凍傷だもの
「さ、雪が激しくなる前にこのクマを郷まで降ろすわよ。アンタがやるの」
私の言葉に、アイナルは珍妙な表情を浮かべた。
「ど――どうやって?」
「ロープは持ってきてるわ。適当にそこらの柴を集めてソリにするの。アンタ、足腰の方は――」
ちら、と私はアイナルの下半身を見た。
靴は至って普通の革靴で、私の履いている毛皮に鉄の爪を併せた山仕様ものとは、当然の如く全く違う。
さすがあの性悪女とその父である伯爵、やることが残虐だ。
この極寒の冬山に、本当に着の身着のままの追放するとは――それは実質的な死刑――否、死刑よりも冷酷な、寒さと飢えを刷り込んで野垂れ死にさせるやり方だったはずだ。
「……アンタのことはあんまり褒めたくないけど、よく生きてたわね」
「はぇ?」
「その革靴で今までこの山を彷徨いてたの? 凍傷にならなかったのが不思議なぐらいよ」
「と、凍傷ってなんだい?」
「生きた人間だって凍るのよ。そうなりゃもとには戻らないわ。足の指なくならなかったのが不思議なぐらい。まぁバカだから寒さも感じなかったのかしらね――」
その旺盛な生命力に呆れてしまった私の言葉に、アイナルは目を点にした。
「あのさ……アレクサンドラ」
「あによ?」
「その、トーショーになる前って……もしかして足の指の感覚がなくなったりするかい?」
「おっ、アホの癖によく知ってるわねぇ。その通りだけど」
私が少し関心して答えると、アイナルの額に脂汗が滲んだ。
「ないんだ……」
「へ?」
「足の指の感覚――今朝ぐらいから全くないんだけど――もしかしてこれ、その、トーショーだったりする……?」
こいつは一体何処までアホなんだ!?
情けないことに、私はその時、心の底から仰天してしまった。
「ばっ――バッカじゃないのアンタ!? 今までなんかおかしいなって思わなかったの!?」
「い、いやだって、なるの初めてだし――」
「アンタ足の指全部なくしてどうやって殺されに王都に戻るつもりなのよ!?」
「う――!」
「ああもう、じれったい! 靴脱いで足の先っぽ見せなさい!」
私が雷を落とすと、アイナルは随分慌てた様子で雪面に尻餅をつき、子供のように両手を使って靴を脱いだ。
私がしゃがみこんで患部を確かめると――なるほど確かに、アイナルの足の指全部が、真っ白を通り越して紫色になりかけている。
状態から言って、決して軽いとは言えない凍傷だった。
「あああああ! 馬鹿! 馬鹿じゃないのアンタ!? なんでこうなる前になんとかしようと思わなかったのよ!」
「いや、だって誰もいないし、教えてくれる人もいなかったし――!」
「アンタはなんでそう常に人のせいなのよ! ――ああもう、馬鹿の相手は疲れる!」
私は慌てて肩に掛けた銃を降ろし、防寒着の裾をはだけ始めた。
その所作を見て、アイナルはうわっと大声を上げた。
「あ、アレクサンドラ!? 一体何を――!?」
「うるさい黙れ黙れ黙れ! 足を出せ足を! 両足だ!」
「はっ、はいぃ――!」
そう言いながら、アイナルはなるべく私の方を見ずに両足を差し出した。
私が防寒着と、その下の服までひっぺ返すと、鮮烈な冷気が胸元に触れた。
アイナルの足先を掴むと、既に氷のように冷たかった。
私は迷うことなく、自分の胸元にアイナルの足の裏を押し付けた。
「あっ、アレクサンドラ――!?」
ぎょっ、と、こちらを振り向いたアイナルは、大胆に寛げられた私の胸元を見て、またうわっと悲鳴を上げて後ろを見た。
くそっ、冷たいな――私はその冷たさを歯を食いしばって耐えながら、防寒着のボタンを再び閉じ、アイナルの膝を抱え込んで、全身で冷気から守った。
アイナルは――耳まで真っ赤になり、必死になって私から目を背けている。
実質引退したとはいえ、嫁入り前の公爵令嬢が男に胸元を晒して、そこに足を押し付けさせているのだ。
はしたないといえばはしたないだろうが、今できることはこれしかない。
それに、土台冬山では、いちいち格好など気にしていればすぐに死神がやってくる。
やれることはすべてやる、その知識の量と覚悟が生死を分けるのだ。
「そのままの体勢で聞け」
足先が徐々に温かくなり、少しずつ血が通い始めたらしいことを肌で感じながら、私は言い聞かせるように言った。
「私がなんでこんな事をしてるかというと、凍傷になりかけてる時には一刻も早く温める必要があるからよ」
「うっ、うん――」
「だから緊急事態の時は、こうやって素肌に素肌をくっつけて暖を取らせる。雪崩に巻き込まれた時のために猟師なら誰でも知ってる方法だ。アンタも春までここにいるんでしょ? なら必ず覚えておけ。そうでなければ死ぬわよ」
私の言葉に、アイナルはぶんぶんと頷いた。
今まで氷のようだったアイナルの足先に、じんわりと温かみが戻ってきたようだ。
今日は里までクマを降ろすことは断念し、火を焚いてこのアホ元王子を温めてやらなければ。
しかし、火を焚くにしてもこのままの体勢だと動けない。
どうするか考えて――私は覚悟を決めた。
「アイナル、ちょっと目を閉じてろ」
「うっ、うん――」
私はそのまま、アイナルの腰の辺りを担ぎ上げた。
首元から両足を突っ込ませたそのまま、私は肩車するような格好でアイナルの両腿を抱え、右肩にアイナルの尻を置いた。
「ちょっと動くぞ、いい?」
返事も待たずに、私たちは妙な格好のまま雪面を歩き始めた。
元来、武術も剣術もダメダメなアイナルの身体は、弛んでこそいないがヒョロヒョロで、普段引きずって降ろすクマよりも何倍も軽かった。
私はさして苦労もせず雪面を歩き、お目当ての木の前にたどり着いた。
白い樹皮の木――まるで巻紙であるように、その木からは古い樹皮がめくれ、茶褐色の紙のような樹皮がぶら下がっている。
「おい、アイナル。手の指は無事よね?」
「だ、大丈夫だと思う……」
「これがシラカバ。よく燃える木よ。焚き付けにするから樹皮をなるべく多く剥ぎ取って」
私が言うと、アイナルは私の肩の上で危うく身体を起こし、樹皮を取った。
べりべり……という音とともに綺麗に樹皮が剥ける。
「もっと?」
「もっともっと。剥ぎ取れるだけ取りなさい」
ちくしょう、一度約束したとは言え、なんで私がこんな事を――。
苛立ちを通り越して悲しくなって来たところで、アイナルが「よし、剥いだ……」と小さく言った。
次に――私は視線を東の方に振った。
この木立を風雪から守っている東側の崖には、私が緊急事態用に確保してある洞窟がある。
まぁ洞窟と言うより、危うく風雪を逃れられるぐらいの窪みと言ったほうが正しかろうが、そこでなら焚き火も炊くことができるはずだ。
「アイナル、はやいとこアンタの足を暖めないと、アンタは足の指を全部なくすことになる。いい? 今から洞窟に避難するわよ」
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