人が人である証
私の質問に、ふぇ? とアイナルが声を漏らした。
しばらく馬鹿なりに何かを考える間があって……それからアイナルはしどろもどろに言った。
「二本足で歩く……歌を歌う、お金を使う、美味しいものを食べる、人に恋をする、夜が明けるまで遊ぶ……」
「そりゃ人間の生態じゃなくてアンタの生態でしょうが。しかも人の中ではかなり少数派で愚かな部類の。アンタを人間代表として考えんな。申し訳無さすぎるわよ」
「ぐ……そんなこと言われても……」
「いい? 人間が他の動物と違う点は三つ。言語、火、刃を使う点よ」
私は手を擦り合わせ続ける。
しばらく続けると、錐揉みされた棒と板の間から焦げたような匂いが立ち昇り始める。
「言語。これはわかるわね、多少鳴き声や匂いでコミュニケーションをするにしても、細かいニュアンスまで伝わるように会話するのは人間だけ。そして刃。猿でも石や棒きれぐらいは使うけれど、それを刃に加工し、何かを切ったり攻撃に使ったりすることはない。これも人間だけのもの」
しゅしゅしゅしゅ……と、板と棒が擦れ合い、やっと僅かに煙が立ち昇り始めた。
焦げた木の繊維が穴に溜まり始め、木の脂が灼ける刺激臭がした。
「そして火。これが一番重要よ。人間以外の動物はどんな知能が高くても絶対に火を扱うことはない――」
黒い屑が小指の爪の先ほどに溜まった。
私はそれを火口の中に、慎重に落とした。
「人間は弱い。毛皮もない、牙もない、鼻もそんなには利かない。人間と獣が戦ったら人間に勝ち目はない。だから身を守る武器は周りから手に入れる」
アイナルは黙って私の言うことを聞いていた。
火口に熱が伝わり、濃く煙が立ち昇り始めた。
シラカバの樹皮ごとそれを両手で包み込んだ私は、慎重に、優しく息を吹きかけた。
「……その中でも火は強力な武器よ。森を一夜にして焼き払うことだってできるし、何人も殺すことだってできる。……反面、きちんと管理された火なら、人を暖め、料理もできるし、焼かれた野原は畑として使うことができる。……火を操ることこそ、人間が動物ではなく、人間である証……」
瞬間、掌の中にハッキリとした熱源が生まれ、強い光を放った。
ぱっ、と、私はその熱源を地面に落とし、素早く小枝を薪をくべた。
洞窟内でよく乾燥した小枝から太い薪に火が燃え移り、あっという間に大きくなった。
「人間だけが使える唯一の武器――それが火よ」
シラカバの樹皮に燃え移った火は、煤を巻き上げて勢いよく燃え上がった。
今まで薄暗かった洞窟内が明々と照らし出され、目を見開いたアイナルの顔を照らし出した。
「おお、おおおお……!」
アイナルの目が輝いた。
まるで宝石の詰まった匣を開けたかのように、その顔は生まれて始めて見る光を見て、その美しさの虜になったようだった。
「どう? これでもまだ原始的な方法で火を熾すことが冗談なのかしら?」
私があてつけて言うと、アイナルがぶんぶんと首を振った。
「冗談、じゃなかった……ほ、本当に火が熾きた……! 棒きれと板だけで、本当に……!」
まるで手品を見た子供のように、アイナルは生まれたばかりの火に顔を寄せた。
途端に、ぱちっと火花が爆ぜ、当然のようにアイナルの鼻頭に着地した。
「あちちっ!」
慌てて顔を覆ったアイナルに、私は大いに呆れて腰に手を当てた。
「こら、暖炉の火じゃないのよ? 目に飛んだらどうするの」
私が忠告しても、アイナルはまるでその虜になってしまったかのように揺らめく火を見続けている。
おや、なんだこの反応は……? と私がそれを見ていると、アイナルが寝言のような口調で言った。
「いや……なんだか僕、今初めて火の熱さを知った気がする……。暖かい、いや、熱い。火は熱いんだ。こんなに火が熱いものだなんて、僕、今まで知らなかった……」
この馬鹿元王子から発せられた言葉とは思えないほどに繊細で、なんだか哲学的な言葉だった。
そうかもしれない、と、何だか私の方も妙な気持ちになった。
私だって、祖父が実際に棒切れと板で火を熾してくれるまで、あんな原始的な方法で火が熾せるなんて知らなかった。
そして実際にこうして、厳冬期の雪山でその暖かさを骨身に沁みて理解するまで、火の尊さというものを知らなかった気がする。
この馬鹿元王子が馬鹿なのは、ある意味環境のせいなのかもしれない、と、私はそんな反省を覚えた。
水は召使いが、火はランプにして執事が持ってくるとアイナルは自慢したが、ちょっと前まで、正真正銘、コイツは今までそんな生活が当たり前だったのだ。
何もかも管理され、用意された水や火、用意された食事、用意された生活、用意された地位、用意された婚約者――。
ここまで上げ膳据え膳、管理されたものばかりに囲まれて生きてきたコイツには、却って管理されていないものが新鮮に映るのだろう。
「ふん、今更なこと言うじゃない。アンタも何かに感動することあるのね――」
あえて突き放すように言ってはみたものの、どうしても声音は優しくなってしまった。
私も甘ちゃんだなぁ……と思いつつ、私は次の行動に移ることにした。
「さ、いつまで火の虜になってるの。火が焚けたら次は食事よ」
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