初めての食事
え? と言うようにアイナルがこっちを向いた。
「食事?」
「アンタちょっと食べない間に食わないと死ぬっていう原則まで忘れたの?」
「い、いやそんなことはないけど……」
アイナルはそこで周囲の光景を見渡した。
「こんな洞窟に食べ物なんてあるのかい?」
「少しなら持ってきてるわ。甚だ不本意だけどアンタに分けてやる」
「な、何から何まですまないね、アレクサンドラ……それで」
「あ、その先は言わなくていいわ」
私が全力で先回りして言うと、アイナルの目が点になった。
どうせこの馬鹿王子のこと、次に出てくる言葉は決まっている。
「別に私が食べてくれって頼んでるわけじゃないし。アンタにアレコレ好き嫌いがあるってんなら食べなくてもいいわ。けど、そう言うなら今夜も、明日里に下りた後もずっとアンタは飯抜き、ってことだけどね」
図星だったのだろう。シュン、と肩を落としたアイナルを見て、本当にコイツは何も変わっていないんだなと、私は呆れを通り越して感心せざるを得なかった。
コイツはこの通りのワガママ男であり、いい歳こいて食べ物の好き嫌いも多く、特に野菜系は大のお嫌いと来ているのだ。
コイツとは一応、五年程度婚約者だったし、顔つなぎ程度には普段から会食したりお茶をしたりしていたのだが、その度にコイツの横にはコイツが「食べない」と決めた食材が山のように積み上がるのが常だった。
「飢饉になったら何も食えねぇ」が口癖だった祖父の指導により、基本的に好き嫌いのない私にとっては、その好き嫌いの多さ、というより、好き嫌いがある、という事実がどうしても理解できなかった。
またおそらくアイナルの方も、好き嫌いというものがなく、何でも平然と平らげる私を理解できない女だと苦々しく思っていたのだろう。
「ハァ……図星とか呆れたわ。アンタ何日食べてないの?」
「……二日くらい」
「それでもまだ好き嫌いがどうのこうの言える体力があるの?」
「ないです……」
「わかってんじゃない。それにね、別にゲテモノ食べさせるつもりはないわ。ちゃんと火の通ったもの食わせてやる。ワガママ言うなら洞窟から放り出すわよ」
私はそう言いながら、身体に結わえ付けてある荷物入れの結び目を解いた。
その中から麻布に包まれた一塊の真っ黒いものを取り出すと、アイナルがぎょっと目を見張った。
「な、んだい、アレクサンドラ、それは……!?」
「何、って……燻製肉じゃない。王都でも食べてたでしょう?」
いくら何でも燻製肉を知らないわけがないだろうに、何故なのかアイナルは引きつった表情を浮かべた。
「そ、それはその、ちゃんと市場で買った牛肉とか豚肉で……」
「アンタに追放されてからいっぺんもそんなもの食べたことないわね。だいたいなんで猟師がおカネ出して肉を買うのよ?」
「う……! そ、その肉も熊の肉なのかい!? その、人喰いグマの……!」
おお、この馬鹿王子にしてはよく覚えていたな。
私はわざと下卑た表情で脅かしてやることにした。
「もちろんその通り。このクマは人を八人喰い殺した大熊の肉。三ヶ月も前に撃ち取ったのにまだ肉があるのよ。だからこうして細切れにして保存食にして食べてるってわけ」
「う……!」
「ああ、そうねぇ。人の肉を喰ったクマの肉を食べるってことは、それはつまり共食いする、ってことになるのかしらね。今気づいたわ。ま、私はそんなこと気にしたこともないけれど……」
ひえっひえっひえっ、と、どこぞの魔女のように意地悪く笑ってやった。
その顔と笑い声に、アイナルの顔が真っ青になり。ウッ、と低くえづく声がした。
おっと、どうやら脅かしすぎたようだ。
この男は吐くと決まれば本当に吐くだろうし、この洞窟内で反吐などぶちまけられたらたまらない。
「何を吐きそうな顔してんのよ。嘘に決まってるじゃない。それにこの肉はクマ肉じゃない、鹿肉よ」
「へ? し、鹿……?」
「鹿肉は独特の風味があってそのままだと食べにくい。だからあえて燻製にして風味を足してやるの」
私はそう説明しながら、腰の山刀を抜いた。
二本並べた薪をまな板にして、その上で岩のように固くなった肉を切り分け、一切れをアイナルに差し出す。
「ほら、食べてみなさい」
私の言葉に、アイナルはおっかなびっくり鹿肉を受け取った。
しばらくどうしようか迷ったように肉片を弄ったアイナルは、やがておそるおそる肉片に鼻先を寄せた。
「煙の匂いがする……」
当たり前のことを言うな、と私が言う前に、ごくっ、とアイナルの喉仏が動いた。
どうやら、とりあえずこれが食べられるものであることは理解できたらしい。
そうなると、あっという間に腹の虫が騒ぎ始めたらしく――アイナルは大口を開けて燻製肉に齧りついた。
しばらくの間、神妙な顔でもぐもぐとやっていたアイナルが、はっとしたような表情を浮かべた。
それと同時に、病的に青白かった顔に、さっと赤みが差したような気がした。
「どう? 食べられるの?」
私の質問には答えず、アイナルはもう一度肉にかぶりついた。
ろくに咀嚼もせぬまま、二口、三口……と齧りついたアイナルは、そこで大きく咳き込んだ。
「う……げほっげほっ!」
「こら、あんまり急き込んで食べるんじゃないわよ」
背中をさすってやりながら、何だか今のは母親のような言葉だったなぁ、と私は妙なところに引っかかりを感じた。
私に背中を擦られながらも、なんとか肉を飲み込んだらしいアイナルは口元を拭い、また無言で鹿肉に齧りつき始める。
「呆れた。よっぽど飢えてたのね。アンタが無言で食事するところなんて初めて見たわ」
私が半笑いの声で言うと、ふと――アイナルが私を見た。
「アレクサンドラ……」
「な――何よ?」
「再会したときから考えてたんだけど……君は一体何者なんだ?」
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