第3章 それでも僕はヤってない part1/4
「『七星の学徒』?」
「ええ、学園では卒業時点で上位七名に入っている生徒のことをそう呼ぶんです」
秋学期の授業が本格的に始まる直前のことである。この日、ミユキは学園の制度について、リリスに改めて説明していたのだった。
「それは成績順で決まるの?」
「そうですね。厳密に言えば、学園から授与された勲章の数の順なので、クラブや委員会活動の実績なんかも加味されます。でも、大半の勲章はテストの成績でもらうことになるので」
ミユキは小声で「恥ずかしながら、僕はまだ0個ですけど……」とも付け加える。今のままの調子では、目標として口に出すのもおこがましいだろう。
だが、リリスは決してミユキのことを笑ったりはしなかった。
「それで、ユキ君はその『七星の学徒』を目指してるのね?」
「ええ。成績優秀者として拍がつけば、大和に戻ってからも何かと有利でしょうから。ですから、できれば首席、最低でも七席以内には入りたいですね」
◇◇◇
子供のように小柄なギーゼラが、しかし老人のように杖を片手に教壇に立つ。
外見では年齢の判断が難しいが、彼女の中身はベテランの教師である。その説明は、老人のようによどみなかった。
「蛇毒は作用する部位によって、概ね神経毒、血液毒、筋肉毒の三種類に大別することができる。まず神経毒だが――」
ギーゼラの守護精霊のメーティスは、知恵や知性、そしてそれに基づく助言を司る神である。
神話におけるメーティスは、至高神ゼウスの最初の妻だった。しかし、ゼウスは生まれた子供が自分を脅かすという予言を恐れ、メーティスをハエ(もしくは水)に変身させて飲み込んでしまう。
こうしてゼウスに取り込まれたメーティスだったが、それからはその知性によって、体内から夫の行動に対して的確な指示を送るようになったという。全知全能とも言われるゼウスの明晰さは、メーティスの助言のおかげでもあったのだ。
メーティスと契約するギーゼラも、彼女の助言のように自他を助ける魔法――強化魔法や回復魔法を得意としており、授業でも主にその二科目を担当していた。
この日、ミユキら第五寮の生徒たちが受けていたのは、回復魔法の授業の方だった。一年の頃は怪我の治療がメインだったが、二年からは解毒や解呪も扱うそうで、それで今日は蛇毒の解毒について勉強していたのである。
「残り二種類の毒も、この神経毒に対する魔法式の応用や変形によって組み立てることができる。では、血液毒と筋肉毒を解毒する魔法式が分かる者は?」
魔法式(魔法陣)とは、言わば魔法の設計図のことである。
他に、魔力は材料、魔法は完成品にたとえられる。つまり、まず魔法式を用意し、それに沿うように体内の魔力を組み上げ、最後に魔法として放つというわけである。
魔法式=設計図とは言ったが、魔法式をわざわざ紙や地面に書かなくても、単に頭の中で思い浮かべるだけで魔法は使える。ただ、細かい図形を正確にイメージするのは難しいため、初学者はまず魔法式を書いて覚えるところから始めるのだ。だから、ギーゼラも解毒の魔法式を書かせようとしているのである。
彼女の言う通り、今習ったばかりの神経毒の応用で他の毒に対する魔法式も書けるため、かなりの人数が挙手をしていた。その中には、ミユキも含まれている。
ギーゼラは、そんなミユキのことをちらりと見やると――
「ジェイミー・バズビー」
手を挙げていない生徒を指名した。彼女はときどきそういうことをするのだ。
「……分かりません」
「分からない?」
男子生徒の返答を聞いて、ギーゼラは杖を硬く握り直す。
実はこの杖は、メーティスの変身した精霊兵装だった。つまり、彼女は歩行の補助のためではなく、緊急時の武装や生徒の指導のために杖を持っていたのだ。
「何故だ? 私の説明が下手だからか?」
「それは……」
「そもそも分からないのなら、どうして質問しなかった? 私は『ここまでで何か質問はないか?』と聞いたはずだが。それとも、私が勘違いをしているのか?」
「いえ、先生は確かにそうおっしゃってました」
「なら、何故分からない生徒がいる?」
「…………」
