エヴァリーナ
「お姉様! アレクサンドラお姉様!」
私が今まさに馬車へ乗り込もうとしたその瞬間、甲高い叫び声が聞こえて、私は声のした方を見た。
長いスカートの裾を引きずりながら、公爵家の広い庭をこちらに向かって走ってくる少女。
女の私でも憧れる他ない、ほとんど銀色の美しい髪を靡かせ、慌てるお供も振り切って馬車を止めた少女。
驚いて馬車の扉を開けた途端、少女――王女エヴァリーナは、私の膝にすがりついてきた。
「エヴァリーナ……見送りは禁じられて……」
「お姉様、申し訳ございません! お兄様、アイナル王子のとんでもない非礼をお許しください!」
金切り声とともに私の言葉を遮り、少女は汗でベチャベチャの顔を上げて私を見た。
「愚かな兄だとは思っていましたが、まさかお姉様を追放するなんて……! 今まで何度も何度もお姉様に会いに来ようとしたのに……!」
「ちょっとエヴァリーナ、落ち着いて、落ち着いて、ね?」
私は必死に言葉を紡ごうとするエヴァリーナの肩を叩いた。
「エヴァリーナ、あなた最近、学園の中でも見なかったわね。アイナル殿下――いえ、エルシー嬢に何をされたの?」
私が先回りして尋ねると、愛らしいエヴァリーナの瞳に見る見る涙が浮かんだ。
「お姉様が追放されると聞いて、私は何度も何度も兄に会おうとした! けれどエルシー伯爵令嬢はそれを許してくれなかった! 私はお姉様に籠絡されている、決して私と話をしてはいけないって……! それどころか、私が疲れているって一方的に決めつけて、一方的に私を宮殿内に幽閉して……!」
エヴァリーナの言葉に、私は内心顔を歪めた。
あの性悪女、愚かで馬鹿な兄とは正反対のこの賢姫は籠絡できないことがわかっているらしい。
いくらあの王子が馬鹿だとしても、血を分けた妹の言葉ならアイナルも聞き入れる可能性がある。
だからエヴァリーナを幽閉し、アイナル王子から遠ざける他なかったようだ。
「エヴァリーナ王女、お戻りを! この光景を見たら殿下がなんと言うか……!」
おそらく、幽閉された宮殿から延々とここまで彼女を追ってきたのだろう。
ほとほと困り果てたような表情の侍従がエヴァリーナの肩を掴み、私から引き剥がそうとするのを、エヴァリーナは鋭く振り払った。
「うるさいうるさい! あなたたちだってエルシー嬢の命令で私を幽閉してたくせに! 私が何度お兄様と話をさせてと言っても聞き入れてはくれなかった! 何が私のためよ! みんなジェナロ伯爵家を恐れるばかりで、誰一人お兄様を諌めようとしなかった! 違う!?」
そう言われた侍従は、そこで草臥れ果てたような顔を浮かべ、口を真一文字に結んで俯いてしまった。
どうやら、私の追放が決まってから一週間ほどの間に、宮殿のヒエラルキーは完全に崩壊してしまったらしかった。
そりゃそうだろう。色々とキナくさい野望を持つジェナロ伯爵家にとって、強大な権力と財力、そして何よりも軍事力を持つロナガン公爵家の存在は目の上のたんこぶであったはずなのだ。
その目の上のたんこぶを王家に繋ぎ止めていた私が婚約破棄の上、追放までされるとなったら、ジェナロ伯爵家にはもう目障りな障害はなくなり、王家は丸裸になったも同然であった。
「すみません、すみませんお姉様! 私はお姉様を助けてあげられなかった……!」
わあああっ、と、エヴァリーナは私の膝に縋って、さめざめと泣き出した。
後悔の一瞬、私はウキウキ気分で追放されようとする自分に、激しい嫌悪感を抱いた。
十二で王都に召し出され、決して愉快とは言えない軟禁生活を送っていた私にとって、エヴァリーナは初めて出来た友人でもあり、そしてずっとほしいと願っていた妹だった。
ワガママいっぱいに育てられ、王としての資質や才能を何ひとつ持ち合わせていない兄と違い、このエヴァリーナは賢く、美しく、そして何よりも――慈愛があり、そして自己犠牲的だった。
彼女は何から何まで王の器そのもの――もし男として生を受けていたら、間違いなくアイナルなど廃嫡されていたに違いない賢姫。
この賢く美しい妹と離れ離れになること――それだけが、この五年間の貴族生活の、唯一の心残りだった。
「エヴァリーナ、もういいわ。あなたが責任を感じることはない」
私が頭を撫でてやると、エヴァリーナが泣き腫らした顔を上げた。
「それに、追放されたぐらいで私は死なないわ。私よりも、あなたの身の安全を第一に考えて」
私は小声でエヴァリーナに言い聞かせた。
「いい? いくらジェナロ伯爵家と言えど、民にも臣下にも人望のあるあなたをいきなり処刑したりはしないはず。おそらく、あなたを新女王として即位させ、傀儡に立てて、自分たちは影から国を操ろうとするでしょう」
エヴァリーナが頷いた。
それぐらい、賢い彼女はわかっているはずだ。
「いい、決して焦っちゃダメよ? いくら伯爵家といえど、この国の貴族すべてを相手に力ずくで言うことを聞かせることは出来ない。だから伯爵家は王位の簒奪だけはしないはず。伯爵家が専横を始めれば、きっと周囲の人間たちだって立ち上がるはず。それまで耐えて、いいわね?」
私はそこで、妹のふっくりとした頬を撫でてやった。
「可哀想なエヴァリーナ、あなたにこんなことを強いたくはないけれど……兄がアレなら仕方がないわ。この国はあなたが守るの。それを――忘れないで」
その愛らしい目に、随分無理したような覚悟の色が浮かんだ。
本当はこんな表情はさせたくない、彼女には平穏な人生を歩んでほしかったけれど――いまや私は追放の身、できることは、今しばらくはもうない。
「さ、王女様、戻りましょう。早くしなければ御身が危うくなります」
エヴァリーナが馬車から引き剥がされる。
それと同時に、私を乗せた馬車は公爵家の敷地を出てゆく。
私は馬車の窓から外に身を乗り出した。
「お姉様――!」
「エヴァリーナ、私のことなら大丈夫よ!」
私は大声でエヴァリーナに言った。
「私は地球上のどこにいたってそう簡単に死なないわ! いい? 決して負けてはダメよ! いいわね、エヴァリーナ! 愛してるわ――!」
その言葉に、エヴァリーナが再び泣きそうな顔で私を見つめた。
おそらく、もう二度と会うことのないであろう、妹であり、親友である少女の顔。
その愛らしい顔を見続けながら、私はずきずきという胸の痛みを躍起になって我慢していた。
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