い気がする。(いや、駄目だろ!)

 いや、止めておこう。別にこれで、運命は変えられた筈だ。いや、そんなに甘くないか?分からない。まぁ、今はそれは別にいいとして。

「その…別に何も…ないよ。」

「そんなわけない。」

 ですよね………。

 普段の僕とはかけ離れた行動ですもんね…。自分でもそうおも…、

「まぁ、別にいっか。」

「えっ!?」

 いいの!?

「いや、その、ああいう風に抱き締めたられたこと、なかったし、その、嬉しかったから。」

 ……天使か、天使なのか!?

「……まぁ、次はちゃんとした空気で、ちゃんとした場所で、その…、おねがい。」

「はい、喜んで!」

「……あんまり嬉しくないなぁ、その反応。」

 それは自分でも思った。馬鹿だなぁ、僕。

「じゃ、この話はもうおしまい!お腹空いちゃったし、何処か食べにいかない?」

 それなら良い所がある。

「それじゃあ、ラーメン屋でも、行かないか?」


 その店は、美冬は二回目だったらしい。

 なら店を変えようかと提案したが、ラーメン食べたいから良いよここで、と美冬に一蹴され、結局入った。

 暖かい室内に、美味しそうな匂い。僕らは敢えて、カウンター席に座った。

 豚骨ラーメンを頼んだ。美冬は醤油ラーメン。あまりこってりは好きじゃないらしい。

 すっかり冷えてしまった身体に、温かいラーメンは最高だった。

 ふと、隣の美冬を見た。頬を少し赤くしながら、麺を啜っている。

「美味しいね。」

「うん、そうだね。」

 何気ない会話が、幸せに思えた。たった十七歳のガキが、何を抜かしているんだと言われそうだが、別にそれでもいい。言いたい奴は、言わせたいだけ、言わせればいい。

 そして食べ終わって、会計は割り勘で。(謝罪も込めて僕が奢ろうとしたのだが、美冬が言って聞かなかった。あ、そういえばそのやり取りを見ていた店員さんは顔が引きつっていたなぁ…。)

 ラーメン屋を出た後、暫く歩いた。雪は止んだ。見慣れた景色の街は、雪景色となり、何処か違う街になっていた。

 アスファルトと、雪の音。ふたつの白い息。冷たい風。また降り出しそうな曇り空。

「ねぇ。」

 美冬が口を開いた。

「何?」

「………ごめん、何でもない。」

「何だよそれ。」

「いや、ちょっと、静かで、綺麗だったから。」

「………そうだね。」

 どうでもいい会話。二人で歩く、雪景色。ずっとこのまま、続けばいいのに。

 遂に、別れ道。ここからは、一人になる。

「今日は、ごめんね。」

「もういいよ。」

「けど…。」

「いいの。その…、恥ずかしかったけど、嬉しかったから。」

「美冬…。」

「じゃあ、ね。」

 僕らは互いに、背を向けた。こうして今日のデートは…。

 の筈だった。

 後ろから、衝撃が来た。

「………!」

 後ろから、抱き締められた。

「み、美冬!?」

「振り向かないで!」

「えっ…!」

「その…耐えられないから…。」

 震えている声で、彼女は言った。

「は!?」

「恥ずかしさで…、耐えられないから。」

 さっきの美冬の気持ちが、今分かった。凄く、恥ずかしい。けどそれと同時に、凄く、嬉しかった。

「じゃあ、今度こそ、じゃあね!」

 抱き締めた手を解いて、彼女は足早に行ってしまった。僕は暫く、その場を動けず、立ち尽くして居たのは、言うまでもない。  


 その後、何事もなかった。ニ、三回デートも重ねたが(そこ、多過ぎとか言わない。)、クリスマスも無事、年が変わって正月も無事に、何事もなかった。暴走した自動車などニュースで見る事も無く、そして彼女も何の異変もなかった。

