勝負
はっ、と、その声に私の集中力が途切れた、その途端。
私が慎重に消していた気配が辺りに拡散し、山の隅々まで広がったのがわかった。
「ガォーン!」
凄まじい咆哮が巨熊の口から迸った。
クマはその巨体に似合わない身軽さで地面に降り立つと、アイナルには目もくれずに私に向かって突進してきた。
くそっ、と私は毒づいた。
ついつい殺していた気配を悟らせてしまった――その後悔とともに、私は射撃体勢を中断して横に翔んだ。
くるりとトンボを切った私の横を、小山のような巨体が行き過ぎた。
目標を逸し、踏ん張って制動をかける間に――私はすぐさま片膝をつき、クマを射程に入れた。
「アレクサンドラ……!」
アイナルの悲鳴が聞こえた。
私はその悲鳴すら意識の外にして――クマの脇腹、前足の付け根を狙った。
『撃つ時ぁ、毛の一本一本を撃ち落とす気持ちで撃てよ――』
わかってる、わかってるよ、じいちゃん――。
何度も繰り返し刷り込まれた教えを諳んじながら――私は搾るように引き金を引いた。
タァーン――と、銃声が極寒の山に長く尾を曳いて木霊した。
ブシュッ、と、脇腹から吹き出した鮮血が、雪面を穢した。
そのまま大熊はごろりと横倒しになり――三歩ぐらいの距離の斜面をズルズルと滑り落ちて――止まった。
ほう、と、私は詰めていた息を吐き出した。
ボルトを引きながら慎重に近寄り、筒先をクマの眉間に落とした。
バナナの房のような爪がぞろりと並んだクマの前足は――開いていた。
完全にクマが絶命した証拠だった。
「――よし、勝負だ!」
勝負――それは山の神に、猟が決着したことを報告する掛け声だった。
私が猟の終了を宣言すると、アイナルが雪原にへたり込んだ。
アイナルはガチガチ奥歯を鳴らしながら、ああ……と、嘆くように嘆息した。
「死ぬかと……死ぬかと思った……!」
それは、心から己の生を喜ぶ人間の声だった。
かつての私も何度も抱いたその感想に、真に不本意ながら――私は笑ってしまった。
「はい、ごくろうさん。こんなこと言うのもナンだけど――結構頑張ったじゃない」
私がアイナルをねぎらうと、うう、アイナルは自分の腕を抱き、静かに嗚咽を漏らした。
瘧のような震え、とはこういうものか。
全く制御できないらしい奇妙な震えがアイナルの全身を揺らし、頭がガクガクと揺れる。
その尋常ではない様子に、私も少し不安になった。
「ちょ、アイナル……」
私がその顔を覗き込むと、「エヴァリーナ……!」という呟きが食いしばったアイナルの歯の隙間から漏れた。
「エヴァリーナ……妹――僕の妹――! 彼女を助けるまで、絶対に死ねない……僕は死ねない……」
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