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穴熊猟

ぎゅっ、ぎゅっ――と、新雪を踏む音が耳に心地よかった。

きん、と冷えた空気は耳に当たると痛いぐらいだが、その痛みが私を励ましてくれる。


ああ、痛みを感じる。

私はこの山の中でまだ生きている。

公爵令嬢であったときは、気を抜けばすぐに忘れそうになったその事実。

その事実を、この山は何度も思い出させてくれる。


「な、なぁアレクサンドラ。どこまで行くんだ? こんな雪山に何が――」

「黙れカス男。口の中に雪玉突っ込むわよ」


私の恫喝に、すぐ後ろを歩くアイナルは口を閉じた。

慣れていないためか、雪原を非常に歩きづらそうにしているのに、相変わらず口だけは減らない男だ。


「さっきアンタが転げ落ちてこなかったら仕留められてたのに――あのクマは私が三ヶ月も追跡してた大物。代わりに一頭でも仕留めるまでは帰らないわ」

「く――クマって?」

「脳みそに海綿体が詰まっててもクマぐらい知ってるでしょ? 人喰いグマよ」


まぁ、野生のクマは人間を襲うことなど滅多に無いのだが――。

案の定、その言葉にアイナルは息を呑んだようだった。


「ひっ、人喰いグマ――!? そっ、そんなもんを追ってどうするんだ?」

「決まってるわ。食べるのよ」


私の言葉に、アイナルは素っ頓狂な声を上げた。


「くっ、クマを食べるだって?! しかも人喰いクマをか!? あっ、アレクサンドラ、君は一体何を……!」

「黙れって言ったはずだけど?」


私の声に、アイナルはひっと口を噤んだ。


「ああもう、アンタの両膝に一発ずつぶち込んだら私は清々した気分で猟ができるんだけどねぇ。そうしないのは私が常軌を逸して寛大だからってことを忘れないで。――だいたい、アンタみたいなドシロートを連れて猟なんて普通はやらないわ」


私は辛辣に言った。

山の中では如何なる油断も奢りも死に直結する。

だからアイナルの減らず口を閉じさせたのは私の愛情である。


「それに、クマは処刑すらされなかったどこぞの役立たずよりも遥かに役に立つわ。毛皮は服や敷物になる。脂は塗り薬の原料になる。内臓や血は薬に、とりわけその胆嚢は万病を癒すとさえ言われる――そして、それは山村にとっては貴重な現金収入にもなる」


新雪は柔らかく、一歩踏み出すごとに膝まで潜ってしまう

白い息を吐きながら、私は泳ぐように雪原を歩いた。


「とにかく、代わりの一頭が獲れなかったらアンタは今日は飯抜きだからね。自分の食い扶持は自分で稼ぐ、それが私とアンタの間のルール――それは徹底するから覚悟しなさいよ」


アイナルにはその言葉の重大性がわからなかったようだ。

わかったよ、などと殊勝な言葉で答えたアイナルに内心呆れ果てながら、私たちはしばらく黙然と雪原を歩いた。


しばらく歩くと、まばらに木が生えている林にたどり着いた。

私はしばらく方角を確かめ、目当ての木の前に立った。


その木は、おそらく三年ほど前に立ち枯れたのだろうナラの老木だった。

そしてその幹には、私の胸ぐらいの高さに、大きなウロが口を開けている。

穴の感じから言って、まず間違いなくアタリの穴だろう。


「さ、着いたわよ」


その言葉に、アイナルが不思議そうな顔をした。


「つ、着いたって――?」

「ここにいるのがアンタの夕食よ」


私は親指で上の穴を指差した。

このアホにはその言葉の意味がわからなかったらしい。


「ごめん――どういうことか全然わからないや」

「ならわかるように説明してあげるわ。冬眠って知ってる?」


アイナルは頷いた。


「この中にはその冬眠中のクマが眠っている。今からそれを叩き起こして撃ち取る。撃つのは私。撃たれるのクマ。アンタの役は?」


訊ねてみても、アイナルは相変わらず整った顔をぽかんとさせるだけだった。

ややあって、降参したように首を振る。


「決まってるわ。この幹を蹴っ飛ばして、中で眠ってるクマを叩き起こすのがアンタの役目よ」


その一言に、アイナルはぎょっと目玉をひん剥いた。


「ぼ、僕が――!?」

「当たり前じゃない。何のために連れてきたと思ってるのよ。クマがちゃんと起きて、この穴から顔を出すようにしてよね」

「そっ、そんな馬鹿なこと、できるわけ――!」


私は猟銃のボルトに手を伸ばした。

その動作に、はっとアイナルは言葉を飲み込んだ。


「何?」

「い、いや、なんでもないよ――」

「じゃあ始めましょう? アンタは大騒ぎしながらこの木の幹を思いっきり蹴飛ばす。そしたらクマが出てくる。いい? クマが出てきたら絶対に騒ぐんじゃないわよ。騒いだら――」


かつっ、と歯がぶつかる音を立てて、私は大きく開けた口を閉じた。

敢えて言わないほうが、このアホには伝わるだろう。

案の定――絶対に騒がないと言うようにアイナルは何度も頷いた。


「さ、始めてちょうだい」


私は有無を言わさず命令し、十メートルほど離れた場所に立った。

それを見て、アイナルが少し戸惑ったように私を見た。


「……何よ?」

「いや、あの、アレクサンドラ……僕はともかく、君はちょっと近すぎないか?」

「だから何? 銃は近い方が当たりやすいのよ」

「それはそうだけど……」


それでも、なにか言いたげにアイナルは私をチラチラと見る。

どうにも――私を心配してくれているらしい。

このナヨナヨの男にも一応甲斐性と呼べるようなものは少しだけ備わっているらしい。

私は少し可笑しいような気持ちで言った。


「ご心配なさらず、元王子殿下。あなたに心配されるほど私は堕ちちゃいませんわ。それに、こういうのは慣れっこですの」

「いや、それはそうなんだろうけど――だって、君にもし万が一のことがあったら……僕が死んじゃうじゃないか」


――前言撤回だ。


「もう黙れ、口を閉じろ。鼻の穴の数増やすわよ」


冗談ではない声で言って、私はガチャリと音を立てて装填ボルトを引いた。

その所作に、アイナルはひっと悲鳴を上げた。


私は銃を構え、銃床を肩と頬に当て、照星を覗き、ぴたりと穴の出口に添えた。


「さ、いつでもいいわよ。思いっきりやってちょうだい」




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