 運命は、変えられたのだろうか。いや、運命なんて、そんなものでもなかったのだろう。

 ただの質の悪いイタズラ、と言えば何だが、心配することでもなかった、ということか。

 僕は今、▲▲駅のあの広場にいる。新学期が始まる前の、最後のデートをしようと、僕から誘ったのだ。

「……く〜ん!」

 美冬だ。さてと…。

 

 遠くから聞こえる悲鳴。

「………ッ!」

 反射的に僕は走り出す。

 今日、だったのか?まさか。

 今、だったのか?まさか。

 けたたましいクラクションとタイヤの擦れる音。

 今でもあの本は信じていない。

 ただ彼女が心配でならない。

 ただ、それだけなのだ。

 

 

「……くん!?……くん!?しっかり!しっかりして!」

 …救急車、救急車を……!

 ……早くしろ……!

 ………えぇ、ヤバくない、これ……。

 あぁ、こうなって、しまったのか。

 ……やってやったぞ。運命を、変えて、やったぞ。

 遠のく意識の中、僕はただ、どこからくる、不気味な満足感に、浸されていた。

 

 

 

 

 バットエンドだった。

 まだ二月なので、寒い。私は今、あの公園に居る。あの老人と会った、あのベンチに居る。

 彼が私を庇って死んで、一ヶ月経った。

 出来ることなら、彼に謝りたい。こうなってしまったことももちろんだが、それだけじゃない。私は、本当はとんでもない理由で、彼に近づき、恋人同士なったのだから。

 一冊の本を取り出す。老人から渡された、ボロボロの恋愛小説。そして、私達の未来を示していた予言書。

 昨年の夏休み、私は不思議な老人と出会い、この小説を貰った。題名は擦り切れて分からない。かろうじて作者は扶優深雪というのは分かった。

 文章力も、構成力も下手な、つまらない小説だった。だったのだが…。

 すぐに私の、私達の未来を書いていることに気づいた。

 主人公は私らしき人物。そして、その主人公が恋に落ちる人物も、容易に判った。窓側二番目の、あの男子だろう。

 どうしようか迷って、結局最後まで読むことにした。私はどうやら、その窓側二番目の彼と付き合うことに、いや、自分がそうする様になるようだ。二学期の教科係が一緒になるようにして、彼女が必死にアプローチしている所が、下手な描写で描かれていた。

 そして、本の最後まで来た時、とある事実を突き付けられる。

 この本は、上巻だ。

 最後は彼が結露した窓に相合い傘を描こうとしていた所で終わっていた。こんな所で、終わるのか。“続く”のか。締りが悪い。その終わり方に少し怒りを覚えた程だ。

 夏休みを通じて、下巻を探したが、あとがきも奥付も無く(というか切り取られていた。あのジジィ…。)こんな摩訶不思議な本を置いている店など無く、ネットで調べても扶優深雪などという人物も存在せず、老人もあの日以来会えず。しかし、あの本の続きが気になって、仕方無い。

 そして、夏休みも終わる頃、一つの考えが、私を支配した。

 この上巻の通りに行動し、彼と付き合って、続きを、下巻を、体験する。

 二学期から、行動を開始した。本の通りに、アプローチした。そして、上手くいった。

 ただ、あの物語の続きを読みたかった。だから、体験する。それだけの為に。一言で表すなら、最低だろう、私は。

 が、そのうちに、本当に彼の事を好きになってしまった様だ。いや、元から好きだったのかもしれない。本を読み進むうちに、下手な描写の彼が、好きになってしまっていたのだろう。そうじゃないと、私は続きを読もうとも思わないのだから。こうやって今、こんなにも、罪悪感に苛まれることも、無い。