その後も、杖で叩きこそしなかったものの、ギーゼラの詰問は延々と続いた。「教え方が下手だから質問しても無駄ということか?」「苦手なら前もって予習しようと思わないのか?」「黙っていては分からんぞ」…… あまりにねちねちとしたやり方だったから、指名された本人はもちろん、他の生徒たちもすっかり委縮してしまう。
結局、彼女の話が終わるまでには数分の時間を要した。
「メリル・ウォーリック」
「はい」
説教直後の絶対に誤答できない雰囲気の中での指名だったが、メリルの白い顔が赤くなったり青くなったりすることはなかった。
彼女は一度も手を止めることなく、すらすらと対血液毒の魔法式を黒板に書いてみせる。筋肉毒も同様だった。
「よろしい」
ギーゼラはようやくそう頷く。
これでもう彼女の小言を聞かずに済むからだろう。教室にはホッとした空気が流れた。
しかし、それも束の間のことだった。
「では、腐蛇のように、血液毒と筋肉毒が混じった毒に対する魔法式は?」
応用問題を使った応用問題である。必然的に手を挙げたのは、メリルやイングリットなどの一部の優秀な生徒に限られた。
にもかかわらず、今回もギーゼラは挙手していない生徒を指名した。
「ミユキ・ツチミカド」
◇◇◇
前日の夜――
ミユキは部屋で机に向かっていた。明日は回復魔法の授業で蛇毒の解毒についてやるので、その予習に取り組んでいたのだ。
勉強したおかげで、神経毒や血液毒といった、一つ一つの毒に対する魔法式はもうそらで書ける。それどころか、何故こういう形の魔法式になっているのかも説明できるつもりである。
しかし、それぞれの毒が混じり合った場合の魔法式は複雑過ぎて、式の構成を理解するのに苦労していた。とりあえず、今は形だけ丸暗記するという手もあるが……
「ユキ君、ユキ君。胸派と尻派の争いに、脚派ではなく腋派として参戦する異端児のユキ君」
「しません」
「おっぱいにもおしりにも喰いついてこないから、てっきり腋フェチなんだと思ったんだけど」
「人を変な性癖の持ち主みたいに言わないでくださいよ」
こっちは勉強している最中だっていうのに…… ミユキはムッとした顔をする。
しかし、リリスの話はまだ続いた。
「何言ってるの、ユキ君。本当に変な性癖っていうのは――」
「いや、説明しなくていいですよ」
「女の子の舌を改造して――」
「やめろ!」
シャレにならなさそうなので、ミユキは慌てて遮っていた。
ただ、性癖の話は本題ではなかったらしい。
「それで、ユキ君はお悩み中なの? ペンが止まってるけど」
「え? ええ、教科書がちょっと分かりにくくて」
リリスがさらに「一体どこ?」と尋ねてくるので、ミユキは具体的にどの部分で苦戦していたのか答える。
すると、彼女はすぐに解説を始めていた。
「ああ、それはね、魔法式を一つずつ見ていくよりも、他の組み合わせと見比べた方が規則性が分かりやすいと思うわよ。まず、これが神経毒と血液毒の混じったパターンでしょ。それで、これが神経毒と筋肉毒で――」
女教師にでもなったつもりなのか、リリスは何故か眼鏡をかけながら説明をする。
ただ、格好はともかく知識は本物だった。彼女は何も見ずに、全ての毒の組み合わせとそれに対する魔法式を書き出していく。
その上、彼女の言う通り、全てのパターンを並べてみれば、魔法式に規則性があるのが見えてくる。
「あっ、なるほど……」
ミユキは思わず唸っていた。
◇◇◇
科目によっては、実際に魔法を使う実戦的な授業もある。そのため、魔力の供給源となる守護精霊は、授業に同伴させることがほとんどだった。
だが、生徒の身につかないので、守護精霊に答えを聞いて一種のカンニングをするのは禁止されていた。だから、ギーゼラの質問の答えを、リリスから教えてもらうわけにはいかない。
しかし、ミユキは自信がないから挙手しなかっただけで、昨夜の話を忘れていたわけではなかった。
前に出ると、もたつきながらも黒板に魔法式を書いていく。
「こ、こうでしょうか?」
「……正解だ」
さすがに白を黒とは言えないから、ギーゼラもそう認めざるを得なかったようだ。おかげで、長々と詰問されることも、杖で叩かれることもなかった。
ミユキに解けると思っていなかったのは、クラスメイトたちも同じだったらしい。「お前、今の解けたか?」「いや……」「ちっ」というような会話が漏れ聞こえてきた。