 そして、彼が結露した窓に相合い傘を描こうとしてた所で、念願の、私が読みたい下巻(これから)が始まった。

 今までは、上巻の通りにやっていたが、それをしなくていい。運命のままに、流されるだけでいい。

 だから、デートに誘った。初めて、自分の意思で。思ったより緊張して、強張ってしまったことを憶えている。

 駅の歩道橋で抱き締められた時は、もちろん恥ずかしかったけど、本当に嬉しかった。こんな展開になるなんて、思いもしなかったし、彼の必死の謝罪に、暖かみを感じられたから。

 それからあのラーメン屋、私は二回目だった。あの老人に、オススメされたのだ。行った時は夏休みだったので暑かったが、冬に行くと(当然だが)暖かったのを今でもよく憶えている。

 そのラーメン屋、先週閉店してしまった。店主が病気になってしまったらしい。美味しかったので、残念だ。

 こうやって、彼との想い出も、無くなってしまうのかな。暖かい想い出は、一ヶ月の間にすっかり冷えてしまっている。抱き締められた時の暖かさも、抱き締めた時の暖かさも。

 私は、最低だ。不思議な本の、物語の続きを知りたいがために、バットエンドなのに、結末を知りたいがために、好きだった、好きになってしまった彼氏を、殺してしまった様なものだ。そして、それを罰する人間も、断罪する人間も居ない。

 冷たい風が吹く、何かが込み上げて来て、上を向く。私の中に、どうにもならない後悔の念がまた押し寄せる。頬には何回目かの涙。

 あの時、こうすれば。

 あの時、そうすれば。

 あの時、ああすれば。

 あの時、どうすれば、彼を。

 伊東くんを、助けられたのだろうか。





 私は、上手くやったようだ。

 風は、相変わらず、冷たい。

 こうなる事も予想していた。

 私は今、ゆっくりと足から消えようとしている。

 過去の自分との対面。そしてあの私が書いた小説を過去の私渡し、私が杖をついて去って、そして彼も懐かしい自転車で去った後、少しずつ消える私は今までを思い返す。

 仕事も家庭も、順風満帆とは行かないが、人並みに上手くやっていた。定年退職に書いたあの小説も、少しは売れた。

 が、ただ一つの後悔が、私の胸に深々と突き刺さる。文章力皆無な私が書いたあの小説だって、懺悔の様な気持ちで書いたようなものだ。が、そんな事してもどうにもならず。ただ、後悔が募るばかり。数十年積りに積った後悔は、静かに私を苦しめ、蝕んでいた。

 ただ、その後悔から、解放されたくて。

 私はある時、力を手に入れた。詳しい経緯は省略するが、私は時間を自由に渡れる、つまり過去に戻る事も出来る力を手に入れた。所謂タイムワープというものだ。早速、私は過去に飛んだ。あの年の、彼女と出逢った年の、春に。

 本来、私と彼女は春に出逢い、夏休み直前に付き合う事となっていた。私はそれを、引き離した。様々な手を使った。全ては彼女を助ける為に。あの日デートに誘わなければ、彼女は死ぬ事はない。

 そして一度、現在に戻った。

 彼女は、死んでいた。あの日ではない、別の日に。やはり交通事故で。

 つまり彼女は私との関係無しに、死んでしまう運命にある。私は無意味な事をしてしまった。私はただ自分と彼女を、引き離しただけ。

 更に追い打ちをかけるように、一つの事実を突き付けられた。この力は、一度戻った過去から前の過去には戻れない。つまり、やり直しが効かない。このままでは彼女は私と出逢う事なく、死んだだけ。かと思っていた。

 それはどうしようか迷っていた矢先のこと。私の書いた小説が、変わっていた事に気付いた。おおまかな内容は変わっていなかったのだが、物語の始まりは夏休みの終わりとなり、二人が付き合う時期が秋の終わりとなっていた。つまり、彼女は死ぬ運命にあると同時に、私と付き合う運命にある。何ということだ。だが、それでもなければ今の私が未だに彼女を憶えている筈がない。そして、あの年の一学期の記憶が少しずつ欠落する訳がない。

 私はすぐ過去に戻った。次は夏休みに。

 そして彼女に会った。図らずも、あの公園で。自分の書いた本(内容が変わっている為その感覚が鈍いのは秘密だ。)の、上巻を渡した。敢えて表紙を擦り切れさせた、彼女にとっては予言書となる本を。少し恥ずかしい心地だった。何しろ構成力を文章力もない私の本を自分で渡したのだ。それもモデルとなった彼女自身に。

 本当はこんな事をしなくてもいい。(根拠はないので実際はわからないが)が、念には念を、という事もある。そしてもう一つ、補完しておきたい事もある。内容が変わってしまった小説に、ラーメン屋の話が無くなっていたからだ。

 二人で食べたラーメンが何よりも美味しかった。ただそれだけだった。その記憶が私から欠落しつつあったので、このままではと思い、無理やりこうした。

 彼女は不思議そうに本を受け取り、最後にあのラーメン屋を勧めた。これでいい。その瞬間、私の記憶から、ラーメン屋が、はっきりと戻ってきたのを覚えている。

 彼女が探究心旺盛なのは知っている。これで、確実に大丈夫。

 そして十二月に飛んだ。私の通学路の公園のベンチで、私は私を待った。が、自分から話す事も出来ず、(本当は自分に何を言っていいかわからなかっただけなのだが…。)通学している私をただ、意味有り気に睨む日々が数日続いた。

 そして、私の方から話しかけて来た。千載一遇のチャンス。

 そして、上手くいった。

 私はどうやら、死んだようだ。この本も私と同様に消え始めている。

 もう足は消えた。腰の辺りが消え始めた。意外にもこういう時は、ゆっくりと消えていくものなのだと、理解する。私はそう動じることも無く、静かに座り、振り返ることをやめない。

 私は何と、自分勝手な男だろう。私は、ただ単純に彼女を救いたかった訳ではない。それももちろんあるのだが、もう一つ、一つの後悔から解放されたかったこともあった。

 あの日、彼女は死んだ。私の目の前で。車で轢かれ、頭から血溜まりを作る彼女を目の当たりにして、まず初めに思ったのは、何故彼女だったのか、だった。何故彼女は死ななければならなかったのか。何故彼女なのか。何故彼女でなければならなかったのか。何故、何故、何故!

 が、その後悔はある日突然、それは唐突に、終わり、そして、変わる。

 彼女を何故、助けられなかったのだろう。救うことが出来なかったのだろう。

 ヒーローらしく、またそうでなくてもいい。

 間一髪でも、またそうでなくてもいい。

 私が、私だけが助けられたのでは無いだろうか。

 あの時、こうしていれば。

 あの時、そうしていれば。

 あの時、ああしていれば。

 あの時、どうしていれば。

 彼女を、助けることが出来たのだろうか。ただそれだけを、考えて、考えて、堂々巡り。

 あの時、助けられなかったという後悔と事実が、そうして私よ心に深く突き刺さっていた。

 正直に言って、この歳になり、もう彼女に好意はあまりない。全くないと言っていい。私は彼女を失ってからの長い人生で、卒業し、就職し、家庭を作り、その過程の中で、彼女への好意は、消え失せてしまった。ただ消えなかったのは、彼女を助けられなかった、後悔。

 そろそろ首辺りまで来た。眠くなってきた。なるほど、眠くなってくるのか。

 ふと、思った。私が消えるということは、私がやって来た事も、なかった事になるという事になるのだろうか。

 私の子供達は、存在が消えるということか。

 ………別に、良いか…。

 確かに、仕事も家庭もそこそこにやってきた。後悔がない。そう、後悔がないのだ。だからこそ…ただ一点の染みの様にこびりつき、突き刺さった後悔を取り除きたかった。それで、それまでやってきた人生が…なかった事になろうとも。

 それでも…彼女を…救いたかった…助けたかった…。

 もう…それだけ…だった…のだ…。


                 完

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